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🎐本章❖第五話🎐

第五話『 友の行方 』 - 02 / 05

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 禰琥壱ねこいちのその言葉が、出鱈目や建前で紡がれたものではないと分かっていたからだ。
 禰琥壱は本心からそう思ってくれている。
 雪翔ゆきとは、彼の言葉をそう感じた。
 また、そんな雪翔はこの気持ちを両親に抱く事も多かった。
 だが、それもまた、どうしようもできないままだった。
 一時期は、そんな両親の為に勉強を頑張ってみようと思った事もあった。
 しかしそれは、三日どころか、一日も持続する事ができなかった。
 恐れくそれは、以前禰琥壱が言ったように、雪翔にとって興味のない勉強だったからなのだろう。
(でも……原因はきっとそれだけじゃない……きっとそれは、俺の意志が弱いのと、上手い逃げ道を知っちゃってたからなんだよな……)
 雪翔が思うように、雪翔がそうして勉学に励む事ができなかったのは、雪翔が馴染んでいたその環境も原因だったのだ。
 己が築いた交友関係。
 知ってしまった、多様な娯楽。
 数多に知り得た、面倒事からの便利な抜け道。
 それらは全て、彼の怠慢を甘やかした。
 そして、そうして甘やかされきった彼には、努力などという苦労を継続する事はできなかったのだった。
 だが、今は違う。
(――俺は、今からでも、ちゃんとやり直したい)
 今の彼は、その心から恩を返したい人と、その人が導いてくれた新しい世界があった。
(だから――今はどんなに馬鹿にされても、白い目で見られても、やっぱ、ちゃんと前に進まないと駄目だよな) 
 そしてそう思った雪翔は、改めて禰琥壱に言った。
「――え、えっと、禰琥壱さん。――ぐずぐず悩んですいませんでした。あの、もし本当に邪魔じゃなければ、――俺も一緒に居させてください」
 すると、雪翔の言葉に禰琥壱は嬉しそうに頷いた。
「うん。もちろん大丈夫だよ。喜んで。――それに多分、君たちはすぐに仲良くなれると思うんだよね」
 雪翔は、そんな禰琥壱の言葉に戸惑いながら素直に言った。
「えっ……そ、それは――どうすかね……」
 何せ禰琥壱のその後輩は、真面目で勤勉な学生だ。そうに違いないのだ。
(――って事は、絶対髪は黒だな――もし染めてても暗い茶色とかだ――で、もし金髪だったとしても今日だけ染めてきたとかだろうな。――きっと明日には黒に戻ってる――で、絶対眼鏡だろ?――だって禰琥壱さんも眼鏡だし。――そしたらもう絶対眼鏡だわ――そんでもしかけてなかったら、そん時は絶対コンタクトだな――真面目な奴は大体が勉強のしすぎで視力悪いって相場が決まってるからな――これは絶対だわ)
 そして雪翔はそこまで考えると、次に、自分の中で勝手に作り上げたその禰琥壱の後輩が、あの玄関から入ってきては爽やかに“お邪魔します”などと言って頭を下げる様子を想像した。
 そして、結論を出した。
(……絶対に仲良くなんてなれないわ――きっとどんなに俺が歩み寄っても、向こうが二倍速で引いてくわ……)
 そんな雪翔の外見と言えば、数点のピアスに銀色の長髪。
 また、眼鏡など、ファッションの一環でしか着用したことがない。
 更に、そうして着用はしたものの、レンズが邪魔になりそれを抜いた事もあったし、結局はすぐに落として踏んで壊した。
 そしてそれ以降、眼鏡とは絶縁中だ。
 また、雪翔が仲良くなれなかったのは眼鏡とだけではない。
 敬語もそうだった。
 雪翔は、今でこそ禰琥壱に対して絞り出した敬語を使っているか、これまでは、大体の挨拶も、――あす、ざす、うす、す、――の四段活用で済ませてきた。
 そして、それが少し丁寧に変化しても、――あっす、あざす、うぃす、しゃす、――だ。
 これがまた便利なのだが、きっとそんな敬語もどきを使えば、その後輩には伝わらないか、そんな年下の対応を不快に思うかだろう。
 そこで雪翔は改めて思った。
(禰琥壱さん……俺達、絶対仲良くなれないっす――どうして仲良くなれるって思ったんすか……)
 そして、雪翔はその後、禰琥壱が何を根拠にそんな事を言っているのかと疑問にまみれながらその後輩とやらの来訪を待ったのだった。
 
 
 
 そして、それから少し経った昼時の事。
 禰琥壱がほどよく昼食の用意を終えたタイミングで、インターホンが来客を知らせた。
「あぁ、来たみたいだね」
 すると、禰琥壱はそう言うなりインターホンを確認した。
 そして、インターホン越しにその来客に言った。
「――暑い中お疲れ様。今開けるから、少し待っててね」
 すると、インターホンからはその来客の返事らしきものが聞こえたような気がした。
 禰琥壱は、それにまた返事を返すと、そのまま玄関へ向かった。
 そしてそれを見るなり雪翔もまた、やや緊張しながらその後に続いた。
(つ……ついに来た……さぁ何色だ……一体何色の眼鏡してくんだ……)
 ただ、緊張のせいか、雪翔の思考は既によく分からない方へと思考を飛んでいた。
 だが、そんな雪翔は、その来訪者の顔を見るなり思わず目を見開いた。
 するとそんな中、禰琥壱の後輩であろうその来訪者は、禰琥壱に挨拶をした。
「うぃーす、センセーお邪魔しゃーす――あ~マジ、ガチで死ぬかと思った~家ン中ちょ~涼し~」
 そして雪翔は、己の耳と目を疑った。
(俺……緊張しすぎて、都合のいい幻覚でも見ちまってるのか……)
 雪翔は混乱した。
 だが彼は、そんな雪翔などお構いなしに、――汗ウゼェ……猛暑とかマジだりぃ――などと言っては気怠そうに靴を脱いだ。
 そして、更にはその果てで、彼は雪翔に初対面の挨拶をした。
「あ、センセーが言ってたのお前か~、よろ~」
 そんな光景に未だ唖然としている雪翔は、とりあえず彼の挨拶に、
「す……」
 と返した。
 
 彼は、やや長めに整えたその髪を深紅に染めていた。
 また、カラーコンタクトでもしているのか、その瞳も赤く、アクセサリーやピアスもまた、耳や胸元、手首などできらめいている。
 更にはそのファッションも、地味とはかけ離れたものだった。
 そんな、ビジュアル系寄りといった具合のファッションは、モデルか、あるいはバンドマンであると言われてもしっくりくるほど彼に似合っていた。
 そして雪翔は、彼のそんな装いを見つつ、今朝の禰琥壱の言葉を思い出し、一つ思った。
(――確かにこれなら、仲良くなれそうだわ……)
 もちろん、彼の中身までは分からないが、その外見や振る舞い的には、雪翔と同じ側の人物だったのだ。
 また、そんな彼は、大学院生――つまりはまだ学生である禰琥壱の事を“センセー”と呼んでいるが、どうやらそれは、彼が勝手に禰琥壱につけたあだ名との事だった。
 なんでも禰琥壱は、彼らが所属するとあるゼミの担当教授の代わりに、研究室の番をしている事があるらしい。
 つまり、そんな禰琥壱の後輩である彼は、そんな事から――じゃあもうそれ先生みたいなもんじゃね――とこじつけ、禰琥壱を“センセー”と呼ぶようになったのだそうだ。
(――なんつぅか、すげぇテキトー感あるけど……なんか逆に色々安心したな……)
 そしてそんな事からも雪翔は、彼に対しすっかり安心していた。
 しかしそんな中、ふと不思議に思った事があった。
 確かに、禰琥壱や彼、そして雪翔が通う白狐びゃっこ大学は、芸能人の学生が多いのはもちろんだが、髪色やファッションが奇抜な学生が多い事でも有名だ。
 だがもちろんの事、そんな中でも、染められていない黒髪に眼鏡に無難なファッションといった、いわゆる地味な装いをした学生もいる。
(俺、文学部って全員地味系だと思ってたんだけど――、俺が知ってる文学部の人間、今んとこ全員派手なんだよな……。――もしかして、民俗学科だけはなんか違うんかな……)
 “全員”とは言っても、雪翔が知っている文学部の学生は、ここに居る禰琥壱と彼だけなのだが、それだけでも雪翔には十分に意外な人数だった。
(やっぱ、オカルトとかも研究するくらいだし……変わり者が多いとかなのかな……)
 雪翔はそうして、尊敬している二者に対して早速失礼な事を思いながら、また一つ、民俗学という分野に対する七不思議を垣間見たのであった。
「――それで、今は記憶がとんだりとかはしてないんだな」
「あ、はい」
 そして、そんな民俗学を専攻する学生であり、禰琥壱の後輩である彼、豪阪綺刀こうさか あやとは、雪翔に問う。
 彼らは、綺刀の来訪をきっかけに、その後はそのまま昼食をとった。
 そしてその食後には、禰琥壱の煎れた紅茶を頂きながら三人で雑談していたのだが、――その中で綺刀もまた、雪翔の現状を知る事となったのだった。
 そんな綺刀は以前から、禰琥壱が一時的に世話を焼いている人間が居るとは聞いていたそうだが、その詳細までは伝えられていなかったらしい。
 ただそれも、禰琥壱による雪翔への配慮だったのだろう。
 だが、雪翔がその話を自らした事により、綺刀も更に詳細な事情を知る事となったという事だった。
 そしてその際、その代わりとして、綺刀もまた雪翔にとある事実を伝えた。
 それは、今は亡き雪翔の友、野崎俊のざき しゅんが自殺に至るまでの事件に、綺刀も深く関わっていたという事だった。
 そして更には、綺刀もまた、あの女の霊の怨念に直接触れているという事も語った。
 そんな綺刀は、先ほどの雪翔の返事を受け、雪翔に巣食う怪に対する考察を述べた。
「なら、――今は満腹って事か」
 しかし禰琥壱は、それに対し別の考察を提示した。
「いや……恐らく今は、雪翔君の恐怖心や罪悪感などを喰ってるんだと思う」
 すると綺刀は、それに素直に納得した。
「あぁ……なるほど――だから、悪夢か……」
「うん」
 今、二人が考察しているのは、雪翔の中に巣食い、俊の皮を被ったあの忌まわしい化け物の事だ。
「確かにこの怪は、雪翔君が行方不明になっていた一年間は、とにかく根を張る為に、片っ端から雪翔君の記憶を喰っていたんだと思う。――だけど今は、雪翔君が普段の生活で構築している記憶を喰っている様子はない。――だから、雪翔君の普通の記憶を喰っていないのは確かだ。――でも、執拗にあの悪夢を見せ、雪翔君の罪悪感を刺激し、また痛みや恐怖を与えて強い感情を無理矢理抱かせている以上は、やはりそういった強い感情から栄養を得ていると俺は考えてる――んだけど、――ただ……」
「? “ただ”?」
 綺刀は、そうして述べられた禰琥壱の考察に頷いていた。
 だが、そこで何かを考えるようにして言葉を切った禰琥壱に、綺刀は首を傾げて問う。
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