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願わくば

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アザゼル様はほんの一瞬、その瞳に私を映す。そこに讃えられている悲哀のようなものに、私は今すぐ駆け出したくなる衝動を堪える。

彼のあんな表情を目にしたのは初めて、そしてきっとこれが最期だろう。最初で最後に、弟に対し向ける顔。

「ここからはせめて、一瞬だ」
「…ふん」

再びハネスに視線を戻したアザゼル様が、抑揚のない声で告げる。ハネスは最早立ち上がる力も残っていないようだったが、それでもただひたすらに視線だけは上を向いていた。

「これで勝ったと思うなよ、卑しい血め」

アザゼル様が手を掲げた瞬間、ハネスが大きく深呼吸するのを私は見逃さなかった。

ぞくりと肌が粟立つようなこの感覚を、私はよく知っている。そして今もまだ、鮮明に覚えている。

ーーこのままでは…ただでは…死なんぞぉ…っ

おぞましい異形へと成り果てた、大神官様。あの方が音を立てて爆ぜ、その肢体と共に瘴気を撒き散らした瞬間に、とてもよく似ていたのだ。

「ダメ……っ!」

考えるよりも先に、私の体は無意識に飛び出していた。今回私達は、事前にアレイスター様から頂いた薬を服用している。だから例え瘴気が満ちようとも耐性がついている。

けれど、他の者はそうではない。あの惨劇を再び繰り返すなど、決してあってはならないのだ。

それになにより、ハネスはアザゼル様の弟。どんなに忌み嫌い、憎まれていたとしても二人は、家族なのだ。

あんな凄惨な最期を、私は彼に見せたくなかった。

「イザベラッ!」

先程現れた大量の異形に力を使い過ぎたせいで、流石に聖女の力も限界を迎えている。咄嗟にできうる行動が、もうこれしかなかった。

ハネスに飛びかかるようにして抱きつくと、彼が魔力を解放すると同時にありったけの聖力を注ぎ込んだ。

(体が…熱い…っ!)

ハネスの爆発的な力に、やはり最後の一撃を放つつもりだったのだと確信する。魔物を喰らうか、あるいはそこから力を抽出するか、以前アレイスター様から少しだけ習ったことがある。

いずれにせよ、そんな禁忌を犯せばもう人ではいられない。体に魔力を蓄えている者であるならば、尚更にその影響を受けるのだと。

「ぐ、ぐあぁぁ…っ!離せ…っ、小娘がぁ…っ!」
「絶対に離すものですか…っ」
「このままで、このままで終わって堪るかぁぁっ!」

ハネスの抵抗は予想以上だった。やはり魔物の一部を取り込んでいるのか、瘴気の気配を感じる。

それを圧することが出来るのは、聖女の力だけ。

この場で一人、私だけなのだ。

ぢりぢりと肌が焼け、焦げるような不快な臭いが鼻をつく。それでも決して離しはしないと、私は一層強くしがみついた。

「くそっ、イザベラ!」
「いけませんアザゼル様!それ以上近付いては…」
「黙れ関係ねぇんだよ!」

アザゼル様の声が遠くで響いている気がする。どうか私を助けようとしないでほしいと、激しくぶつかり合う力の渦の中で思う。

早く決着を着けなければ、全てが無駄になってしまう。

「もう、楽になって…っ」

相対する力がぶつかり合い閃光を放っているせいで、視界が見えない。ハネスの体にしがみつきながら、私は必死に訴えた。

「こんなことは貴方だって、望んでいないはずでしょう!」
「黙れ…っ、お前に一体何が…っ」
「私だってそうだった!もしもアザゼル様がいてくれなかったら、どうなっていたか分からない!」

激しい孤独と、虚無。それに耐えきれなくなった時、心が粉々に壊れた瞬間、それでも私がイザベラという自我を保っていられたのかと問われても、答えることはできないだろう。

「次はきっと貴方にも現れるわ。だから、大丈夫」
「煩い、俺は、俺は…っ!」
「大丈夫、大丈夫だから」

夥しい魔力量と共に流れ込んでくる、ハネスの狂気と怨み、そして悲痛な心の叫び。

この男の所業は、決して赦されることはない。それでもどうか来世では、穏やかな人生を送れますようにと、願わずにはいられなかった。
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