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拳闘
基礎
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「ふぅ、寒ぅ」
すっかり肌寒くなった。辺りはまだ静かで誰もいない。澄んだ空気を肺にいれ、ゆっくりと吐き出した。気持ちいい、生きてる感覚がする。
普段見てる風景が、全然違う印象に感じた。東の空から差し込む光が朝露にあたりキラキラと輝いている。
僕は気合を入れ走り出した。
毎日朝五キロ走れと昨日おっさん言われた時は、最悪だと思っていたが、朝外に出るとそんな憂鬱な気分はすぐに吹き飛んだ。
家の庭を出ると、隣の家のいつも同じところに座っているおじさん。通称「門の妖精」を見つけた。
僕はいつも通り挨拶をしてそこを通り過ぎた。
こんな早朝からずっと、一日中座ってるのか……何年も挨拶し続けているが、常にニコニコ笑っている。暇なのかなこの人。
そう言えば……挨拶返された事無いな……。
まあ笑ってるから嫌では無いのだろが。
僕は少し走っただけなのにすぐに息が上がってしまった。つ、辛い……体力の衰えを感じる。
昨日もたった二、三分戦っただけなのに、一日中動いてたかの様な疲れが全身を襲った。
しばらくは、苦痛と酸欠で風景を楽しむ余裕が全く無かったが、ふと急に楽になった。
これがランナーズハイっ奴なのか。それまでは何度も止まろうと思ったが、不思議といつまでも走れる気がする。すると不思議と色んな考えが巡る。
そう言えば、空とは昨日お土産を渡すやり取りをした後、一切音沙汰が無くなった。
巻島さんが今は多忙だと言っていたが、僕を置いて仕事してるのだろうか……。もしかして除け者にされたのか?
もしそうだとしたら物凄く悔しい。見てろ、絶対に強くなってみんなを守ってやる。
「はぁはぁ、着いた……」
大谷ジム。走るついでにどれくらいの距離があるか測るために寄ってみた。約四キロだった。
帰ることを考えると、なんて馬鹿な事をしたのだろうと思う。
行きが四キロって事は、帰りも四キロ走らなければならないのだ。
僕は膝に手をつき息を整えた。結局楽になったのは一瞬で、あとはずっと辛いままだった。
僕は持ってきたドリンクを飲み干すと、ジムのある三階へと向かった。
ドッ……ドッド……
ドアノブに手をかけようとした時、中から音が聞こえた。
「誰かいるのか……?」
僕は少し扉を空けて中を覗いてみた。すると、誰かがサンドバッグを打っていた。
あれは……凛太か。すると、彼は打つのを止めると、こちらを見た。
「おい、見てねぇで入ってこい」
そういうとまたサンドバッグを打ち始めた。相変わらず無愛想な奴。
「ご、ごめん」
僕は軽く謝ると、急いで扉を閉めた。
そして、彼に近寄り思い切って話しかけてみた。
「早いね。何で誰か来たか分かったの?」
「…………」
しかし、彼は沈黙したまま僕を見てフリーズした。
「な、なんだよ」
「空気が、変わったから」
睨んでるとおもったが、意外に素直に話してくれて僕は驚いた。
「空気?」
すると彼はまたサンドバッグに向き直り鋭い音をさせながら打ち始めた。
「ああ、部屋の空気が変わる。
だからわかった」
なるほど空気か……いや、分からん。
「な、なるほど……」
僕は当たり障りのい言葉を返した。
「…………」
「…………」
また気まずい沈黙が流れる。静かな部屋にはサンドバッグを叩く音だけが響き渡る。
ジムの外では鈍い音に聴こえていたが、間近で聴くとパンチが当たるたびに破裂音の様な音がなる。
そして素人目でもよくわかるほどフォームが美しい。朝日に照らされ飛び散る汗が輝いて見え、彼を一層男前に見せた。僕は思わず見惚れていた。
「あの蹴り……」
「へぇ?」
急に声をかけられて僕はアホみたいな声を出してしまった。
「け、蹴りが何?」
僕は誤魔化す様に彼に尋ねた。
「凄かった」
パァン!!
彼は言葉を言い終わるとともにサンドバッグにストレートを叩き込んだ。サンドバッグは打たれた場所から弾かれるように大きく跳ね上がった。
「おおっ……すげぇ。
て……蹴りの事だね。あ、ありがとう。
でも俺、記憶飛んじゃってるから自分でもどうやったか覚えてないんだ」
すると彼は、サンドバッグの揺れを止め振り返り僕を見た。
「あの蹴りは、素人が出来るもんじゃねぇ。
お前、なんか格闘技やってたのか?
打ち込んだ場所、角度、相手の僅かな隙を突く技術、とてもじゃねぇが一長一短に身につくもんじゃねぇ」
「格闘技なんてやった事ねぇよ。
学校で柔道習ったぐらいだ」
「……やってみろ」
そう言うと彼はサンドバッグの前から退き、パンッとひと叩きした。
「や、あれは偶然だから……」
「やれ」
有無を言わさない感じだ。試合の時は思わなかったが、刺青の分、怖さが増している。街であったら絶対目を逸らすわ。
「わかったよ……」
そう言って構えると、右足に力を込めて全力で打った。
ベチッ……
部屋中に情けない音が響き渡る。僕はサンドバッグに押し返され、情けなく尻餅をついた。
「痛ぇ! スネ、めっちゃ痛い!!」
「やっぱまぐれか」
そう言うと彼は汗を拭きながら更衣室へと向かっていった。
「んだよ……」
自分でも何故あんな鋭い蹴りが打てたか分からない。本当に勝ったのか疑問だ。ゾーンにでも入ってたのかな……。
ガチャッ
「おー輝ァ!
早ぇなぁ感心感心」
僕が考え込んでいると、おっさんと柚子ちゃんが慌ただしく入ってきた。
「おはようございます」
「真田さん、おはようございます。
あの、凛太は……来てます?」
彼女はキョロキョロ見渡している。よっぽど好きなんだな。恋する女の子は常に好きな人を探してしまうって、僕の愛読書「恋に花咲く乙女ちゃん」に描いてある。
当たってるぜ、やっぱり凄いな、伊達に百万部売れてないぜ。
「あいつなら、更衣室にいるよ」
「そ、そうですか。良かったァ」
ビンビン感じてるぜラブコメの波動をよぉ。いやぁ青春だね。キュンキュンしちゃうぜ。
「なぁにニヤニヤしとるんじゃわれぇ。
今日はおめぇの練習メニューを教える。
これから毎日それをやれ!
柚子ォ。あれ渡せ!」
「はいはい」
彼女は呆れつつも鞄から紙を取り出し、僕に渡してきた。
「大谷流……闘魂スペシャルメヌー?」
メニューじゃなくて、メヌーとは……?
一体どんな事をやらされるんだ。
「真田さん。メニューです。
おじいちゃん横文字苦手なんです」
「あー……単純に間違いね。
えっと、なになに……。
朝……ロードワーク五キロ以上。
柔軟体操後、シヤドー……シヤドー?」
「シャドーです。
鏡の前でフォームの確認などを行う練習です」
「な、なるほど……。
その後サンドバッグ、パンチングボール、ミット打ち、ふむふむ。
マスボクシング、スパー、縄跳び、そして柔軟で終わりか」
多すぎない……?
みんなこんなに練習してんの? 毎日?
「ああ、そんな所や。柔軟の中には筋トレも入っとるからな。
ちなみにそれを一時間でやれ」
「一時間!? 余裕なさすぎじゃないです?」
こんなに沢山のメニューをたった一時間でこなせる物なのか?
「わしゃ長々とやる練習は上達せんと思うとる。
短時間にビシッと集中して終わらす事に意味があるんじゃ。
筋トレも何もかも長くやればいいてもんじゃねぇだよ」
そんなもんなのか。未経験だから分からん。
「よっしゃあ、柔軟は終わったんか?
終わったならわしが教えたるからついて来い」
「はい、よろしくお願いします」
僕はこの時知らなかった。この後想像を絶する地獄を味わう事になるとは……。
練習中のおっさんは人が変わったかの様に厳しい。少しでも手を抜くと喝が飛ぶ。なので常に全力でやり抜かなければならず。一つのメニューが終わる頃にはくたくたになる。
しかし、一分の休憩後、すぐに次のメニューへと強制的に進む。後半疲労で何をやってるかわからなかった。
おっさんの言葉の意味を理解した。長々とやったって辛いのが長引くだけで身につきにくいんだ……。
終わった頃には僕はベンチで抜け殻の様になっていた。
「情けねぇ」
非常な一言を呟き、凛太はジムを後にした。あいついつか僕のパンチでダウンさせ、マットにキスさせてやる。
でも、なんだかんだ彼は僕の練習をずっと見てた。自分からスパーも手伝ってくれたし、案外いい奴なのかも……。
♪~
大音量で昭和の演歌が流れた。どうやら着信音の様だ。
「なんや。
おう……おう……。
で、落とし前付けたんか……」
なんか物騒な話してるな……。
「なんやと!!
それでおどれはイモ引いたっちゅうんか!?」
「イモ……?」
「びびったのかって意味」
柚子ちゃんが隣に来て教えてくれた。彼女を見ると表情はとても険しかった。これはただ事ではないようだ。
「おめぇが落とし前つけぇ!
エンコ詰めろ」
「エンコって?」
僕は柚子ちゃんに尋ねた。
「……指よ」
「指ぃ? 切るって……こと?」
彼女は静かに頷いた。おいおい怖くなってきたぞ。あの人がやくざだって事を再認識させられた。
「……おう、そいつのガラ押さえとけ。
わしがいく」
そう言って電話を切り、僕らの方を見た。その顔はいつも通りの陽気なおっさんだった。僕にはそれが尚更怖かった。
「おう、ちょっくらいってくら。
帰るならしっかり柔軟しとけ」
彼は何処かに電話するとジムから出て行った。恐らく車を呼んだのだろう。
「話からすると、誰かやられるのかなあ」
僕はしんとなった空気に耐えきれず、柚子ちゃんに話しかけた。
「うん……多分」
「そっか……やっぱりおっさんもヤクザなんだなって思ったよ」
それを聞くと彼女は僕を見た。
「真田さんは、ヤクザ嫌い?」
「いや、どうだろう……。嫌いと言うより怖いかな。何も罪のない人を脅したり、殺したりしてそうなイメージだし」
その瞬間、彼女の目から光が消えたようにみえた。
「何も罪のない人なんていないよ」
「え?」
彼女は囁くように言った。
「真田さんは、何も後ろめたい事が無い人がいると思う?」
「それは……いないと思う」
誰しも人に言えないことはある物だ。どんなに善人でも。
「だよね。嘘をついた事が無い人なんていないし、もっと言うと盗みをした事ない人もいないよね」
「え……いや、盗みは俺はないよ。
嘘はあるけどね」
「本当に?
盗み聞きしたことはない?
盗み見は? 人の技術を盗んだことはない?」
「そんなこと言ったらみんなやってるよ。
その言い方だと人間は罪を犯さないと生きれないみたいじゃん」
「そう、人間は生きてるだけで罪をなんだよ。
だから、ニュースで罪のない人が大勢亡くなったとか言うけど、それは小さい罪が巡り巡って本人に帰ってきてるだけだと思う」
巡り巡って……。僕は胸がドクンと脈打った。
亮が死んだ事も当然だと言っているように聞こえたから。
「言ってることはわかるよ。
でもそれで死んだのが当たり前みたいな言い方は好きじゃないね」
「……ですよねっ!
ごめんなさい。変な事言って」
先程の雰囲気とは打って変わって笑顔に戻った。
どうやら僕の表情を見て気を使ってくれたようだ。僕も大人気なかったかもしれない。
「こちらこそ、空気悪くしてごめんね」
「いえいえ、でも忘れないでください。
この世の中が、ヤクザを必要としてるってこと」
彼女は不適に笑って立ち上がり、片付けを始めた。僕はその顔に思わず背筋が凍った。世の中が……か。なんか嫌だな、二面性がある子なのかも。
僕は片付けを手伝い、ぞろぞろと増えてきた会員の方々に軽く挨拶をし、ジムを後にした。
外に出て、スマホを見るとメッセージが来ていた。
あっ……空からだ。
え……どういうこと?
すっかり肌寒くなった。辺りはまだ静かで誰もいない。澄んだ空気を肺にいれ、ゆっくりと吐き出した。気持ちいい、生きてる感覚がする。
普段見てる風景が、全然違う印象に感じた。東の空から差し込む光が朝露にあたりキラキラと輝いている。
僕は気合を入れ走り出した。
毎日朝五キロ走れと昨日おっさん言われた時は、最悪だと思っていたが、朝外に出るとそんな憂鬱な気分はすぐに吹き飛んだ。
家の庭を出ると、隣の家のいつも同じところに座っているおじさん。通称「門の妖精」を見つけた。
僕はいつも通り挨拶をしてそこを通り過ぎた。
こんな早朝からずっと、一日中座ってるのか……何年も挨拶し続けているが、常にニコニコ笑っている。暇なのかなこの人。
そう言えば……挨拶返された事無いな……。
まあ笑ってるから嫌では無いのだろが。
僕は少し走っただけなのにすぐに息が上がってしまった。つ、辛い……体力の衰えを感じる。
昨日もたった二、三分戦っただけなのに、一日中動いてたかの様な疲れが全身を襲った。
しばらくは、苦痛と酸欠で風景を楽しむ余裕が全く無かったが、ふと急に楽になった。
これがランナーズハイっ奴なのか。それまでは何度も止まろうと思ったが、不思議といつまでも走れる気がする。すると不思議と色んな考えが巡る。
そう言えば、空とは昨日お土産を渡すやり取りをした後、一切音沙汰が無くなった。
巻島さんが今は多忙だと言っていたが、僕を置いて仕事してるのだろうか……。もしかして除け者にされたのか?
もしそうだとしたら物凄く悔しい。見てろ、絶対に強くなってみんなを守ってやる。
「はぁはぁ、着いた……」
大谷ジム。走るついでにどれくらいの距離があるか測るために寄ってみた。約四キロだった。
帰ることを考えると、なんて馬鹿な事をしたのだろうと思う。
行きが四キロって事は、帰りも四キロ走らなければならないのだ。
僕は膝に手をつき息を整えた。結局楽になったのは一瞬で、あとはずっと辛いままだった。
僕は持ってきたドリンクを飲み干すと、ジムのある三階へと向かった。
ドッ……ドッド……
ドアノブに手をかけようとした時、中から音が聞こえた。
「誰かいるのか……?」
僕は少し扉を空けて中を覗いてみた。すると、誰かがサンドバッグを打っていた。
あれは……凛太か。すると、彼は打つのを止めると、こちらを見た。
「おい、見てねぇで入ってこい」
そういうとまたサンドバッグを打ち始めた。相変わらず無愛想な奴。
「ご、ごめん」
僕は軽く謝ると、急いで扉を閉めた。
そして、彼に近寄り思い切って話しかけてみた。
「早いね。何で誰か来たか分かったの?」
「…………」
しかし、彼は沈黙したまま僕を見てフリーズした。
「な、なんだよ」
「空気が、変わったから」
睨んでるとおもったが、意外に素直に話してくれて僕は驚いた。
「空気?」
すると彼はまたサンドバッグに向き直り鋭い音をさせながら打ち始めた。
「ああ、部屋の空気が変わる。
だからわかった」
なるほど空気か……いや、分からん。
「な、なるほど……」
僕は当たり障りのい言葉を返した。
「…………」
「…………」
また気まずい沈黙が流れる。静かな部屋にはサンドバッグを叩く音だけが響き渡る。
ジムの外では鈍い音に聴こえていたが、間近で聴くとパンチが当たるたびに破裂音の様な音がなる。
そして素人目でもよくわかるほどフォームが美しい。朝日に照らされ飛び散る汗が輝いて見え、彼を一層男前に見せた。僕は思わず見惚れていた。
「あの蹴り……」
「へぇ?」
急に声をかけられて僕はアホみたいな声を出してしまった。
「け、蹴りが何?」
僕は誤魔化す様に彼に尋ねた。
「凄かった」
パァン!!
彼は言葉を言い終わるとともにサンドバッグにストレートを叩き込んだ。サンドバッグは打たれた場所から弾かれるように大きく跳ね上がった。
「おおっ……すげぇ。
て……蹴りの事だね。あ、ありがとう。
でも俺、記憶飛んじゃってるから自分でもどうやったか覚えてないんだ」
すると彼は、サンドバッグの揺れを止め振り返り僕を見た。
「あの蹴りは、素人が出来るもんじゃねぇ。
お前、なんか格闘技やってたのか?
打ち込んだ場所、角度、相手の僅かな隙を突く技術、とてもじゃねぇが一長一短に身につくもんじゃねぇ」
「格闘技なんてやった事ねぇよ。
学校で柔道習ったぐらいだ」
「……やってみろ」
そう言うと彼はサンドバッグの前から退き、パンッとひと叩きした。
「や、あれは偶然だから……」
「やれ」
有無を言わさない感じだ。試合の時は思わなかったが、刺青の分、怖さが増している。街であったら絶対目を逸らすわ。
「わかったよ……」
そう言って構えると、右足に力を込めて全力で打った。
ベチッ……
部屋中に情けない音が響き渡る。僕はサンドバッグに押し返され、情けなく尻餅をついた。
「痛ぇ! スネ、めっちゃ痛い!!」
「やっぱまぐれか」
そう言うと彼は汗を拭きながら更衣室へと向かっていった。
「んだよ……」
自分でも何故あんな鋭い蹴りが打てたか分からない。本当に勝ったのか疑問だ。ゾーンにでも入ってたのかな……。
ガチャッ
「おー輝ァ!
早ぇなぁ感心感心」
僕が考え込んでいると、おっさんと柚子ちゃんが慌ただしく入ってきた。
「おはようございます」
「真田さん、おはようございます。
あの、凛太は……来てます?」
彼女はキョロキョロ見渡している。よっぽど好きなんだな。恋する女の子は常に好きな人を探してしまうって、僕の愛読書「恋に花咲く乙女ちゃん」に描いてある。
当たってるぜ、やっぱり凄いな、伊達に百万部売れてないぜ。
「あいつなら、更衣室にいるよ」
「そ、そうですか。良かったァ」
ビンビン感じてるぜラブコメの波動をよぉ。いやぁ青春だね。キュンキュンしちゃうぜ。
「なぁにニヤニヤしとるんじゃわれぇ。
今日はおめぇの練習メニューを教える。
これから毎日それをやれ!
柚子ォ。あれ渡せ!」
「はいはい」
彼女は呆れつつも鞄から紙を取り出し、僕に渡してきた。
「大谷流……闘魂スペシャルメヌー?」
メニューじゃなくて、メヌーとは……?
一体どんな事をやらされるんだ。
「真田さん。メニューです。
おじいちゃん横文字苦手なんです」
「あー……単純に間違いね。
えっと、なになに……。
朝……ロードワーク五キロ以上。
柔軟体操後、シヤドー……シヤドー?」
「シャドーです。
鏡の前でフォームの確認などを行う練習です」
「な、なるほど……。
その後サンドバッグ、パンチングボール、ミット打ち、ふむふむ。
マスボクシング、スパー、縄跳び、そして柔軟で終わりか」
多すぎない……?
みんなこんなに練習してんの? 毎日?
「ああ、そんな所や。柔軟の中には筋トレも入っとるからな。
ちなみにそれを一時間でやれ」
「一時間!? 余裕なさすぎじゃないです?」
こんなに沢山のメニューをたった一時間でこなせる物なのか?
「わしゃ長々とやる練習は上達せんと思うとる。
短時間にビシッと集中して終わらす事に意味があるんじゃ。
筋トレも何もかも長くやればいいてもんじゃねぇだよ」
そんなもんなのか。未経験だから分からん。
「よっしゃあ、柔軟は終わったんか?
終わったならわしが教えたるからついて来い」
「はい、よろしくお願いします」
僕はこの時知らなかった。この後想像を絶する地獄を味わう事になるとは……。
練習中のおっさんは人が変わったかの様に厳しい。少しでも手を抜くと喝が飛ぶ。なので常に全力でやり抜かなければならず。一つのメニューが終わる頃にはくたくたになる。
しかし、一分の休憩後、すぐに次のメニューへと強制的に進む。後半疲労で何をやってるかわからなかった。
おっさんの言葉の意味を理解した。長々とやったって辛いのが長引くだけで身につきにくいんだ……。
終わった頃には僕はベンチで抜け殻の様になっていた。
「情けねぇ」
非常な一言を呟き、凛太はジムを後にした。あいついつか僕のパンチでダウンさせ、マットにキスさせてやる。
でも、なんだかんだ彼は僕の練習をずっと見てた。自分からスパーも手伝ってくれたし、案外いい奴なのかも……。
♪~
大音量で昭和の演歌が流れた。どうやら着信音の様だ。
「なんや。
おう……おう……。
で、落とし前付けたんか……」
なんか物騒な話してるな……。
「なんやと!!
それでおどれはイモ引いたっちゅうんか!?」
「イモ……?」
「びびったのかって意味」
柚子ちゃんが隣に来て教えてくれた。彼女を見ると表情はとても険しかった。これはただ事ではないようだ。
「おめぇが落とし前つけぇ!
エンコ詰めろ」
「エンコって?」
僕は柚子ちゃんに尋ねた。
「……指よ」
「指ぃ? 切るって……こと?」
彼女は静かに頷いた。おいおい怖くなってきたぞ。あの人がやくざだって事を再認識させられた。
「……おう、そいつのガラ押さえとけ。
わしがいく」
そう言って電話を切り、僕らの方を見た。その顔はいつも通りの陽気なおっさんだった。僕にはそれが尚更怖かった。
「おう、ちょっくらいってくら。
帰るならしっかり柔軟しとけ」
彼は何処かに電話するとジムから出て行った。恐らく車を呼んだのだろう。
「話からすると、誰かやられるのかなあ」
僕はしんとなった空気に耐えきれず、柚子ちゃんに話しかけた。
「うん……多分」
「そっか……やっぱりおっさんもヤクザなんだなって思ったよ」
それを聞くと彼女は僕を見た。
「真田さんは、ヤクザ嫌い?」
「いや、どうだろう……。嫌いと言うより怖いかな。何も罪のない人を脅したり、殺したりしてそうなイメージだし」
その瞬間、彼女の目から光が消えたようにみえた。
「何も罪のない人なんていないよ」
「え?」
彼女は囁くように言った。
「真田さんは、何も後ろめたい事が無い人がいると思う?」
「それは……いないと思う」
誰しも人に言えないことはある物だ。どんなに善人でも。
「だよね。嘘をついた事が無い人なんていないし、もっと言うと盗みをした事ない人もいないよね」
「え……いや、盗みは俺はないよ。
嘘はあるけどね」
「本当に?
盗み聞きしたことはない?
盗み見は? 人の技術を盗んだことはない?」
「そんなこと言ったらみんなやってるよ。
その言い方だと人間は罪を犯さないと生きれないみたいじゃん」
「そう、人間は生きてるだけで罪をなんだよ。
だから、ニュースで罪のない人が大勢亡くなったとか言うけど、それは小さい罪が巡り巡って本人に帰ってきてるだけだと思う」
巡り巡って……。僕は胸がドクンと脈打った。
亮が死んだ事も当然だと言っているように聞こえたから。
「言ってることはわかるよ。
でもそれで死んだのが当たり前みたいな言い方は好きじゃないね」
「……ですよねっ!
ごめんなさい。変な事言って」
先程の雰囲気とは打って変わって笑顔に戻った。
どうやら僕の表情を見て気を使ってくれたようだ。僕も大人気なかったかもしれない。
「こちらこそ、空気悪くしてごめんね」
「いえいえ、でも忘れないでください。
この世の中が、ヤクザを必要としてるってこと」
彼女は不適に笑って立ち上がり、片付けを始めた。僕はその顔に思わず背筋が凍った。世の中が……か。なんか嫌だな、二面性がある子なのかも。
僕は片付けを手伝い、ぞろぞろと増えてきた会員の方々に軽く挨拶をし、ジムを後にした。
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あっ……空からだ。
え……どういうこと?
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