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第4章 呪われた力の行く末
12-2 Awakening(帝国の遺産)――都内某所
しおりを挟むその声に思わず声が漏れた。
「『マイク、……マイクなのか? 本当にマイクか?!』」
誘拐される前に聞いた、最後の聞き慣れた声。
しかし、私の問いに彼は答えない。無視するように左右の作業音は淀みなく続いている。
耳に刺さるガチャガチャとした金属音。鞄から何かを出そうとしているのか?
「『マイク! なんで……、スパイなんかやってるんだよ……?』」
――ソ連のスパイ。
アカの手先。戦前から耳が痛くなるほど当局が喧伝していた敵対存在。往来を歩く会社員から奥様方の井戸端会議まで魔手を伸ばす――という敵国諜報員。
そんなに居るはずもないだろう。いつも政府の言うことは大げさで危機を煽るばかりだ、と冗談半分で聞いていた。
ところが、昭和十六年十月。
政権中枢に食い込んでいたリヒャルト・ゾルゲら国際諜報団が検挙された。その時の驚きは今でも忘れられない。
しかし、マイクがスパイとは――。
だが思い当たる節もある。
函館要塞にて。
回収されたソ連兵の遺体には、身元を明かす物が一切見つからなかった。あの密室空間に銃器はあれど身分証はなし。隊長以下全員が首を傾げていた。
異能『隠密』だろう。
不思議なことは何もない。エンタングルメントストーンを起動する前、通信室に向かう途中で回収したのだろう。薬が盛られたのも彼には朝飯前に違いない。
戦友の裏切り――。
その事実が頭にずしんと重くのし掛かった。
「『……何とか言えよマイク。本当に俺たちを裏切ったのか?』」
懇願するように問うと、マイクが苦渋の声色で返してきた。
『――悪かったな。だが許してくれ。俺だって嫁と娘を人質に捕られてるんだ』
悲哀の感情を込めながらも、何処か淡々とした言葉選び。手元の作業音も一向に変わらない。
『欧州再上陸。それからの戦いは、ウラベも知ってるだろう。だがアルプス国家要塞の戦いがちょうど終わった頃だ。ウェールズの生家から手紙が来た』
妻からの手紙だった。
生家の隣に家族が引っ越して来た。30代の白人夫婦に10歳の男の子が一人。見目麗しく優しく気立て良く、人当たりも宜しい理想的なご近所付き合いが出来ている、という手紙。
――それ以来パッタリと郵便が届かなくなった。
欧州戦線の砲火が止み、マイクが慌てて帰国すると、残っていたのはがらんどうになった生家。
妻も娘だけではない。隣の家族も忽然と姿を消していた。唯一、玄関に置かれていたのは脅迫状と指令書。
『我々の目は何処までも広く、耳は何処までも聞こえる、――ということだ』
自信満々に、外連味たっぷりにレフチェンコが鼻を鳴らした。
『有能な人材は何としてでも手に入れる。ただマイク君はおしゃべりだからねぇ。今は良いが、奴らの本部にいる時は口外無用だぞ』
『もうコイツはこっち側だから、許してくださいな』
――まずい。
非常にまずい。
もしマイクが徹頭徹尾『オリガ』のスパイになっていたら、全く打つ手がなくなる。残された勝機はただ一つ。
マイクは本当にソ連で骨を埋める覚悟があるのか――?
『……マイク! 落ち着いて考えろ! こいつはお前も俺も、ただ利用しようとしているだけだぞ! 家族が本当に無事か、いや――、これからも無事なんて保障はないだろ!』
語気を強めて心で叫ぶ。
煩いくらいに問いかけると、マイクが僅かに声を上擦らせた。
『ウラベ、悪いが家族は無事なんだ。少なくとも怪我もひもじい思いもしていない。それは確認出来ているんだよ』
レフチェンコの嫌らしい笑い声が間に入った。
『――そういうことだ。マイク君を説得しようとしても無駄だよ。自分の命より、家族を大事にするのは正しい人間の在り方だからねぇ』
よくも。
よくもここまで人の神経を逆撫でするようなことを言えるものだ、この男は。
半ば呆気にとられながら、それでもマイクを説得しつづけるしか道はない。もし準備している作業が投薬だとしたら――急がねば。
『マイク! 英国コマンド部隊の精鋭が、家族を人質に取られて祖国を裏切る! 敵組織に言いように使われる! 英国人の恥だぞ! 娘に恥ずかしくないのか! 妻や娘に顔向け出来るのか!』
自分でも内心驚くばかりだ。
滔々とマイクを罵倒する言葉が飛び出る。
視界は真っ暗、息苦しい袋、縛られた手足に訪れる未来は明るくない。
こっちも必死なのだ。
作業の一環だろうか、私を縛る手足の紐が僅かに動く。血管を拡充するためだろうか。
愈々覚悟を決めなければならない。顔は見えないが、マイクの呻きにも似た呟きがか細く脳内に聞こえる。
『恥――、そうだな、恥だ。とんでもない恥だ。だから――俺はこうするんだ』
左前方から呼吸が――大きく聞こえた。
「『――今です!』」
拡声器のように大音声でマイクが叫ぶと――その刹那、様々な音が重なって耳を劈いた。
窓硝子が激しく割れる音。
弾丸が跳弾するような甲高い風切り音。
鉄の扉が開け放たれたような重低音。
至近距離で殴打したような鈍い音。
音の鉄砲水が過ぎたと思ったら続け様である。顔に被せられていた麻袋が乱暴に引っ張られ、眩しさが強烈に襲ってきた。
視界が真っ白に染まり、焦点が合わない。
それでも声――毎日聞き慣れている、ドスの利いた低音――だけは、鮮烈に耳と脳内を駆け抜けた。
「『そこまでだぜ、カウボーイ』」
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