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19. トロイメライ
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土曜日、ランチタイムの少し前に、
「こんにちは」
と明るい声の女性がやってきた。
二十代後半ぐらい、茶色く染めた長い髪にふんわりしたパーマをかけ、薄いブルーのワンピースを着た、きれいだなって思うお姉さん。
笑顔がとてもすてきで、両頬のえくぼがかわいい。
「こんにちは」
僕にも笑顔を向けて、挨拶してくれる。
通り過ぎるとき、花のような香りがふわりと漂った。
(ヒナタ、顔がにやけてる)
ぴょんと膝に乗ってきたヒメに言われた。
「え? 嘘」
思わず声が出てしまう。
「陽向君、どうかした?」
ばあばに聞こえてしまい、焦りながら首を振った。
「ううん。なんでもないよ。ちょっと思い出したことがあっただけ」
「そう」
サンドイッチを作っているばあばはそれ以上尋ねてこなかった。
ほっと胸をなでおろす。
ヒナったら、僕をからかわないでほしい。
「オルゴール、直りましたよ」
じいじがやってきたお姉さんに声をかけた。
「本当ですか。お願いしてよかったです」
お姉さんの声が弾んでいる。
お姉さんは修理をしていたオルゴールの持ち主。
いつもなら、じいじは受け渡し日を伝えているけれど、今回は電話をさしあげます、にしていた。
「動作確認をお願いします」
「はい」
お姉さんが受け取ったオルゴールのネジを回す。
ギギと音を立てて、何周か回したあと、オルゴールを作業台に置いた。
まるでガラスが弾けるような、儚くて、切なくて、でも清らかで、澄んだ音色が聴こえてくる。
お姉さんはまぶたを閉じて、音色に聴き入っている。
僕も真似をした。
優しい音色が、心にも広がっていった。
「トロイメライ、ですね」
じいじがつぶやく。
「久しぶりに聴きました。旅行のことを思い出します。嬉しい」
お姉さんの声が聞こえて、僕は目を開けた。
「このオルゴール、家族旅行で買ってもらったものなんです。小学六年生のときでした。小学生のお土産にしては、高額だったので、私はあきらめたんですけど、父が買ってくれて。寝る前に毎日聴いて、癒されていたんです」
お姉さんが目を細めた。柔らかくて、とても優しい笑顔でオルゴールを見つめる。
「私、もうじき結婚して、実家を出るんです。当然持って行こうと思っていたのに壊れてしまって、ショックを受けたんです」
大切な思い出を抱くように、オルゴールを胸の前で抱きしめてから、持参していた紙袋にオルゴールを入れた。
「直してくださって、ありがとうございました」
支払いをしたお姉さんは、足を弾ませて帰って行った。
「じいじ、オルゴール、すてきな曲だったね。トロイメライだっけ」
僕が尋ねると、
「シューマンっていう人が作曲したんだよ」
じいじが教えてくれた。
「タイトルに何か意味があるの?」
「ドイツ語で夢想とか夢見心地、っていう意味だよ」
「夢……」
どきっとした。
僕が体験する不思議な世界は、夢の中の出来事だと思っている。
なぜか現実とつながっていて、他人の人生を覗いている。物語の中の世界みたいで、僕は楽しんでいるけれど、ほんの少し罪悪感もある。
本人しか知らない情報を、僕が勝手に知っていいのかなって。
誰かに話すのも、本人にも言っちゃいけないとわかっているから、知ったことは思い出さないようにしている。
どうして、あんな経験をしているのだろう。
おもちゃを持ち込んだ人全員じゃない。今のところ、あの二人だけ。
これから先も、僕はあの虹のトンネルに行けるのかな。
行っていいのかなという気持ちと、また行きたい両方の気持ちが僕の中にあった。
ぼんやりしている間に、じいじは仕事に戻っていた。
(さっきのお姉さん、結婚するんだって。ヒナタ、失恋しちゃったわね)
ヒメが余計なことを言う。
うるさいよ、とは言えないから、僕は口を閉じたまま、カウンターに向いて、国語の宿題を始めた。
「こんにちは」
と明るい声の女性がやってきた。
二十代後半ぐらい、茶色く染めた長い髪にふんわりしたパーマをかけ、薄いブルーのワンピースを着た、きれいだなって思うお姉さん。
笑顔がとてもすてきで、両頬のえくぼがかわいい。
「こんにちは」
僕にも笑顔を向けて、挨拶してくれる。
通り過ぎるとき、花のような香りがふわりと漂った。
(ヒナタ、顔がにやけてる)
ぴょんと膝に乗ってきたヒメに言われた。
「え? 嘘」
思わず声が出てしまう。
「陽向君、どうかした?」
ばあばに聞こえてしまい、焦りながら首を振った。
「ううん。なんでもないよ。ちょっと思い出したことがあっただけ」
「そう」
サンドイッチを作っているばあばはそれ以上尋ねてこなかった。
ほっと胸をなでおろす。
ヒナったら、僕をからかわないでほしい。
「オルゴール、直りましたよ」
じいじがやってきたお姉さんに声をかけた。
「本当ですか。お願いしてよかったです」
お姉さんの声が弾んでいる。
お姉さんは修理をしていたオルゴールの持ち主。
いつもなら、じいじは受け渡し日を伝えているけれど、今回は電話をさしあげます、にしていた。
「動作確認をお願いします」
「はい」
お姉さんが受け取ったオルゴールのネジを回す。
ギギと音を立てて、何周か回したあと、オルゴールを作業台に置いた。
まるでガラスが弾けるような、儚くて、切なくて、でも清らかで、澄んだ音色が聴こえてくる。
お姉さんはまぶたを閉じて、音色に聴き入っている。
僕も真似をした。
優しい音色が、心にも広がっていった。
「トロイメライ、ですね」
じいじがつぶやく。
「久しぶりに聴きました。旅行のことを思い出します。嬉しい」
お姉さんの声が聞こえて、僕は目を開けた。
「このオルゴール、家族旅行で買ってもらったものなんです。小学六年生のときでした。小学生のお土産にしては、高額だったので、私はあきらめたんですけど、父が買ってくれて。寝る前に毎日聴いて、癒されていたんです」
お姉さんが目を細めた。柔らかくて、とても優しい笑顔でオルゴールを見つめる。
「私、もうじき結婚して、実家を出るんです。当然持って行こうと思っていたのに壊れてしまって、ショックを受けたんです」
大切な思い出を抱くように、オルゴールを胸の前で抱きしめてから、持参していた紙袋にオルゴールを入れた。
「直してくださって、ありがとうございました」
支払いをしたお姉さんは、足を弾ませて帰って行った。
「じいじ、オルゴール、すてきな曲だったね。トロイメライだっけ」
僕が尋ねると、
「シューマンっていう人が作曲したんだよ」
じいじが教えてくれた。
「タイトルに何か意味があるの?」
「ドイツ語で夢想とか夢見心地、っていう意味だよ」
「夢……」
どきっとした。
僕が体験する不思議な世界は、夢の中の出来事だと思っている。
なぜか現実とつながっていて、他人の人生を覗いている。物語の中の世界みたいで、僕は楽しんでいるけれど、ほんの少し罪悪感もある。
本人しか知らない情報を、僕が勝手に知っていいのかなって。
誰かに話すのも、本人にも言っちゃいけないとわかっているから、知ったことは思い出さないようにしている。
どうして、あんな経験をしているのだろう。
おもちゃを持ち込んだ人全員じゃない。今のところ、あの二人だけ。
これから先も、僕はあの虹のトンネルに行けるのかな。
行っていいのかなという気持ちと、また行きたい両方の気持ちが僕の中にあった。
ぼんやりしている間に、じいじは仕事に戻っていた。
(さっきのお姉さん、結婚するんだって。ヒナタ、失恋しちゃったわね)
ヒメが余計なことを言う。
うるさいよ、とは言えないから、僕は口を閉じたまま、カウンターに向いて、国語の宿題を始めた。
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