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1.かどわかされた異邦人

1.2 魔術師の国

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 「サモンの術式、万事問題なく終えることができましたわお父様」
 従1位天秤の魔術師ミーナは跪いたまま玉座の上のペルン王、正1位王杓の魔術師サンバーグを見上げて報告した。
 「ご苦労」
 王は厳かに頷くと急に破顔させた。
 「初めてのサモンの儀だな、ミーナ。お前の事だ、失敗はないだろう。しかし望みの通りのサモンドが獲られる可能性は少ない。並み居る魔術師達の用意した物に打ち勝つのはなかなか難しい、しかし数をこなせばお前に匹敵する魔術師がいない以上、必ず目的の物は獲られるだろう。サモンドは物だ、どんどん使い潰すがいい」
 娘への暖かい言葉、しかしミーナ王女の顔色は優れなかった。
 「陛下、ミーナは優しい子ですから。なかなか割りきれるものではないのでしょう」
 王の従者であり王国最高の戦士、そして妻であるアレクシア王妃が柔らかな声で気遣った。
 「しかしなアレクシア、事実を認めんと困る。次の王位を狙う者はごまんといるのだ」
 困り顔の王に王妃は頷いて見せ、それからミーナに慈愛の満ちた眼差しを向ける。
 「ミーナ、私は幸せ者ですよ。突然連れて来られたにしても陛下にこうして見いだされ、その上に愛を賜って王妃にして頂いて、普通に暮らしていたのでは絶対にあり得ない幸運ですよ。ミーナ、あなたはその素晴らしい物を与えられる立場にあるのですから、その事を忘れてはいけません。不適格になってしまった者もその幸運にチャレンジする機会を与えられるのですからね?」
 「はい、お母様。私は大丈夫ですわ」
 ミーナは無理にでも笑みをつくり、断言して見せた。
 王妃がしとやかに頷くのを見て彼女は立ち上がった。
 「では、私は準備もありますから行きますわ」
 「試合は見に行くがあまり気負うなミーナ」
 「頑張りなさいね」
 謁見の場から去るミーナの背中に両親の励ましの声が投げ掛けられた。

 そこの人々は世界の事をマナヴェールと呼んだ。
 広大な5つの大陸と8つの海で構成される円形の世界はどこからでも世界の端が見えた。その端は桃色に輝くエネルギーの奔流、全てを構成する要素であるマナが猛烈な勢いでほどばしる壁、その壁の名前こそがマナヴェールであり、世界の端であり、この世界そのものだった。
 その広く、限りのある世界にあるカーマイル大陸、その東部大半を占める国を魔導王国ペルンといった。この大陸で魔術研究が盛んであり、魔術師が重要な地位にある国の2つの内の1つで、より魔術師のウェイトが高い、と言うよりも原理主義的な立ち位置にある国だった。
 学問も文化も軍事においても魔術が頭に来る国、当然人間に関してもそうだ。
 より魔力の強いもの、より多くの魔術的な計算ができるもの、優れた術式が組めるもの、そのような者の地位が高くなる。とはいえ地位が高かろうが、あからさまに下の者を虐げる者を罰する法もあり、『人民』の幸福度は低くはなかった。
 ただし人であるのはこの国においては魔術師のみである。その能力の無いものは人としての権利は無いのだ。
 そのペルンで今、ある催しが開かれんとしていた。
 人民にとっては日々の娯楽、だが高位の魔術師にとっては政争の一面を持つ大会だった。

 マナの下に存在する魔術師にはよほど特殊な場合を除いてパートナーが存在する。
 マナの無限の力を従わせる魔術、それは杖を構えて叫べば起こせる類いのものではない。正確な手順と術式、計算によりマナを誘導して起こす奇跡だ。
 その際、術者は他の事に構ってられなくなる。つまり無防備となるのだ。
 顔に虫がたかっても払えない、重要な報告や届け物が来ても対応できない、そして敵を前にして攻撃に対処できない。
 故にそれらから術者を遠ざけるパートナーが必要なのだ。
 『従者』や『守護』と呼ばれるパートナーは魔術師の欠点を補う能力に長け、何よりも重用なのが最期のその時まで立ち塞がる信頼関係を必要とする。
 なくてはならないパートナー、これはそのまま魔術師の格に直結する、ことさらペルンにおいてそれが顕著だ。故にペルンにおいてその『収得』は熱を帯び、手段を選ばない。 
 『召喚』
 数多ある魔術師のコミュニティでは異端であり忌避される方法こそがペルンでの正道であった。
 ふぅ、とミーナは憂いのこもった息を吐いた。
 彼女は疑問をいだきながらも、歴代の魔術師達がそうだったように儀式を終え、パートナー候補を得てしまった。この大陸以外のどこか遠くにいた誰かをこの国に呼び寄せ、何の交渉もなく、無理矢理に。
 「緊張しておいでですかな、姫様」
 彼女の教育係の老魔術師マリクが気をつかって言った。
 彼は幼い頃から多くの事を教えてくれたミーナの師であり、既にいなかった祖父の代わりだった。
 「大丈夫よ、マリク」
 「結構でございますな、まあ最初から完全に行えたなどと思わないことです。それと、何よりも妥協だけはしない事です、従者候補などはいくらでも獲られるのです、この国を統べるお方にはそれにふさわしい従者がおりますからな」そこまで言ってマリクは長い髭の隙間から歯を見せた。「今回は民を楽しませる賑わいの1つとでもお考え下され」
 「うん…」
 「何か?」
 ミーナは口にしかけた疑問を飲み込み、かぶりをふった。マリクを失望させたり心配かけたりしたくはなかった。
その疑問の答えは既にわかりきった『常識』だからだ。
 すなわち「召喚された人間はただの物」だというペルンの常識だ。
 召喚されたものはこの地に現れた時点で強力なカースに曝され、召喚者の管理下におかれる。
 精神抑制による意思選択の剥奪、運命の強制、要は奴隷にされるわけだ。
 そして彼らは命のやり取りをさせられる、拒否しても命乞いしても殺し合いをさせられる、パートナーとしての性能を測り、篩にかけるために。
 勝手に人の人生を奪って何様のつもりだ?いや違うのだ、何故ならこの国では魔術師以外は人でないのだから。ではその人でないパートナーと結ばれ子供までもうけるとは何事なのか?!いやパートナーに成った時点で人になるのだ、それがどれだけ素晴らしいことか。そしてなれなかった物も機会を与えられたのだから幸せだろう。
 そんな常識だ。
 『私は幸せ者ですよ』
 ミーナは母の言葉と笑顔を思い出した。偽りのない幸せに満ちた笑みと言葉。
 だけどそれが茶番なのではないかとミーナは恐れるのだった。
 なぜなら王妃はサモンドの他ならないからだ。自分の意思を奪われては心のなかを幸せで満たしてもそれは幸せと言えるのだろうか。
 そして自分も未来の夫に同じ事をするのだ。意思を奪い、危険に晒し、愛と幸せで満たす。
 しかしそんな不安と同時に彼女は自らの恋人に、夫に強い希望も抱いていた、どれだけ素敵で力強い人が現れるのだろうかと。
 ミーナは自分の実力を正しく把握できていた、過小も過大もしていない。
 そんな彼女が儀式は大変上手くいったことを確信していた。
 ミーナの父のさらにその先代の父が4代にわたってオジューン家がペルン王位につく程の魔術師を輩出してきたのは儀式においてある秘術を行い、召喚前にある程度の絞り混みをおこなえたからだ。
 そして今回ミーナは新たなる秘術を思いつき、実行し、成功したと確信していた。
 もしかしたら1度で満足のいく結果を得ることができるかもしれない、それはオジューン家始まって以来の事だ。
 不安や不要な罪悪感がそれを上回る期待に塗りつぶされていく。
 そんな渦巻く思考は不意に響いたノックの音に消された。
 「誰か?」
 マリクが控え室外へと呼び掛けると恭しい言葉遣いで返答があった。
 「セバスティアンでございます。ミーナ殿下の初儀式と聞きつけまして、祝辞と心ばかりの品を、受け取って頂けると至極でございます」
 「外交官殿か、申し訳ないが姫様には集中する時間が必要ゆえに後程出直すようにお願い申し上げる」
 マリクは即座にそう返答したがミーナと言えば、気遣いは無用であった。
 「いいえマリク、この期に及んで集中する必要はありません。せっかくのバスティアン様のお心遣い、受けねば非礼でありましょう。バスティアン殿、どうぞお入り下さい」
 「左様ですか、それではそのように」
 マリクは少し不満気にムスリと言った。生粋のペルン魔術師の彼が外部の魔術師に思うところがあるのは仕方ない事だとミーナ理解しており、あえて咎めることはなかった。
 「では失礼致します」
 声がし、扉が開けられて閉められる小さな音が続く。
 彼女達の前に現れた男は膝間付き、頭を垂れた。
 「お目通し頂き、祝着至極に存じ上げます」
 「どうぞお楽にバスティアン様」
 老人に片足を突っ込んだ年齢の外交官は、それでも力と生気に満ち溢れていた。顔を上げた彼は僅かに乱れた白髪混じりの頭をよしとせず、自然な動作でそれを正すと無骨そうな顔になんとも気持ちのいい笑顔を見せた。
この国に派遣される外交官は誰もが魔術師でなくてはならない、そうでなければ相手にされないのだ。その中でもバスティアン、柱の守護の国ガンパルド王国派遣の外交官は相当の実力者で従2位かそれ以上の魔術師の格を持ち、ペルンでも一目おかれる存在だ。
 彼は脇に抱えていた薄い板のような荷物を手に取ると、覆われていた布を慎重な手つきで取り除いた。ミーナには姿を表したそれが絵画に見えた。
 「晴れの舞台ということです、手ぶらでは不粋というもの。どうぞお納めください、我が主からこれからの信頼と友愛の証として」
 差し出されたそれはやはり絵画だった。美しい女性像、だがそれからは強いマナを感じた。絵画としても素晴らしいが、それ以上の価値がある事をミーナは見抜いた。
 「これは、このような貴重な物を?」
 手にしたそれから目を離せずにミーナは呟くように言った。
 「お気に召されたようで幸いてすミーナ様、どうぞお納めください」バスティアンの声にひときわ悪戯ぽさが含まれる。「次期陛下の御心が物で買えれば安いものです」
 「冗談が過ぎますぞ外交官殿」
 マリクがつまらなそうに言うが、ミーナの耳には入らなかった。
 「この絵画、ただの絵画ではありませんね?この魔力は?」
 「その通りでございます、この絵画は主の気持ちによりその様相が変わると言う物で魔導画家ビートの作でございます。身近に飾っておいでに頂ければ、家臣の方々はミーナ様の逆鱗に触れずにすむというものです」
 「まあ!それは誰にたいしても優しい作品ですね!」眺めるミーナは眉をひそめ首を傾げた。「ところでこの、今のわたくしの内心をこの絵で測るとどのようになるのでしょうか?」
 絵の中の女性は柔らかな笑みを湛えていたが、その背後では雨が降り暗いものだった。
 「ふうむ」セバスティアンは真面目腐った困り顔でそれを見てからうなずいた。「ミーナ様は慈愛で満ちており、周囲の者には危険はありません。問題は殿下の内にあります」
 「内に?」
 ミーナの胸にズキリと重みがのし掛かる。
 「なにかしら、不安、いや疑問でしょうか、抱えておいでかと」
 「初めての事ですからな、当然でしょう。気にすることではありません」
 マリクは何事でもないと即答した、がミーナは自分の葛藤を知っていた。
 「バスティアン様、1つお聞かせお願いできますか?」
 大袈裟な様子で両腕を開き、首をかしげ、彼は「なんなりと」と答えた。
 「あなた方も従者が必要なはず、何故効率の良い取得方法をとらないのでしょうか?」
 バスティアンの顔から今までのどこかおどけた様子が消え失せ、ギラリと瞳が輝いたように見えた。
 「そのような方法を取らずとも優秀な従者はついて参ります、双方の信頼の上に成り立つ関わりは呪術の類いにもひけをとらない力となります」
 「非効率的な事この上ないですな」マリクは嘲る様に言った「貴国も我が国を見習えばさらに繁栄するものを」
 「そうですな、効率と言われれば反論はできませんな」
 おどけるようにいう彼をマリクは鼻で笑った。
 「何故、効率が悪いとわかっていながらそうしないのです?サモンドはこの国はおろか、この大陸以外のどこかから連れてくるのです、問題ないでしょう?信頼の上の従者は命をかけてあなたを守ってくれないのでは?」
 次々にぶつけられる彼女の疑問にバスティアンは鼻白むが、じっと彼女の事を見据え頷いた。
 「まず私の従者は私がそうである限り、命懸けで私を護ってくれるでしょう」
 「あなたは従者に命をかけると?」
 ミーナの問に彼が頷くとマリクはわざとらしいため息で彼の気持ちを表した。
 「そしてここからは私個人の考えです、どうぞお聞き流し下さい」
 「もちろんです」ミーナははっきりと保証した。「たとえ父を侮辱されたとしても聞かなかったことに、無論異論は差し挟みません」
 バスティアンは柔らかく微笑み、恭しく頭を下げた。
 「どこの誰であろうと、どれだけ距離があろうが、召喚された者にも人生がありましょう。それを奪い、命までもてあそぶ事を私はよしとはできません」
 「馬鹿な考えを…」
 マリクの反論をミーナは手で制した。
 「そう、ですか。あなたのお考え、わかりました」
 「しかしその様な事を聞かれるとは、これはミーナ様が王位に着かれれば、我が国との関係はますます良いものとなりそうですかな?」
 「外交官殿!その言葉は看過できませぬぞ!」
 「これは失言でしたな、発言を撤回致します」
 顔を真っ赤するマリクに飄々とした様でバスティアンは頭を下げて笑った。
 そんななかミーナは深い思考の底におり、彼女の持つ絵のなかでは雨が激しくなっていた。
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