ただ、そばにいさせて。

こすもす

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50 店長の決断

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 それ以降、乃蒼さんがお弁当を持参する回数が減ってきていた。それはもちろん、森下くんの店に通うためであろう。
 僕も全く同じことをしていたのだから、その時のワクワクとドキドキはどのくらいのものなのか想像がつく。

 今思えば、その頃が一番罪悪感を感じず、楽しかったかもしれない。悩むことなんて一つもない、ひたすら相手のことを考えて、自分に都合のいい妄想はいくらだってできる。
 
 まさか彼と曖昧な関係になろうとは思いもしなかったが、今回乃蒼さんが恋をしたことはチャンスなのだと思った。
 僕と森下くんの関係を断ち切る為のきっかけ。

 ある日の昼、僕はある決意を胸に森下くんの店へ入店した。
 席へ案内してくれたのは丁度よく森下くんだったので、僕は着席するなり切り出した。

「今週、久々に飲みに行きませんか」

 森下くんは「え」と一瞬動きを止めて、グラスを握ったまま僕を見つめた。

「店長からそうやって誘ってくれたの、初めてじゃない……?」

 森下くんはふふっと照れくさそうに笑いながら、そのグラスへ水を注いでくれた。
 言われた通り、こっちから誘ったのは初めてだけと首を傾げた。

「そうでしたっけ?」
「そうだよ。俺、嬉しくてびっくりしちゃった。いつがいい? 今日でもいいよ」
「今日?」

 ちょっと急だなと思ったけれど、わざわざ先延ばしにすることでもない。
 それに、要件を済ませたらいつもの秘め事に流されずに、きちんと帰るつもりだ。

「いいですよ。今日はちゃんと家に帰りますから、あまり長くはいられないですけど」
「あ、そうなんだ。でもいいよ。じゃあ終わったら、いつもの所で」

 森下くんは笑いかけて、僕から離れた。
 その背中を見て不覚にも胸がきゅっと痛くなってしまい、慌てて水を飲んだ。
 大丈夫。これは彼と僕にとってメリットのあることだ。
 いつまでもぬるま湯に浸っていられないのだから。

 夜、焼き鳥屋に向かったのだがやはり満席だったので、近くのラーメン屋で済ませることになった。
 ここだとあまり長居しづらいのだが、丁度良かった。彼の家にはもう、お邪魔する訳にはいかないのだから。

「乃蒼さんとは最近、話してるんですか?」

 ラーメンを啜りながら言うと、隣に座る森下くんは不思議そうに僕を見た。

「乃蒼さん?」
「あ」

 分かっているていで話してしまって恥ずかしくなる。「うちの三番手の、鈴木さんのことですよ」と付け加えた。

「鈴木さんのこと、乃蒼さんって呼んでるんです。アルバイトにも一人鈴木さんって子がいて」
「あぁ、あの子ね。最近よく店に食いに来てくれるんだ。挨拶程度はしてるけど、そんなに深くは話してはないかな」

 乃蒼さんの名前を知らなかったくらいだから、それは本当なのだろう。
 乃蒼さんは何が目的で来てくれているのか、その理由に森下くんが気付いているのかどうかは分からない。

「あの子、結構可愛いですよね」

 乃蒼さんのことを、さり気なくやんわりと推しておく。
 森下くんは頬を赤らめることもなく、ごく自然に「うん、そうだね」とあっさり答えて頬杖を付いた。

「そういえばさぁ、あの子ってあの人に似てるよね。この前CMで見た……なんだっけ……あ、倉田カナミ?」

 テレビや雑誌で活躍している、今人気のモデルの名前を出されて腑に落ちた。そうだ、誰かに似ているような気がしていたけど、面影がその人に似ている。

「森下くんは、倉田カナミが好きなんですか?」
「え? まぁ……好きな顔ではあるけど」

 意図が分からないといったように首を傾げられるが、僕は構わず続けた。

「乃蒼さんって、ここに来た頃はミスばっかりして落ち込んじゃってたんですけど、めげずに這い上がって、今仕事が楽しいって言ってくれて」
「ふぅん、そうなんだ」
「すごくいい子なんですよ、あの子」
「え? どうしたの店長。なんか今日、変な感じ」

 嫌な顔はしなかったけど、やっぱり意図が分からないのだろう。
 僕がうっと言葉を詰まらせた隙に、森下くんは全く違う話を始めてしまったので、再び話題にする間もなくラーメンを食べ終えてしまい、店を出ることになってしまった。

 森下くんは駅の方まで一緒に歩いてくれた。
 見送りはいい、と突っぱねられない自分が恥ずかしい。
 彼と離れると決意できたと思っていたのに、こういう態度が本能では納得していないことが分かる。
 隣を歩く彼の手に、ふと指先が触れてしまった。
 手を引っ込めると、その手をきゅっと握られてしまって焦った。

「何してるんですか」

 指を絡められながら、穴があきそうなほど見つめられて、羞恥と高揚感が体を駆け巡った。
 いつもいけないことを始める際の、彼のその熱っぽい眼差し。
 こんなところでダメです……と押しのけようとしたのと、唇をすばやく奪われたのはほぼ同時だった。
 顔が離れていって、森下くんの悪戯っこの笑みを見て泣きそうになった。
 僕はこれから、大好きな君を騙そうとしているのに。
 
 幸い、僕らの他に人はいなかった。
 それに気付いていたから、この人もこんな大胆なことができたのだろうけど。
 僕はいつもみたいに「こんな場所で、何してるんですか」と怒ったフリをした後に、さりげなく切り出した。

「今度、一緒に映画に行きたいんですけど」

 森下くんが、ぱあっと花が咲いたような笑顔を見せた。

「うん。いいよ、行こう。またそうやって誘ってくれるなんて初めてだね」
「そうでしたっけ?」
「店長のとぼけ方、わざとらしくて好き」

 そのままお互いスマホを取り出し、約束を取り付けた。
 カレンダーアプリでシフトを確認し合い、都合の良い日にちを決めてスマホをしまう。

 信号が赤になり、立ち止まったのをきっかけに「ここでいいですよ」と伝えた。
 森下くんとこうして歩くことは、もうないのかもしれないなと思いながら、信号が青になった時に彼に手を振った。

「じゃあ、また」

 森下くんはなんて返してくれたのかは車の排気音で聞き取れなかったけど、僕はひとりで歩き出した。

 さっきスマホで確認したのは、僕のシフトじゃなく、乃蒼さんのシフトだ。
 僕はその日、彼との映画には行かないつもり。

 夜の風が頬を掠めて、身震いをした。
 そろそろ冬が来ようとしていた。
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