上 下
24 / 25

23. 悩み相談 ①

しおりを挟む
 島国である南の国へ行くのに、まずは馬車で港まで向かい、そこから船に乗り換える必要がある。

 片道およそ三日ほどの移動時間をなるべく短縮させようと、早朝から超特急で港についた私たちは、街で休むことなくそのまま南へ向けて出航した。

「急ぎ足になってしまってすみません、皆さん疲れていませんか?」
 船内で食後のコーヒーを啜りながらジョセフが口を開いた。

「ふむ。馬車の中でしかと目を休ませた故、心配には及ばない」
 上機嫌でニロは答える。

「謹んで申し上げますが、ニロ様。ジョセフ様が心配しているのは恐らく馬車で寄りかかられたお嬢様の方かと」

 隣からセルンが笑顔でそう口を挟めば、

「ふむ。それも心配無用だ、セルン。余は仮眠しているだけでフェーリに一切体重をかけていないのだ」

 そう言ってニロは誇らしげに腕を組んだ。

 ニロはもう気にしないみたいだけれど、その言い方は失礼だよ、セルンさん。

「なるほど素晴らしいお心遣いですね、ニロ様」
 
 なんだろう? セルンはニッコリしているけど、なんだか嫌味っぽく聞こえる……。気のせい?

「ふーん。普段と変わらないのに何故か引っかかるな……」

「……え?」

「うーん。余はどうも其方の態度に妙な違和感を覚えるのだ。セルン。これは何故だ……」

 顎に手を当てて、ニロは体を左右に揺らしながらなにやら考える素振りを見せた。
 ニロがこうして元気そうにしているの、久しぶりにみたわ。いつも公務で疲れているからね。やはり旅はいいわ。

「違和感……でしょうか? 特に変わったことを言っていませんが……」

 不可解な面持ちで悩むニロをしばらく見つめて、セルンはもう我慢できない様子をみせた。

「……それはさておき。まずは仮眠のことですが、ニロ様。今後はご自分にな負荷をかけないで壁の方に寄りかかってお休みになったらいかがでしょう?」

「其方はいつも異なことをいうな、セルン。フェーリと触れ合うための負荷は不必要なはずがなかろう?」

 眉をよせて、ニロはいかにも当然であるかのように返した。

 うっ、この流れだとせっかくのいい旅がまた険悪な雰囲気になりそうだ。
 いつものことだけど、セルンは私の話になるとついつい過保護になってしまうんだよね……。

「お言葉ですがニロ様。お嬢様にはキウスという立派な婚約者がいます。一国の王子とはいえ──」

「──王子! そうだ。セルン。それが違和感の正体だ」

「……え?」

「其方は忘れているようだが、いまの余は王子ではなく、フェーリの護衛として同行しているのだ。同じ護衛である其方が余に敬語を使うのは矛盾するであろう?」

「ああ。確かに矛盾しますね」

 と向かい席にいるジョセフはうんうんと頷いた。

「いいえ。忘れているわけではないのですが、いまはもっと大事なお話が……」

「いいか。セルン。王国に戻るまで余は其方の同僚だ。忘れたわけではなければいまはもうその敬語はやめたまえ」

 そう念を押すとニロはジョセフの方に視線を移す。

「ジョセフ殿下も余のことはニロでよい」

「わかりました。ではしばらくそう呼ばせてもらいます」

「ふむ。それと急なことで騎士らしい服装を調達できなかったが、テワダプドルで手に入りそうか?」

「ああ。そのことなら問題ないです。明日の朝着陸したらすぐに用意させましょう」

「そうか。すまない。感謝する」

「いいえ。それとその後の予定ですが…ー」

 まだなにかを言いたげなセルンをそっちのけで二人はそのまま別の話題に移った。

 あれ? 嫌な雰囲気になってない。……なんだろう。セルンに対するニロの態度が柔らかくなってる? 
 いまのニロは王子ではないから? ……あ、これだわ! 
 王子と従者ではないいまの立場ならきっと二人は仲良くなれるはず……!

<心配してくれてありがとう、セルン。でも本当に重くなかったよ>

「いや、問題はそこじゃないんだよ……お嬢」
 
 はあ、とセルンがため息をこぼした。

 ん? 重さじゃないなら問題は肩こりかな……? 
 ニロに寄りかかられて特に辛いと思ってないのだけれど……どうすればセルンにもわかってもらえるのだろう?

 そうしてみんなで一緒に遅めの夕食を済ませると、船内で用意された各自の部屋へと分かれた。
 疲れた体を休ませようと早速ベッドに入ったが、横になると突然胸が騒いで眠れない。

 最近ずっと同じ悪夢に苛まれてよく眠れてないのよね。
 今日も目を閉じたらまたあの夢を見てしまうのかな……。

『素敵なキウス様という婚約者がいるのに、堂々とニロ様を誘惑しようとするなんて』

 夢の中で何度も現れた公爵令嬢の言葉が頭から離れない。
 別に私はニロを誘惑しようとしたわけではないのだけど……まったく期待していないといえば嘘になる。

 いままでニロとは仲間以上の関係を求めてはいけないと思って彼を意識しないように頑張ってきた。
 けれど、あの夜ニロの気持ちを知ってからすっかり気分が舞い上がってしまった。

『お嬢様にはキウスという立派な婚約者が……』

 うっ、そうだわ……浮かれてる場合じゃない。
 セルンの言う通り、政略結婚とはいえ私は現にキウスと婚約している。
 それをしっかり解消しないでニロといい雰囲気になるなんて非常識すぎる……。

 キウスに嵌めてもらったこの指輪があるかぎり、私はニロと一緒にいられない。それなのに私はニロと唇を……。

 うっ、婚約という約束を破っているようですごい罪悪感が……あ、そうか、罪悪感……。たしか、夢って無意識のうちに存在する欲望の反映だとか、いつかの本で読んだ気がする。もしかしてそれがこの悪夢の正体なのかな……?

 お互い形式上の付き合いだけれど、それでもキウスは私をよく気づかってくれた。それなのに、私はニロとのことでこっそり喜んで……ああ、そんなの、軽薄すぎる……。

 左手の指輪を見つめれば見つめるほどドンドンと気が重くなってくる。
 こんな気持ちで寝たらきっとまた悪夢にうなされてしまうわ。
 そんな嫌な夢をみるくらいならいっそのこと寝ない方がましだ。

 ベッドからむっくり起きて、窓の外へと視線をすべらせる。

 まっくらな海面には満月の粒子が青白く漂い、一筋の道をつくった。

 わぁ、きれい……。
 しばらくその風景に浸ったが、それでも胸が苦しく気持ちが沈んでいくばかり。

 そうして特にやることもなく、つくねんと座っていれば、だんだんと瞼が重たくなってきた。

 このままだと寝てしまうわ……。
 仕方なく蝋燭を灯して部屋を明るくし、暇つぶしに屋敷から持ってきた何冊かの本を読むことにした。

 なるほど。南の国のおとぎ話はみんな女神と関わっているのね。さすが宗教の国だわ。

「お嬢? まだ起きてるのかい?」

 本に集中しているところ、廊下からセルンの声がひびいた。
 まあ、セルンもまだ寝てなかったのか。

 本を抱いたまま扉を開けたら、「ちょっ、なんで開けるんだ!」 

 かっとセルンが目をむいた。

「セルンの、声が……したから」

「いや、それでも夜中に扉を開けちゃダメでしょ、しかも寝巻き姿で! あー、もう。ここはもう屋敷じゃないんだからさ、もっと気をつけようよ!」

 と私を胸に隠すようにしながら、セルンは左右の衛兵をかえりみた。それから指示するように手を振れば、さあっと一気に人がいなくなった。

 確かにここはもう屋敷の中ではないので、もう少し警戒するべきだ。
 けれど、それにしてもこの船に乗っているのは私たち五人とコンラッド家の使用人しかいないので、なぜセルンがここまで怒るのかよくわからない。

 ひとまずぷんぷんする彼に頷くと、
「はあ……本当にわかってるのかい? お嬢はもう立派な女性だよ? 寝巻き姿を人に見せちゃだめ! いい? 特にニロ様には見せないで! 扉も開けないで! 絶対に!」

 子供の頃から知り合ったとはいえ、ニロに寝巻き姿を見られたら恥ずかしいし、世間的にもかなりまずい。
 そのくらいの常識は持っているつもりだけれど……。

「違う……」

 ぽつりそう呟くと、セルンに困った顔をされた。

「なにが違うんだい?」

「ニロなら、開けなかった」

「……え?」

「セルン、だから……開けた」

 重たい唇を必死に動かしてそう伝えると、「なんで、オレなんだ……?」とセルンはひどく驚いた表情を浮かべた。

 八年間も傍にいてくれたセルンは昔から私の寝室を自由に出入りしている。

 病気の時もそうだけど、特に最近よく書斎で寝落ちする私を抱えて寝室に戻してくれるので、私の寝巻き姿なんて飽きるほど見ているはず。

 わざわざ自分の口から言うのも恥ずかしいが、セルンが説明を待っているようなので、

「セルンは、特別……だから」

 思い切ってそう伝えたら、かぁとセルンの顔が紅葉色に染まりあがった。

 あれ、なんでここまでびっくりするの? 

 側近のセルンを昔から特別扱いしているつもりだけれど、本人わかっていなかったのかな? 

「……入る?」

 立ち話もあれだからとりあえずそう聞くと、セルンはさらに頬を真っ赤に染めた。それからぶんぶんと頷いて、さっと部屋に入ってきた。上機嫌のようね。

「……なんで寝ないで本を読んでるんだ、お嬢? 目の下にくまができちゃうよ?」
 
 扉に鍵をかけて、セルンはにんまりと笑った。それから本を抱いている私を見て、困ったような顔をする。

<寝ないじゃなくて眠れないの>

 テーブルの上にある紙を手にして答えた。

「眠れない? 船酔いしてるのかい、お嬢?」

<ううん。違う。最近嫌な夢ばかりを見て、寝るのが怖いの>

「どうしたんだい……? 悩み事でもあるのかい?」

 心配してくれるセルンに首を横に振った。

<なんでもないよ> 

「なんでもなくないだろ? どうしたんだ、教えて?」

 と真剣な口調で言ったセルンに再び首を横に振り、やんわりと目を逸らす。

 私の反応に敏感な彼にこのくらいのごまかしは通用しない。
 分かっているけれど、正直にニロのことで悩んでいると言ったら呆れられてしまいそうで怖い。

「……オレが信用できないのかい?」

 おずおずしていると、セルンは悲しげな目で私の顔を覗き込んできた。

 うっ、これは正解のない質問だ。

 だって明らかに信用しているという回答しかない。
 でも、普通にそう答えたらセルンは絶対に教えてと迫ってくるから、結局彼に話すことになる。

 セルンはわかっていてそう聞いてきたのね……。相変わらず手強いわ。

 うーん……。これは誰かに相談するほどのことでもないのだけれど、セルンに言ってもいいのかな?

<教えたら秘密にしてくれる?>
 
 そう確認すると、セルンはわずかに目を見開いた。

 あ、セルンが固まった。

 心配してくれたとはいえ、いきなり秘密にしてとか、やはり変、だよね……。
 言ったそばから後悔していると、セルンにふわっと頬を撫でられた。

 見上げれば、そこには艶っぽい笑顔がある。

「……うん。いいよ。……二人だけの秘密にしよう」

 耳元で囁かれて、かあと首すじから火照ってきた。

 セルンの魅力に耐性ができたと思ったけれど、どうやら気のせいだったみたい……。

 深呼吸をくりかえして、紙を握りこむ。

 このまま一人で悩んでも解決できそうにないから、思い切って彼に打ち明けた方がいいのかもしれない。

 ベッドに腰をかけてその隣に座るようぽんぽんと叩くと、セルンはキラキラとした笑顔を見せた。

 なんだかすごく嬉しそうだ。信頼されて喜んでいるのかな……? 
 特別だと思っていることもそうだけれど、普段から信用しているのにいままで伝わらなかったのかな?

「さあ。なんでも言って!」
 うきうきと聞く体制に入ったセルンにこっくりと頷き、紙に字を書きはじめる。







「……えーっと。つまり、ニロ様に告白されて眠れないほど悩んでるってこと?」

 さっきとうってかわるように、セルンはつまらなさそうな顔でそう確認してきた。

 首を縦に振って肯定すると、

「いや、これは別に秘密でもなんでも……。はあ……」

 セルンはなんとも言えないような表情でガックリとした。
 それから真剣な眼差しで私を見つめて、質問を口にする。

「で。……お嬢はさ、ニロ様をどう思っているんだい?」

 ニロのこと……?

『余がお前を守れるようになるまでの辛抱だ、フェーリ』

 私は……。

『……必ずお前を幸せにする』

 ニロのこと……。

『余はお前が愛おしい……仕方ないほどに』
 
 ドキッと胸がふるえた。

 そうしてニロとの思い出がまざまざと瞼に浮かんで、ドンドンと顔に血が上ってきた。熱くなった頬で返事に困っていると、

「ごめん聞いたオレが悪かった! いまの質問を忘れてくれ……」
 
 ひどく落ち込んだ様子で、セルンは再びガックリと肩を落とした。

「……それで婚約者に不誠実じゃないかって悩んでるのかい?」

 疲れた顔のセルンにコクリと頷き、紙をみせる。

<キウス様と婚約している身なのに、ニロのことで喜んで浮かれるのはどうかしているわ>

「よろこ……、はあ……。別にいいんじゃないの? そんくらい……」

<よくないわ。セルンはいつも私にはキウスという立派な婚約者がいるって言ったじゃない >

「……いや、あれはただの口実で……。でもまあ、正直言って、政治上の都合でお嬢とキウスの婚約は簡単に破棄できないとオレは思った。だが、血眼ちまなこになって、権力を増やしてきたニロ様の様子を長年見てきたから言える。あれは無理にでも解消させる気だから、心配することはないよ」

<そうなのかな……?> 

「大丈夫だよ、お嬢。貴族間の婚約なんて口頭約束みたいなもんだし、本当に解消できてもキウスに悪いと思うことはないよ。そもそものんびりしすぎるあいつが悪いし……」

 そう呟くセルンの声はだんだんと小さくなっていき、最後の方になるとまったく聞こえなくなった。小首をひねると、セルンは姿勢を正して、言葉をつづけた。

「いや、とにかく! まだ結婚してないんだから、まじで気にするな。少なくとも、オレはお嬢が悪いとこれっぽっちも思ってないから、もう悩むのやめようぜ?」

 まだ結婚していないから悩まなくてもいい。そういうものなのかな……。
 でも、仮にキウスと結婚することになっても、多分私はニロのことが……。

<なにがあってもセルンは私の傍にいてくれる?>

 不安げにそう問うと、

「あったりまえだろ?」

 迷うことなくセルンは即答してくれた。

 そして嘘ではないと訴えてくるその真顔をみて、胸がポカポカと暖かくなった。
 ただの護衛ではない。やっぱりセルンは特別だ……って、え?

 礼を書き記そうと手を動かしかけた時、突然セルンの胸に引き寄せられた。

「……この鼓動を聞こえるかい、お嬢?」




 鼓動……? と不思議がった刹那、ドクンドクン、と密着している耳に脈打つ心臓の音が鳴り響いた。時を同じにして、頭上に柔らかいものを押し当てられ、かっと頬に熱が持ちあがる。

 き、急になに…っ
 当惑していると、セルンの柔らかい声がふってきた。

「オレはお嬢に心臓を誓ったからさ。いやでも死ぬ時まで一緒にいるよ」

 な、なるほど。そういうことね。……びっくりしたわ。

 セルンは私に心臓を誓ったから、なにがあっても私の傍にいてくれる。
 束縛しているようで申し訳ないけれど、これ以上心強いことはないわ。

「あり、がとう。……セルン」

 頑張って声をだした。

「いいんだよ」

 そう呟くと、セルンは私の頭をなでてから、しばらくその上に唇を重ねた。
 
 セルンにとって、私はまだまだ子どもに見えるから、こんなことをしているのだろう。少し過保護な部分もあるが、セルンは心底から私を大事に思ってくれる。

 ニロのことで彼に呆れられると本気で悩んでいたのがバカみたいだ。

 もっと早くセルンに打ち明ければよかったと、安堵が胸いっぱいに広がった。

 安らぎを覚え深く息を吸うと、どこからともなく甘美な香りが空気の中に混じった。これはセルンの匂いだ……甘いのになんだか落ち着くわ。
 このままずっと彼に頼り続けてもいいのかな……? 

 三日もちゃんと眠れなかったせいか、セルンの腕の中ですっかり気持ちよくなった。そうして、船体に打ち付ける波の心地いい音に耳を澄ませながら重たい瞼を閉じた。

しおりを挟む

処理中です...