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09「炎の番人」
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扉の向こうは、灼熱だった。
溶岩が床を流れている。赤い光が洞窟の天井まで染め上げ、空気そのものが燃えるように熱い。そして——奥に、それはいた。
赤い鱗。岩山のような巨体。半開きの黄金色の瞳が、私たちを見据えている。
足が止まった。呼吸が浅くなる。隣でアイラが小さく息を呑み、魔導書を握る手が震えていた。これまでのどの敵とも、格が違う。本能が理解していた。
溶岩の流れる音だけが響く。その沈黙を、ガルドが破った。大剣を構え直し、一歩を踏み出す。
「——来い」
恐怖を飲み込んだ声だった。その一歩に、全員の足がほぐれた。ヨルンが槍を構え、私が結界の準備に入り、アイラが魔導書を開く。残りハイポーション二本。何もかもが足りない。でも——もう始まった。
ドラゴンの瞳が細まった。咆哮。洞窟全体を揺るがす轟音が、鼓膜を叩いた。
口が開く。喉奥に炎の光が膨れ上がり——ブレスが放たれた。炎の奔流。全力で結界を張った。衝突の瞬間、腕に凄まじい衝撃が走り、指先が痺れた。結界に亀裂が入る。たった一撃でだ。
「散れ!」
ガルドの声に従い、左右に展開する。ヨルンが驚くほどの速さでドラゴンの側面に回り込み、長槍を脇腹に突き入れた。火花が散った。鱗を滑っただけだった。手に走る衝撃だけが返ってくる。ガルドの大剣が前足を斬りつけるが、浅い傷。ドラゴンは意に介さず、尾を振るった。ガルドの身体が弾き飛ばされる。咄嗟に結界で衝撃を和らげたが、魔力の消耗が激しい。
二度目のブレス。結界がもう保たなかった。全員が地面に伏せて熱波を凌ぐ。ガルドの鎧が焼けている。ヨルンの槍の柄が焦げている。攻撃は通らない。防御も持たない。決定打が、ない。
アイラが魔導書を握りしめたまま、唇を噛んでいる。何かを決断しようとする横顔が見えた。
三度目のブレスの予兆——ドラゴンの喉が光り始めた。結界を張る魔力がもうない。
「俺の後ろに!」
ガルドが大剣を地面に突き立て、自分の身体を壁にした。ブレスが直撃する。鎧が赤く焼け、肌が焼ける。それでもガルドは退かなかった。歯を食いしばり、背後の私たちへの炎を、その巨体で遮り続ける。
ブレスが止んだ。ガルドが膝をついた。あの大きな身体が崩れるように折れた。腕と肩に大火傷。鎧の表面が溶けかけている。
駆け寄って鞄を開けた。ハイポーション二本。手は止まらなかった。
「ガルドに使う。——いいね?」
全員を見回した。ヨルンが頷く。アイラが頷く。栓を抜き、ガルドの口にポーションを流し込んだ。火傷が塞がり始める。大剣を支えにガルドが立ち上がるが、万全からは遠い。
空になった瓶を鞄に戻した。指先に残った一本の冷たさが、灼熱の空気の中でやけに鮮明だった。
「……守れてねえな」
低い声だった。誰に向けるでもなく。古傷だらけの腕に新しい火傷を重ねたガルドが、初めてこぼした弱音だった。
ドラゴンが体勢を整え始める。鱗に傷はあるが致命的ではない。私の魔力は底に近い。ガルドの守りだけでは限界。ヨルンの槍では鱗を貫けない。このままでは——全員ここで終わる。
その時、アイラが立ち上がった。
震える手で魔導書を開いている。魔力の流れが変わった。これは——師匠に禁じられた上位氷結魔法の術式。
「アイラ、ダメ! 反動で——」
制止しようとした。アイラが振り返った。顔は青白く、唇が震えている。けれど瞳だけが、透き通っていた。
「大丈夫です。今なら……皆がいるから」
微笑んだ。あの子が言った「次は私が助ける番です」が、今この瞬間に重なった。
止めるべきだ。危険すぎる。でも——仲間を信じると決めたのは、私だ。
唇を強く結んだ。そして頷いた。
「——任せた」
詠唱が始まった。全魔力を注ぎ込んだ術式が空気を震わせる。ドラゴンの喉が再び光る——ブレスが放たれた。同時に、アイラの氷結魔法が放たれた。
炎と氷が正面からぶつかった。熱と冷気が渦を巻き、轟音が洞窟を満たす。アイラが歯を食いしばり、最後の魔力を絞り出した。氷がわずかに炎を押し返し——ブレスを突き抜けた氷結魔法が、ドラゴンの片翼に直撃した。
翼が凍りついた。ドラゴンが初めて苦痛の咆哮を上げる。
魔導書が、手から滑り落ちた。アイラの身体から力が抜ける。倒れかけた小さな身体を、ヨルンが無言で受け止めた。意識がない。でも呼吸はある。やり遂げた、という顔をしていた。
目の奥が熱くなった。でも今は泣いている場合ではない。
ドラゴンは片翼を失い、大きく怯んでいる。だが凍結した翼から水滴が落ちていた。溶けている。猶予はわずかだ。
鞄の中に手を入れた。最後のハイポーション一本。灼熱の空気の中で、瓶だけが冷たい。この一本を誰に使えば、この戦いを終わらせられるか。
自分に使って魔力を回復するか。ガルドに使って最後の壁を立たせるか。どの選択にも理由があり、どの選択にもリスクがある。答えが見えない。
ヨルンが槍を構えたまま、私を見た。
「——どうする」
溶岩が床を流れている。赤い光が洞窟の天井まで染め上げ、空気そのものが燃えるように熱い。そして——奥に、それはいた。
赤い鱗。岩山のような巨体。半開きの黄金色の瞳が、私たちを見据えている。
足が止まった。呼吸が浅くなる。隣でアイラが小さく息を呑み、魔導書を握る手が震えていた。これまでのどの敵とも、格が違う。本能が理解していた。
溶岩の流れる音だけが響く。その沈黙を、ガルドが破った。大剣を構え直し、一歩を踏み出す。
「——来い」
恐怖を飲み込んだ声だった。その一歩に、全員の足がほぐれた。ヨルンが槍を構え、私が結界の準備に入り、アイラが魔導書を開く。残りハイポーション二本。何もかもが足りない。でも——もう始まった。
ドラゴンの瞳が細まった。咆哮。洞窟全体を揺るがす轟音が、鼓膜を叩いた。
口が開く。喉奥に炎の光が膨れ上がり——ブレスが放たれた。炎の奔流。全力で結界を張った。衝突の瞬間、腕に凄まじい衝撃が走り、指先が痺れた。結界に亀裂が入る。たった一撃でだ。
「散れ!」
ガルドの声に従い、左右に展開する。ヨルンが驚くほどの速さでドラゴンの側面に回り込み、長槍を脇腹に突き入れた。火花が散った。鱗を滑っただけだった。手に走る衝撃だけが返ってくる。ガルドの大剣が前足を斬りつけるが、浅い傷。ドラゴンは意に介さず、尾を振るった。ガルドの身体が弾き飛ばされる。咄嗟に結界で衝撃を和らげたが、魔力の消耗が激しい。
二度目のブレス。結界がもう保たなかった。全員が地面に伏せて熱波を凌ぐ。ガルドの鎧が焼けている。ヨルンの槍の柄が焦げている。攻撃は通らない。防御も持たない。決定打が、ない。
アイラが魔導書を握りしめたまま、唇を噛んでいる。何かを決断しようとする横顔が見えた。
三度目のブレスの予兆——ドラゴンの喉が光り始めた。結界を張る魔力がもうない。
「俺の後ろに!」
ガルドが大剣を地面に突き立て、自分の身体を壁にした。ブレスが直撃する。鎧が赤く焼け、肌が焼ける。それでもガルドは退かなかった。歯を食いしばり、背後の私たちへの炎を、その巨体で遮り続ける。
ブレスが止んだ。ガルドが膝をついた。あの大きな身体が崩れるように折れた。腕と肩に大火傷。鎧の表面が溶けかけている。
駆け寄って鞄を開けた。ハイポーション二本。手は止まらなかった。
「ガルドに使う。——いいね?」
全員を見回した。ヨルンが頷く。アイラが頷く。栓を抜き、ガルドの口にポーションを流し込んだ。火傷が塞がり始める。大剣を支えにガルドが立ち上がるが、万全からは遠い。
空になった瓶を鞄に戻した。指先に残った一本の冷たさが、灼熱の空気の中でやけに鮮明だった。
「……守れてねえな」
低い声だった。誰に向けるでもなく。古傷だらけの腕に新しい火傷を重ねたガルドが、初めてこぼした弱音だった。
ドラゴンが体勢を整え始める。鱗に傷はあるが致命的ではない。私の魔力は底に近い。ガルドの守りだけでは限界。ヨルンの槍では鱗を貫けない。このままでは——全員ここで終わる。
その時、アイラが立ち上がった。
震える手で魔導書を開いている。魔力の流れが変わった。これは——師匠に禁じられた上位氷結魔法の術式。
「アイラ、ダメ! 反動で——」
制止しようとした。アイラが振り返った。顔は青白く、唇が震えている。けれど瞳だけが、透き通っていた。
「大丈夫です。今なら……皆がいるから」
微笑んだ。あの子が言った「次は私が助ける番です」が、今この瞬間に重なった。
止めるべきだ。危険すぎる。でも——仲間を信じると決めたのは、私だ。
唇を強く結んだ。そして頷いた。
「——任せた」
詠唱が始まった。全魔力を注ぎ込んだ術式が空気を震わせる。ドラゴンの喉が再び光る——ブレスが放たれた。同時に、アイラの氷結魔法が放たれた。
炎と氷が正面からぶつかった。熱と冷気が渦を巻き、轟音が洞窟を満たす。アイラが歯を食いしばり、最後の魔力を絞り出した。氷がわずかに炎を押し返し——ブレスを突き抜けた氷結魔法が、ドラゴンの片翼に直撃した。
翼が凍りついた。ドラゴンが初めて苦痛の咆哮を上げる。
魔導書が、手から滑り落ちた。アイラの身体から力が抜ける。倒れかけた小さな身体を、ヨルンが無言で受け止めた。意識がない。でも呼吸はある。やり遂げた、という顔をしていた。
目の奥が熱くなった。でも今は泣いている場合ではない。
ドラゴンは片翼を失い、大きく怯んでいる。だが凍結した翼から水滴が落ちていた。溶けている。猶予はわずかだ。
鞄の中に手を入れた。最後のハイポーション一本。灼熱の空気の中で、瓶だけが冷たい。この一本を誰に使えば、この戦いを終わらせられるか。
自分に使って魔力を回復するか。ガルドに使って最後の壁を立たせるか。どの選択にも理由があり、どの選択にもリスクがある。答えが見えない。
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