最後のハイポーション

由比ヶ浜入鹿

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03「最初の一本」

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 遺跡群の空気は、中層のどこよりも古かった。

 壁面の文字は判読できず、通路は何度も分岐している。先頭をヨルンが進み、罠を一つずつ潰していった。床石の継ぎ目に仕込まれた針、天井から落ちる石塊の仕掛け——発見するたびに、ヨルンの手が淀みなく動く。

 「すごい……」

 アイラが感嘆の声を漏らした。ヨルンは応えず、次の罠に目を移す。

 「ヨルン、ありがとう」

 私が声をかけると、軽く頷いただけで視線は合わなかった。いつものことだ。でもアイラには穏やかに接するのに、私にだけこの距離がある。その壁の理由を、私は知っている。

 探知魔法を飛ばした。前方に、複数の強い反応。迂回路を探したが、大型の罠が塞いでいて通れない。正面から進むしかなかった。

 壁画が見えた。武装した人影が巨大な獣と戦う、古代の図。ガルドが大剣の柄に手をかけた。

 奥から、複数の影が一斉に動いた。

 ゴブリン——だが上層で倒したものとは違う。大柄で、目に知性がある。三方向から同時に襲ってきた。陽動、挟撃、集中攻撃を使い分けてくる。

 ガルドが正面を引き受け、ヨルンが左側面を突く。アイラの氷槍が右翼から飛来する個体を貫いた。私は結界を展開し、後衛を守る。

 連携は噛み合っていた。でも押し切れない。敵は数が多く、倒しても次が来る。指揮しているらしい一体が的確にガルドの隙を突いてくる。結界の維持で魔力がじりじりと削られていくのが、手のひらの熱で伝わってきた。

 指揮個体がガルドの背後に回り込んだ。アイラの魔法が届かない角度。ヨルンの槍が伸びたが、一歩遅い——。

 アイラを狙った渾身の一撃を、ガルドが背中で受け止めた。

 鈍い音。ガルドの口から息が漏れ、膝が折れた。背中に深い裂傷が走っている。血が石畳を濡らした。ヨルンが槍で指揮個体を仕留め、残りをアイラの氷槍が片づけた。静寂が戻る。

 私は駆け寄り、回復魔法を注いだ。光が傷口を覆う——しかし、深すぎた。魔力を注いでも出血が止まらない。ガルドの顔色がみるみる蒼白になっていく。

 鞄に手を伸ばした。指が碧い瓶に触れる。

 使うしかない。

 一本目のハイポーションを抜き、封を切った。碧い液体がガルドの傷口に染みていく。裂傷がゆっくりと塞がり、血の色がガルドの頬に戻った。

 空になった瓶が、手の中で軽かった。

 「悪いな、いきなり一本使わせた」

 ガルドが苦笑した。起き上がろうとして、一瞬だけ顔をしかめる。完全には癒えていない。

 「気にしないで。あなたが倒れたらもっと大変だった」

 答えた声が、自分でも硬いとわかった。

 「ガルドさん、私を庇わなければ……」

 アイラが言いかけたのを、ガルドが笑い飛ばした。

 「馬鹿言え、後衛を守るのが俺の仕事だ」

 その笑顔の裏にある痛みを、私は見ていた。空瓶を鞄に戻す。手が、微かに震えていた。

 追加の回復魔法でガルドの傷を処置しているとき、背後で小さな声がした。

 「前もこうだったな」

 ヨルンの声だった。

 手が止まった。ガルドの治療の光が一瞬、途切れそうになる。

 ——暗い通路。悲鳴。私の手が、動かなかった。

 「リーネ?」

 ガルドの声で、我に返った。治療を再開する。指先は動いている。でも喉の奥に、何かが詰まったまま取れない。

 ヨルンはそれ以上何も言わず、槍の穂先を布で拭いていた。アイラが不安げに私とヨルンを交互に見ていたが、何も言えずに視線を落とした。

 あの一言が指しているものを、私だけが知っていた。

 セーフルームでの夜営。ランタンの光の下で、ハイポーションを鞄から出して並べた。

 七本。

 残りの行程を想定し、使用計画を練り直す。この先に何が待つかわからない。一本も無駄にできない。

 計算しようとするたびに、ヨルンの声が頭をよぎった。前もこうだったな。——あのとき、私は。

 断片が浮かぶ。前回の探索。暗い通路。セリカの悲鳴。手を伸ばさなければならなかったのに、一瞬の判断の遅れが——。

 ヨルンの叫び声が、今も耳の底に残っている。

 次は間違えない。七本あれば、まだ大丈夫。

 しかしその言葉が呪文のように空虚に響いた。ガルドもヨルンもアイラも眠っている。私は七本の瓶を見つめたまま、見張りの姿勢を崩せなかった。瓶に映る自分の顔が、ランタンの炎に揺れている。

 眠れなかった。

 翌朝、パーティは出発した。ガルドの動作にわずかな硬さが残っている。遺跡群を抜けた先の通路に、白いものが散らばっていた。

 骨片。壁には鋭い爪痕が無数に走り、床には何かを引きずった跡が生々しく残っている。

 ヨルンが膝をつき、痕跡を指先でなぞった。立ち上がり、通路の奥を鋭い目で見据える。

 「こいつら、何かに率いられてる」

 その先の暗がりから、骨が擦れるような乾いた音が反響してきた。

 私は無意識に鞄に手を伸ばした。七本。まだ、ある。

 ——まだ。
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