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第二章 時空穿孔船
《楼蘭》の町
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日本基地の居住区を離れると、一見中華街を思わせる混沌とした街が広がっている。
あたしが踏み込んだとき、ちょうど大道芸人がコメディジャグリングを披露し、周囲に見物人が群がっていた。
大道芸を横目にあたしはその場を通り過ぎる。
しばらく進むと、美味しそうな臭いがあたしの鼻腔をくすぐる。匂いはこの先の屋台横丁から漂ってくるのだ。
角を曲がると東南アジア風の屋台が並んだ通りが目の前に現れる。
小惑星《楼蘭》の街は、狭い渓谷の中にあった。
かつてシルクロードに栄えたオアシス都市の名前を与えられたこの小惑星は、宇宙条約によって国家が領有する事は許されず国連の統治下にあった。
そのためにどの国の人間も自由に入ることが許され、様々な人種が住みつくようになり、僅か数年の間に雑多な文化が入り混じった混沌な雰囲気を漂わせる街が、断崖に囲まれた幅百メートル長さ数キロの渓谷の中に形成されていった。
なんでこんな狭苦しいところに街を作らなきゃならないのかというと、この小惑星の特徴が関係してくる。
この小惑星も昔は普通のカイパーベルト天体だったらしい。つまり、彗星の卵のような水の氷を主成分としていたのだ。
それが遥かな昔にマイクロブラックホールと遭遇してそれを取り込んでしまった。
ブラックホールは《楼蘭》を少しずつ吸収していく一方、その発熱によって揮発成分が少しずつ失われていった。
そしていつしか珪酸塩などを主成分とする現在の《楼蘭》が出来上がったわけだ。
元はどのぐらいの大きさだったかは知らないが現在の《楼蘭》は平均半径二十キロ。
その平均半径から数キロ程掘り下げた辺りは重力がちょうど一Gになっている。だから、ここを発見後、深い溝が縦横無尽に掘りまくられ、その谷底がちょうど一気圧になるような人工の大気圏が作られた。
ちょっとしたテラフォーミングだ。
こうしてできた居住可能地帯もほとんどは国際宇宙機関やCFC(コズミック・フロンテァ・カンパニー)などの宇宙開発企業、米国やユーロ、ロシア、中国、インドそして日本など各国宇宙機関の居住スペースに割り当てられ、余ったパブリックスペースにこの街が出来上がったわけだ。
狭いけど、あたしは結構この街が気に入っている。
《楼蘭》に赴任してから三年、この街で友達もできたし、料理だって基地の居住区にある食堂よりずっと美味い。
それは別にあたしに限った事ではないようだ。他国の宇宙機関の職員たちや、宇宙企業の社員たちも仕事が終わるとこの街に繰り出して食事をし、酒を飲み、大道芸を楽しんでいる。《楼蘭》で働く人たちの憩いの場になっているわけだ。
ただ、最近になって知ったのだが、この一見カオスに見える街は、実は心理学者のアドバイスを元に計画的に作られたものらしい。
何もない宇宙空間にぽつんと浮かぶ小惑星。
そんな環境で長期間生活していたら、人間はどっかおかしくなってしまう。
そこで職員たちが息抜きをできる街をつくろうという事になったようだ。
あたしは屋台横丁の中をしばらく歩きフォーの屋台に入る。馴染みにしている店なので「いつもの」と言うだけで、ここのおじさんは鶏肉入りフォーを出してくれる。
「地球へ帰るそうだね」
フォーの丼をあたしの前に出しながらおじさんは言った。
おしゃべりな職員の誰かが喋ったのだろう。まあ、別に秘密にする事でもないが。
「そうなのよ。仕事がなくなっちゃってさ」
あたしがメタンクラゲの衛星から帰ったあの日、《楼蘭》周辺で七つのワームホールが圧壊した。
圧壊したワームホールの共通点は全てシスター工業製の時空管を使っていたという事。在庫の時空管を調べたところ、シスター工業製すべての時空管の強度が巧妙に偽装されていた事が発覚した。時空管に含まれるエキゾチック物質の量が、規定より十パーセント少なかったのだ。
エキゾチック物質は、重力相互作用が引力ではなく斥力になってる以外は通常のバリオン物質とはなんら変わらない。
時空管と言っても百パーセントエキゾチック物質というわけではなく通常物質も混じっている。重力は電磁力や核力と比べると遥かに弱いので、エキゾチック物質の素粒子と通常物質の素粒子は普通に結合してしまうからだ。
有人調査用時空管の場合、規定では九十パーセント以上エキゾチック物質が含まれている事になっていた。だが、シスター工業の時空管はそれが八十パーセントしか含まれていなかったのだ。
シスター工業の言い分では『調査用の時空管なんてどうせ調査が終わったらすぐに外してしまうんだから、少しぐらい強度が落ちても問題ないだろう』という事なのだが、冗談じゃない。こっちは命を預けているんだ。
まあ、実際にそんな戯言が世の中にまかり通るわけなく、シスター工業の社長は逮捕された。
それはいいのだが、困った事に時空管の市場占有率七割はシスター工業が占めていた。
現在のところ生活・産業用のワームホールは三百近くある。
これに有人調査用も含めるとその数は二千以上。その中でシスター工業製時空管が使われてるワームホールは、全て時空管を架け替えなければならなくなった。
試算ではシスター工業以外の時空管メーカーがフル稼働しても、それだけの量の時空管を製造するには三年かかるという。
つまり、向こう三年間、新しいワームホールを開く余裕はなく、その間あたしら調査官の仕事もないとうわけだ。
隣の席に別の客が座ったのは、二杯目のフォーをお代わりしたときだ。
西洋人の女のようだ。
「牛肉入りフォー一つ」
女の喋ったロシア語を翻訳機がベトナム語に変換するのに数秒のタイムラグがあった。
ちなみにあたしはベトナム語が話せるので、この屋台のおじさんと話すのに翻訳機は必要ない。
女はあたしの方を向いた。
あたしより十センチは高い位置から、青い瞳があたしを見下ろしている。
「こんにちは」
女は翻訳機を使わず日本語で話してきた。
「ズドラストヴィーチ」
あたしも負けずにロシア語で挨拶を返す。
「久しぶりね。佐竹美陽さん」
ん? あたしは相手の顔をまじまじと見た。
このあたしより若干年上の金髪女は、あたしを知ってるのか?
「ええっと、どっかでお会いしましたっけ?」
「忘れたの? 三年前、殺し合いになりかけたというのに」
三年前? ロシア人と殺し合い? と言ったら……
「惑星二一〇三デルタ?」
「そうよ。思い出したかしら?」
忘れるはずがない。あたしが調査官になって初めて調査に行った惑星だ。
天測の結果では、その惑星は地球から二億光年以上は離れている。どの銀河にも所属しない、超空洞に中にポツンと存在するG型恒星を回る七つの惑星の一つだ。
あの時ワームホールは惑星から一万キロほどの距離に開き、あたしは仲間と共にワームホールを抜けて小さなシャトルで惑星に降下した。
しかし、調査は三日で打ち切られた。
原因はロシアの調査隊と遭遇したから。
と、表向きはそうなっている。
あの時、ロシアが開いたワームホールも惑星二一〇三デルタの近くにつながってしまった。ワームホールがどこにつながるかは開いてみないと分からないのだから、そういう事があってもおかしくはないが、滅多にあることではない。
その滅多にない偶然が起きて、あたし達は互いの存在に気がつかないまま同じ惑星を調査していたのだ。
お互いの存在に気がついたのは日本隊が調査を開始して三日目の事。その時に両者の間でちょっとした撃ち合いがあったが、その後はおおむね平和裏に事は収まった。
その後、互いの政府の話し合いで惑星二一〇三デルタの調査は棚上げする事になったという。
「サーシャさんだったかしら?」
「そうよ。サーシャ・アンドレーヴィッチ・イヴァノフ。思い出してくれたかしら?」
どうでもいいけど、ロシア人の名前ってどうしてこう長ったらしいんだろ。
「忘れてはいないけど、あの時はヘルメットかぶってサングラスをかけていたわ」
「ああ! そうでしたわね。失礼しましたわ」
「で、サーシャさんが何の用かしら? それともここへ来たのは偶然?」
「まさか。あなたがここの常連だって聞いたから来たのよ」
「あら、そうだったの。で、何の用かしら? 見ての通り食事中なので手短に願えると嬉しいんだけど」
「ロシア政府から日本政府に、惑星二一〇三デルタの共同調査の提案があった事はご存知かしら?」
「聞いてはいるけど」
「日本政府からの返事が来ないんですけど」
「あたしに聞かれても困るわ」
「日本側は、共同調査に応じられない事情でもあるのかしら?」
「だから、あたしに聞いても無駄だって」
「じゃあ質問を変えるわ。この前、七つのワームホールが圧壊しましたわね」
「ええ」
「惑星二一〇三デルタへつながってるワームホールも、その中の一つじゃないかしら?」
「悪いけど、あたしもあの事故に巻き込まれたのよね。自分が逃げ出すのが精一杯で、他のワームホールの識別番号までチェックしてなかったわ」
不意に、サーシャが懐に手を入れる。
ピストル?
と思ったら出てきたのは携帯端末。そのディスプレイには圧壊した七つのワームホールの識別番号一覧が載っていた。
ち! 用意のいい奴だ。
「この中にあるかしら?」
「あのさあ、あたしこれでも公務員なのよね。守秘義務ってものがあるのよ」
「その反応だけで十分ですね」
ノーコメントはイエスの同義語と言いたいのかな? まあ別にいいけど。どうせお互いあの惑星には手を出せないんだから。
「もう一つ聞きたい事があるわ」
「なあに? スリーサイズなら秘密よ」
あたしの軽口はあっさりとスルーされる。
「三年前、あの惑星で何を見つけたの?」
「守秘義務があると言ったでしょ」
「その様子じゃ見つけていたのね。あれを」
「なんのことかしら?」
「とぼけるつもりね」
ええ、とぼけますよ。言えるわけないじゃない。あの惑星で知的生命体の痕跡を見つけたなんて。
三年前、あたしはあの惑星のジャングルの中で石造りの街を見つけたのだ。
その街は廃墟と化していたが、その担い手はまだどこかにいるはず。だとするなら、この惑星を開発する事はできなくなる。
宇宙条約では「知的生命体の生存する恒星系はその生命体の領域と識別する」と定められている。
つまり、この先いくら惑星を調査しても知的生命体と遭遇した時点ですべてが無駄になる。もちろん、知的生命体と遭遇した事を国連に報告すれば、優先的に交渉する権利は認められるが、こんな未開惑星の住民と交易をしたところで大して得るものもない。
そのぐらいなら、何も見なかったことにして引き上げようと相談しているところへ、あたし達は、ロシア隊と遭遇してしまったのだ。
そのとき、あたし達は遺跡の事はロシア隊に黙っておいて、調査はお互いに延期しようという約束をした。
もちろん、ロシア人がそんな約束を守るなんて思えない。どうせ日本の調査隊が引き上げた後で、調査を続けるだろう。そう思ってあたし達は遺跡の事を黙っておく事にしたのだ。
ロシア隊が知的生命体に遭遇して、そのまま開発を諦めるならそれでよし。もし、知的生命体を蹂躙して開発したなら、すぐさま証拠を揃えて国連に報告するという思惑がこっちにあったのだ。
まあ、やり方が汚いとは思うが、外交なんてこんなもの。
ただ、あの惑星を常に監視していたわけではないから、実際にロシアが調査を続けたかは分からないけど……
「まさかと思うけどさ、日本に黙ってあの惑星を調査してないでしょうね」
と、探りを入れてみる。
「するわけないないでしょ。ロシアを侮辱する気」
「おおコワ」
ううん、嘘をついてるようには見えないけど……いや、分かったものではない。
おじさんがフォーの丼をサーシャの前に置いた。サーシャはぎこちない手つきで箸を使って食べ始める。
無理しないでフォークを使えばいいのに……
「本当に調査してないの? 調査して変なものでも見つけちゃったとか」
「変なもの?」
サーシャは怪訝な表情であたしを見る。
「たとえば知的生命体とか」
あたしはサーシャの顔色を伺った。
呆気に取られた様な顔をするだけで動揺した様子はまったくない。
「馬鹿馬鹿しい! そんなものがいたら開発どころじゃないわ」
そのままサーシャは食事に専念して喋るのをやめた。
やっぱり、あたしの勘ぐりすぎだろうか?
知的生命体には遭遇していないのだろうか?
そもそもこっそり調査したというのも勘ぐりすぎで、ロシアは約束を守って惑星には手を出していないのだろうか?
しかし、そうだとするとサーシャがさっき言っていた『あれ』とはなんのことだろう?
「そうよね。そんなものがいたら大変よね」
もしかすると!? まだ日本隊が見つけなかった何かが……
「一つ聞くけど」
再び、サーシャが口を開いたのはフォーを食べ終わったときだった。
「あのワームホールには、非常用のマーカーは入っているんでしょうね?」
マーカー!?
そういう事か!
日本側のワームホールが使えなくなったか探りに来たわけね。
こっちのワームホールが潰れてしまえば、もうロシアは日本に遠慮する事無く惑星を開発できるというわけだが。
だけどそうはいかない。
ワームホールは確かに潰れてしまったが、もう一度開けないわけじゃないのだ。
「当たり前じゃない。今時、ワームホールにマーカーを入れないわけないでしょ」
ワームホールが潰れた場合、もう一度同じワームホールを開く事はできないと言われている。それは正しいとはいえない。
正しくは、一度潰れて量子サイズにまで小さくなったワームホールをもう一度見つけることはできないだ。
だから、今のワームホールは万が一時空管が圧壊しても、完全に閉じないようにエキゾチック物資の細い棒が差し込まれている。
棒の両端には発信機があり、潰れたワームホールがどこにあるか、いつでも見つけることができる。
そのエキゾチック物資の細い棒をマーカーと言っている。
残念な事に、十六年前にはマーカーはなかった。だから、カペラと地球をつなぐワームホールは今でも開く事ができない。
「じゃあ、ワームホールはいつでも開けるのね?」
サーシャはカードをおじさんに差し出した。
「ええ」
残念だったわね。
「それを聞いて安心しましたわ」
安心? どういう事だ?
サーシャはカードを返してもらうとあたしの方を向き直った。
「ねえ、今回のワームホール圧壊事故。あなたどう思ってらっしゃるの?」
「どうって? 欠陥品の時空管が壊れた。それだけのことよ」
「それだけ? いくら欠陥品だからって、七つも同時に壊れるかしら?」
その事か。
「テロの痕跡は無かったって聞いてるわ」
「無かったじゃなくて、見つけられなかったんじゃないですの?」
そんな事は言われなくても分かっている。ワームホールが七つも同時に圧壊するなんて、どう考えてもおかしい。
しかし、テロの証拠は何も出てこない。
だがテロの可能性も完全に捨て切れたわけではない。が、それをこの女に言うわけにはいかない。
なぜなら容疑者……いや、容疑組織の一つがロシアの諜報機関だからだ。
「佐竹さんじゃないですか?」
路地の雑踏に消えて行くサーシャの後姿を見ている時、背後から突然男性に声をかけられた。
振り向くと中年の白人男性が立っている。
あれ? この人どっかで……!
「マーフィさん!?」
「やあ、どうも」
マーフィさんは帽子を取って丁寧に挨拶する。あたしも立ち上がり頭を下げる。
「先日は本当にありがとうございました。あの後、お礼にも行けなくて本当に申し訳ありませんでした」
「いえいえ、お礼なんてとんでもない。人として当然の事ですよ」
わあ!! なんて紳士的な人。
「ところで怪我されていてた方は大丈夫でしたか?」
「はい。おかげさまで大事には至らなくて済みました」
「それはよかった」
「さっきお見舞いに行ったら、明日には義手と義足を付ける手術をすることになってました」
「そうでしたか」
「ただ……」
「どうかしましたか?」
「あたし、明日、地球に帰らなきゃならなくなったんです。だから、手術には立ち会えません」
「地球へ!? それはまた急ですな。いったいなんでまた?」
「仕事がなくなっちゃったからですわ。仕事がないなら、せめて栗原さんが退院するまでお世話をしたいと言ったんですか、聞き入れてもらえなくて」
「何か新しい仕事があるのではないんですか?」
「分かりませんわ。とにかく宇宙省の方からは、早く帰ってきて出頭しろとの一点張りで」
「大変ですな。ところでさっきここでお話されていた方はロシア基地の方では?」
「ええ。ご存知なんですか?」
「サーシャ・アンドレーヴィッチ・イヴァノフ博士では?」
正直、サーシャから下は覚えてないんですけど……
「ええ、確かそんな名前でした。博士って事は科学者なんですか?」
「時空工学の専門家ですが、お知り合いではなかったのですか?」
「三年前にちょっとした因縁があっただけです。調査に行った惑星で鉢合わせになったんですよ」
「調査にいった惑星? それは二一〇三デルタのことでは?」
「ええ、そうです。よくご存知ですね」
「日本とロシアの紛争地帯として覚えていただけですよ」
「そうでしたか」
「しかし、彼女はなぜあなたに会いに来たんですか?」
「どうもあたしから何かを聞きだしたかったみたいです。何も喋らなかったけど」
「それは賢明な判断です。気をつけてください。彼女には産業スパイの疑いがあります」
「ええ!? そうなんですか?」
「いえ、そういう疑いがあるというだけです。」
「そうですか」
マーフィさんは腕時計に目をやった。
「おお! もうこんな時間だ。それじゃあ、私は仕事に戻りますので、このへんで失礼させて頂きます」
「はい。がんばってください」
マーフィさんが雑踏の中に消えていくまで、あたしは見送っていた。
いけない! マーフィさんがどこの基地の人か聞くの忘れちゃったよ。
たぶんユーロかアメリカと思うけど……
あたしが踏み込んだとき、ちょうど大道芸人がコメディジャグリングを披露し、周囲に見物人が群がっていた。
大道芸を横目にあたしはその場を通り過ぎる。
しばらく進むと、美味しそうな臭いがあたしの鼻腔をくすぐる。匂いはこの先の屋台横丁から漂ってくるのだ。
角を曲がると東南アジア風の屋台が並んだ通りが目の前に現れる。
小惑星《楼蘭》の街は、狭い渓谷の中にあった。
かつてシルクロードに栄えたオアシス都市の名前を与えられたこの小惑星は、宇宙条約によって国家が領有する事は許されず国連の統治下にあった。
そのためにどの国の人間も自由に入ることが許され、様々な人種が住みつくようになり、僅か数年の間に雑多な文化が入り混じった混沌な雰囲気を漂わせる街が、断崖に囲まれた幅百メートル長さ数キロの渓谷の中に形成されていった。
なんでこんな狭苦しいところに街を作らなきゃならないのかというと、この小惑星の特徴が関係してくる。
この小惑星も昔は普通のカイパーベルト天体だったらしい。つまり、彗星の卵のような水の氷を主成分としていたのだ。
それが遥かな昔にマイクロブラックホールと遭遇してそれを取り込んでしまった。
ブラックホールは《楼蘭》を少しずつ吸収していく一方、その発熱によって揮発成分が少しずつ失われていった。
そしていつしか珪酸塩などを主成分とする現在の《楼蘭》が出来上がったわけだ。
元はどのぐらいの大きさだったかは知らないが現在の《楼蘭》は平均半径二十キロ。
その平均半径から数キロ程掘り下げた辺りは重力がちょうど一Gになっている。だから、ここを発見後、深い溝が縦横無尽に掘りまくられ、その谷底がちょうど一気圧になるような人工の大気圏が作られた。
ちょっとしたテラフォーミングだ。
こうしてできた居住可能地帯もほとんどは国際宇宙機関やCFC(コズミック・フロンテァ・カンパニー)などの宇宙開発企業、米国やユーロ、ロシア、中国、インドそして日本など各国宇宙機関の居住スペースに割り当てられ、余ったパブリックスペースにこの街が出来上がったわけだ。
狭いけど、あたしは結構この街が気に入っている。
《楼蘭》に赴任してから三年、この街で友達もできたし、料理だって基地の居住区にある食堂よりずっと美味い。
それは別にあたしに限った事ではないようだ。他国の宇宙機関の職員たちや、宇宙企業の社員たちも仕事が終わるとこの街に繰り出して食事をし、酒を飲み、大道芸を楽しんでいる。《楼蘭》で働く人たちの憩いの場になっているわけだ。
ただ、最近になって知ったのだが、この一見カオスに見える街は、実は心理学者のアドバイスを元に計画的に作られたものらしい。
何もない宇宙空間にぽつんと浮かぶ小惑星。
そんな環境で長期間生活していたら、人間はどっかおかしくなってしまう。
そこで職員たちが息抜きをできる街をつくろうという事になったようだ。
あたしは屋台横丁の中をしばらく歩きフォーの屋台に入る。馴染みにしている店なので「いつもの」と言うだけで、ここのおじさんは鶏肉入りフォーを出してくれる。
「地球へ帰るそうだね」
フォーの丼をあたしの前に出しながらおじさんは言った。
おしゃべりな職員の誰かが喋ったのだろう。まあ、別に秘密にする事でもないが。
「そうなのよ。仕事がなくなっちゃってさ」
あたしがメタンクラゲの衛星から帰ったあの日、《楼蘭》周辺で七つのワームホールが圧壊した。
圧壊したワームホールの共通点は全てシスター工業製の時空管を使っていたという事。在庫の時空管を調べたところ、シスター工業製すべての時空管の強度が巧妙に偽装されていた事が発覚した。時空管に含まれるエキゾチック物質の量が、規定より十パーセント少なかったのだ。
エキゾチック物質は、重力相互作用が引力ではなく斥力になってる以外は通常のバリオン物質とはなんら変わらない。
時空管と言っても百パーセントエキゾチック物質というわけではなく通常物質も混じっている。重力は電磁力や核力と比べると遥かに弱いので、エキゾチック物質の素粒子と通常物質の素粒子は普通に結合してしまうからだ。
有人調査用時空管の場合、規定では九十パーセント以上エキゾチック物質が含まれている事になっていた。だが、シスター工業の時空管はそれが八十パーセントしか含まれていなかったのだ。
シスター工業の言い分では『調査用の時空管なんてどうせ調査が終わったらすぐに外してしまうんだから、少しぐらい強度が落ちても問題ないだろう』という事なのだが、冗談じゃない。こっちは命を預けているんだ。
まあ、実際にそんな戯言が世の中にまかり通るわけなく、シスター工業の社長は逮捕された。
それはいいのだが、困った事に時空管の市場占有率七割はシスター工業が占めていた。
現在のところ生活・産業用のワームホールは三百近くある。
これに有人調査用も含めるとその数は二千以上。その中でシスター工業製時空管が使われてるワームホールは、全て時空管を架け替えなければならなくなった。
試算ではシスター工業以外の時空管メーカーがフル稼働しても、それだけの量の時空管を製造するには三年かかるという。
つまり、向こう三年間、新しいワームホールを開く余裕はなく、その間あたしら調査官の仕事もないとうわけだ。
隣の席に別の客が座ったのは、二杯目のフォーをお代わりしたときだ。
西洋人の女のようだ。
「牛肉入りフォー一つ」
女の喋ったロシア語を翻訳機がベトナム語に変換するのに数秒のタイムラグがあった。
ちなみにあたしはベトナム語が話せるので、この屋台のおじさんと話すのに翻訳機は必要ない。
女はあたしの方を向いた。
あたしより十センチは高い位置から、青い瞳があたしを見下ろしている。
「こんにちは」
女は翻訳機を使わず日本語で話してきた。
「ズドラストヴィーチ」
あたしも負けずにロシア語で挨拶を返す。
「久しぶりね。佐竹美陽さん」
ん? あたしは相手の顔をまじまじと見た。
このあたしより若干年上の金髪女は、あたしを知ってるのか?
「ええっと、どっかでお会いしましたっけ?」
「忘れたの? 三年前、殺し合いになりかけたというのに」
三年前? ロシア人と殺し合い? と言ったら……
「惑星二一〇三デルタ?」
「そうよ。思い出したかしら?」
忘れるはずがない。あたしが調査官になって初めて調査に行った惑星だ。
天測の結果では、その惑星は地球から二億光年以上は離れている。どの銀河にも所属しない、超空洞に中にポツンと存在するG型恒星を回る七つの惑星の一つだ。
あの時ワームホールは惑星から一万キロほどの距離に開き、あたしは仲間と共にワームホールを抜けて小さなシャトルで惑星に降下した。
しかし、調査は三日で打ち切られた。
原因はロシアの調査隊と遭遇したから。
と、表向きはそうなっている。
あの時、ロシアが開いたワームホールも惑星二一〇三デルタの近くにつながってしまった。ワームホールがどこにつながるかは開いてみないと分からないのだから、そういう事があってもおかしくはないが、滅多にあることではない。
その滅多にない偶然が起きて、あたし達は互いの存在に気がつかないまま同じ惑星を調査していたのだ。
お互いの存在に気がついたのは日本隊が調査を開始して三日目の事。その時に両者の間でちょっとした撃ち合いがあったが、その後はおおむね平和裏に事は収まった。
その後、互いの政府の話し合いで惑星二一〇三デルタの調査は棚上げする事になったという。
「サーシャさんだったかしら?」
「そうよ。サーシャ・アンドレーヴィッチ・イヴァノフ。思い出してくれたかしら?」
どうでもいいけど、ロシア人の名前ってどうしてこう長ったらしいんだろ。
「忘れてはいないけど、あの時はヘルメットかぶってサングラスをかけていたわ」
「ああ! そうでしたわね。失礼しましたわ」
「で、サーシャさんが何の用かしら? それともここへ来たのは偶然?」
「まさか。あなたがここの常連だって聞いたから来たのよ」
「あら、そうだったの。で、何の用かしら? 見ての通り食事中なので手短に願えると嬉しいんだけど」
「ロシア政府から日本政府に、惑星二一〇三デルタの共同調査の提案があった事はご存知かしら?」
「聞いてはいるけど」
「日本政府からの返事が来ないんですけど」
「あたしに聞かれても困るわ」
「日本側は、共同調査に応じられない事情でもあるのかしら?」
「だから、あたしに聞いても無駄だって」
「じゃあ質問を変えるわ。この前、七つのワームホールが圧壊しましたわね」
「ええ」
「惑星二一〇三デルタへつながってるワームホールも、その中の一つじゃないかしら?」
「悪いけど、あたしもあの事故に巻き込まれたのよね。自分が逃げ出すのが精一杯で、他のワームホールの識別番号までチェックしてなかったわ」
不意に、サーシャが懐に手を入れる。
ピストル?
と思ったら出てきたのは携帯端末。そのディスプレイには圧壊した七つのワームホールの識別番号一覧が載っていた。
ち! 用意のいい奴だ。
「この中にあるかしら?」
「あのさあ、あたしこれでも公務員なのよね。守秘義務ってものがあるのよ」
「その反応だけで十分ですね」
ノーコメントはイエスの同義語と言いたいのかな? まあ別にいいけど。どうせお互いあの惑星には手を出せないんだから。
「もう一つ聞きたい事があるわ」
「なあに? スリーサイズなら秘密よ」
あたしの軽口はあっさりとスルーされる。
「三年前、あの惑星で何を見つけたの?」
「守秘義務があると言ったでしょ」
「その様子じゃ見つけていたのね。あれを」
「なんのことかしら?」
「とぼけるつもりね」
ええ、とぼけますよ。言えるわけないじゃない。あの惑星で知的生命体の痕跡を見つけたなんて。
三年前、あたしはあの惑星のジャングルの中で石造りの街を見つけたのだ。
その街は廃墟と化していたが、その担い手はまだどこかにいるはず。だとするなら、この惑星を開発する事はできなくなる。
宇宙条約では「知的生命体の生存する恒星系はその生命体の領域と識別する」と定められている。
つまり、この先いくら惑星を調査しても知的生命体と遭遇した時点ですべてが無駄になる。もちろん、知的生命体と遭遇した事を国連に報告すれば、優先的に交渉する権利は認められるが、こんな未開惑星の住民と交易をしたところで大して得るものもない。
そのぐらいなら、何も見なかったことにして引き上げようと相談しているところへ、あたし達は、ロシア隊と遭遇してしまったのだ。
そのとき、あたし達は遺跡の事はロシア隊に黙っておいて、調査はお互いに延期しようという約束をした。
もちろん、ロシア人がそんな約束を守るなんて思えない。どうせ日本の調査隊が引き上げた後で、調査を続けるだろう。そう思ってあたし達は遺跡の事を黙っておく事にしたのだ。
ロシア隊が知的生命体に遭遇して、そのまま開発を諦めるならそれでよし。もし、知的生命体を蹂躙して開発したなら、すぐさま証拠を揃えて国連に報告するという思惑がこっちにあったのだ。
まあ、やり方が汚いとは思うが、外交なんてこんなもの。
ただ、あの惑星を常に監視していたわけではないから、実際にロシアが調査を続けたかは分からないけど……
「まさかと思うけどさ、日本に黙ってあの惑星を調査してないでしょうね」
と、探りを入れてみる。
「するわけないないでしょ。ロシアを侮辱する気」
「おおコワ」
ううん、嘘をついてるようには見えないけど……いや、分かったものではない。
おじさんがフォーの丼をサーシャの前に置いた。サーシャはぎこちない手つきで箸を使って食べ始める。
無理しないでフォークを使えばいいのに……
「本当に調査してないの? 調査して変なものでも見つけちゃったとか」
「変なもの?」
サーシャは怪訝な表情であたしを見る。
「たとえば知的生命体とか」
あたしはサーシャの顔色を伺った。
呆気に取られた様な顔をするだけで動揺した様子はまったくない。
「馬鹿馬鹿しい! そんなものがいたら開発どころじゃないわ」
そのままサーシャは食事に専念して喋るのをやめた。
やっぱり、あたしの勘ぐりすぎだろうか?
知的生命体には遭遇していないのだろうか?
そもそもこっそり調査したというのも勘ぐりすぎで、ロシアは約束を守って惑星には手を出していないのだろうか?
しかし、そうだとするとサーシャがさっき言っていた『あれ』とはなんのことだろう?
「そうよね。そんなものがいたら大変よね」
もしかすると!? まだ日本隊が見つけなかった何かが……
「一つ聞くけど」
再び、サーシャが口を開いたのはフォーを食べ終わったときだった。
「あのワームホールには、非常用のマーカーは入っているんでしょうね?」
マーカー!?
そういう事か!
日本側のワームホールが使えなくなったか探りに来たわけね。
こっちのワームホールが潰れてしまえば、もうロシアは日本に遠慮する事無く惑星を開発できるというわけだが。
だけどそうはいかない。
ワームホールは確かに潰れてしまったが、もう一度開けないわけじゃないのだ。
「当たり前じゃない。今時、ワームホールにマーカーを入れないわけないでしょ」
ワームホールが潰れた場合、もう一度同じワームホールを開く事はできないと言われている。それは正しいとはいえない。
正しくは、一度潰れて量子サイズにまで小さくなったワームホールをもう一度見つけることはできないだ。
だから、今のワームホールは万が一時空管が圧壊しても、完全に閉じないようにエキゾチック物資の細い棒が差し込まれている。
棒の両端には発信機があり、潰れたワームホールがどこにあるか、いつでも見つけることができる。
そのエキゾチック物資の細い棒をマーカーと言っている。
残念な事に、十六年前にはマーカーはなかった。だから、カペラと地球をつなぐワームホールは今でも開く事ができない。
「じゃあ、ワームホールはいつでも開けるのね?」
サーシャはカードをおじさんに差し出した。
「ええ」
残念だったわね。
「それを聞いて安心しましたわ」
安心? どういう事だ?
サーシャはカードを返してもらうとあたしの方を向き直った。
「ねえ、今回のワームホール圧壊事故。あなたどう思ってらっしゃるの?」
「どうって? 欠陥品の時空管が壊れた。それだけのことよ」
「それだけ? いくら欠陥品だからって、七つも同時に壊れるかしら?」
その事か。
「テロの痕跡は無かったって聞いてるわ」
「無かったじゃなくて、見つけられなかったんじゃないですの?」
そんな事は言われなくても分かっている。ワームホールが七つも同時に圧壊するなんて、どう考えてもおかしい。
しかし、テロの証拠は何も出てこない。
だがテロの可能性も完全に捨て切れたわけではない。が、それをこの女に言うわけにはいかない。
なぜなら容疑者……いや、容疑組織の一つがロシアの諜報機関だからだ。
「佐竹さんじゃないですか?」
路地の雑踏に消えて行くサーシャの後姿を見ている時、背後から突然男性に声をかけられた。
振り向くと中年の白人男性が立っている。
あれ? この人どっかで……!
「マーフィさん!?」
「やあ、どうも」
マーフィさんは帽子を取って丁寧に挨拶する。あたしも立ち上がり頭を下げる。
「先日は本当にありがとうございました。あの後、お礼にも行けなくて本当に申し訳ありませんでした」
「いえいえ、お礼なんてとんでもない。人として当然の事ですよ」
わあ!! なんて紳士的な人。
「ところで怪我されていてた方は大丈夫でしたか?」
「はい。おかげさまで大事には至らなくて済みました」
「それはよかった」
「さっきお見舞いに行ったら、明日には義手と義足を付ける手術をすることになってました」
「そうでしたか」
「ただ……」
「どうかしましたか?」
「あたし、明日、地球に帰らなきゃならなくなったんです。だから、手術には立ち会えません」
「地球へ!? それはまた急ですな。いったいなんでまた?」
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「何か新しい仕事があるのではないんですか?」
「分かりませんわ。とにかく宇宙省の方からは、早く帰ってきて出頭しろとの一点張りで」
「大変ですな。ところでさっきここでお話されていた方はロシア基地の方では?」
「ええ。ご存知なんですか?」
「サーシャ・アンドレーヴィッチ・イヴァノフ博士では?」
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「ええ、確かそんな名前でした。博士って事は科学者なんですか?」
「時空工学の専門家ですが、お知り合いではなかったのですか?」
「三年前にちょっとした因縁があっただけです。調査に行った惑星で鉢合わせになったんですよ」
「調査にいった惑星? それは二一〇三デルタのことでは?」
「ええ、そうです。よくご存知ですね」
「日本とロシアの紛争地帯として覚えていただけですよ」
「そうでしたか」
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「どうもあたしから何かを聞きだしたかったみたいです。何も喋らなかったけど」
「それは賢明な判断です。気をつけてください。彼女には産業スパイの疑いがあります」
「ええ!? そうなんですか?」
「いえ、そういう疑いがあるというだけです。」
「そうですか」
マーフィさんは腕時計に目をやった。
「おお! もうこんな時間だ。それじゃあ、私は仕事に戻りますので、このへんで失礼させて頂きます」
「はい。がんばってください」
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