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2 エスケープ
エスケープ ②
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静かに呼吸しながら、そのタイミングを待っているうち、独房でのデイミオンとの会話がよみがえってきた。
『本当にいいのか?』
計画を聞いたフィルは、そう兄に尋ねたのだった。
『彼女を奪って、そのまま逃げてしまうことだってできる。オンブリアを離れて、誰も知らない場所まで。それなのに、そこまで俺を信じられる?』
デイミオンはその問いに答えることなく、弟の顔を思いきり殴った。予想していた動きではあったが、フィルバートはあえて避けなかった。重病人のような顔色のくせに驚くほどのスピードと重さがある拳で、受けたことを後悔するはめになったが。
『おまえしかいない』
自分のほうがよほど殴られたような、痛みと苦しみでぎりぎりまで追いつめられたような兄の声を思い出す。
『何の見返りも、誰の助けもなく、犯罪者と呼ばれ、同胞に追われることになる。おまえにできるか? 竜祖にかけて誓ってくれ』
荷物を押しつけ、背後の衛兵たちを気にしながら、彼はほとんど悲鳴のように聞こえる口調でそう尋ねた。
フィルはこう答えた。
『悪いけど、竜祖は信じていない。それに、もう立てられる誓いは残っていないんだ。全部使いつくしてしまった。でも約束はできるよ、デイミオン。
――剣士としての栄誉を。〈ハートレス〉としての矜持を。同胞と家族の信頼を。祖国を、竜祖を。すべて裏切って、誰からも失望され、異国で朽ちてもかまわない。……だから、彼女を守らせてくれ。必ず守り抜くから』
それを聞いたときの兄の顔を、死ぬまで忘れないのではないかと思った。安堵と、なおも残る不安と、それから……いや、邪推はよそう。殴られた頬がまた痛みだしそうだ。
そして、その時が訪れた。
駆けつける兵士たちの、大量の軍靴の音が響いた。竜騎手たちの長衣の色は赤。その先頭に、金髪の偉丈夫エサルがいる。フィルはそっと息を整えた。
「――何度も言っているだろう! そんなはずはない」
横の兵士――副官だろうか?――を怒鳴りつけている。「陛下の生体反応はここ、〈王の間〉にある。扉には網を張ってある。抜け出せるはずがない!」
解説をどうもありがとう、とフィルは思った。デイミオンは重要なところを言い忘れている。あんな扉から、どうやって侵入する隙を作るのか疑問だったが、なんとなく読めてきた。しかし、うまくいくのかどうか。
「し、しかし閣下、ナイル卿の竜がさきほどから活発に活動しています。しかも、ナイル卿が陛下に似た服装の女性と一緒に移動しているのを兵が確認していまして――」
「あの侍女じゃないのか? 陛下には影武者がいるんだぞ。もう一度よく確認しろ。目の色は竜術で変えられる」
「いえ、目は緑色だったという報告なのですが。ただ、陛下の印章指輪を見た兵が複数いるのです」
「なんだと?」エサルは立ち止まった。「待て――ナイル卿はなんと言っている?」
「同郷の侍女だとかで、旧交を温めたいと」
フィルバートには、エサルの思考が手に取るように分かった。容易に変えられるはずの瞳の色を変えていないことと、王の持ち物を身につけているということが、かえって彼に疑いを持たせているのだろう。まさかとは思いつつも、念のため、本人を確認しておこうと思ったエサルは――
(そう、あなたの思考は、朝が来れば陽が昇るのと同じくらい読みやすい)
フィルの想像通り、赤い長衣の男は身をひるがえし、扉の前に立って右手を振った。重たげな音を立てて扉と格子が上がるさまは、圧巻といえただろう。彼は扉近くの兵士たちを呼んだ。「そこの三人、俺と一緒になかへ入れ」
『本当にいいのか?』
計画を聞いたフィルは、そう兄に尋ねたのだった。
『彼女を奪って、そのまま逃げてしまうことだってできる。オンブリアを離れて、誰も知らない場所まで。それなのに、そこまで俺を信じられる?』
デイミオンはその問いに答えることなく、弟の顔を思いきり殴った。予想していた動きではあったが、フィルバートはあえて避けなかった。重病人のような顔色のくせに驚くほどのスピードと重さがある拳で、受けたことを後悔するはめになったが。
『おまえしかいない』
自分のほうがよほど殴られたような、痛みと苦しみでぎりぎりまで追いつめられたような兄の声を思い出す。
『何の見返りも、誰の助けもなく、犯罪者と呼ばれ、同胞に追われることになる。おまえにできるか? 竜祖にかけて誓ってくれ』
荷物を押しつけ、背後の衛兵たちを気にしながら、彼はほとんど悲鳴のように聞こえる口調でそう尋ねた。
フィルはこう答えた。
『悪いけど、竜祖は信じていない。それに、もう立てられる誓いは残っていないんだ。全部使いつくしてしまった。でも約束はできるよ、デイミオン。
――剣士としての栄誉を。〈ハートレス〉としての矜持を。同胞と家族の信頼を。祖国を、竜祖を。すべて裏切って、誰からも失望され、異国で朽ちてもかまわない。……だから、彼女を守らせてくれ。必ず守り抜くから』
それを聞いたときの兄の顔を、死ぬまで忘れないのではないかと思った。安堵と、なおも残る不安と、それから……いや、邪推はよそう。殴られた頬がまた痛みだしそうだ。
そして、その時が訪れた。
駆けつける兵士たちの、大量の軍靴の音が響いた。竜騎手たちの長衣の色は赤。その先頭に、金髪の偉丈夫エサルがいる。フィルはそっと息を整えた。
「――何度も言っているだろう! そんなはずはない」
横の兵士――副官だろうか?――を怒鳴りつけている。「陛下の生体反応はここ、〈王の間〉にある。扉には網を張ってある。抜け出せるはずがない!」
解説をどうもありがとう、とフィルは思った。デイミオンは重要なところを言い忘れている。あんな扉から、どうやって侵入する隙を作るのか疑問だったが、なんとなく読めてきた。しかし、うまくいくのかどうか。
「し、しかし閣下、ナイル卿の竜がさきほどから活発に活動しています。しかも、ナイル卿が陛下に似た服装の女性と一緒に移動しているのを兵が確認していまして――」
「あの侍女じゃないのか? 陛下には影武者がいるんだぞ。もう一度よく確認しろ。目の色は竜術で変えられる」
「いえ、目は緑色だったという報告なのですが。ただ、陛下の印章指輪を見た兵が複数いるのです」
「なんだと?」エサルは立ち止まった。「待て――ナイル卿はなんと言っている?」
「同郷の侍女だとかで、旧交を温めたいと」
フィルバートには、エサルの思考が手に取るように分かった。容易に変えられるはずの瞳の色を変えていないことと、王の持ち物を身につけているということが、かえって彼に疑いを持たせているのだろう。まさかとは思いつつも、念のため、本人を確認しておこうと思ったエサルは――
(そう、あなたの思考は、朝が来れば陽が昇るのと同じくらい読みやすい)
フィルの想像通り、赤い長衣の男は身をひるがえし、扉の前に立って右手を振った。重たげな音を立てて扉と格子が上がるさまは、圧巻といえただろう。彼は扉近くの兵士たちを呼んだ。「そこの三人、俺と一緒になかへ入れ」
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