思いつき犯罪の極み

つっちーfrom千葉

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思いつき犯罪の極み 第一話

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 足元の影から、二十メートルほどしか離れていない位置まで黒い乗用車が高速で迫っているというのに、その若い二人組は横断歩道もない県道を、小走りに渡ってみせた。車の方にしても目の前を過ぎられたというのに、ほとんどスピードを落とすことはなく、そのまま走り抜けていく。

 今日この日には起こらなかったことを話す。仮に、横断していた人が、その途中のコンクリートの凹凸のどこかに靴を引っ掛けて転倒していたら……。疑う余地はなく、運転手は殺人者になっていたはずだ。しかし、その可能性を考慮することなく、走り抜けた。結果がよければ何とやらという、危険な慣用句に頼りきって長い人生を渡っていこうとする。積み重なっていく可能性がどう転ぶかによっては、その些細な悪行により、いつか身を滅ぼすことになるというのに……。それが単なるスリルのための行為なのか、あるいはモラルハザードなのかは、側から見ていた自分にはまるで分からなかった。今度は別の歩行者が現れた。三人組の主婦が幅2メートルもない平坦な歩道を、横三列に見事に並んでこちらにずんずんと向かってくる。自分たちにしか分からない日常の可笑しさに腹を抱え、狂気のような笑い声をあげながらである。歩道の左側に沿って歩むこちらには避けるスペースはない。たとえ、あったとしても、こちらだけが避ける道理はない。今まさにぶつかろうとするその瞬間、その中のひとりが、『ここは歩道であるから、もしかすると、今この瞬間にも、対向者があるかもしれない』という、おそらくは、子供にも分かる、人の道の常識を閃きとして得たのか、危ういところでさっと身を避ける。ほんの数ミリのところ。いや、ひょっとして上着が掠っていたかもしれない。今や私の背後にまわった三人は「まあ、なんて不作法な人かしら」という顔でこちらの方を振り返っている。それは集団心理とも呼べる数の論理である。自分たちの愚かしい行為の方は決して顧みることはない。こちら側を悪人にしておけば、新しい話題の種ができるわけだ。良かったではないか。可能性に満ち満ちているはずの自分の未来が、次の瞬間には厳格な法により、粉々にされてしまう可能性を一抹も想像しないのか、なだらかにカーブする坂道の上からは、携帯電話に片手を塞がれた学生が、自分の前に立ちはだかる者すべてを弾き飛ばすような勢いで下ってきた。あくまでも自分で責任を取れる問題であり、悪意がないわけだから構わんだろう、という主張はその事態に巻き込まれて煮え湯を飲まされる第三者にとっては、余計に厄介である。

 こういったはた迷惑な事例に直面したときに、もっとも考慮せざるを得ないことは、悪いマナーというものは、その時々のやむを得ない事情や予期せぬ状況の変化によって引き起こされるわけではなく、個人の特性によってのみ起こされる、ということである。例えれば、乗客同士の口論によって満員の通勤電車が大幅に遅延する、全エリア禁煙の区内で堂々と歩きタバコをして、挙句の果てに吸い殻を地面に投げ捨てる、見知らぬ女性の外見や突発的な事故で亡くなった人や侵入禁止エリア内の写真を許可なく撮りたがる、運転中に他人の取るに足りない行為に腹を立てて車を降り、恐喝をした挙句に暴行を働こうとする、などなど……。こういった一部の人間の悪徳のすべてが、小さな被害に収束すれば、近所の変わり者のいたずらで済まされるだろう。だが、それが多くの重傷者を出す深刻な刑事事件にまで発展した場合、TVにちょくちょく呼び出される識者たちは、しばしばこういった論調を試みる。すなわち、「こういった事件は、我々の誰しもが関わり合いになる可能性のあるものであり、目を疑うような事例が起こるたびに我々市民一人ひとりが心を律して今後に生かさねばならない」などと……。誰もが法令遵守の精神を持つことや、公共の場で自分なりのマナーを示すことは当然の如く必要ではあるが、心のねじ曲がった人間たちによる、悪徳により引き起こされる前述のような事例は、必ずしも、我々全員の道徳観念の有るなしに関わる問題ではない。残念ながら、こういった卑劣で低劣な行為は、識者が述べるように無数の市民からランダムで選ばれるわけではない。最低限の倫理観すら持ち得ない、ほんの一部の人種によってのみ起こされているのである。一部の人間だけが特定の悪質な行為を繰り返し行なっているのである。断定することが不適切なら、そういった例がきわめて多いということである。さらに遺憾なことだが、こういった人種は、前述の識者や行政機関からの注意喚起を受けたとしても、一向に反省することをしないのである。誰かに説得を受けて心を入れ替えることは自分にとって最大の屈辱と思い込んでいる。こういった要因により、同じような犯罪が同じような人種により日々引き起こされているのである。条例やマナーを常に遵守し、周囲に気を使えるような人は、そもそも、説教くさい警句など必要としないし、前述のような悪徳を行おうなどと考えたことすらないのである。つまり、市民社会にまったく必要のない人種が、必要のない迷惑行為を延々と繰り返すことが、おそらく、数百年以上前から、市民社会の悪しき慣例となっていて、未だにこれを是正できない悪しき状態が続いているのである。

 さて、私がこうした規則違反に自分の手を染めないのは、国や行政の方針や道交法をはじめとする民事法に従順なためではなく、単に自らの思想と正義を貶める行為を好まないためである。もう少し簡略化していえば、他人にやらせてみて不愉快に思える行為については、自分もやるべきではないし、たまたまや不機嫌から愚かな行為に踏み切ると、どんな結果が出るにせよ、結局は気分が悪くなるからである。なので、自分だけは聖人だ、などと言い張るつもりはない。俺の機嫌を損ねるなよ、と周囲を威嚇するつもりもない。他人の視線や陰口に関わらず、自分の評価は自分だけがすればよい。私がどのような善行を働いても、その結末と評価は自分の内部だけで完結していることになる。ちょっとしたルールやマナーも守れない愚衆に嫌気はさすが、「その行いにより引き出されるべき未来に対して、これは自分で起こしたことなのだから、自分の時間の浪費で責任をとる」と、言い切れるのであれば、それは社会人の判断としては至極真っ当であり許されると思う。この理屈は一聴して解しやすいが、もろ手を挙げて賛同するわけではない。関わりたくない気持ちの方が明らかに強い。間違った旗の下にある考えだが、あえて見逃そうと思うだけだ。私は神にも近い善行者であるが、神ではないわけだから、自分のこういった輝かしい思念を他人の前に堂々とひけらかそうとは思わないし、自分の率直な意見に他人を従わせようとも思わない。こうした謙虚な自分という存在は、もっと高く評価されるべきであるし、実際、大したものだと思う。周囲に対して何の迷惑もかけず、他人の判断を批判せず、困っている人にも声はかけず、つまらない口約束には金も賭けず、わら半紙の上には般若心経も書かず、誰に認められることもないが、ただひらすらに無言を貫き、市井の人としての道を淡々と粛々と進んでいくことを創造主の前に誓い、社会の不正を突然目(ま)の当たりにしてしまい、どれほど腹を立てても、それを表面に出さぬばかりか、その出さぬことをこそ、自分の唯一の利点であり特性のひとつだとして、心中ではほくそ笑んでいるのだから……。今まさに観光地に旅立とうとする四人家族の笑顔や、人生の旬を楽しむデート中のカップルのいちゃつきや、万馬券を当てたばかりの愚にもつかないギャンブラーたちからすれば、私のような派手さのない人生は影のように見えるだろう。だが、その控えめさこそ、自分の特徴として心中で誇り、俗物どもよ吾知らぬうちに滅び去れ、と密かに祈っているわけだし、他人がそれを理解できずにこちらを卑下しても、それをストレスにしたり、アルコールに負けて深夜に自分の部屋で大声で騒ぎ立てたり、隣の家の敷地にビールの空き缶を投げ込んだり、「我申し上げる……」に始まる、匿名の長文を新聞に投稿したり、職場の暇な時間に「実は昨日あったことだけどさあ……」と、決して聴きたくはない態勢にて身構える同僚の耳に、自分にしか分からない体験談をひけらかしてみたり、夜中の三時を過ぎているのに東北地方の実家に住む両親に電話をかけて、上司にいびられたことをくどくどと説明したり、深夜の突貫工事に挑んでいる工事作業員たちに「うるさいから、少し騒音を抑えてください」などと無茶な申し出をしに出掛けてみたり、早朝の駅前にて善意の募金活動をしている方々に「ちょっと、そこは通り道だから、もう少し下がりなさいよ」などと、因縁をふっかけたり、その他、「溜まったストレスを発散するためには、自分の鬱憤(うっぷん)をどのように他人にぶつけるべきか」等、そういったはた迷惑な妄想を繰り広げることをしないというだけでも、この私は十分にこの町の住民の方々のお役に立てているのではないだろうか。枯れ木も山の賑わいというが、電柱の陰に密かに貼られている宗教的な警句のプリントシール、道路の下を走る錆びた水道管、毎朝のようにポストに投げ込まれるやりきれない風俗情報のチラシ、橋げたの下にいつの間にか作られた、もう使われることのない燕の巣、軒下に見苦しく張られた銀色に光る巨大な蜘蛛の巣、どれも、必要のなさそうにみえて、もし、なければこの地上にとって困るものなのだ。それ以外のものを輝かせるためにのみ存在しているわけだから。
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