無責任な大人達

Jane

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可哀想な子 12

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 髭野先生は毎日普通科に顔を出してくれる。進学科にいた時よりも頻繁に顔を見るし、色々な話をしてくれる。自分の自慢話は一切しない。自分が今まで何をしてきたのは話に出ない。長年の教師生活の中で出会ったいわゆる問題児と呼ばれる子がどう立ち直っていったか、数十年後会いに来た生徒が語った事、先生の友人の旅行記まで。小学校でも中学校でも、親からも誰からも聞けない話ばかり。
 先生は1人のいじめの被害生徒の事を教えてくれた。その生徒はクラスでいじめられた後、不登校になり卒業した。高校は出席日数が足りなくて全日制には行けなかったが、通信制に入学した。その後、勉強を頑張り海外の学校に留学。そのまま海外の大学に入り、医師になり活躍している。
 普通科の生徒はその話にホッとする。でも、髭野先生は聞こえの良い話ばかりはしてくれない。
 1年生の終わり頃に話してくれたのは、いじめの加害者のその後。彼は暴力的で支配的だった。小学校で暴力を伴ういじめをして怒られたが、中学校では狡猾に人をいじめた。保護者はどんな時も「うちの子は悪くない」と言った。高校に進学、大学に進学と順調に行ったが、大学で付き合っていた彼女を殴り殺した。彼女はそれ以前からずっとDVを受けていた。
 髭野先生は泣いた。もしもあの時、小学校の時もっと彼と向き合う事が出来ていたら、と。先生がまだ20代の頃の話だ。
 和泉先生は髭野先生がいなくなった後に付け足した。「先生はその彼の担任ではなかったの。若くてやる気に満ちていたけど、違う学年の生徒に向き合う事はなかなか難しい。でも、先生はとても後悔している、自分が何も行動に移さなかった事に」
 私が髭野先生を傷付けていた様にすら感じて、苦しくなった。
 そして髭野先生だけじゃなく、木村先生や田中先生たちも話をしてくれる。耳の痛い、心が苦しくなるような話を。私たちは被害者ではなく、加害者に自分を重ねる。自分が加害者の立場にいる事に気付いたから。
 私は多分、藍ちゃんをいじめた事で、あの時怒っていた男の子たちもきっと傷付けた。彼等は本当に怒っていた。特に藍ちゃんをずっと庇っていた子の私たちへの目が忘れられない。射貫くような目。
「先生、苦しい」
「え?」
「最近、何時も苦しいの」今までの事を思い出すと苦しくなる。
 和泉先生は優しく私の背中を擦ってくれた。「そう。それは罪悪感だと思うわ。その罪悪感が消える事はないと思う。でも、した事に対してこれからどうすれば良いのか、萌加さんが自分で考えなければいけない事よ」
「どうやって?」
「人によって色々だから正解はないと思う。でも、一緒に探していきましょう」和泉先生が何時もの様に優しく笑う。「家にいる時は1人が多いの?お父さんはどのくらい家にいる?」
「お父さんは遅くにしか帰って来ないです。家政婦さんが家の事をしてくれるけど、私が夕飯を食べたら帰ってしまいます」
 母が家を出てから、父は家政婦を雇った。高校に入るまでは家政婦さんと家庭教師、ピアノの先生が父の帰宅時間までいてくれた。母が家を出た当初、父は早く帰宅してくれていた。でも高校に入り父の帰宅時間は母がいる頃の様に遅いし、家政婦さんも先生も時間通りに帰宅していく。土日も同じだ。
 高校入学時に父が宣言をしていた。父は開業している歯科医で、祖父の病院より多く歯科医院を作りたがっていた。だから私が高校に入学したら、父は仕事を全力でしたい、と。一度だけ離婚する前に母と話しているのを聞いた事がある。祖父に負けたくない、兄に負けたくない。
「そうなの。なら、家に1人でいる事も多いのね。家にいる時も苦しくなったりする?」
 私は頷いた。
「重野先生の家でお父さんが帰ってくるまで過ごしてみる?」
「家?」
「寮と言うのかしら」和泉先生は言葉を選びながら話している様に感じた。「今、親元を離れている子がいるから、寮みたいになっているの。私もよく遊びに行っているのよ。もしも1人で過ごすのが不安ならお父さんとも相談してみて」
「はい」
 でも、父には話さなかった。絶対に反対する気がして。
 罪悪感は苦しくて、痛い。
 幼い頃、母が言っていた。「隠れて悪い事をしても神様が見ているのよ」信仰している宗教はないが、神様はいると思う。だから神様は私がした事を知っている。そしていずれ、神様からした事の罪の罰を受けるのだと思う。
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