最後のハイポーション

由比ヶ浜入鹿

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01「灰燼の迷宮へ」

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 冒険者ギルドのカウンターに、依頼書が広げられた。

 「灰燼の迷宮、中層探索」——その文字を見たガルドが、大剣を肩に担ぎ直しながら豪快に笑った。

 「今回は大物が出るかもな」

 古傷だらけの腕が、朝の光に白く浮かぶ。歴戦の冒険者にしか刻めない数の傷跡。大柄な体躯に大剣がよく似合う、頼れる兄貴分だ。ガルドは私のほうを見て、いつもの調子で言った。

 「お前が後ろにいるなら安心だ、リーネ」

 その信頼が、胸の奥にじんと沁みる。私は小さく頷いた。

 隣で、ぱさりと音がした。アイラが魔導書を落としたのだ。大きな瞳に期待と不安がないまぜになっている。まだ十九歳。パーティで一番若い魔法使いは、しゃがんで本を拾いながら私を見上げた。

 「リーネさん、大丈夫ですよね?」

 「大丈夫よ」

 そう答えながら、自分にも言い聞かせていた。

 受付が「中層は危険区域指定が上がりました」と告げたとき、ガルドの後ろで黙って装備を点検している影があった。ヨルン。槍の穂先を布で拭う手つきは淀みなく、鋭い目が周囲を静かに警戒している。寡黙な遊撃手。言葉は少ないが、発する一言はいつも的確だった。

 私が「ヨルン、準備はいい?」と声をかけると、わずかな間があった。ほんの半拍。それから視線を逸らすようにして「ああ」とだけ返す。

 その間が、ずっと気になっていた。

 宿に戻り、私は鞄にハイポーションを詰めた。一本ずつ、革布で丁寧に包んでいく。碧い液体が瓶の中で揺れるたびに、光が小さく弾ける。

 一本、二本、三本——八本。

 これが私たちの命綱だ。

 回復魔法だけでは足りない場面が必ずくる。魔力には限りがあるし、結界や浄化にも振り分けなければならない。だからこの八本が、いざというとき全員の命をつなぐ。

 手が一瞬止まった。前の探索のことが脳裏をよぎる。あのときも、こうやって準備をして——。でも、今は考えない。

 今回は失敗しない。

 唇をきゅっと結んで、鞄の口を閉じた。

 灰燼の迷宮の入口は、巨大な岩壁に穿たれた裂け目だった。薄暗い空気が肌にまとわりつく。湿気と、古い石の匂い。日常から切り離された場所の気配が足元から這い上がってきた。

 奥へ進んで間もなく、スライムの群れが現れた。予想より数が多い。

 ガルドが前に出た。大剣を横薙ぎに振るい、壁のように仲間を守る。スライムの体液が飛び散り、ガルドは気にもせず次の一体を薙ぎ倒す。ヨルンが右側面へ跳び、長槍の間合いを活かしてかく乱する。鋭く、無駄のない動きだった。アイラの詠唱が響き、火球が一群を焼き払った。威力は十分——ただ、少し散りすぎている。制御がもう少し詰められるな、と私は思いながら結界を展開し、後方を塞いだ。

 連携は滑らかだった。このパーティは強い。

 「まだ上層だ、これからだぞ」

 ガルドが息を整えながら言う。アイラが「やりましたね!」とはしゃぐ声が、薄暗い通路に明るく反響した。

 順調に進軍していた。ガルドが弟妹への仕送りの話をして、アイラが「私の村でも——」と口を開きかけ、ちらりとヨルンを見た。同郷なのだ、二人は。ヨルンはぼそりと「セリカの薬代、まだかかる」とだけ言って、先を歩いた。

 それから、二度目の戦闘が起きた。

 通路の角から飛び出してきたスライムの残党に、私は咄嗟に叫んだ。

 「ヨルン、右に回って!」

 ヨルンの動きが、一拍だけ遅れた。

 結果としては問題なかった。ガルドが正面を抑え、ヨルンも次の瞬間には的確に槍を振るって敵を仕留めていた。アイラもガルドも、誰もあの遅れには気づいていない。ほんのわずかなことだ。

 でも、私にはわかった。

 あれは反応の遅れじゃない。私の声に従うことへの、無意識のためらいだ。

 戦闘が終わったあと、気がつけばヨルンの背中を目で追っていた。何か言いたかった。でも、言葉が見つからなくて、私はただ黙って歩いた。

 やはりヨルンは、私を許していないのかもしれない。

 その認識が胸に落ちた瞬間、もう取り消せないものになった。

 上層の奥まで来たとき、空気が変わった。

 通常の探知では捉えられないほどの、強い魔力の気配。予定していた探索範囲を、明らかに超えている。

 ガルドが「面白そうじゃないか」と目を光らせ、ヨルンが「報酬に見合うかどうかだ」と冷静に返す。アイラは不安そうに、でもどこか好奇心を抑えきれない顔で私を見た。

 私は鞄を握りしめた。革越しに、八本の瓶の硬い感触が掌に伝わる。唇を、強く結んだ。

 八本あれば、大丈夫。

 深部から吹いてくる風は、どこか冷たかった。
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