秘密兵器猫壱号

津嶋朋靖(つしまともやす)

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第一章

「猫が喋った!?」

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(瑠璃華視点)
「腹減った」
「え?」
 あたしはしばらくの開、目の前で起きた事が理解できないで唖然としていた。
 そうだ!! きっとあたしは夢を見ているのよ。
 だって……
 あたしは膝の上にいる黒猫を見下ろした。これが……猫が喋るなんて……夢に決まっている。本当のあたしは温かい布団の中で眠っているんだわ。
 でも、夢だとしたらあたしはいつ眠ったんだろう?
 ええっと……今日一日何があったっけ?
 今日起きたのは六時ごろ。だだし、ベッドから起き上がったという意味で……
 目が覚めたのではない。目はほぼ一晩中ずっと覚めていた。ようするに眠れなかったの
 だ。ほんの少しだけ夢を見たあと……
 それは小学生のころ、浅川の土手で自転車の練習をしている夢。
 危なっかしくこいでいるあたしの自転車を、後で押えてくれている男の子はまこと君。
 あたしにとってお兄ちゃんのような幼なじみ。
 乗れるようになったらツーリングに行こうと約束していた。
 やがて、乗れるようになったあたしは振り返る。だけど、そこに真君はいなかった。
 そこで目が覚めた。
 時計は午前二時。それから、ずっと眠れなかった。
 六時になって寝直すのをあきらめて、ベッドからはい出て喪服に着替えた。
 なぜ、夢の中で真君が突然いなくなったか。
 それは真君がもうこの世のどこにもいないからだ。
 半年前、ツーリングに行く約束をしていたのに、真君は約束の場所にいつまで経っても現れなかった。
 やがて、彼が車に轢かれ意識不明の重体で病院へ担ぎ込まれた事を知る。
 それでもいつか回復すると信じていた。
 でも、五日前その希望は無くなった。
 そして今日は真君のお葬式。
 あたしはパパの運転する車で、お葬式にむかった。
 お焼香が済んで最後のお別れの時、棺に詰めるお花を持ったまま、あたしは泣き出してしまった。
 真君との思い出が怒濤のごとく蘇ってきたのだ。
 そこで泣き疲れて眠っちゃったのだろうか?
 いや、寝た覚えはない。
 眠ったのはパパの車に乗ってからかな? 
 いや、眠ってない。
 うとうとしかけた時にパパが急ブレーキを踏んだのだ。
 フロントガラスの向こうを見ると、アスファルトの上に黒い塊がうずくまっている。
 黒い猫だった。
「パパ。轢いちゃったの?」
「違う。最初から道に寝ころんでたんだ」
 とにかく、そのままにしておけないので、あたしは車を降りて猫のところへ歩み寄った。
 あたしが近づいても猫は逃げない。
 つん。
 指でつついてみる。動かない。死んでるのかな? 
 と思ったら、猫はモゾモゾと動いて面倒くさそうにこっちをふりむいた。
『うるさいな。ほっといてくれよ』と言いたげな目であたしを一瞥すると、興味を失ったかのように動かなくなる。
「猫ちゃん。こんなところで寝てると車にひかれちゃうぞ」
 猫はまたあたしの方を向いた。さっきとはちがって何かに驚いたような顔で……
 あれ? どうしたんだろ? この猫、泣いてる? 
 いや、そう見えるだけなのかな?
 でも、やっぱ涙流している。
「猫ちゃん。どうしたの? どこか痛いの?」
 猫はふらふらとした足取りで、あたしの方へ近づいて足にすり寄ってきた。
 困ったな。なつかれちゃったかな?
 といいつつも、実はうれしかったりもするのだが。
 猫はそのままあたしの靴の上に倒れ込んでしまった。
 抱き上げてみたけど、じっとしている。
 この猫、毛皮は薄汚れているけど、おしゃれな首輪や足輪を付けているから飼い猫のようね。
「パパ。この子連れていっていい?」
「飼う気か?」
「違うよ。飼い主に連絡して上げるの」
 でも、連絡がつかなかったら、そのまま飼っちゃうかも……いや、本当は飼いたいな。
 この猫を抱いた時、ほんの少しだけ幸せな気分になれた。
 ここ数日間、あたしの心を占めていた悲しみが、ほんの少しだけ癒された気がしたのだ。
「そうか。しかし……」
 パパは不意に押し黙ってあたしの顔を見つめた。
「もし、連絡が取れないなら飼ってもいいぞ」
「え? いいの?」
「ああ。それで、元の瑠璃華るりかに戻ってくれるなら」
 え? 元の瑠璃華?
 今のあたしが別人だとでも?
「おまえ、真君が死んでから、ずっと笑ってないだろ」
「そうだっけ?」
 いや、聞くまでもないね。
 真君が死んだのに笑えるわけがないよ。
「猫を抱いた時、おまえ少し嬉しそうな顔していたぞ」
「え? そうかな?」
「おまえが笑顔を取り戻してくれるなら、猫の一匹や二匹飼ってもいい」
「でも……笑ったら、真君に悪いかなって……」
「それは違うぞ」
「どうして?」
「真君が、おまえの悲しい顔を見たいと思うか?」
「それは……」
「お前がいつまでも泣いてたら、真君だって心配で成仏できないぞ」
「それは……やだ」
「それなら、その猫を抱いて早く笑顔を取り戻せ」
 そして、あたしは黒猫を抱いて車に乗った。
 猫が『腹減った』と喋ったのはその直後の事だった。
 おかしいな。
 今までの事を思い出してみたけど、やっぱり眠り込んだ覚えがない。あたしの聞き間違えかな?
 実は猫は「にゃー」と言っただけなのが『腹減った』に聞こえただけかな?
 あたしは猫の首をくすぐってみた。
「ゴロゴロ」
 普通にのどを鳴らしている。
 やっぱりあたしの聞き間違えかな。
 ふいに猫はザラサラした舌であたしの指をなめた。
 か……可愛い!!
 真君……あたし笑っていいかな? 
 いいよね?
 ずっと強張っていた顔の筋肉が緩んでいくのがわかった。
 きっと鏡を見たら、あたしはだらしない笑みを浮かべているんだろうな?
 頭上で見ている……かもしれない真君の幽霊は怒るかな? 
 いや、パパの言うとおり怒るはずないよ。
 だってあたしが泣いてる時は、いつも変な顔したり、ギャグで笑わせようとしたりしていたもん。
 もし、幽霊になってるなら、今もあたしの眼前で笑わせようとして
 ギャグを言ってたのかも……
「腹減った」
 え!? 
「ええ!! や……や……やっぱり喋った!!」
「どうした?」
「パパ!! ね……猫が喋ったよ」
「そんなわけないだろ」
「本当よ!! 信じて!! 今、『腹減った』って言ったのよ」
 ど……どうしよう!? 
 猫が喋るってどういう事? 
 危険なの? でも可愛いし。
 落ち着いて!! 落ち着くのよ!! 危険とは限らない。
 もしかするとすごい拾い物かも……
「テレビの声だよ」
「え?」
 あ! いつの間にかダッシュボードのテレビがついていた。
 テレビだったのかな? 
 でも、番組の出演者に今の『腹減った』という声と似たような声の人はいないし……あたしは猫を抱き上げた。 
 黒い毛に覆われた首を覆う銀色の首輪には「REAL」という文字があるのが見えた。
 リアル? この子の名前かな?
 ちょうどその時、猫は薄目を開いた。
「君、今『腹減った』って言ったよね?」
「にゃ……にゃー」
「だからテレビだと言ってるだろう」
 いや違う。パパは運転に集中していたから気がつかなかったようだけど、あたしは確かに見た。
 この猫、『にゃー』と言う直前『しまった!!』って表情を浮かべていた。
 誤魔化しているんだ。
「パパ。この子喋れないふりしてるだけよ」
「いい加減にしなさい。猫が喋るなんて昔の少女アニメじゃあるまいし」
「本当だってば」
「瑠璃華。おまえ疲れてるんだよ。真君が死んだショックでろくに眠ってないんだろ」
「そりゃあ確かに寝てないけど」
「もしも、猫が喋ったとしたら大変な事だぞ」
「テレビ局が押し掛けるとか」
「それより、その猫解剖されるかもしれんな」
 解剖!? あたしは猫を見た。
 猫は怯えたような表情を浮かべている。
 そうか!! 喋れるなんてばれたら命が危ないんだ。だから、必死で隠していたのね。
「ごめん、パパ。今の……やっぱりテレビだったわ」
「そうだろそうだろ」 
 という事にしておこう。解剖されたら可哀想だし……
 あたしは猫を抱き上げ耳に口を寄せ小声でささやく。
「喋れる事は黙ってて上げる。でも二人きりの時は話してね」
 猫はコクっと首を縦にふる。やはり、あたしの言ってることがわかっているんだ。
 あたしの膝の上に戻った猫は、顔を上げてテレビに目を向けた。
「テレビが見たいの?」
「ニャー」
 あたしは猫がテレビを見やすいように抱きかかえた。
 テレビはドキュメンタリーの再放送をやっている。南氷洋に行ってた捕鯨船の事を扱った番組だ。
「これってパパが仕事で行ってたところじゃない?」
「ああ」
 フリーカメラマンのパパは、再開されたばかりの調査捕鯨の取材に行っていたのだ。というより、毎年捕鯨を妨害しにくる環境テロリストの取材が本当の目的なのだけど。
 今回も例年通り、環境テロリストのシーガーディアンが妨害にきた。
 いつもなら、嫌がらせされても捕鯨船は泣き寝入りするしかなかったけど、今年は違っていた。
 なんと、シーガーディアンのボートがみんな沈んでしまったのだ。それも砲撃とかではなく、水産庁の訓練したシャチが体当たりで沈めてしまったという嘘みたいな話だった。
「そういえば」
 信号待ちになった時、不意にパパが呟く。
「シーガーディアンのポール・ニクソンて知っているか?」
 あたしは少し考えた。
「うん。あのもじゃもじゃ頭の人」
「そのもじゃもじゃの髪なんだが……ククク」
 なんだろう?
 パパったら変な笑い浮かべている。
「ヅラだったんだよ」
「ヅラ?」
「ククク」
 ん? 今の『ククク』て笑い声? 
 あたしは膝の上の猫を見た。
 猫は誤魔化すように、明後日の方を見てる。
 やっぱりこの子が笑ったんだ。 
「捕鯨船から望遠レンズでシーガーディアンの母船を見てたら、なんかあいつ甲板の上で
猫と追いかけっこしててな」
「猫?」
「……ん?」
 パパはあたしの膝の上に目をやる。
「どうしたの?」
「いや、その猫、あの時の猫に似てるような気がしたから……そんなわけないか」
「で、猫がどうしたの?」
「その猫がな、ポールの頭に飛び乗ったんだ」
「頭に?」
「ポールは慌てて捕まえようとするんだが、猫はすぐに飛びのいた。奴の髪と一緒に」
「髪と?」
「そう。ポール・ニクソンはつるっパゲだったんだ。ははは」
「ははは」
 あたしは力なく一緒に笑う。でも笑えない。やっぱり、パパは気がついてなかったんだ。
 自分の頭頂部が薄くなっている事に……
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