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第22話 山岸酒店と新たな出会い

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 公園から駅を超えて歩くことニ十分。
 あまり人気のない通りにある山岸酒店の扉を開けた。

 「おお、夏生。おかえり」
 「ただいま、じーちゃん」

 ここは俺の祖父の家――ではなく、住み込みで働いている個人経営の小さな酒屋だ。
 七十歳を過ぎた山岸さんは、アパートから追い出されバイトも全てクビで不採用続きの俺を住み込みで働かせてくれているのだ。

 金魚屋のおかげで金には困らなかったが、金じゃ解決できないのが住居だった。
 この近所の人間は大体俺の心中と暴行騒ぎを知っているから入居を断られるのだ。
 仕方なくネットカフェで寝泊まりしていたがいつまでもこれじゃ困る。
 多少大学から遠くなってもいいから、と不動産屋総当たりで頼んでいたらこの山岸さんが迎え入れてくれたのだ。

 山岸さんはマンションを幾つか経営してるからその一室を使うか、もし家事全般と酒屋の店番、不動産の経理業務も手伝えば住み込みで良いとまで言ってくれた。
 バイトも探さなきゃいけない俺にとって有難い話で、二つ返事で頷いた。

 ここが俺の新しい家で、新しい家族だ。

 (沙耶じゃないならここしかない)

 得られたヒントはどれも断片的で憶測の域を出ない。
 だが家族という明確な単語が示すものはこれしかない。
 きっとここに何かヒントがあるんだ。
 
 「ばーちゃんは?」
 「買い物行ってるよ。味噌が切れたらしい」
 「何だ。連絡くれれば買って来たのに」
 「お前は味噌の違いが分からんから駄目だとか言ってたぞ」
 「……どれでも一緒じゃん……」
 「だから駄目なんだ。赤味噌と白味噌知っとるか?」

 ばーちゃんというのは山岸さんの奥さんだ。
 山岸さん夫婦は酒屋の裏にある古い日本家屋の一軒家で二人暮らしをしているが、子供がいないから来てくれて嬉しいと言ってくれた。
 しかも沙耶の仏壇まで置かせてくれて、誰もが避ける沙耶の話を聞いてくれた。
 それだけじゃない。わずかしか無い沙耶の服や教科書なんかの遺品を押し入れにしまうのは可哀そうだからと、沙耶のための部屋まで用意してくれたのだ。

 沙耶が帰ってくるわけではないが、まるでこの人達が元々俺の祖父母のような気がしてくるほど俺の事も沙耶の事も可愛がってくれている。
 気が付けば俺は山岸さんと奥さんをじーちゃんばーちゃんと呼んでいた。

 「今日はもう家にいるのか?」
 「うん。店番するよ」
 「そりゃ助かる。後で鹿目のじいさんが醤油取りに来るから来たら呼んでくれよ」
 「はいよ」

 ここは小さい店だが、コンビニすら無いこの辺はお馴染みのお客さんがそれなりに来る。
 それは俺の縁も広げてくれて、人付き合いの仕方も学べて有難い限りだったがたまに困る事もある。

 ドアが開いて一人の青年が入って来た。
 青年は愛想笑いどころか眉をしかめて口を尖らせ、あからさまな嫌悪感を示していた。

 「……あんた一人なの?いつもの爺さんは?」
 「奥にいますよ。呼びましょうか?」

 別にいい、とぼそりと呟くと青年は黙ってしまった。
 じーちゃんの人徳もあってご近所のおじいちゃんやおばあちゃんとは割と馴染んでいるのだが、その息子や孫といった若い人は俺を良く思わない人が少なからずいる。
 この青年が誰かは分からないが、見覚えのある顔だからおそらくそういった類だろう。
 青年は目をそらしたままため息交じりにようやく話し始めた。 

 「……鹿目ですけど」
 「鹿目さん?今日はおじいさんじゃないんですね。お孫さん?じーちゃん鹿目さん来るの楽しみに」
 「頼んでたのは?」
 「え?ああ、醤油?あるよ」
 「ならさっさと出せよ」
 「あ、す、すいません。えーっと、四百円になります!」

 今でこそ少なくなったが、こういうのは時々ある。
 最初は乱暴を働くような人間がいる店には行きたくないと客足が遠のいたりもした。
 やっぱり俺は出て行った方が良いだろうと思ったが、じーちゃんとばーちゃんはそんなの今だけだから気にするな、と引き留めてくれたのだ。

 そんなじーちゃん達のためにも、こういう客にも笑顔だ。
 だがその笑顔すらこの青年は気に食わないようで、四百円を俺に向けて投げ捨てた。 
 
 「……いい気なもんだな。お前みたいの雇うなんてどうかしてるよ」

 そう言い捨てると青年は店の扉を叩きつけるように勢いよく閉め、その揺れでドア横の棚に並んでたおつまみ商品がばらばらと落ちていった。
 当たるならせめて俺に当たってくれないか。
 さすがにここまでされると溜め息は出る。

 「おい、どうした?何の音だ」
 「何でもない。ちょっとぶつかっただけ。あ、鹿目さん来たよ。じいちゃんじゃなくて孫っぽいのだったけど」
 「そうか、来たか。もう帰ったのか?話はしたか?」
 「え?いや、全然。怒ってた。俺が嫌だったんじゃないかな」
 「……そうか……」

 店と母屋は廊下続きになっているからおそらく今のやりとりが聴こえていたのだろう。
 じーちゃんは俺の頭を優しく撫でてくれた。
 優しくされるたびに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 (しかもこの辺で出目金に食い付かれたらじーちゃん達にも迷惑がかかる)

 追い払えればいいが、怪我でもしたらじーちゃんもばーちゃんも心配するだろう。
 それに俺が血だらけになってたらまた喧嘩だの何だのと騒がれて、さらに迷惑をかける事になる。
 桜子の事はどうにかしてやりたいが、俺としては金魚を見れなくなるようにする事も大事だ。
 そりゃ桜子が弔われればそれで終わるわけだが、よく考えたらそんな保証はない。
 もし憑いた状態で弔ったら一生金魚憑きなんて事もあり得るんだ。
 そう思うと何が何でも解決しておかなければならない。

 そんな事を考え込んでいると、じーちゃんがぽんぽんと俺の頭を撫でてきた。

 「すまんな、嫌な思いさせて」
 「俺は全然。むしろ迷惑かけてごめん」
 「いや、違うんだ。実は鹿目のじいさんに頼まれたんだよ。お前に浩輔君と話をさせてやってほしいって」
 「浩輔って今の孫?何で俺?」
 「……実はな、浩輔君も小さい妹さんを腎臓の病気で亡くしてるんだよ」
 「は?」

 どきりと鼓動が跳ねた。
 
 「境遇が似てるだろう。だから少しだけでも話をさせてやってくれないかって頼まれ」
 「じーちゃん!それ!妹!妹の名前は!?亡くなった時何歳だった!?」

 浩輔はパッと見た限り俺とそう変わらないように見えた。
 そして腎臓の病気で亡くなった小さい妹。

 「桜子ちゃんだ。まだ十歳かそこらだったよ」

 まさかだ。
 こんな近くにいたのか。

 (金魚屋のお導き、なんてな)

 壁にかかったアナログなアンティーク時計を見るとまだ十六時過ぎ。
 夕飯を食べるにはまだ早い。

 「俺ちょっと会ってくる」
 「あんまり突っ込んだ事はするなよ。お前も立ち直るまでは色々あったろう」
 「うん!分かってる!」

 俺は何度か配達した事のある鹿目さんの家へ走った。
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