遠き日々の思い出

水瀬白龍

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遠き日々の思い出

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 柔らかい芝生の上で僕は気持ちよく寝転がっていた。空を見上げれば雲一つなく本当に美しい快晴の青空。空気はぽかぽかあたたかくて、太陽の光は心地よく、風は穏やかに吹いていて本当に気持ちがいい。僕の横で寝転んでいる君も気持ちよさそうに眠っている。僕は幸せに包まれ微笑んだ。四肢を投げ出して空を飛ぶ鳥をぼんやりと眺める。

 あたたかい。まどろみの中そう思った。

 ここは芝生の生えた小さな丘の上。僕も君もこんなところに、こんな場所があるなんて知らなかったものだから、見つけた時は互いに顔を見合わせてしまった。そしてどちらが先にこの小さな丘の頂上に辿りつけるかを競争した。勝負は勿論君の勝ち。兄弟のように育った僕らはこうしていつも勝負をしたよね。そしていつも君が勝つんだ。いつだって君は僕に勝って堂々と胸を張っていた。

 一番初めの勝負はどちらが先に生まれたかだったと思う。僕らは同い年だけれど誕生日は君の方が一か月と七日早かった。たったそれだけの差なのに、君は僕に勝ったと偉そうに胸を張った。
 その後も僕らはたくさん勝負をした。どちらが速く走れるか、どちらがたくさん食べられるか、どちらが早く食べ終えられるか、どちらがおこづかいを多く貰えたか。テストの点はどちらが良かったか。学校から家までどちらが少ない歩数で帰れるかを競ったときは、僕も君も大股で歩いていたものだから近所の人達に笑われたものだ。勿論背が高かった君の勝ちだったけれど。えへんと君は胸を張った。
 僕は君に負けてばかり。僕は君に勝てたことなんてない。
 それでも僕は君と勝負するのが大好きだ。だって君はこんな弱い僕相手にも全力で挑んでくるんだ。それがなんだか嬉しくて。僕は負けてばかりだというのに、こんな僕相手に勝って笑う君に僕も笑ってしまうんだ。

 あたたかくて優しい日差しの下で、僕は君との優しい日々を思い出す。君も幸せそうに僕の隣で眠っている。

 学校の卒業式でどちらが大声で歌えるか勝負したときは、君の周りの同級生たちが迷惑そうに耳を塞いでいた。大きな声で歌えて偉いと先生には褒められていたけれどね。勿論君の勝ち。でも僕も大きな声で歌えてとても楽しかった。早口言葉を噛まずに言う勝負は、何度やっても君の勝ち。どうして君の口はあんなに良く回るのだろう。僕なんてすぐに噛んでしまうんだよ。どちらが早く本を読み終えるかなんて、いつだって君の圧勝。でも君はあまり本の内容を覚えていなかった。それを指摘すれば君は目を泳がせたものだから、僕は楽しくなってくすくす笑ってしまった。

 かつての平和な日々。僕らはいつだってずっと一緒にいた。まるで兄弟のように。実際僕らは幼馴染で、生まれた時からずっと兄弟として育ってきたんだ。家族ぐるみの付き合いで、僕のお父さんとお母さんは君のお父さんとお母さんでもあって、君のお父さんとお母さんは僕のお父さんとお母さんでもあったよね。小さな頃からずっと一緒。隙を見ればすぐに勝負を始めて、けらけら笑いながら僕は全力で君との日々を楽しんだ。
 かつての平和な日常。どんな日々であろうとも僕は君といて、君は僕といた。

 そして今も僕は君といる。君は眠っているから見えないかもしれないけれど、空には鳥が飛んでいるよ。とっても綺麗な青空の下、優雅に二羽の鳥が飛んでいる。僕は芝生の上に寝転がりながら気持ちよく目を細めた。
 あたたかいな。

 僕らはどんな時だって勝負をした。しりとりでも勝負をしたし、どちらが遠くまで石を飛ばせるかでも勝負をした。あいうえおかきくけこをどちらが早く言い終えられるかでも勝負をしたし、じゃんけんでも勝負をした。どうして君はじゃんけんでも僕に勝てたのだろう。あれは運で勝敗が決まると思っていたのに。君の動体視力のおかげかな。
 一秒間にどちらが多く手を叩けるかでも勝負をしたし、どちらが高くジャンプできるかでも勝負をした。君の方がずっと背が高いのだから君が勝つに決まっている。見つけた小石の数でも競ったし、抜いた雑草の数でも競った。

 でも僕らは決して殺した人の数では競わなかった。

 銃の引き金を引いた回数も、敵の脳漿を打ち抜いた回数も、敵の心臓を破壊した回数も、薬莢を空にした回数も、僕らは競うことはなかった。相手に撃たれた回数も、山道で転んだ回数も、体に付いた傷の数も、絶対に僕らは数えなかった。僕らはいつだって勝負をしたけれど、それだけは絶対に競わなかった。
 食べ物が無くて何も食べられなかった日数も、渇きに絶望した日数も、自分の隣で死んだ仲間の人数も、人を殺した悪夢に眠れなかった日数も、爆弾の音に怯える日数も、全部数えなかった。

 それでも、どんな時でも。
 僕らは一緒にいた。

 僕らの両親が空から降ってきた爆弾で死んだときも、毎日通っていた学校が焼けたときも、食料が無くて虫を食べて飢えをしのいだときも、徴兵されたときも、銃を渡されて人を殺せと言われたときも、そのための訓練を受けさせられたときも、戦場に放り込まれたときも、僕らはずっと一緒にいて、ずっとそばに居続けた。僕は君と一緒にいて本当に楽しかったよ。君もきっとそう思ってくれていたよね。

 そういえば君は言っていたね。
 生まれ変わったら鳥になりたいと。

 確かあれは敵襲を受けて命からがら逃げだしたときのことだったかな。応戦するために茂みに隠れながら君はそう言っていた。生き残った仲間にありきたりすぎてつまらないと言われたものだから、確か君はこう返したはずだ。
 だって、鳥になれば飢えることはなさそうだ、と。死んだ仲間の死体を啄む鳥達を眺めながら。だから生き残った仲間は確かにな、とぽつりと呟いていた。あの時僕らはどれくらいの間食べれていなかっただろうか。そもそも食料のために始まった戦争だ。僕らはいつだってお腹が空いていた。
 僕も君に賛成して言ったよね。じゃあ僕は君と一緒に鳥に生まれ変わるよ、と。そうしたら君は久々に笑った。そうだな、一緒に生まれ変わろうな、とそう言って笑った。

 僕らはずっと一緒に育ったのだから。
 生まれ変わっても僕らはずっと一緒だよね。

 ねぇ、見てごらんよ。いや、君は一足先に眠ってしまったから見えていないだろうけれど。僕は芝生の上に寝転びながら空を見上げた。
 鳥が飛んでいるよ。あたたかい日差しの中、鳥が二羽飛んでいるよ。気持ちよさそうだね。僕も今とても気持ちが良いよ。こんなに穏やかに休めたのは何日ぶりだろう。何カ月ぶりだろう。何年ぶりだろう。でもどんな日々であったとしても僕は君といて楽しかったよ。
 僕の隣には銃が放り投げられている。勿論僕と君の二人分。でも僕らがそれらを手に取ることは二度とない。この丘に辿り着いたとき、僕らはこれらを投げ捨てたのだから。僕は腹から血を流しながらこの平穏を噛み締めた。

 仲間達が全滅してしまって、僕らも怪我を負いながら逃げたんだ。君と一緒に僕は必死に走った。走ったけれど途中から走れなくなって、僕と君は互いに支え合うようにさまよった。
 そして、ここに辿り着いた。僕も君もこんなところにこんな穏やかな丘が広がっているなんて知らなかった。だから僕らは血を流しながら久々に競争した。そして君の方が早くこの丘の頂上に辿り着いたから、君の勝ち。君は昔みたいに自慢げに胸を張った。

 そして僕らはまた勝負をした。今度はどちらが長く起きていられるか勝負をしよう、と君は笑って言ったのだ。

 こんなにあたたかくて気持ち良い場所に寝転がったらすぐに寝てしまうよ。けれど僕らは二人で寝転んで暫く話をした。まだ食べ物があって戦争が起こっていなかった頃の懐かしい話。

 君とゲームで競った話。君と鞄に詰め込んだ教科書の数で競った話。君と抜けた歯の早さで競った話。それぞれが育てた蝶のどちらが早く羽化するか競った話。

 君と支え合って生きてきた日数の話。君の怪我が早く治るように祈った日数の話。君が分けてくれた食料に助けられた日数の話。僕が君に分けた食料で君を助けた日数の話。僕と君が笑いあった日数の話。僕が君に救われた日数の話。君が僕に救われた日数の話。僕が君と離れたくないと願った日数の話。僕が君といて幸せだった日数の話。

 そして、僕は初めて君との勝負に勝ったのだ。
 君は僕に初めて負けたというのに、本当に幸せそうな表情で眠っていた。

 僕は柔らかい芝生の上でまどろみながら君を見つめる。
 ねぇ、次はなんの勝負をしようか。
 次こそまたどちらが早く生まれてくるかで勝負をしようよ。僕と君が一番初めにした勝負をもう一回やるんだ。僕らは鳥に生まれ変わるから。

 次の勝負はどちらが早く卵の殻を割れるかでいいかい。
 僕の問いに君は満足そうに微笑んでいた。

 僕は目を閉じる。太陽の光があたたかくて気持ちが良かった。そよ風が僕らを優しく撫でていく。遠くから鳥の鳴き声が聞こえてきた。
 隣で君は気持ちよく眠っている。僕も幸せだ。だって君が隣にいる。僕も君の隣にいるよ。

「あったかいねぇ」
 僕は隣で冷たくなった君にそう言った。

 ***

 僕は必死に殻を割る。嘴で突いて突いてぱりぱりと割っていく。それは案外硬くて僕は必死になって突っついた。あともう少し、あともう少し。ぱらぱらと僕を覆っていたものが剥がれていって、光が差し込んでくる。そこを重点的に僕はこんこん突っついた。そして僕は殻を割って青空の下に飛び出した。

 僕の前に堂々と胸を張っている小鳥が立っていた。僕はその姿にぴぃぴぃ笑ってしまう。だって、君の頭に卵の殻が残っていたのだから。
 僕は羽を広げて君に抱きついた。

 ねぇ、次はどんな勝負をする?

(終)
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