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第三話『 成 』 - 06 /08

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「……俺、と?――じゃあ、やっぱりあいつは、今もここに居るって事か?」
「はい。雪平さんは今も、夜桜さんに寄り添っている状態です」
「……本当に、本当にここに居るのか」
「はい」
「そうか……」
 そう言った夜桜は、脱力したように軽く項垂れ、自嘲しながら手のひらを額に押し当てるようにして肘をついた。
「なら、俺は最低だな」
「?」
 項垂れたようにしたままそう呟いた夜桜に、禰琥壱と綺刀は疑問の表情を返す。
「大切な奴がそんなにそばにいるのに、何も感じやしねぇ……二年間もだ……。最低だ……」
「それは、夜桜さんのせいではないです」
「霊感がないから……とか、そんなところか」
「いえ、違います。雪平さんが夜桜さんに抱かれている思いは、恨みや憎悪とは真逆の温かなものなんです。例えば、身を案じる者として、そして見守る者として存在する守護霊ですが、憑いている人は結構な割合で居るのに、誰も気付かないでしょう。これは、見守る思念を持っているからであって、その思いは当人に届く必要がないからです。ただ、雪平さんの場合は、その温かな見守る思念に加え、夜桜さんへの恋情、愛情があります。――だからきっと、やっと会えた夜桜さんとお話しされたくて、我慢ができなかったんですよね」
「…………」
 ちらりと夜桜の肩口を見やった禰琥壱は、何者かの反応を見たかのように優しげに微笑んだ後、再び続けた。
「人間は、起きている間というのは心の隙がなかなかできません。特に、夜桜さんのように常に忙しくされていて、落ち込むような暇も無いような方はより隙がないんです。ですが、寝ている時は違います。寝ている時は、皆等しく隙だらけなんです。だから雪平さんは、そこを利用して、どうしても夜桜さんに伝えたい事を伝えに行った」
「だから、夢の中で?」
「そんなところです」
 禰琥壱が頷きながらそう言うと、少し考えたようにしてから夜桜は再び禰琥壱に問う。
「どうして、あいつはあっちに行けなかったんだ? 俺のその懺悔の念が引き寄せちまった、とかか?」
「そこまではわかりませんが、その可能性はあります。ですが、可能性はある、というだけです」
「……そうなのか。そうだ、ここに居るって事は、つまり君には、あいつが見えてるんだよな」
「……えぇ」
 禰琥壱は、目の前に座る夜桜の頭よりも高い位置。丁度、夜桜の斜め後ろに人が立っている場合に顔があるであろう部分に視線を向け、そこをしっかりと見てそう答えた。
 夜桜は、その視線につられるようにして、微かに首を横に向けやや背後に視線をやる。
「ここに……居るんだな」
「はい」
「あいつは今、どんな顔してるんだ」
「……少し、悲しそうな表情、でしょうか」
「そうか。君なら、こいつと会話ができるのか」
「えぇ、雪平さんが答えて下されば、可能です」
「じゃあ、訊いてくれないか。お前は、俺にどうしてほしいのかって」
「……わかりました」
 そう言った禰琥壱が、夜桜の傍に寄り添っている雪平の表情を改めて伺うように視線を向けようとすると、禰琥壱の隣に座る綺刀から声がかかった。
「センセ」
「ん?」
「話割ってごめん。あのさ、良かったら俺、貸そうか」
「……いいのかい?」
「うん。コッチも良いって言ってるし、二人がそれでいいなら」
 綺刀はコッチ、と言いつつ自らの胸をとんとんと親指で軽くつくように示しながらそう言った。
 コッチ、というのは彼の中に宿る番犬の事だろう。
 だが、夜桜はその会話が理解できず、疑問の声を漏らす。
「すまない。どういう事だ?」
「あの、夜桜さん。宜しければなんですが、夜桜さんが雪平さんと直接お話しするのはいかがでしょうか」
「俺が?」
「はい。夜桜さんのお気持ちに問題がなければ、綺刀君の体を、一時的に雪平さんにお貸しします。本当に一時的にですが、どうしても訊きたかった事の返事を、雪平さんの言葉で知る事ができるならば、俺はそれが一番だと思います」
「まぁ、外見が俺のままなんで、若干気持ち悪いかもしれないっすけど」
「はは、まさか。そんな事、微塵も思わないよ。でも、大丈夫なのか? その、憑依っていうんだったか……そんな事をして、体に負担がかかったりとか」
「それは大丈夫っすよ」
 心配する夜桜に綺刀はそう言って、頼りがいのある笑みで答える。
「悪魔とか悪霊を入れるわけでもないですし、一時的な橋渡しっすから」
「…………」
「どうされますか?」
「……俺としては、綺刀君の身の安全に問題がないのなら、すまないが、お願いしたい」
「大丈夫です。俺も危険性がある事はさせませんから。――……雪平さんも、よろしいですか?」
 今度ははっきりと雪平を見据え、禰琥壱がそう問う。
 夜桜は、じっと耳を澄ませてみた。
 目の前では綺刀もまた、雪平が居るのであろう場所に視線を向けて優しげに笑いかけて頷いている。
 その中で、夜桜は何も聞こえはしなかったものの、ただほんの少しだけ、自分の背後から"何か"を感じたような気がした。
「わかりました」
 その直後、禰琥壱がそう言った。
 夜桜はなんだかはわからないが、その"何か"の感覚で胸が締めつけられるような気持ちになった。その時、確かにその存在を感じられたような気がしたのだ。
 
 
 
 一同はそれから、向かい合わせのソファに場所を移し、低めのテーブルを挟み座った。
 夜桜と綺刀あやとが同じソファに座り、その向かいに禰琥壱ねこいちが座る。
 そして、会話がしやすいような距離をとり、夜桜と綺刀は半身を向かい合わせる。
「それじゃ、いいっすか」
「あ、あぁ」
「じゃあ、夜桜さんはとりあえず、そのままリラックスしててくださいね」
「わかった」
 なんとなく緊張して、夜桜は自分の鼓動が早まるのを感じる。
「じゃあ、はい。雪平ゆきひらさん、手」
 目の前の青年は。誰かがいるようには見えない空中に向かって、両方の手のひらを上に向け、そっと手前に差し出した。それはまるで、誰かの手を取り導こうとするかのような動作だった。
 夜桜は今、あり得るわけがないと言われるような光景を目の当たりにしている。
 きっとこれが、画面越しのでき事ならば。
 いつの間にか親しい友人から、かけがえのない想い人となっていた彼を失う前の出来事ならば。
 あり得るわけがないだろうと笑っただろう。笑えたのだろう。
「大丈夫。はい、深呼吸」
 綺刀は優しい声でそう言い、誰かの手を取ったかのように引き寄せながら目を閉じる。
 そして俯くようにしながら、その額を何かにあてがった。
「こんなチャンス、なかなかないから。言いたい事、全部言うんすよ……」
 綺刀がそう言った後、少しの間静寂が訪れ、ゆっくりと彼の両手が閉じられた。
 そして、その閉じられた瞳がゆっくりと開かれる。
 すると、まず目を開いた直後に目の前の禰琥壱と目が合ったらしく、彼は驚いたように目を見開いているようだった。
 だがそんな彼に禰琥壱は優しく微笑み、その視線を一度夜桜の方に移してから、再び彼と目を合わせる。
 夜桜はただ、そんな二人のやり取りを見ていたが、禰琥壱の視線に促されるようにして自分の方へと向けられたその双眸と目が合い、心臓が跳ねた。
 それは、懐かしい目だった。
 外見上は確かに綺刀に違いはないし、目の色が物理的に変わったわけでもない。
 だが、それはもう綺刀の目ではなかった。
 目は口ほどにものを言うなどと云うが、それを改めて感じさせるような瞬間だった。
 今。目の前にいる人物の外見は、確かに綺刀に変わりないのだが、中身は別人だとわかる。人の表情や目線というものは、それほど個性が出やすいものなのだ。
 夜桜は職業柄、そういった人の表情や目線などで様々な情報を得る技術を要されてきた。
 だから、その技術を磨いてきた夜桜には、よりはっきりとわかる。
 今、目の前にいるのは、綺刀の体を借りた雪平なのだと。その瞳を見て確信した。
 そんな雪平は今、不安そうな顔をしている。更には動揺して、呼吸も落ち着いていない。
 口を開きかけては閉じを繰り返し、何を言えばいいのかわからないといった様子だった。
 彼はそのようにして、今にも泣きそうな顔で戸惑い続けている。
 そんな表情すらも、今となってはもう何もかもが懐かしい。
「……眞世まなせ
「……っ」
 夜桜に名を呼ばれた雪平は、また少し目を見開き、震える息で必死に呼吸する。
「……りょう
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