ネビュラ・ディバイド

ダデ丸

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第八話 表 遠雷と虹 後

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 その鉄塔は森の中、静かに佇んでいた。
 
 有刺鉄線付きのフェンスで守られ辺りを威圧するよう聳え立つ塔に、周囲の樹々がひれ伏しているかのようだった。

「うわぁ……高いですねぇ」
 ヒスイが麦わら帽子を押さえながら30メートルほど先にある鉄塔を見上げている。
 その声はもう普段の調子を取り戻している。
「フェンスの周辺から調べましょう。時間があまりないので広範囲は見られませんが」
 遼が鉄塔に近づこうと踏み出した瞬間、その手を掴まれる。
 振り返るとヒスイが人差し指を口の前に立ててから、その指先がフェンスの向こう側を指す。
 すると間も無くして鉄塔に続く土の車道を一台の白いバンがその巨体を揺らしながら登って来た。フェンスの手前まで来ると、無造作に停車する。
 それを見た遼はすぐさまヒスイと山道に引き返し、藪の中に身を潜めた。
「来るのが”視えた”んですか?」
 こくりと頷く。
「来るところまでですけど……」
「いえ、それでも助かりました」
 息を潜めてバンの様子を伺っていると、運転席と助手席から作業着の男が二人降りて来た。
 男たちはそれぞれ車内から荷物を下ろしている。
「基地局の作業員か……?」
 鉄塔に続く道は地図にも載っていなかった。恐らく保守業務用の私道なのだろう。
 とすれば彼らは正規の作業員だと考えるのが自然だ。
 しかし、遼は男たちの立ち振る舞いに違和感を覚えていた。
 鉄塔そのものには目もくれず、フェンスの鍵を開けるでもなくその周囲を歩き回り、一人の手にはフェンスカッターらしきものが握られている。

「おい。あったぞ!」
 遼たちの潜む薮から左手のフェンス近くで長身の男が声を上げた。その声は外見の印象よりも甲高く響いた。
 木の陰の間を静かに移動し、男たちが見える位置に身を隠す。
 作業着の男たちは草を薙ぎ倒すように形作られた2メートルほどの円を挟んでしゃがみ込み、ノートパソコンのような端末を操作している。
「小さいな。アニマの残留もほぼゼロだ。これなら無視してもよかったんじゃァないか?」
 長身の男が不満を漏らすと、小柄だが筋肉質の男が低い声でそれを諌める。
「そう愚痴るなよ、仕事だろ? まあこのサイズなら転移者はいないだろうがな」

 ――アニマに、転移者。
 男たちの会話に挟まる、おおよそ作業員に相応しくない単語が遼に確信させる。
「……恐らく、教団の人間ですね」
 ヒスイを見ると、固唾を飲んで男たちの様子を見ている。
「何をしてるんでしょう……」
 その声は緊張からか震えている。
「彼らの口ぶりからするとネビュラからの転移者を探しているようですが……」
 だとすれば、当然ヒスイもターゲットになるはずだが、その言葉は飲み込む。

「よし、報告終わり。帰るぞ」
 筋肉質の男が立ち上がるとポツリ、と雨が落ちた。
「くそッ、降り始めやがった! 機器を車に運ぶぞ!」
 初めは疎らだった雨は瞬く間に土砂降りとなり、筋肉質の男は操作していた端末を抱えてバンに走って行った。
 
 しかし、長身の男は雨に打たれながら、微動だにせず手のひらほどの端末に目を落としている。
 その口が動くのが雨に霞んだ視界の中で微かに見えたが、その言葉は雨音に掻き消された。
 稲妻が空を砕き、数拍遅れて轟音が鳴り響く。

 ――そしてゆっくりと、男がこちらを向く。

 稲光りに照らされたその顔は頬がこけ、目は落ち窪んでいる。
 その目の奥に鈍い光を宿し、藪の中に潜む遼たちを確かに見据えている。

 次の瞬間、男は遼たちの潜む薮にまっすぐ歩き出した。
 もう一人を呼ぶように何かを叫んでいるがその声は滝のような雨音と雷鳴に飲まれた。
 男は声が届かないことに業を煮やしたしたように走り出す。

 逃げるべきか。
 否、この雷雨の中ヒスイと逃げ切るのは困難だろう。
 男が猛然と藪に迫る。
「ヒスイさん、伏せていてください」
 遼は立ち上がり藪から姿を現すと、一歩後ろに下がり半身に構える。
 男は突然現れた影に一瞬虚をつかれたようだが、勢いそのままに薮を踏み越え遼に迫る。
 突き出されたその手にはスタンガンが握られていた。
 突き出されたスタンガンの電極が雨粒を散らしつつ肩先に迫る。
 
 ――その瞬間、遼が男の懐に踏み込むとその体が宙を舞った。
 男は突進の勢いそのまま濡れた雑巾を叩きつけたような音と共に地面に落ちるのと同時に、「ぐぇっ!」という呼吸が詰まったような声を発し動かなくなった。
 
 ふと、その腰にサバイバルナイフが提げられている事に気づく。

 顔を見られてしまった。
 この男をこのまま生かして帰せば後に禍根となるかもしれない。

 頭をよぎったそれは普段の、そして刑事としての遼なら絶対に浮かばない考えだった。
 心拍が速度を上げ、喉がひどく渇く。

 降り頻る雨が頬を伝い、顎から流れ落ちる。
 一瞬、強烈な閃光に視界が明滅し、三秒ほどして腹に響く轟音が鳴った。

 「……何を馬鹿な事を」
 誰にともなくかぶりを振りピクリとも動かない男の腰からナイフを抜くと、遼はそれを側に落ちていたスタンガンと共に森の中へと思い切り投げ捨てた。
 
 男の脈拍を取りつつ、薮の影にへたり込んでいるヒスイに声をかける。
「大丈夫、生きてます。今のうちに戻りましょう」
 立ち上がり手を差し伸べると、その手をヒスイが迷いなく掴む。柔らかく細い手は雨で表面は冷えていたが、その芯に確かな熱を感じた。

 キャンプ場に戻り、車に乗り込んだ時には二人ともずぶ濡れになっていた。
 雨水と泥でぐちゃぐちゃになったシートにため息をつく。

 帽子を脱いで助手席に崩れるように座り、ふうふうと息を整えるヒスイを見る。

 男を生かしたことをいつか後悔するかもしれない。
 それでも、殺してしまえば結局一生後悔することになっただろう。
 何より、胸を張ってこのかみさまの隣に立てなくなると、そう感じた。

「あっ、見てください!」
 ヒスイが鉄塔の方向を指差し、思わず遼は身構えた。
「虹ですよ!」
 嬉しそうにこちらに笑顔を向ける。

 いつの間にか雨は上がり、空には大きな虹が架かっていた。

 ――虹を見たのはいつ以来だろうか。
 幼い頃、縁側に座って姉と虹を見た。
 その時見上げた虹よりも遥か遠く、その先を見ているような父の眼差しが今でも胸に焼き付いている。

 それが最初で最後の虹の記憶だった。
 そして、この虹のこともきっと忘れないだろう。

「わ……遼の笑顔、初めて見ました」
 ヒスイはセットが崩れた耳を立てて目を丸くしている。
 そう指摘されて初めて、自分が笑っていたことに気がつく。
 緊張が解けたからだろうか。
「……そんなに普段笑ってないですか?」
 ぶんぶんと勢いよく首肯され少しだけ傷つく。
 しかし言われてみれば、最後に笑ったのがいつだったかも思い出せない。
「……風邪引かないうちに帰りますよ」
 笑顔を噛み殺し、ヒスイから顔を背けるようにしてハンドルを握った。
 
 雷雲が遠ざかり、遠くで低い雷鳴がくぐもる。
 
 遼は遠雷と虹を背に、静かにアクセルを踏み込んだ。
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