Ninfea

蠍ノ 丘

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犬擬き

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 ロギアは勢いよく階段を駆け下りると、後ろではアリアが何度もこけそうになる。

 一階に到着し辺りを見回しても先程の連中の影どころか気配さえ感じられない。

「誰もいないみたいだな……」

 “俺が来た階段以外の所を捜索しているのか? だったら好都合だが……”

 隣を見るとアリアが肩を大きく上下させながら呼吸を整えていた。

「はあ、はあ、何とか……ぬ、抜け出せそ……」

 傍にいるアリアが安心したように言いかけるが、その直ぐ傍にある出口の方を見て言葉が詰まる。

「ん? どうかしたか?」

 アリアの視線の先、自分達の直ぐ隣にあるショッピングセンターの出口へと視線を移す。

「ろ、ロギ……あれ……」

 アリアが掠れた声でそう呟くのとロギアがアリアを庇う様な形で後ろへと下がらせるのはほぼ同時だった。

「ヴヴヴヴヴ……」

 出口から五、六メートル程離れた所に身体中ボロボロの大型犬が一匹、自分達を見て低い唸り声を上げる。見張りもおらず感染者が中に居た、その理由を考えもしなかった事に今更ながら後悔した。

 “――ッ! 今度は犬かッ!!”

 ロギアは咄嗟に周囲を見回し他の出入口を探す。犬を階段で撒くのは不可能だ。それより障害物となる物が多い食品売場に逃げ込む方が撒く事が出来る可能性がある。 
 それに食品売場からは裏口へと繋がる扉があるのでそこまで逃げる事が出来れば何とかなるのだが、自分一人では無く体力をけっこう消耗してしまっているアリアがいる。もし犬が目の前にいる一匹だけならば、かなり危険な方法なのだが――。

「くそっ!」

 犬を睨みロギアが小声で毒づくのと犬が駆け寄ってくるのは殆ど同時だった。犬が駆け寄って来た時点でロギアは逃げ切れないと判断し直ぐにアタッシュケースを置き腰に着けているホルスターから拳銃を引き抜く。
 戦闘態勢に入るロギアを見てアリアは直ぐにアタッシュケースを拾い上げる。

 “……クッ!! たとえ銃声で外に居た連中に気付かれる事になったとしてもここで犬に噛み千切られズタズタにされるよりはマシだ!”

 その間も犬との距離があっという間に縮まり、駆け寄って来る犬の紅い瞳、開いた口からだらだらと垂れる粘液がはっきりと見える。

 ロギアは銃口を上げ、犬の頭へと狙いを付けた。

 犬は真っ直ぐ目の前の獲物の首を狙い、走る速度を落とす事無くジャンプする。犬の脚が地面から離れた直後ロギアは躊躇なく引き金を引いた。

 銃口から放たれた弾丸は真っ直ぐ、空中で無防備な犬の眉間を撃ち抜き、頭の大部分を弾け飛ばす。

「ギャッ!!」

 短い鳴き声を上げ、頭の大部分を失った犬が地面に叩き付けられる。

「とっとと脱け出すぞ!」

 犬が地面に叩き付けられるのを見届ける前にアリアの元に駆け寄り手首を掴むと、真っ先に倒れた犬の向こうに見える出口へと走り抜けようとする、が――

「ヴヴヴヴヴ……」

 またしても唸り声が聞こえ、ロギアは発生源を見付けようと周囲を確認するが辺りには頭の大部分を失い、倒れている犬だけしか見当たらない。

 “何処にいる……”

 ロギアは神経を集中させ唸り声を上げた何かを視界に捉えようとする。

 するとロギア達が向かおうとしていた正面の出口からさっきの犬よりも少しばかり大きい犬が姿を現した。

 “不味いな……”

 新たに別の犬が来ている事を確認したロギアは拳銃を持つ手に力を入れ数歩後退る。後ろにいたアリアもそれに合わせて少しずつ後退して行き、ロギアとアリアは犬から一切目を反らす事無く徐々に犬との距離を広げていく。
 一方、新たにやってきた犬も唸り声は上げているが、倒れた犬の傍迄来るとそこからロギアとアリアをじっと見つめているだけで、今の所は大きな物音をたてない以上近寄ってくる気配はない。

「ん……」

 神経を研ぎ澄ませているせいか、辺りが静か過ぎるせいか背後でアリアが息を飲み込む音が聞こえた。

 ロギアもなるべく犬を刺激しないよう最小限の大きさで手を動かしアリアにもっと下がれと合図を送る。アリアもその合図を見逃す事無く更に後退しようとした時――

「ヴヴヴヴ……」「ガルルルル……」「グヴ……」この状況を絶望的にする音が二人の耳に聞こえた。初めは一つだけだと思っていた犬の唸り声が二重にも三重にも聞こえ、一匹だと思っていた犬が二匹、三匹と新たに加わり計四匹もの群れへと変化し、倒れている犬の所へと集まって来る。そして最初に来た一匹の犬と同じように全ての犬が紅く染まった瞳で、後退るロギアとアリアをじっと見つめる。

「嘘だろ……」「嘘でしょ……」

 目の前の予想外の光景に二人は思わず声が漏れ、それが合図だったかの様に犬の群れの先頭にいる犬が唸り声を上げ脚を一歩前へと進めた。

 “流石にこれ以上は……無理だろうな”そう考えたロギアは――

「食品売り場の中に従業員専用とかいう裏口がある!! そこまで走れ!!」そう言い放つ。

「う、うん!」犬の群れから目を離せなかったアリアもロギアの声で我に返り、直ぐに返事をすると直ぐ近くに見える食品売場へと走り出す。その動作と目の前の犬の群れが駈け出すのは殆ど同時だった。

 ロギアはアリアが駈け出した直後に、まず先頭で走る犬に向け引金を引いた。

 先頭の犬の頭が弾ける。

 続け様に他の犬に向け引金を引き続ける。標的が思いのほか早かった為、百発百中とはいかなかったものの銃口から放たれた弾丸は、それぞれの犬の脚、頭等にそれぞれ命中し、残りの三匹程の動きを止める。しかし打ち損ねた一匹がロギアの首筋目掛け跳躍した。

「クッ!」ロギアは身体を大きく捻った。一瞬の間を置かずガチッ、と顔の直ぐ横で犬の歯が噛み合わさる。

「――フンッ!!」

 左の拳に力を入れ、通り過ぎる犬の喉に向け渾身の一撃を叩き込んだ。

 ギィ! 犬とは思えないような不気味な悲鳴を上げ、それは壁に激突した。
 ロギアは態勢を立て直そうとする犬に近付くと問答無用で犬の顎を蹴り上げる。足裏で何かが砕けるのを感じ、犬は悲鳴を上げる事無く、首があらぬ方向へと捻じ曲がり動かなくなった。

「……ふぅ、ギリギリ何とか、なったな」

 弾切れになった拳銃を見てから全ての犬が動けなくなったのを確認し息を吐き肩の力を抜いた時、最初に頭を銃で吹き飛ばし、倒れていた犬が不気味な動きでムクリと起き上がり顔があった部分を――いや首の向きをロギアに向けた。

「気持ち悪……ッ!」

 拳銃に弾を込めながらも急いでアリアの所、裏口がある所へと駈け出した。
 
 既にアリアとの距離が離れており、裏口に近い場所に居た。度々こちらに振り返り、心配そうな視線を向けている。

 直ぐ後ろから不気味な足音と共に臓物が落ちる様な音とヒューヒューと空気が抜ける様な嫌な物が徐々に大きくなっていく。

「追いつかれるかっ――」

 ロギアは食品売場に飛び込む様に入ると傍に落ちていた棒切れをすぐさま拾い上げる。そして――不気味な音に合わせる様に振り向き際に握った棒切れを垂直に振るう。

 棒切れを持つ腕に重い衝撃と「ベチョッ?」正にそんな気色悪い音と共に感染した犬、【犬擬き】の図体がへしゃげ隣に並ぶように設置してある商品棚に勢いよくぶつかった。

 その拍子に犬擬きの血液がロギアの顔にかかるが、顔に付着した血液については無視し再び走り出す。

 視界の先に、裏口と思われる扉をアリアが開けている姿が目に入る。「よし」アリアが無事に扉まで着けた事に安堵したロギアだったが、再び軽快に液体を床に叩き付ける嫌な音が耳に入り咄嗟にその場にしゃがみ込む。その頭上を犬擬きの前足がかすむ。

「しつこいぞ、お前」

 ロギアは起き上がるのと同時に近くに並んだ商品を犬擬きへと投げつける。当たりはしたものの犬擬きは転んだりする程度だった。

 他にも嫌な足音が幾つか聞こえた為ロギアは転んだ犬擬きの脇を通り抜け一直線にアリアがいる扉へと走り抜ける。

「ロギ! 急いで!!」

 アリアのその表情からも犬擬きが直ぐ後ろまで迫って来ているのは把握出来た。アリアは扉を開けロギアが入った後に直ぐに扉を閉める準備をしているのが見える。

 扉迄あと数メートルの所まで来た時、直ぐ後ろで犬擬きの脚が床を離れる音がし、ロギアも脚を踏み込み空いている扉に向け飛び込んだ。

 タイミングはバッチシだった。ロギアが裏口に滑り込んだ途端に扉が勢いよく閉まり、扉の向こう側からは鈍い音が響く。

「あうっ!」
 その余りの重さにアリアが声を漏らし、ロギアも直ぐに態勢を立て直すとアリアと共に扉を押さえ、近くあった重めの段ボールを何個も扉の前へとずらした。数回の衝撃の後、扉からの振動が無くなったのを身体で感じたロギアは肩の力を抜いた。

「よし……取り敢えずはこれで大丈夫だろう」

「え、あ・・・・う、うん」

 アリアは重めの段ボールだけでは不安だったのか、付近にある物を扉の前まで移動させそっと後ずさりして扉から離れる。

 ロギアもアリアも息がすっかり上がっていた。

「あ、あれって……」呼吸を整えながら喋るアリアにロギアは頷いて応える。

「ああ、犬だな……」ロギアは溜息をしつつ続ける「外で障害物が一切無い様な所で出くわさなくて良かったな……それだと流石に振り切れそうにないからな」

 その言葉を聞きアリアは身体を強張らせた。

「そ……そう、なんだ。良かった……」安堵し胸を撫で下ろすアリアを見てロギアは首を横に振る。その反応にアリアも固まった。

「いや、そうでもない。あんだけ銃を連発し、騒げば外に居た連中は当然、更に他の感染者共も引き付けるだろうな」

「……」
 息が上がった二人は深呼吸をし少しでも落ち着かせる。

 “流石にまた戻るのも危ないな……このまま裏口から安全に出られれば良いが”

「よし、このまま裏口から出よう、っていうかそれしかない。俺が先に行くから何かあったら出来るだけ援護してくれると助かる」

「う、うん、分かった……」

 アリアが俯いたまま小さく返事し、ロギアはそんなアリアの背中を軽く叩く。「っ!」アリアは少し困惑したような面持ちで顔を上げる。

「無事に抜け出せる、心配するな」ロギアはそう言うと歩き始めた。

「うん……ありがとぅ……」最後の言葉がロギアの耳に聞こえたか、反応が無いせいかアリアには判断がつかなかったがロギアとの距離が離れない様小走りで前を行くロギアを追いかけた。
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