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怪我の功名
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*******【エバン・ユジン・チャールズ】
「……うっ、いてぇ……」
湿った藁から身を起こして、茫然と後ろ頸をなでた。
「ん? なんだ、ここ……ゔっ、くっせぇ!」
鼻をつく悪臭に思わず顔をゆがめた。これは尿糞の匂い……うわぁ、気持ち悪っ!
床にたまっている液体を避けつつ、ゆっくりと立ち上がった。
ここは牢屋……?
しかも空気の流れを感じないから、おそらく地下の牢屋だ。
壁にかけてあるともし火を頼りに、あたりを見まわした。
「なぜこの俺がこんなところに……」
「……粗末な部屋だが、昨夜はよく眠れたか、エバン卿」
突然門の向こうから声が響いた。
驚いて狭い鉄格子の間を覗きこめば、射るように俺を見つめてくる銀色の瞳と目があった。
「ニロでん……あぁっ、そうだ! この裏切り王子め! テワダプドルと密通して我が国に戦争をしかけてくるつもりだろうが、この俺に知られたのが運の尽き。お前の息の根を絶たれなかったのが残念だが、王国の思い通りにさせてたまるか! 俺が生きている限り、かならずやこの情報を陛下に届けて、王国ごとお前をつぶしてみせる!」
鉄格子を強く揺らしてそう威嚇したが、ニロ王子は神色自若として、俺をじっと見つめた。
「……ふむ。なるほど。そういうことか。その発想と度胸を褒めてあげよう、エバン卿。噂どおりで、さすがだな」
「噂どおり……あ、まさか、俺のことを調べたのかっ! ああ、そうか。悪い噂で俺を脅すつもりだな! 言っておくが、それは無駄だ。俺の周りにいるやつはみんな口が硬い。いくら調べようがなにも出てこないはずだ!」
社交の場で一度も女と踊れない半人前の王子がこの俺を脅そうとは。ふん! 笑わせてくれる。
「まあ、そう焦るな、エバン卿。チャールズ公爵家唯一の嫡子である其方のことだ。風聞など、調べなくても自然と耳に入る。ただそうだな。噂以上の無鉄砲ぶりに、さすがの余も驚かされたな」
膝の上に両手の指を組んだまま、ニロ王子がそう返してきた。
まったく怯まない。
なんだ、この王子の余裕は……?
もしかして、俺を捕らえているから安心しているのか?
ふん、ふははははっ! そういうことか。なら状況を分からせてやればいい!
「なあ、このまま俺をここに監禁すれば大丈夫だと思ってんだろう、ニロ王子? だがな、一ヶ月後に俺が国へ帰らなければ、異変に気づく父上が必ず調査する。王国の陰謀が暴かれるのも時間の問題だ」
「ふむ、そうだな。これは困った」
そう呟くと、ニロ王子は軽くため息をつき、俯いた。
ふん、やっと自分の立場がわかってきたのか。
よし、これはいけるっ
「なあ、ニロ王子。どの道王国はもう終わりだ。素直に俺をここから出してすべてを話してくれれば、王子の命くらいは助けてやるよ?」
パレードで王子の首を取り損ねて捕まえられてしまった。だが、この窮地を逆手にもっともっと有利な情報を手に入れればいい。
只者では決して真似できない。この頭の回転の速さ!
ああ、やはり俺は天才だ!
しばらく口を噤んだ王子が、ゆっくりと目を開けて俺を見た。
やっと観念したのか?
「エバン卿。余は其方の死を望んでいるわけではないのだが、これはどうも仕方ないようだな」
「……はぁ?」
なに言ってんだ、この王子は?
まさか、俺を殺せばいいと思ってんのか? あぁ、ふざけんなよ、おい。めんどくせな、どんだけバカなんだよ、お前は!
「ちぃ」
舌打ちを一つしてから、鉄格子をぐっと掴んだ。
「だーかーらー、いずれ父上が俺の失踪の調査を行う。その時唯一の後継ぎである俺が殺されていたら、父上が黙るはずがないだろ! そうなればお前もお前の国も絶対に助からない。分かったか、おい?」
「ふぅん、どうやら其方はチャールズ公爵殿と王国の関係をまだ教えてもらえなかったようだな」
「あぁ? 父上と王国の関係……?」
「ふむ、この際余がすべてを教えてやるとしよう、エバン卿。実は十数年も前から、公爵殿は王国と手を組み、武力でエドワード王から王位を奪おうと計画していたのだ」
「……え?」
予想外すぎる話に思わず間抜けな声を上げてしまった。
父上と王国がぐるになって陛下から王位を奪う……はぁ⁇
「しかと聞き、そして考えたまえ、エバン卿。嘘か誠か。明敏な其方であればすぐに判断できるであろう」
まだ反応できない俺に、王子が真剣な口調で説明を始めた。
その話によれば、今まで酒と女に耽溺するエドワード王は、歳費のみではなく、他の公爵、伯爵にも借金をしている。
無理な増税策でなんとか黒字ギリギリに収めているが、民の不満は爆発する寸前。
私生活が乱れている陛下は謁見も仕事もできないほど、いつも酔っ払っている。
その代わり、裏で父上が政務を任されてきたのだ。そして当然だが、国外の饗宴も父上が参加することになり、その付き添いで俺も何度か王国に行ったのだ。
陛下の浪費ぶりに父上が困り果てていると知り、王国の貴族が父上にこの話を持ちかけたらしい。
いま思えば、父上は王国のどんな小さな宴会にでも必ず参加した。俺はめんどくさくなってついていくのやめたが、あの宴会自体は父上と王国の情報共有のためのメクラマシだったというのか……っ
しかし、情報の共有が事実だとしても、父上が十数年も前から方々に手を回して王国の密偵をかくまってきたというのはウソだ。
だってあの体面を重んじる父上があからさまに国を裏切ることをするはずが……いや、待ってよ。
たしかに12年前、俺に剣技の稽古をつけてもらうと言って、父上が突然知らない剣士を屋敷に連れて帰ってきた。
その教え方が無茶苦茶すぎて、俺はすぐにやめた。
その後、父上が彼の腕を高く評価して、その出身を調べないまま我が屋敷の護衛長として正式に雇ったのだ。
素性をよく知らないやつにそんな重役を任せるなんて馬鹿げていると俺は思った。だが、もし王子の言うことが真実であれば、いろんなつじつまがあう。
そういえば、父上が王国へ行く時、必ず彼を同行させたな。それはそういうことだったのか……はっ!
となれば、彼が孤児院から拾ってきて、密かに育て上げたフィンも王国の密偵……っ
そう気づいた瞬間、おぞましい衝撃が俺の全身を貫いた。
「父上が俺ではなく、フィンを戦士長に押し上げたのもこの計画のため……」
王子は嘘を言っていない。父上は本当に王国と密通しているんだ……!
凍りつく俺を見て、ニロ王子は一瞬だけ意外そうな表情を浮かべた。
「ふむ。十年以上の時をかけたこの計画は、フィンの叙任式をもって正式に動き出したのだ。実は数週間も前から、王国はプロテモロコに騎士団を派遣した。多数の目撃情報をつくるのが目的だ」
「あぁっ、我が国の領土付近を移動する怪しい騎士の軍団! 俺がここにくる前、宮廷内はその話で持ちきりだった! それでフィンが兵隊を動員して王都から出た……」
「ああ、その兵隊たちは全員エドワード王派閥の兵士で構成されている。その際、王都に残るのは公爵派閥の兵士のみ。その時を狙って、武力でエドワード王に王位を放棄させ、初の女王としてキャサリン姫を即位させるつもりだ」
「幼いキャサリン姫を? ……いや、待って。たとえそれで陛下を退位させることができても、王国騎士団が無断でプロテモロコに侵入する件は解決されない。まさか、何事もなかったかのように許されると思ってないだろな!」
身を乗りだす勢いで鉄格子をさらに強く掴んだ。
領土の侵害を軽々しく許せば、父上が疑われてしまう。
もしかして王国はそれを狙っているのか……⁈
「ふむ。そう案ずるな、エバン卿。騎士団はそこの森にひそんでいる複数の山賊の討伐任務を任されている。そしてその任務を了承するエドワード王の判子がついている書類も所持しているのだ。もちろん、これは公爵殿が了承したもので、エドワード王はそれを知らない」
動揺することなくニロ王子が淡々と説明を続けた。
「な、なるほど。すべては王派閥の軍を王都から移動させるための芝居ってことか……」
ここまで考えていたとは……! やるじゃないか、父上。
圧倒されて息を呑む俺に、ニロ王子が「ふむ」と頷いた。
「のちに其方がキャサリン姫と結婚すれば、公爵家は堂々と王政の実権を握ることができる。すべてが終われば、王国との条約を改正してくれるという約束だ」
「姫と結婚……つまりこの俺が、王になる……っ!」
強い酒を一口であおったように、身体の芯から熱く燃えあがった。
大いに興奮した俺と真逆な様子で、ニロ王子は顔色ひとつ変えなかった。
「其方とここで会った時、余は不思議で不思議で仕方なかったのだ、エバン卿。しかしこうして話を聞き、余は確信した。どうやら、公爵殿は其方の死を望んでいるようだ。不本意だが、ここで其方を始末させてもらう」
「…… 父上が俺の死を望む? ふっ、フハハハハッ! いい加減な冗談だな、ニロおうじ……いや、殿下。俺はチャールズ家唯一の後継ぎですよ? それに、俺が死ねば計画自体がダメになってしまいます。そうなれば、殿下も困りますよね? あぁ、そうですか。ニロ殿下はパレードのことをまだ怒っているのですね。それで俺を脅しているのですか? あぁ、わかりました。謝ります、悪かったです。これで満足ですか?」
話の意図を察して口調を変えて煽てあげたが、ニロ王子の表情はピクリとも動かなかった。
「計画どおりならば、1週間後、其方は公爵殿と共に王城に突入することになっているのだ。されど、其方はこんなところにいる。しかも、計画をまったく知らされないまま。それは何故だと思う?」
王子にそう聞かれ、ふいに胸がドキッとした。
「そ、それは……父上が忙しくて、俺に言いそびれ──」
「10年間も、ずっとか?」
ニロ王子は押しかぶせるように疑問を投げかけてきた。
何が言いたいんだ、この王子は……?
困惑する俺を見つめながら、王子が声を発した。
「条約が改正される前に、余がここにいることを公に知られたら大変なことになってしまう。公爵殿はそれを分かった上で、事情を知らない其方を送り込んできた。パレードで必ず其方は余を目にする。其方がその情報を持って帰れば、王国が条約を違反したとして、罰金が発生する」
なるほど。それで父上は王国から金を取ろうとしてんのか。
俺がそう納得した途端、ニロ王子が再び言葉を紡ぎ出した。
心なしか一瞬だけその銀色の目が光ったように見えた。
「しかし、公爵殿は其方の父親だ。其方が余を見かけて、襲いかかってくることくらい予想のうちであろう」
「父上が……?」
たしかに、父上は俺の性格をよく知っている。
しかし、父上が王国と手を組んでるのに、なぜ俺に王子を襲って欲しかったのだ……?
「単純なことだ、エバン卿。衛兵も付けずに、公爵殿は其方を一人でここに来させた。其方が余の護衛に押さえられるように仕向けるためであろう」
「ど、どいうことですか……?」
数秒ほど沈黙してから、俺を真っ直ぐに見つめたままニロ王子が続けた。
「明敏な其方のことだ、エバン卿。余が説明しなくても分かるであろう。このまま其方を解放すれば、王国はプロテモロコに多大な違約金を支払わなければならなくなる。だが幸いなことに、この国は王国の味方だ。其方を始末して、その失踪で調査が入っても情報は出ない。王国の損得を考慮して余がそう出ると、公爵殿も無論見通しているであろう」
地を這うような冷たい声だった。
これは冗談……だろ?
一寸も揺れなかった王子の瞳を見て、背筋にゾクゾクと寒気が走った。
この王子は本気だ……!
「ち、ちょっと待ってくださいよ、ニロ殿下! 俺はチャールズ家唯一の後継ぎですよ? 父上がそんな俺の死を望むなんて、悪い冗談はやめてくださいよ。ああ、分かりました。父上が王国から違約金を取ろうとするのは気に食わないのですね。安心してください。俺はニロ殿下の味方です。殿下をここで見たことを決して口外しないと約束、いや、誓いましょう。これでいいですか?」
精一杯の笑顔でそう言ったが、声が少しだけ顫えてしまった。
「唯一の後継ぎ……ふむ。表向きではそうであるが、公爵殿は其方以外にも数名の庶子がいるはずだ。そして余の情報が間違いでなければ、公爵殿は其方よりもそちらの方々を気に入っている。ちがうか?」
バクンと心臓が強く跳ねた。
王子の言葉を聞いて、自分の顔から血の気が引いていくのがよく分かった。
正妻の子である俺よりも遥かに有能だと噂され、父上は昔から庶子のほうを可愛がってきた。これは事実だ。
でも、俺の母親の実家は裕福な侯爵家。この俺を差し置いて庶子を嫡子にするなど……はっ! そうか。
王国の利益を選びニロ王子が俺を殺せば、父上は手を汚すことなく俺を排除できる。最初からそれを狙って、無理やり俺をこの国に来させたのか……!
こうまでして、俺が邪魔だって言うのか。
俺より、庶子ばっかり褒めたたえて……っ
恐怖と憤怒からガクガクと足を震わせて、ガツンガツンと扉を叩いた。
「なんで、だ……。なんでだ、なんでだっ、父上! 俺の何がそんなに気に食わないんだ‼︎」
胸底に募っていた孤独と劣等感が沸騰して、激しい怒声と化す。
そうしてしばらく怒鳴り、泣き叫んだ。
どのくらい時間がたったのだろうか。身も心も疲れ果てたところで、王子の声がまた響いた。
「先ほども言ったとおり、余は其方の死を望んでいるわけではない。遺憾千万な結果であるが、これはやむを得ない。それではさよならだ、エバン卿」
「──ま、待ってくれ! ニロ殿下!」
立ち去ろうとする王子を必死に呼びとめた。
「俺は死んでも殿下と会ったことを漏らさないから、見逃してくれ!」
ぶざまだと自分でも分かっている。でもそれがなんだっていうんだ!
俺はまだ生きていたい。寿命まで生きていきたいんだ……っ
「俺はここを去る。プロテモロコにも戻らない! 何でもするから、俺を見捨てないでくれ!」
ガクンと腰を落とし、地面に伏せた。
茶色い液体が髪の毛に粘りつくが、いまはそんなことをかまう余裕などない。
「頼むよぉ……っ」
このままでは確実に殺される。
氷が張ったような静寂が続いた。
そんな中、俺は王子の足音が遠さがっていかないことをひたすら神に願った。
「……顔を上げたまえ、エバン卿」
「は、はいっ!」
おそるおそる見上げると、先ほどの冷たい表情は既に消えて、ニロ王子は困ったような顔をしていた。
「余も鬼ではないのだ。其方の家庭内の事情はともあれ、王国が損しなければ、其方を助けてもよかろう」
「ほ、本当ですか……⁈」
「ふむ。其方が余の提案を聞き入れ──」
「──聞きますっ! なんでも聞きますから、どうかお願いします!」
悲鳴に近い声を上げると、ニロ殿下は温かい微笑みを見せてくれた。
「ふむ。いい心構えだ、エバン卿。ではさっそくだが、手を動かしてもらうとしよう」
「う、ぐぅ……はいっ。ありがとうございます、ありがとうございます……ニロ殿下!」
ほっと安堵して、涙が後から後から溢れ出た。
これで助かる。これで死なずにすむんだ……っ
それからニロ殿下の助言にしたがって、俺はせっせと筆を走らせた。
「……うっ、いてぇ……」
湿った藁から身を起こして、茫然と後ろ頸をなでた。
「ん? なんだ、ここ……ゔっ、くっせぇ!」
鼻をつく悪臭に思わず顔をゆがめた。これは尿糞の匂い……うわぁ、気持ち悪っ!
床にたまっている液体を避けつつ、ゆっくりと立ち上がった。
ここは牢屋……?
しかも空気の流れを感じないから、おそらく地下の牢屋だ。
壁にかけてあるともし火を頼りに、あたりを見まわした。
「なぜこの俺がこんなところに……」
「……粗末な部屋だが、昨夜はよく眠れたか、エバン卿」
突然門の向こうから声が響いた。
驚いて狭い鉄格子の間を覗きこめば、射るように俺を見つめてくる銀色の瞳と目があった。
「ニロでん……あぁっ、そうだ! この裏切り王子め! テワダプドルと密通して我が国に戦争をしかけてくるつもりだろうが、この俺に知られたのが運の尽き。お前の息の根を絶たれなかったのが残念だが、王国の思い通りにさせてたまるか! 俺が生きている限り、かならずやこの情報を陛下に届けて、王国ごとお前をつぶしてみせる!」
鉄格子を強く揺らしてそう威嚇したが、ニロ王子は神色自若として、俺をじっと見つめた。
「……ふむ。なるほど。そういうことか。その発想と度胸を褒めてあげよう、エバン卿。噂どおりで、さすがだな」
「噂どおり……あ、まさか、俺のことを調べたのかっ! ああ、そうか。悪い噂で俺を脅すつもりだな! 言っておくが、それは無駄だ。俺の周りにいるやつはみんな口が硬い。いくら調べようがなにも出てこないはずだ!」
社交の場で一度も女と踊れない半人前の王子がこの俺を脅そうとは。ふん! 笑わせてくれる。
「まあ、そう焦るな、エバン卿。チャールズ公爵家唯一の嫡子である其方のことだ。風聞など、調べなくても自然と耳に入る。ただそうだな。噂以上の無鉄砲ぶりに、さすがの余も驚かされたな」
膝の上に両手の指を組んだまま、ニロ王子がそう返してきた。
まったく怯まない。
なんだ、この王子の余裕は……?
もしかして、俺を捕らえているから安心しているのか?
ふん、ふははははっ! そういうことか。なら状況を分からせてやればいい!
「なあ、このまま俺をここに監禁すれば大丈夫だと思ってんだろう、ニロ王子? だがな、一ヶ月後に俺が国へ帰らなければ、異変に気づく父上が必ず調査する。王国の陰謀が暴かれるのも時間の問題だ」
「ふむ、そうだな。これは困った」
そう呟くと、ニロ王子は軽くため息をつき、俯いた。
ふん、やっと自分の立場がわかってきたのか。
よし、これはいけるっ
「なあ、ニロ王子。どの道王国はもう終わりだ。素直に俺をここから出してすべてを話してくれれば、王子の命くらいは助けてやるよ?」
パレードで王子の首を取り損ねて捕まえられてしまった。だが、この窮地を逆手にもっともっと有利な情報を手に入れればいい。
只者では決して真似できない。この頭の回転の速さ!
ああ、やはり俺は天才だ!
しばらく口を噤んだ王子が、ゆっくりと目を開けて俺を見た。
やっと観念したのか?
「エバン卿。余は其方の死を望んでいるわけではないのだが、これはどうも仕方ないようだな」
「……はぁ?」
なに言ってんだ、この王子は?
まさか、俺を殺せばいいと思ってんのか? あぁ、ふざけんなよ、おい。めんどくせな、どんだけバカなんだよ、お前は!
「ちぃ」
舌打ちを一つしてから、鉄格子をぐっと掴んだ。
「だーかーらー、いずれ父上が俺の失踪の調査を行う。その時唯一の後継ぎである俺が殺されていたら、父上が黙るはずがないだろ! そうなればお前もお前の国も絶対に助からない。分かったか、おい?」
「ふぅん、どうやら其方はチャールズ公爵殿と王国の関係をまだ教えてもらえなかったようだな」
「あぁ? 父上と王国の関係……?」
「ふむ、この際余がすべてを教えてやるとしよう、エバン卿。実は十数年も前から、公爵殿は王国と手を組み、武力でエドワード王から王位を奪おうと計画していたのだ」
「……え?」
予想外すぎる話に思わず間抜けな声を上げてしまった。
父上と王国がぐるになって陛下から王位を奪う……はぁ⁇
「しかと聞き、そして考えたまえ、エバン卿。嘘か誠か。明敏な其方であればすぐに判断できるであろう」
まだ反応できない俺に、王子が真剣な口調で説明を始めた。
その話によれば、今まで酒と女に耽溺するエドワード王は、歳費のみではなく、他の公爵、伯爵にも借金をしている。
無理な増税策でなんとか黒字ギリギリに収めているが、民の不満は爆発する寸前。
私生活が乱れている陛下は謁見も仕事もできないほど、いつも酔っ払っている。
その代わり、裏で父上が政務を任されてきたのだ。そして当然だが、国外の饗宴も父上が参加することになり、その付き添いで俺も何度か王国に行ったのだ。
陛下の浪費ぶりに父上が困り果てていると知り、王国の貴族が父上にこの話を持ちかけたらしい。
いま思えば、父上は王国のどんな小さな宴会にでも必ず参加した。俺はめんどくさくなってついていくのやめたが、あの宴会自体は父上と王国の情報共有のためのメクラマシだったというのか……っ
しかし、情報の共有が事実だとしても、父上が十数年も前から方々に手を回して王国の密偵をかくまってきたというのはウソだ。
だってあの体面を重んじる父上があからさまに国を裏切ることをするはずが……いや、待ってよ。
たしかに12年前、俺に剣技の稽古をつけてもらうと言って、父上が突然知らない剣士を屋敷に連れて帰ってきた。
その教え方が無茶苦茶すぎて、俺はすぐにやめた。
その後、父上が彼の腕を高く評価して、その出身を調べないまま我が屋敷の護衛長として正式に雇ったのだ。
素性をよく知らないやつにそんな重役を任せるなんて馬鹿げていると俺は思った。だが、もし王子の言うことが真実であれば、いろんなつじつまがあう。
そういえば、父上が王国へ行く時、必ず彼を同行させたな。それはそういうことだったのか……はっ!
となれば、彼が孤児院から拾ってきて、密かに育て上げたフィンも王国の密偵……っ
そう気づいた瞬間、おぞましい衝撃が俺の全身を貫いた。
「父上が俺ではなく、フィンを戦士長に押し上げたのもこの計画のため……」
王子は嘘を言っていない。父上は本当に王国と密通しているんだ……!
凍りつく俺を見て、ニロ王子は一瞬だけ意外そうな表情を浮かべた。
「ふむ。十年以上の時をかけたこの計画は、フィンの叙任式をもって正式に動き出したのだ。実は数週間も前から、王国はプロテモロコに騎士団を派遣した。多数の目撃情報をつくるのが目的だ」
「あぁっ、我が国の領土付近を移動する怪しい騎士の軍団! 俺がここにくる前、宮廷内はその話で持ちきりだった! それでフィンが兵隊を動員して王都から出た……」
「ああ、その兵隊たちは全員エドワード王派閥の兵士で構成されている。その際、王都に残るのは公爵派閥の兵士のみ。その時を狙って、武力でエドワード王に王位を放棄させ、初の女王としてキャサリン姫を即位させるつもりだ」
「幼いキャサリン姫を? ……いや、待って。たとえそれで陛下を退位させることができても、王国騎士団が無断でプロテモロコに侵入する件は解決されない。まさか、何事もなかったかのように許されると思ってないだろな!」
身を乗りだす勢いで鉄格子をさらに強く掴んだ。
領土の侵害を軽々しく許せば、父上が疑われてしまう。
もしかして王国はそれを狙っているのか……⁈
「ふむ。そう案ずるな、エバン卿。騎士団はそこの森にひそんでいる複数の山賊の討伐任務を任されている。そしてその任務を了承するエドワード王の判子がついている書類も所持しているのだ。もちろん、これは公爵殿が了承したもので、エドワード王はそれを知らない」
動揺することなくニロ王子が淡々と説明を続けた。
「な、なるほど。すべては王派閥の軍を王都から移動させるための芝居ってことか……」
ここまで考えていたとは……! やるじゃないか、父上。
圧倒されて息を呑む俺に、ニロ王子が「ふむ」と頷いた。
「のちに其方がキャサリン姫と結婚すれば、公爵家は堂々と王政の実権を握ることができる。すべてが終われば、王国との条約を改正してくれるという約束だ」
「姫と結婚……つまりこの俺が、王になる……っ!」
強い酒を一口であおったように、身体の芯から熱く燃えあがった。
大いに興奮した俺と真逆な様子で、ニロ王子は顔色ひとつ変えなかった。
「其方とここで会った時、余は不思議で不思議で仕方なかったのだ、エバン卿。しかしこうして話を聞き、余は確信した。どうやら、公爵殿は其方の死を望んでいるようだ。不本意だが、ここで其方を始末させてもらう」
「…… 父上が俺の死を望む? ふっ、フハハハハッ! いい加減な冗談だな、ニロおうじ……いや、殿下。俺はチャールズ家唯一の後継ぎですよ? それに、俺が死ねば計画自体がダメになってしまいます。そうなれば、殿下も困りますよね? あぁ、そうですか。ニロ殿下はパレードのことをまだ怒っているのですね。それで俺を脅しているのですか? あぁ、わかりました。謝ります、悪かったです。これで満足ですか?」
話の意図を察して口調を変えて煽てあげたが、ニロ王子の表情はピクリとも動かなかった。
「計画どおりならば、1週間後、其方は公爵殿と共に王城に突入することになっているのだ。されど、其方はこんなところにいる。しかも、計画をまったく知らされないまま。それは何故だと思う?」
王子にそう聞かれ、ふいに胸がドキッとした。
「そ、それは……父上が忙しくて、俺に言いそびれ──」
「10年間も、ずっとか?」
ニロ王子は押しかぶせるように疑問を投げかけてきた。
何が言いたいんだ、この王子は……?
困惑する俺を見つめながら、王子が声を発した。
「条約が改正される前に、余がここにいることを公に知られたら大変なことになってしまう。公爵殿はそれを分かった上で、事情を知らない其方を送り込んできた。パレードで必ず其方は余を目にする。其方がその情報を持って帰れば、王国が条約を違反したとして、罰金が発生する」
なるほど。それで父上は王国から金を取ろうとしてんのか。
俺がそう納得した途端、ニロ王子が再び言葉を紡ぎ出した。
心なしか一瞬だけその銀色の目が光ったように見えた。
「しかし、公爵殿は其方の父親だ。其方が余を見かけて、襲いかかってくることくらい予想のうちであろう」
「父上が……?」
たしかに、父上は俺の性格をよく知っている。
しかし、父上が王国と手を組んでるのに、なぜ俺に王子を襲って欲しかったのだ……?
「単純なことだ、エバン卿。衛兵も付けずに、公爵殿は其方を一人でここに来させた。其方が余の護衛に押さえられるように仕向けるためであろう」
「ど、どいうことですか……?」
数秒ほど沈黙してから、俺を真っ直ぐに見つめたままニロ王子が続けた。
「明敏な其方のことだ、エバン卿。余が説明しなくても分かるであろう。このまま其方を解放すれば、王国はプロテモロコに多大な違約金を支払わなければならなくなる。だが幸いなことに、この国は王国の味方だ。其方を始末して、その失踪で調査が入っても情報は出ない。王国の損得を考慮して余がそう出ると、公爵殿も無論見通しているであろう」
地を這うような冷たい声だった。
これは冗談……だろ?
一寸も揺れなかった王子の瞳を見て、背筋にゾクゾクと寒気が走った。
この王子は本気だ……!
「ち、ちょっと待ってくださいよ、ニロ殿下! 俺はチャールズ家唯一の後継ぎですよ? 父上がそんな俺の死を望むなんて、悪い冗談はやめてくださいよ。ああ、分かりました。父上が王国から違約金を取ろうとするのは気に食わないのですね。安心してください。俺はニロ殿下の味方です。殿下をここで見たことを決して口外しないと約束、いや、誓いましょう。これでいいですか?」
精一杯の笑顔でそう言ったが、声が少しだけ顫えてしまった。
「唯一の後継ぎ……ふむ。表向きではそうであるが、公爵殿は其方以外にも数名の庶子がいるはずだ。そして余の情報が間違いでなければ、公爵殿は其方よりもそちらの方々を気に入っている。ちがうか?」
バクンと心臓が強く跳ねた。
王子の言葉を聞いて、自分の顔から血の気が引いていくのがよく分かった。
正妻の子である俺よりも遥かに有能だと噂され、父上は昔から庶子のほうを可愛がってきた。これは事実だ。
でも、俺の母親の実家は裕福な侯爵家。この俺を差し置いて庶子を嫡子にするなど……はっ! そうか。
王国の利益を選びニロ王子が俺を殺せば、父上は手を汚すことなく俺を排除できる。最初からそれを狙って、無理やり俺をこの国に来させたのか……!
こうまでして、俺が邪魔だって言うのか。
俺より、庶子ばっかり褒めたたえて……っ
恐怖と憤怒からガクガクと足を震わせて、ガツンガツンと扉を叩いた。
「なんで、だ……。なんでだ、なんでだっ、父上! 俺の何がそんなに気に食わないんだ‼︎」
胸底に募っていた孤独と劣等感が沸騰して、激しい怒声と化す。
そうしてしばらく怒鳴り、泣き叫んだ。
どのくらい時間がたったのだろうか。身も心も疲れ果てたところで、王子の声がまた響いた。
「先ほども言ったとおり、余は其方の死を望んでいるわけではない。遺憾千万な結果であるが、これはやむを得ない。それではさよならだ、エバン卿」
「──ま、待ってくれ! ニロ殿下!」
立ち去ろうとする王子を必死に呼びとめた。
「俺は死んでも殿下と会ったことを漏らさないから、見逃してくれ!」
ぶざまだと自分でも分かっている。でもそれがなんだっていうんだ!
俺はまだ生きていたい。寿命まで生きていきたいんだ……っ
「俺はここを去る。プロテモロコにも戻らない! 何でもするから、俺を見捨てないでくれ!」
ガクンと腰を落とし、地面に伏せた。
茶色い液体が髪の毛に粘りつくが、いまはそんなことをかまう余裕などない。
「頼むよぉ……っ」
このままでは確実に殺される。
氷が張ったような静寂が続いた。
そんな中、俺は王子の足音が遠さがっていかないことをひたすら神に願った。
「……顔を上げたまえ、エバン卿」
「は、はいっ!」
おそるおそる見上げると、先ほどの冷たい表情は既に消えて、ニロ王子は困ったような顔をしていた。
「余も鬼ではないのだ。其方の家庭内の事情はともあれ、王国が損しなければ、其方を助けてもよかろう」
「ほ、本当ですか……⁈」
「ふむ。其方が余の提案を聞き入れ──」
「──聞きますっ! なんでも聞きますから、どうかお願いします!」
悲鳴に近い声を上げると、ニロ殿下は温かい微笑みを見せてくれた。
「ふむ。いい心構えだ、エバン卿。ではさっそくだが、手を動かしてもらうとしよう」
「う、ぐぅ……はいっ。ありがとうございます、ありがとうございます……ニロ殿下!」
ほっと安堵して、涙が後から後から溢れ出た。
これで助かる。これで死なずにすむんだ……っ
それからニロ殿下の助言にしたがって、俺はせっせと筆を走らせた。
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