無責任な大人達

Jane

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教師の子 9

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 海が丘高校には校則がない。でも、生徒は何もしない。髪の毛も染めないし、制服もきちんと着ている。ピアスや化粧をする生徒もいないし、夜出歩くような生徒もいない。おしゃれがしたいからピアスをしたい、髪の毛を染めると駄目な理由が分からない、と騒ぐ子はいない。
 自由とは責任が伴う、と教えられているから。海が丘高校の先生が何時も一生懸命生徒に向き合っている事を、俺らは知っているから。
 生徒が乱れた服装をして髪を染め、夜出歩けば『あの学校の生徒は』と言われる事を俺たちは知っている。幾ら今の時代は自由だから、昔とは違うのだからとは言っていたとしても、世間は髪の毛を染めたり夜遊びしたりする高校生をそういう目で見る。そしてそれは他の生徒や先生にも飛び火する。どんなにそこに抵抗してみたところで、今の時代の世間とはまだそういうものだ。他の生徒、先生や学校に迷惑をかける自由なら、少なくとも俺はいらない。もしかしたら中にはその事に不満を抱いている生徒もいるのかもしれないが、今のところ髪を染めてきた生徒を見た事はない。
 今はまだやらなければいけない事がたくさんある。髪の毛を染めるのも、ピアスをするのも、化粧をするのも、夜遊びをするのも、何時だって出来る。高校の3年間くらい髪の毛を染めなくても不自由はないし、本来の意味での自由はそこじゃないと俺は思っていた。。
 重野先生は学校をいずれ、セーフティネットにしたいと話していた。いじめだけでなく、虐待や理不尽な扱いを受けている子どもたちを守りたい、と。今はまだ高校だけで、授業料も高くなってしまっているけど、そのうち小学校や中学校と広げていきたい。そして安い授業料で何とか今の体制を維持したい、と。死ぬまでに叶えたい夢だと言っていた。
 海が丘高校の生徒は重野先生のその夢を皆知っている。だから、出来るだけ迷惑をかけたくないと思っていた。俺たちが世間に誇れる様な生徒である事がきっと将来の海が丘高校の為になる、と生徒の多くは本気で思っていた。
 海が丘高校を卒業したくない。高校生活は短い。小学校も中学校も辛い事の方が多かったから、長かった。でも高校生活は毎日が穏やかで、安心して通う事が出来て、好きな事に夢中になって楽しく過ごしていたから、あっと言う間に過ぎ去っていた。
 進路を決めなければいけないなんて、卒業しなくてはならないなんて。学校を卒業する事が悲しいと思える日がくるなんて、思ってもみなかった。今までは早く卒業する事だけを考えていた学生生活だったのに。
 進路は自由な様で、俺にとって一つしかなかった。
 祖父は一般的なサラリーマンでもあるけど、先祖代々から受け継いできている不動産を幾つか所有していた。そのお陰で母の稼ぎがそれ程なくとも、俺は海が丘高校へ通わせて貰えている。祖父は定年後に自分の不動産を主とした小さな不動産会社を経営していて、ゆくゆくはそこを俺に継がせたいと考えている様だった。母は一人娘だし、孫は俺一人だけだったから。
「金のことは心配するな、だから大学まできちんと行け」祖父の口癖だった。
 昔気質の寡黙な祖父だが、一度だけ泣いたのを見たことがある。それは父と母が離婚した時だ。実家に帰ってきた母と俺を、祖父母が抱きしめた時。
「俺がアイツを信用して結婚を許したばっかりに」
 祖父は結婚の挨拶に来た父の『子どもが大好きで、教育に情熱を注いでいます』と言う言葉を信じた。祖父は何処かで父の事をいけすかない男だと思っていたものの、大事な一人娘が選んだ男性で、教師と言う立派な職業に就き、教育の事に熱弁を振るう父の言葉を信じた。でも、それは母も祖母も、同じだった。今、思えば何処か子どもが好きなのか、何を持ってして教育に情熱を注いでいるのか理解しがたい、と母も祖父母も言った。
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