稲荷詣で

斐川 帙

文字の大きさ
12 / 155
二、一時帰国

(六)

しおりを挟む
 しかし、それらの記憶も、帰国した今となっては、遠い過去か、全く別世界のような感覚で脳裏に蘇っていた。まるで他人事ひとごとのようだった。
「よく、がまんしてきたな。」と、布団の中に寝転がりながら、天井に向かって、つぶやいた。誰も、自分に、このような言葉をかけてくることはあるまいから、自分で自分を慰めてみたくなった。
 しかし、同時に、「この程度のことは、人によっては大したことじゃないのかもしれない。」と思う自分もいて、自分の情けなさに気が滅入った。
 世の中には自ら進んで海外に出て行く人は大勢いる。そういう人たちにとって、海外は、飛躍のチャンスであり、成功を勝ち取るステップである。彼らから見れば、海外出張の機会を偶然与えられたにも関わらず、それを苦にして早い帰国を切望する芳野の気持ちは理解できないであろうし、折角のチャンスをドブに捨てる馬鹿なやつと呆れているかもしれない。そう思うと、自分は平凡な人間として、世間に埋もれて終わる小さい人間なんだと嘆息した。しかし、すぐに、所詮、大抵の人間は、そういうものなのだと思いなおして、それ以上、考えることはやめにした。また、一週間後には米国に戻るのだ。くだらない事で思い悩んでも仕方ない。

 芳野は、せっかくの一時帰国なのだから、行ける所には行っておこうと言う気持ちが起こって来た。しかし、いざ、どこに行こうかと言う段になって、はたと悩んでしまった。特に行きたいところが思い浮かばないのだ。こんなときは、とりあえず、鉄道会社のCMではないが、京都に行っておこうかと思った。京都に行けば、何かしら、見るところはあるだろうと。実に安直な発想であった。

 そういえば、去年の秋に訪れた伏見稲荷大社はどうだろうか、と思い当たった。
 日本全国至る所にあるお稲荷さんの総本社を、去年、初めて訪れたのだ。毎年、初詣の参拝者数上位に名を連ねる全国的に有名な神社だが、東京に住んでいる芳野には縁遠い神社でもあった。

 去年参拝し米国出張の無事を祈願したから、今度は、無事、一時帰国できたことの報告に伺おうと、わざわざ伏見まで出向く理由も考え出してみた。

 時計を見た。
 今から、支度して、東京駅に向かえば、新大阪に向かう新幹線の始発に乗れる。京都には九時くらいには着くだろうか。たっぷりと時間ができる。ついでに他の神社も回ってこようかなどと思いを廻らした。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...