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4 逃亡、西へ
Drink My Blood ④
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「部屋の支度をさせますから、食堂でお待ちになって、うちの自慢のメニューをお召し上がりください」宿賃を受け取ると、主人はお決まりの案内をした。
「今日は竜肉シチューですが、ちょっと贅沢なさるなら、メープルとマスタードのソースを添えたラム肉をお部屋にお持ちしてもいいですよ」
「食堂でかまわない」青年はそう言い、すこし考えてから、「その仔羊か鹿の血はあるか?」と尋ねてきた。
「ソーセージ用にいくらか残してはありますが。どうなさるんで?」
青年は、主人のほうに身体を近づけ、優しげな顔に似合わない野卑な仕草で唇をゆがめ、ささやいた。
「血入りの茶には男を元気にする効果があるんだよ。わかるだろう?」
「なるほど、なるほど」主人も合点した笑みを浮かべた。下世話な方向には縁がなさそうな青年に見えたが、もちろん彼も男というわけだ。それにあれだけかわいい娘なら、夜になにもないというわけにはいかないだろう。「そういうことなら、後で運ばせましょう」
♢♦♢
フィルは宿の主人と親しげに会話し、肩をたたき合ってから戻ってきた。その様子は、いかにも気のいい若者といったふうに見える。彼はいろいろな顔を持っていて、いつでもなにかの役割を演じているのではないかとリアナは疑った。
にぎやかな食堂に入ると、数人がこちらに視線を向けたものの、すぐに暖炉の前のフィドル弾きのほうへ戻された。
フィルは椅子にもたれてさりげなくあたりを観察し、エールを片手にテーブルに肘をつき、くつろいだ格好で食事をはじめた。ふだんならまずやらない仕草だが、オンブリア一の剣豪にはまず見えないということは、成功なのだろう。
リアナはかろうじて口に入る赤ワインで喉をしめした。宿屋に泊まって食堂に下りなければ、逆の意味で目立ってしまう。少しでも姿を見せておいて、ほかの客の好奇心を満たしておいたほうがいい、とフィルが主張したからだった。部屋は暖かく乾いていたが、周囲の視線が気になって、落ち着かない。
女性はリアナのほかに、忙しそうに給仕をする娘がひとりいるだけだった。カップやピッチャーを満載したお盆を上手に持って、愛想よくかけまわっている。お客の男がからかい交じりの軽い野次をとばすと、すかさず言い返して笑いをとっているあたり、この仕事にも慣れているのだろう。二人のテーブルへ飲み物を運ぶとき、娘はほんの一瞬だけはにかんでフィルを盗み見た。
「食事は入りませんか?」
よそ見をしていたリアナは、その言葉にはっとした。フィルが気づかわしげに彼女を見ている。「シチューが無理なら、パンだけでも」
リアナはためらいがちに首を振った。「今日はだめみたい」
結局のところ、食事中に二人が交わした会話はこれだけだった。味気ない時間をもてあましかけたころ、給仕の娘が寄ってきて、にこやかに言った。
「お部屋の用意ができました。……こちらへ。ご案内しますね」
「今日は竜肉シチューですが、ちょっと贅沢なさるなら、メープルとマスタードのソースを添えたラム肉をお部屋にお持ちしてもいいですよ」
「食堂でかまわない」青年はそう言い、すこし考えてから、「その仔羊か鹿の血はあるか?」と尋ねてきた。
「ソーセージ用にいくらか残してはありますが。どうなさるんで?」
青年は、主人のほうに身体を近づけ、優しげな顔に似合わない野卑な仕草で唇をゆがめ、ささやいた。
「血入りの茶には男を元気にする効果があるんだよ。わかるだろう?」
「なるほど、なるほど」主人も合点した笑みを浮かべた。下世話な方向には縁がなさそうな青年に見えたが、もちろん彼も男というわけだ。それにあれだけかわいい娘なら、夜になにもないというわけにはいかないだろう。「そういうことなら、後で運ばせましょう」
♢♦♢
フィルは宿の主人と親しげに会話し、肩をたたき合ってから戻ってきた。その様子は、いかにも気のいい若者といったふうに見える。彼はいろいろな顔を持っていて、いつでもなにかの役割を演じているのではないかとリアナは疑った。
にぎやかな食堂に入ると、数人がこちらに視線を向けたものの、すぐに暖炉の前のフィドル弾きのほうへ戻された。
フィルは椅子にもたれてさりげなくあたりを観察し、エールを片手にテーブルに肘をつき、くつろいだ格好で食事をはじめた。ふだんならまずやらない仕草だが、オンブリア一の剣豪にはまず見えないということは、成功なのだろう。
リアナはかろうじて口に入る赤ワインで喉をしめした。宿屋に泊まって食堂に下りなければ、逆の意味で目立ってしまう。少しでも姿を見せておいて、ほかの客の好奇心を満たしておいたほうがいい、とフィルが主張したからだった。部屋は暖かく乾いていたが、周囲の視線が気になって、落ち着かない。
女性はリアナのほかに、忙しそうに給仕をする娘がひとりいるだけだった。カップやピッチャーを満載したお盆を上手に持って、愛想よくかけまわっている。お客の男がからかい交じりの軽い野次をとばすと、すかさず言い返して笑いをとっているあたり、この仕事にも慣れているのだろう。二人のテーブルへ飲み物を運ぶとき、娘はほんの一瞬だけはにかんでフィルを盗み見た。
「食事は入りませんか?」
よそ見をしていたリアナは、その言葉にはっとした。フィルが気づかわしげに彼女を見ている。「シチューが無理なら、パンだけでも」
リアナはためらいがちに首を振った。「今日はだめみたい」
結局のところ、食事中に二人が交わした会話はこれだけだった。味気ない時間をもてあましかけたころ、給仕の娘が寄ってきて、にこやかに言った。
「お部屋の用意ができました。……こちらへ。ご案内しますね」
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