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第一章
第十六話 美星のやるべき事(二)
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軽食が定着して三か月が経ち、再び下働きの配属発表がやってきた。
蘭玲が前に立ち、配属先が書いてあるであろう書類を持っている。
基本的には全員が何かしらに配属されるはずだが、美星はあまり自信が無かった。
(やったことと言えば備品の仕入れと軽食の差し入れだけ。有翼人のためにはなってない)
仕入れで節約はできただろうし、軽食で廃棄品は減っただろう。
だが水を行きわたらせる浩然と対等と胸を張れるほどのことではない。
何か出来ていたのなら今日ここで文官に採用されるはずだ。
「では配属先の発表を始めます。まず武官文官の採用はありません」
はあ、と美星は息を吐いた。
(やっぱり私はお父様の手伝いしかでいない世間知らずなんだ。こんなんじゃ何もできやしない。それに……)
「では次に女官です。紅花、芽衣、春燕」
後から気付いたことだが、宮廷女官には共通点があった。それは名前だ。
名前を天藍に倣わず先代皇の時代から変えていない者だけが女官になれるようだった。
(吏部のほとんどは先代皇派が握ってる。なら名を変えた者は採用されないわ。だって殿下を支持している証だもの)
上層部は先代皇派と天藍派で半々にはなっているが、現場はほぼ獣人だ。
有翼人で名を改めた美星は最初から論外だったのだ。
「では次に侍女。静麗、夏雲」
呼ばれるのはやはり名前を改めていない者だけだ。
以前は誰もが扱いは同じだった。しかし水運び業務ができて以来、下働きにとって良くない変化があった。
「では次。水運び。美雨、杏、麻美」
重労働で宮廷に入ることのない水運びは『宮廷に不要な人材』を放り込む先になった――と誰もが思っている。
それを裏付けるように、名を改めた者は全員水運び担当として名が呼ばれていく。
つまり有翼人で名を改めた美星が呼ばれるとしたらもうここしかないのだ。
(……さすがに水運びだったら辞めよう。もう無理だわ)
父の期待に応えられないことは悔しかったし、情けなくも思う。
けれど何かにつけて嘲笑を買い、七光りであることを揶揄される。そんな日々には限界を感じていた。
そしてついに――
「美星」
「……はい」
水運び担当の中で美星の名は呼ばれた。
――辞めよう。
そう心の中で決めた。
だがその時だった。
「あなたは文官選任侍女に決まりました。座席は文官付き女官執務室に用意があるので明日からはそちらに出勤なさい」
「……え?」
文官選任侍女。それは聞いたことの無い職掌だった。
目をぱちくりさせていると、蘭玲はくすっと笑う。
「文官選任侍女は文字通り文官に付く侍女。先日の備品選定と軽食が大変好評でぜひ文官付きに欲しいと声が多数上がりました」
「品選びと軽食? その程度のことで何故……」
「あなたに些細な事でも誰かにとっては大きな気付きである事もあります。商品の目利きや適正価格の交渉は誰でもできることではないのですよ」
「それは父の手伝いで経験があっただけで特別優れていることではございません」
「経験があっても身に落とし込めるとは限りません。あなたが当然のようにそれを提供できたのはこれまで努力をしたからでしょう」
(努力? そうかしら。私はお父様の役に立ちたかっただけだわ。有翼人のための努力じゃない)
「経緯はどうあれあなたの人生経験が認められた。職員の働きやすい環境を予算内で実現したのは素晴らしい事です。これなら今後も運用していけますからね」
(運用ってどういうことだったかしら。確か浩然様もそんなことをおっしゃってたわ)
『これを運用という形にするんだ。僕はこれを下働きの業務報告会で提案して採用された』
状況は似ている。だが浩然のように国民へ大きな影響をもたらしたわけではない。
「……ちょっと仕事が楽になっただけのことではないでしょうか」
「それが大事なのです。殿下もそうおっしゃっていたでしょう」
「殿下が?」
天藍が下働きの前にやって来たのは一度きりだ。その時のことを思い返す。
『職員の世話をしてくれる者がいないと仕事もままならないからな』
「あ……」
「あなたは今目の前の辛いことを見過ごせない優しい人です。小さな心の機微に気付くこと。それこそ侍女に必要な資質」
「目の前の小さなこと……?」
その言葉でもう一つ思い出した。響玄と買い物に出た時のことだ。
『だって価値がどうあれ今必要な物を手に入れなきゃやっていけないじゃない』
それに気付くと、ふいに父の言葉が頭をよぎった。
『お前が自分で言っていた事だ』
美星は目的を実現する手段が間違っていると響玄が言っていた。
今まで文官になることに囚われていたが、それが間違っていたとうことではないのだろうか。
(殿下も護栄様も浩然様も、全種族平等にするため国を根本から正そうとしてる。でもそれには時間がかかるわ。ならそれを待つ間は目先の苦を解消する人も必要だ。私に政治はできない。なら私のやるべき事は)
有翼人を救う国政はいずれ広まっていくだろう。
でもそんなのは待っていられない。
「今この瞬間を救うのが侍女の仕事です」
美星は差し出された侍女の規定服を受け取った。
それは文官のような高級生地で重みのある服ではない。動き回り汚れても良いような薄手の軽装だった。
「頑張りなさい」
「……はい!」
(目の前の人のために動き回る。それが私のやるべき事だ!)
蘭玲が前に立ち、配属先が書いてあるであろう書類を持っている。
基本的には全員が何かしらに配属されるはずだが、美星はあまり自信が無かった。
(やったことと言えば備品の仕入れと軽食の差し入れだけ。有翼人のためにはなってない)
仕入れで節約はできただろうし、軽食で廃棄品は減っただろう。
だが水を行きわたらせる浩然と対等と胸を張れるほどのことではない。
何か出来ていたのなら今日ここで文官に採用されるはずだ。
「では配属先の発表を始めます。まず武官文官の採用はありません」
はあ、と美星は息を吐いた。
(やっぱり私はお父様の手伝いしかでいない世間知らずなんだ。こんなんじゃ何もできやしない。それに……)
「では次に女官です。紅花、芽衣、春燕」
後から気付いたことだが、宮廷女官には共通点があった。それは名前だ。
名前を天藍に倣わず先代皇の時代から変えていない者だけが女官になれるようだった。
(吏部のほとんどは先代皇派が握ってる。なら名を変えた者は採用されないわ。だって殿下を支持している証だもの)
上層部は先代皇派と天藍派で半々にはなっているが、現場はほぼ獣人だ。
有翼人で名を改めた美星は最初から論外だったのだ。
「では次に侍女。静麗、夏雲」
呼ばれるのはやはり名前を改めていない者だけだ。
以前は誰もが扱いは同じだった。しかし水運び業務ができて以来、下働きにとって良くない変化があった。
「では次。水運び。美雨、杏、麻美」
重労働で宮廷に入ることのない水運びは『宮廷に不要な人材』を放り込む先になった――と誰もが思っている。
それを裏付けるように、名を改めた者は全員水運び担当として名が呼ばれていく。
つまり有翼人で名を改めた美星が呼ばれるとしたらもうここしかないのだ。
(……さすがに水運びだったら辞めよう。もう無理だわ)
父の期待に応えられないことは悔しかったし、情けなくも思う。
けれど何かにつけて嘲笑を買い、七光りであることを揶揄される。そんな日々には限界を感じていた。
そしてついに――
「美星」
「……はい」
水運び担当の中で美星の名は呼ばれた。
――辞めよう。
そう心の中で決めた。
だがその時だった。
「あなたは文官選任侍女に決まりました。座席は文官付き女官執務室に用意があるので明日からはそちらに出勤なさい」
「……え?」
文官選任侍女。それは聞いたことの無い職掌だった。
目をぱちくりさせていると、蘭玲はくすっと笑う。
「文官選任侍女は文字通り文官に付く侍女。先日の備品選定と軽食が大変好評でぜひ文官付きに欲しいと声が多数上がりました」
「品選びと軽食? その程度のことで何故……」
「あなたに些細な事でも誰かにとっては大きな気付きである事もあります。商品の目利きや適正価格の交渉は誰でもできることではないのですよ」
「それは父の手伝いで経験があっただけで特別優れていることではございません」
「経験があっても身に落とし込めるとは限りません。あなたが当然のようにそれを提供できたのはこれまで努力をしたからでしょう」
(努力? そうかしら。私はお父様の役に立ちたかっただけだわ。有翼人のための努力じゃない)
「経緯はどうあれあなたの人生経験が認められた。職員の働きやすい環境を予算内で実現したのは素晴らしい事です。これなら今後も運用していけますからね」
(運用ってどういうことだったかしら。確か浩然様もそんなことをおっしゃってたわ)
『これを運用という形にするんだ。僕はこれを下働きの業務報告会で提案して採用された』
状況は似ている。だが浩然のように国民へ大きな影響をもたらしたわけではない。
「……ちょっと仕事が楽になっただけのことではないでしょうか」
「それが大事なのです。殿下もそうおっしゃっていたでしょう」
「殿下が?」
天藍が下働きの前にやって来たのは一度きりだ。その時のことを思い返す。
『職員の世話をしてくれる者がいないと仕事もままならないからな』
「あ……」
「あなたは今目の前の辛いことを見過ごせない優しい人です。小さな心の機微に気付くこと。それこそ侍女に必要な資質」
「目の前の小さなこと……?」
その言葉でもう一つ思い出した。響玄と買い物に出た時のことだ。
『だって価値がどうあれ今必要な物を手に入れなきゃやっていけないじゃない』
それに気付くと、ふいに父の言葉が頭をよぎった。
『お前が自分で言っていた事だ』
美星は目的を実現する手段が間違っていると響玄が言っていた。
今まで文官になることに囚われていたが、それが間違っていたとうことではないのだろうか。
(殿下も護栄様も浩然様も、全種族平等にするため国を根本から正そうとしてる。でもそれには時間がかかるわ。ならそれを待つ間は目先の苦を解消する人も必要だ。私に政治はできない。なら私のやるべき事は)
有翼人を救う国政はいずれ広まっていくだろう。
でもそんなのは待っていられない。
「今この瞬間を救うのが侍女の仕事です」
美星は差し出された侍女の規定服を受け取った。
それは文官のような高級生地で重みのある服ではない。動き回り汚れても良いような薄手の軽装だった。
「頑張りなさい」
「……はい!」
(目の前の人のために動き回る。それが私のやるべき事だ!)
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