3 / 10
3.憧れだった人
しおりを挟む
「え!うそ!」
昼休憩中の羽菜は、莉子から送られてきたメッセージに思わず声を上げ、スマホを取り落としそうになる。周りに人がいなくて良かった。
『お兄ちゃんと夜ご飯食べに行くんだけど、羽菜もどう?』
「行きたい……」
けれど緊張する。
なんせあの日、家まで送ってもらってから羽菜はふとした拍子に伊織のことばかり考えてしまっていた。なかなか勇気は出ないが、出来ることならもう一度会いたい。何なら一目見るだけでもいい。
中学生のころ、伊織に向けていた想いがじわじわと蘇っているのだから。
そんな長年憧れだった人と食事……。行きたいけれど、今日の服装だって特別気合が入ったものでもないことに気付いてしまった。よく見れば袖周りのリブの部分に、うっすら毛玉が出来ている。
『でも、今日普段着だし……』
『理由がそれだけなら行こうよ。お兄ちゃんも気にしないし、それに羽菜に会いたがってる』
会いたがってる……?
莉子の返事に変な声が出そうになり、思わず口元に手を当てた。
リップサービスと分かっていても、尻尾を振ってしまうのが悲しいかなファンというもので。それにこちらは気にしてしまうが、対する伊織は莉子の言う通り、妹の友達の服装なんて奇抜でなければ何でも同じであろう。毛玉くらいどうってことはないだろう。でも少しだけこの服を選択した今朝の自分を憎んでしまうけれど。
——だったら正直会いたいという、その気持ちを優先させることにした。
『分かった。行くよ!』
了承のスタンプと共にそう送った羽菜は、楽しむことに気持ちを切り替える。就業後に化粧直しの時間を確保するためにデスクへと戻って行った。
* * *
莉子に指定された待ち合わせ場所は、地元の駅の近くにある鉄板焼きの店だった。これなら歩きで自宅に帰れるため、三人ともお酒を飲むことができる。
定時で上がった羽菜は、一旦自宅に戻って服を着替えることにした。待ち合わせの時間にはまだ二時間ほど余裕がある。しかし駅の改札口を降りたところで固まった。
「羽菜ちゃん、偶然だね」
「伊織さん……」
改札を抜けたところで、スラリとしたイケメンが居るなと思えば、莉子の兄である伊織であった。思いっきり目が合ったうえに話しかけられたので、知らないフリは出来ようがない。
よって服を着て出直す作戦は早々におじゃんとなった。化粧だけは会社で直していたのはせめてもの救いか。
「まだ早いから家に帰ろうと思ってたんだけど、どうする?どこかで時間でも潰す?」
「私は一旦家に帰るつもりだったんです。えーっと、そうだ、忘れ物しちゃって」
「そうなんだ。じゃあ行こうか」
「はい」
深く考えずにそう返事した羽菜は少し遅れて後悔することになる。伊織と並んで歩いている事実に気付いてしまった途端、緊張が押し寄せたのだ。
ギクシャクとした動きになってしまわぬように、なんとか平静を心掛ける。
並ぶと背の高い伊織の肩の位置に羽菜の頭がくるので、それなりに身長差はあるが、歩幅と速度を合わせてくれているのか歩きやすくて安心感がある。やはり記憶通りにとても優しい人なのだろう。
恋人同士に見えるかな、なんて密かに思ってしまったのは秘密だ。これが街中だったらショーウィンドウに映る姿で妄想に浸れたのに。しかし残念ながら地元の駅付近は住宅街しかない。
そんな胸中はひた隠し、当たり障りのない会話をしながら帰路に就く。
「あれ?伊織さん自宅に行くのでは……?」
途中までは伊織も自宅に帰るのかと思っていた。駅を降りてからの方角は途中までは一緒だから。けれど莉子の家との分かれ道。伊織は変わらず羽菜の隣を歩いていた。その歩みに迷いなどは感じられなくて、羽菜は思わず尋ねてしまう。
「ん?羽菜ちゃんが忘れ物したっていうからついてきたんだけど。俺は別に家には用事ないから気にしないで」
気にします!ものすごく!
なんて自意識過剰ではないかと捉えられそうで言えるわけもなく。
とりあえず服を着替えるのは諦めた羽菜であった。
昼休憩中の羽菜は、莉子から送られてきたメッセージに思わず声を上げ、スマホを取り落としそうになる。周りに人がいなくて良かった。
『お兄ちゃんと夜ご飯食べに行くんだけど、羽菜もどう?』
「行きたい……」
けれど緊張する。
なんせあの日、家まで送ってもらってから羽菜はふとした拍子に伊織のことばかり考えてしまっていた。なかなか勇気は出ないが、出来ることならもう一度会いたい。何なら一目見るだけでもいい。
中学生のころ、伊織に向けていた想いがじわじわと蘇っているのだから。
そんな長年憧れだった人と食事……。行きたいけれど、今日の服装だって特別気合が入ったものでもないことに気付いてしまった。よく見れば袖周りのリブの部分に、うっすら毛玉が出来ている。
『でも、今日普段着だし……』
『理由がそれだけなら行こうよ。お兄ちゃんも気にしないし、それに羽菜に会いたがってる』
会いたがってる……?
莉子の返事に変な声が出そうになり、思わず口元に手を当てた。
リップサービスと分かっていても、尻尾を振ってしまうのが悲しいかなファンというもので。それにこちらは気にしてしまうが、対する伊織は莉子の言う通り、妹の友達の服装なんて奇抜でなければ何でも同じであろう。毛玉くらいどうってことはないだろう。でも少しだけこの服を選択した今朝の自分を憎んでしまうけれど。
——だったら正直会いたいという、その気持ちを優先させることにした。
『分かった。行くよ!』
了承のスタンプと共にそう送った羽菜は、楽しむことに気持ちを切り替える。就業後に化粧直しの時間を確保するためにデスクへと戻って行った。
* * *
莉子に指定された待ち合わせ場所は、地元の駅の近くにある鉄板焼きの店だった。これなら歩きで自宅に帰れるため、三人ともお酒を飲むことができる。
定時で上がった羽菜は、一旦自宅に戻って服を着替えることにした。待ち合わせの時間にはまだ二時間ほど余裕がある。しかし駅の改札口を降りたところで固まった。
「羽菜ちゃん、偶然だね」
「伊織さん……」
改札を抜けたところで、スラリとしたイケメンが居るなと思えば、莉子の兄である伊織であった。思いっきり目が合ったうえに話しかけられたので、知らないフリは出来ようがない。
よって服を着て出直す作戦は早々におじゃんとなった。化粧だけは会社で直していたのはせめてもの救いか。
「まだ早いから家に帰ろうと思ってたんだけど、どうする?どこかで時間でも潰す?」
「私は一旦家に帰るつもりだったんです。えーっと、そうだ、忘れ物しちゃって」
「そうなんだ。じゃあ行こうか」
「はい」
深く考えずにそう返事した羽菜は少し遅れて後悔することになる。伊織と並んで歩いている事実に気付いてしまった途端、緊張が押し寄せたのだ。
ギクシャクとした動きになってしまわぬように、なんとか平静を心掛ける。
並ぶと背の高い伊織の肩の位置に羽菜の頭がくるので、それなりに身長差はあるが、歩幅と速度を合わせてくれているのか歩きやすくて安心感がある。やはり記憶通りにとても優しい人なのだろう。
恋人同士に見えるかな、なんて密かに思ってしまったのは秘密だ。これが街中だったらショーウィンドウに映る姿で妄想に浸れたのに。しかし残念ながら地元の駅付近は住宅街しかない。
そんな胸中はひた隠し、当たり障りのない会話をしながら帰路に就く。
「あれ?伊織さん自宅に行くのでは……?」
途中までは伊織も自宅に帰るのかと思っていた。駅を降りてからの方角は途中までは一緒だから。けれど莉子の家との分かれ道。伊織は変わらず羽菜の隣を歩いていた。その歩みに迷いなどは感じられなくて、羽菜は思わず尋ねてしまう。
「ん?羽菜ちゃんが忘れ物したっていうからついてきたんだけど。俺は別に家には用事ないから気にしないで」
気にします!ものすごく!
なんて自意識過剰ではないかと捉えられそうで言えるわけもなく。
とりあえず服を着替えるのは諦めた羽菜であった。
15
あなたにおすすめの小説
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから
えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。
※他サイトに自立も掲載しております
21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ
Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.
ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)
わんこ系婚約者の大誤算
甘寧
恋愛
女にだらしないワンコ系婚約者と、そんな婚約者を傍で優しく見守る主人公のディアナ。
そんなある日…
「婚約破棄して他の男と婚約!?」
そんな噂が飛び交い、優男の婚約者が豹変。冷たい眼差しで愛する人を見つめ、嫉妬し執着する。
その姿にディアナはゾクゾクしながら頬を染める。
小型犬から猛犬へ矯正完了!?
蝋燭
悠十
恋愛
教会の鐘が鳴る。
それは、祝福の鐘だ。
今日、世界を救った勇者と、この国の姫が結婚したのだ。
カレンは幸せそうな二人を見て、悲し気に目を伏せた。
彼女は勇者の恋人だった。
あの日、勇者が記憶を失うまでは……
黒騎士団の娼婦
イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。
異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。
頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。
煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。
誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。
「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」
※本作はAIとの共同制作作品です。
※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる