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婚約者がいたなんて、聞いてませんけど! 〜嵐のような訪問者
しおりを挟む親愛なるヴィクトリア女王陛下。
あなたはご存知でしょうか。
イギリスの中心地、ロンドンにある、シンドレア伯爵家のタウンハウスで、
真っ赤な嘘に彩られた結婚が計画されていることをーー。
「ようこそ、ラティーダ伯爵家、リアお嬢様」
食堂のドアが開き、部屋の奥にいたエルバートの祖父が、私ににっこりと微笑む。
昨日まで、自分が泥棒であったことが嘘のようだ。
今、私は、シンドレア伯爵家、長男のエルバートが用意したドレスに身を包み、
従者役としてやとわれた売れない舞台俳優数人を背後に連れて、
伯爵令嬢としてシンドレア家の晩餐会に招かれていた。
白いテーブルクロスのかかった縦長のテーブル、ズラッと並ぶ皿と椅子。
絵画が飾られた赤い壁。
壁際にひかえる十数人の使用人。
私はその部屋の様子を見て、口をパックリと開いた。
住む世界が違う。
ため池から大海原に突然放り込まれた魚になったような気分だった。
エルバートとエリスは、すでに席についていた。
二人の母と、祖父母らしき人もそこにいた。
父親らしき人は見当たらない。
私が座るように指示されたのは、エルバートとエリスの間にはさまれた席だった。
私はドア近くに突っ立って、エルバートとエリスの顔を眺め、戸惑い顔を浮かべた。
エルバートはそんな私を見て、この場を楽しんでいるように微笑んだ。サラサラとした金髪の前髪の下で、切れ長の目に不敵な笑みを浮かべている。
エリスは「大丈夫だよ」と私を励ますように、ニッコリと笑った。女神様も恋に落ちてしまいそうな愛らしい笑みだった。
私は席につくと、テーブルに並んだたくさんの料理やナイフ、フォークを眺め、冷や汗をかいた。
どれを使って、どんな順番で、どんなふうに食べればいいのかさっぱり分からない。
「冷めないうちにどうぞ」
とシンドレア伯爵夫人が微笑む。
私はとりあえず、ニコリと笑みを返した。
表情とは裏腹に、憂鬱を腹に抱えていた。胃がキリキリとする。
(エルバート……)
私は、小声で話しかける。
(気安く呼ぶな、エルバート様と呼べ)
やかましいわと、胸のうちで毒づきながら、
(エルバート様)
と呼び直した。
(話が違うよ。
ちゃんと、テーブルマナーも教えてくれるって言ったじゃないか。
こんなにぶっつけ本番で伯爵令嬢の真似事をさせられるなんて、聞いてなかったよ!)
(なんだ、プロポーズを受けた時の余裕はどこへ行った?)
(あの時は、あの時だ!
まずいよ! 私はテーブルマナーなんか何も知らないんだ)
エルバートは鼻で笑った。
(そうだろうな。こちらも、その点についておまえに期待はしていない)
ああ、そうですか。正しい評価だが、腹が立つな。
エルバートはまったく焦るような表情も見せず、ワイングラスをゆらゆらと揺らし、優雅な仕草で一口飲んだ。
いやいや、そんなふうに余裕ぶっこいている場合なのか。
(だったら、どうするつもりなんだ?)
(安心しろ。ちゃんと策は考えてある。しかし、その前に……)
エルバートがギロリとにらむ。
(その言葉遣いをなんとかしろ!)
いちいちムカつく男だ。
(申し訳ございませんね、お上品にしゃべれなくて。
何せ、私は最下層の階級の出ですからね)
私はシンドレア家領地の農村の娘だった。
酒浸りの貧乏百姓の父の下で育ち、暮らしの苦しさから家を飛び出して、蒸気機関車に乗って大都会を目指した。
都市部では産業革命によって工業化が進んでいると噂に聞いていた。
たくさんの労働者が都市に集まっているという。そこでは、女子供もたくさん働いているそうだった。
アメリカから移住してきた中流階級の人達が、ロンドンで商売をして富を築き、富裕層になり上がっているという話も聞いた。
無一文で都市部に転がり出て、ちゃんと暮らしていけるのか分からないが、私には希望があった。
そう、希望!
都会に飛び込めば、田舎とは違う世界があるにちがいないという希望が。
希望を抱き、私はシンドレア領地から生まれて初めて飛び出した。
しかし、それは失敗だったとしか言いようがない。
紆余曲折を経て、私は、下層階級の労働者ですらない、スラム街に生きる無所得者となった。
生きる術は、泥棒やスリしかなかった。
それがわたしの生きてきた十八年間の歴史だ。
そんな私がテーブルマナーなど知るはずがない。
文字通り、手も足も出せずに皿の中身を見つめて固まっていると、ちょんちょんとエリスが私の膝を指でつついた。
エリスは、私に顔を寄せると口元を手で隠し、
(安心して、僕がやっているのを見て、そっくりそのまま真似してくれたらいいから)
と言った。
上品な仕草で、ナイフとフォークを操る。この人に食べられる食材は幸せだなと思うくらい、優美な仕草だった。
(ね? 簡単でしょ?)
と、エリスがニッコリした。
エリスにとっては簡単だろうが、私にとったら簡単ではなかった。
貧民街で暮らしていた者に貴族らしい振る舞いを教えるなんて、即席でてきるはずがない。
しかし、エリスにはその難しさが想像できないのだろう。
まず、貧民街の暮らしそのものが、想像できないのではないかと思う。
貧民街の多くの家は長屋だった。
換気が悪く、きれいな水もなく、いつも下水のにおいがしていた。
家具といえば、ワラ敷きの寝台のみ。
トイレは何世帯も共用。
風呂なんてもちろんない。
狭い部屋にひしめく人。病人もたくさんいた。
母親は、ねずみに子供が噛まれないように抱き抱えて眠っていた。
それが貧民街の暮らしだ。
朝起きたら、執事がアイロンのかかった服を持って部屋にやってきて、沸かした湯で身を清め、衣服を着替えせてくれる。
そんな暮らしとは雲泥の差だ。
動作だけを真似たって、即席で伯爵令嬢になれるわけがない。
しかし、もうここまできたら、やるしかない。
できないなんて言葉はゆるされないのだ。
なぜか?
私は、たっぷり持参金をもった裕福な伯爵家の令嬢になりきって、エルバートかエリスのどちらかと結婚しないといけないのだ。
どうしてそんな無理難題を抱えることになったのかって?
それについて詳しく知りたいという方は、面倒だろうが、一話目を読んでいただきたい。また一から説明するのもまどろっこしい。
とにもかくにも、私は伯爵令嬢として一芝居うたないといけない羽目におちいっていた。
そして、その舞台の幕はもう上がっていた。
役者も舞台にでそろっている。
ここは、エルバートの家族を完璧にだましきるしかないのだった。
(しっかり見て真似るんだな。できなきゃ、シンドレア家に盗みに入ったことをバラして、衛兵につきだしてやる)
エルバートが涼しげな顔をして、口端を持ち上げて笑った。
このやろう、楽しんでやがるな。
エルバートの顔を怒りをこめてジロッと見つめると、彼は、
「どうした? 未来の花婿の顔がそんなに気になるか?」
と言って、ひょうひょうと微笑んだ。
自信過剰ヤローめ。
ヒールで背中に飛び乗ってタップダンスをしてやろうか。
しかし、エルバートが自信過剰になるのもわからないではない。
彼は男前だ。顔は確かによい。
爵位もあるし、長男だ。
イギリス貴族は、長男が土地と爵位を継ぐ。
つまり、エルバートは土地持ち、爵位持ち、しかも顔がいい、と三拍子そろっているわけだ。
きっとこれまで女性にモテてきたのだろう。
だけど、私は知っている。
彼の性格が最悪なことを。
だから、私はけっして彼になびかない。
(エルバート)
私は見よう見まねでナイフとフォークを動かしながら、小声でエルバートに話しかけた。
(ん?)
私はエルバートに顔を近づけると、口元をナプキンでぬぐうふりをして口元を隠した。
そして、
(一言いってもいいかい?)
と尋ねた。
(なんだ?)
私はエルバートの耳にこうささやいた。
(私、あんたが嫌い。それもクソがつくほどね)
ふっと、エルバートが鼻で笑う。その様が、男前でまた鼻につく。
「それは嬉しいね」
みぞおちを殴ってやろうか。
本当にいい性格をしている。
私は頭上に浮かぶ怒りマークを手で振り払い、必死に冷静さを保ちながら料理を食べた。
晩餐会はまだまだ続く。
私は今晩、エルバートへの怒りが爆発しないことを祈っていた。
• • •
ローストビーフやジェファーズパイ、サーモンやタラ、マッシュポテト、果物にケーキ。
料理は美味しかった。
そして、晩餐会は和やかだった。
母も祖父母も穏やかに私に笑いかけてくる。
私のナイフを操る手つきのぎこちなさについて、怪しむ様子もない。
会話は常に当たり障りのないものだった。
エルバートの母や祖母は、私の家の領地の広さや、領地の主な財源についてそれとなく探りを入れてきたが、私が返答につまると、祖父が、
「まあ、おいおい聞けばいいじゃないか」
と話を切った。
おかげで、架空のラティーダ伯爵家について、問い詰められてボロを出すということもなかった。
正直なところ、本当にほっとした。
私自身ラティーダ伯爵家の令嬢だと名乗りながら、心の中では「どこだよ、ラティーダ伯爵家って」と思っていた。そんな名前は聞いたことがなかった。
ちなみに、シンドレア伯爵家の領地はイギリスの南東に位置している。領地のほとんどを農村がしめる。そのため、農作物が主な財源となっていた。
しかし、近年は国外から安値で農作物が輸入されるようになり、シンドレア家の財政は年々厳しくなる一方だった。
ちなみにだが、今私たちがいる場所は、シンドレア家が有するタウンハウス。
タウンハウスはカントリーハウスと対をなすもので、
領地にある本宅がカントリーハウス、
ロンドンにある別荘がタウンハウスだ。
ロンドンの街で働き口にあぶれ、泥棒に身を落とし、シンドレア家のタウンハウスに盗みに入ったのが私の運のつき。
非力そうな伯爵なんぞにフライパンで殴られて気絶させられるなんて、私も神様に見放されたもんだね。
でも、悪いことはこれだけで終わらなかった。
これは嵐の序章だった。
晩餐会は二十一時を過ぎてもまだ終わらず、母と祖母は他の者より先に退席した。
その後、男たちだけで、ゆっくりと領地の経営について話をしていた。
私は退席していいものかどうか判断がつかず、男たちの話を黙って聞いていた。
知らない単語や人名が会話にたくさん飛び出してくる。
ずっと緊張しながら、耳慣れない言葉が飛び交うのを聞いているのは苦痛だった。
早く晩餐会がお開きにならないものかと思っていた。
しかし、この時、私はまだ知らなかった。
晩餐会が開かれている食堂にゆっくりと嵐が近づいてきていることを。
マーガレット•グレイフィル。
突如、天災のように降ってわいた災難の名だ。
ワインを飲み、饒舌になった祖父が、ここ最近の他の伯爵家の経済的な動向について話をしていた。
エルバートが聞き役になっている。
エリスが私に、
(退屈してるでしょ)
と耳打ちした。
(もう二人で、晩餐会から抜けちゃおうか)
私はホッとして、うなずいた。
(抜け出してどうするんだ)
(秘密だよ)
エリスは天使みたいに無垢そうな顔に、ちらりと意味深な笑みを浮かべた。
ドキリとするような妖艶な笑みだった。
どこに行くつもりだろう……。
さっきの笑みが気になるが、ともかく、晩餐会から抜け出せたら、この際なんでもいいだろう……。
私はエリスとうなずきあって席を立とうとした。
その時だった。ドアをノックする音がした。
ドアがゆっくりと開く。
部屋の中にいた皆が、ドアに目を向けた。
「失礼します。お客様がお見えです」
この家の執事が部屋の中の者に告げた。
そして、執事が一歩下がった。
それと入れ替わりに、真っ赤なドレスに身を包んだ若い女性が従者を引き連れて現れた。
エルバートとエリスが驚きの表情を見せた。
その表情を見るに、この女性の来訪は、まったく予期しないものだったようだ。
「これは、マーガレット様。突然、いかがなされた?」
エルバートが尋ねた。
マーガレットと呼ばれた女性は、気ぐらいが高そうな顔ににっこりと笑みを浮かべた。
「会いにきましたの」
「事前に言ってくだされば、もてなす準備をしましたのに……」
と、エリスが言った。戸惑った顔で兄の顔色をうかがっていた。
「あら、私、もてなしていただかなくてもけっこうよ」
「そんなわけには……」
言いかけた祖父の言葉をさえぎって、マーガレットが言った。
「かまわないの。
だって私、いずれはこの家に嫁ぐのですもの。
それなら、ありのままのこの家の様子を知りたいわ」
嫁ぐ?
嫁ぐと言ったか?
「マーガレット様、エルバートとの結婚の話はまだ正式に決まった話では……」
祖父が言葉をにごす。
「いいえ、私の母も父もそのつもりでいます。もちろん私も」
ちょっと待ってくれ、と私は思った。
つまりは、マーガレットはエルバートの婚約者?
そんな相手がいるなんて聞いていなかった。
「ところでエルバート様」
とマーガレットが言う。
「あなたのとなりにいらっしゃるのは誰かしら?
野生的な瞳をしてらっしゃるわ。
それに、とっても美しいのね。
そんな素敵なお知り合いがいるなんて、ちっとも知らなかったわ」
エルバートが、
(面倒なことになった)
とボソッとつぶやいた。
エリスが小さくうなずく。
エルバートとエリスの表情を眺め、マーガレットが何かを悟ったかのように目を光らせた。
そして、突然、こんな話を始めた。
「私の母の教えにこんなものがあります。
〝男性の真実の姿を知りたかったら、突然男性を訪ねてみなさい。
ただし、見たくなたい真実を目撃する可能性もありますから、そのつもりで〟
と」
マーガレットは、鋭い目をして私に視線を移した。
「確かに、母の教えは当たっていました」
(ねえ)
と私は小声でエルバートに話しかけた。
(彼女、何か誤解してやいないか?
私のことを恋路の邪魔者か何かと思ってるんじゃないか?)
(誤解じゃない。
おまえは、なんで自分がここにいるのか忘れたのか?)
エリスがこそっと私の耳元でささやく。
(グレイフィル家は、男爵っていう爵位を持っているけど、伯爵より位が下なんだ。
だから、マーガレットはエルバートと結婚すれば爵位が上がる。
かわりに、シンドレア家は持参金がもらえる。
グレイフィル家は裕福だからね。
お互いの家の利害は完全に一致しているんだ。
僕らの母や祖母も、あちらの家の両親も、二人の結婚を望んでる。
だけどね、僕と兄にしたら、そんな話、たまったもんじゃないよ。
僕らは家のためのコマじゃないんだから。
だからね、そこでリアの出番なんだよ)
なるほど。
では、私は正真正銘、マーガレットの恋路の邪魔者というわけだ。
「何をコソコソと話しているのかしら」
マーガレットは、ゆっくりとヒールを鳴らしながら私に近づいてきた。
どうするつもりだろう。
私は席から立ち上がり、逃げ出したいような気持ちをおさえ、彼女が近づいでくるのを見つめていた。ごくりとツバを飲み込む。
カツカツと床を踏む音と、長いドレスが衣擦れをする音がした。
そして、マーガレットは、私の真ん前で私と向き合って立ち止まった。
そして、無言のまま、白いシルクの手袋を脱いだ。動作に意図を込めるように、片方ずつ、ゆっくりと脱ぐ。
私は彼女のその動作を無言で見つめていた。
食堂は静かで、ピリッとした緊迫感がただよっていた。
彼女は、脱いだ手袋を手にもつと、私めがけて勢いよく投げつけた。
手袋は、私の胸のあたりにビタッと音を立ててぶつかり、床に落ちた。
「それが、私からあなたへのあいさつよ」
マーガレットはそれだけ言うと、私にクルリと背を向けた。
また、カツカツと音を立てて部屋を出ていく。
一体、なんなのだ。
訳のわからない女だ。
唖然としている私に、エリスがこう言った。
「手袋を投げつけるのは、グレイフィル領地では決闘の申し込みの合図だよ」
なんだって!?
私はマーガレットから決闘を申しこまれたようだった。
「女同士の戦いだな。せいぜい張り切って俺を取り合ってくれ」
エルバートがニヤリとした。
どうして私がそんな戦いに巻きこまれないとならないのだ。
事態がどんどんややこしくなる。
「負けないでね。頑張って!」
とエリスが親指を立てて無責任に笑う。
神様、こんな運命をもたらしたアンタをうらむよ。
私はこうして、エルバートを巡って女同士の決闘をする羽目になったのだった。
続く~
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