15 / 39
Vol.01 - 復活
01-015 疑念
しおりを挟む
ナオが目を開けると、そこには見慣れた天井があった。
(うちのリビング、か)
ソファに寝かされているらしい。
「大丈夫ですか?」
横から声がして、視線を向けると顔色の悪いケイイチの顔が視界に入った。
どこか呆然としたような、心ここにあらずといった様子。
――そりゃそうか。あんな場面を見てしまったら。
あんな――
先ほどの光景を思い出しかけ、胸のあたりになんとも嫌な不快感がせり上がってくる。
その不快感を何とかいなしつつ、ナオはARで現在時刻を確認した。
現場に出かけたのが昼前で、今はもう夕方。
どうやら6時間ほど気を失っていたらしい。
「おじさんは……」
ナオの言葉に、ケイイチが無言で首を横に振る。
「そ」
あの現場、最後の記憶。そのタイミングで博士の死はほぼ確定していた。
だから、ケイイチのその答えにショックはない。
だが、幼少期に世話になった博士が亡くなったというのに、悲しい、という気持ちが全く湧いてきていない事に、ナオは少しばかり戸惑った。
ボクはこんなに非情な人間だったんだろうか。
いや……違うか。
おじさんの姿や態度の変化。そしてあまりにおかしな――死。
状況が異常すぎて、現実味がない。
おじさんが本当に――死んだ、という事を、まだ心のどこかで信じられていないのだ。
加えて、感情を埋め尽くしたあの不快感。
その感触が、今も残り火のようにナオの胸をざわつかせる。
悲しみなんて感じてる場合か、と急き立てる。
ナオがゆっくりと体を起こすと、様子を察したハルミがホットココアを手渡してくれた。
あの時、おじさんの頭を支え、その血で真っ赤に濡れたその手は、すっかり綺麗になっている。だが、マグカップを渡すその手が、僅かに震えているのをナオは見逃さなかった。
人が大怪我をしたり、命に関わるような場面に出くわしたアンドロイドが不調になる事はよくある。ハルミさんも少なからぬショックを受けたんだろう。近いうちにメンテナンスをしてあげないと。
そんな事を考えながらココアをちびちびと飲んでいると、体が温まってきたからだろうか、少し頭が回るようになってきた。
だが、どこか本調子じゃない。
「寝てる間に何かしたでしょ」
「してません」
ケイイチに向けてわざと悪ふざけのような事を言ってみるが、切れ味が今ひとつなのが自分でも分かる。
ナオはふうっと小さく息を吐き出し、頭と心の回転をどうにか戻そうと試みる。
(とりあえず……)
こういう時は、考えずにできる事から。
ナオはARでメッセージアプリを展開すると、気を失っていた間に届いた新着メッセージのリストを確認した。
予想通りギンジからのメッセージが届いていたので、それを開く。
ギンジは現場の後処理を終え、今は警察で色々と後始末や整理に追われているらしい。
警察の内部は滅多にない人死にがからむ事件とあって大騒ぎだそうだ。ただ、警察の超AIにとってはこの結果も予測範囲内だったらしく、ひどい混乱にはなっていない。
そんな状況報告と、ナオを心配するメッセージ。それに続いて、警察の超AIがまとめた、先ほどの出来事についてのレポートが添付されている。
ナオは一瞬の躊躇の後、そのレポートを開いた。
まずは死亡者について。
あらためて綿密なID確認を行い、死亡したのはラクサ・エイジ博士本人で完全に確定。
様々な検査の結果、洗脳の痕跡や、薬物の反応などはなく、精神の異常も認められない。
脅迫などによってねじ曲げられた行動の痕跡はなく、あの場における全ての行動は、本人の意思によるもので間違いない。
次に、首を切り落とした方法。
ナオ達と向き合っていた時、コートの襟に隠れて見えにくかったが、ラクサ博士の首には、すでに首輪のような機械が巻かれていたらしい。
それは何本もの超硬度の糸にによって首を切断する、首輪サイズのギロチンのようなもので、ひとたび起動すれば、太い鋼鉄の柱でも切断できるほどの切断能力がある。
使われている部品のいくつかはAIの設計によるもので、人にはその動作原理がわからない部分もある。だが、各パーツの特性さえ理解できていれば、全体の設計と組み立ては人間にできるレベルのもので、おそらくは博士が自身の手で作ったもの。
起動方法は首輪の上にある物理スイッチを押し込む方法のみ。リモートコントロールできるような仕組みは組み込まれていない。
つまり、誰かが遠隔で操作して博士を殺害した可能性はなく、博士はあの場で自らの手でデバイスを起動させ、自らの意思で死を選んだ、という事になる。
かくして首の切断方法がはっきりした事で、これまでのアンドロイド破壊についても全て決着。
アンドロイドを破壊が全て博士によるものかどうかはまだ完全には確定していないが、破壊方法については今回と同じ首輪型デバイスで確定。
A Iたちがこの種のデバイスを人にとって危険のあるものとして監視対象に加えたので、万が一博士以外の手にこのデバイスが渡っていたとしても、しばらくすればAIたちが危険を排除できるようになるだろう。
連続殺人の可能性はこれで無くなり、この件に関するこれ以上の調査は不要。
ナオに対するアンドロイド破壊事件に関する調査依頼は、これにて完了となる。
――完了?
レポートの最後の一文に、ナオの心がざわめく。
犯人は見つかった。犯人は自死し、凶器も確定した。これで連続殺人という恐ろしい可能性が消えた。
だから、終了。
事件としては、そうなのだろう。
元より依頼されていたのは、アンドロイド破壊に使われた凶器の特定だ。
犯人の犯行動機や、その行動の意味の追究は求められていない。
それは、理屈としては分かる。
でも――これで終わりでいいはずがない。
おじさんが、なぜこんな事をしたのか。
なぜ死んだのか。
何一つとして、謎が解けていない。
おじさんは、なぜアンドロイドを壊して回っていた?
なぜ、アンドロイドの電脳を「醜いもの」だなんて言った?
そしてなぜ、おじさんはあんな危険なものを首に取りつけて現れ――死んだ?
この謎を、どうして放置できる?
『私は捕まるわけにはいかないのですよ』
あの時――おじさんが自死する直前に言った言葉。
なぜ、おじさんは捕まるわけにはいかなかったのだろう。
警察に捕まる事に、何か不都合があった?
自死してまで警察に捕まる事を避けなくてはいけない理由なんて、そんなものまるで想像がつかない。
今はAIの時代だ。
誰もがプライベートを持ち、いくらでも隠し事や嘘がまかり通った古い時代とは何もかもが違う。
墓場まで持って行きたい秘密があったとしても、AIたちが本気を出せば、死んだおじさんの脳をニューロンのレベルで掘り起こし、情報を引き出すことだって不可能じゃない。その事をおじさんが知らないわけがない。
秘密を守るために死ぬ、なんていうのが全くナンセンスな行為である以上、あの自死が何かを隠すためだった、とは考えにくい。
――じゃあ、何だ?
おじさんの様子は、どこかおかしかった。
あれは、明らかにボクの知っているおじさんじゃなかった。
おじさんはあんな喋り方もしないし、そもそもアンドロイドを壊すような人じゃない。
としたら、おじさんは何者かに脅され、操られていた? 洗脳されていた?
しかしそれはAIからのレポートが完全に否定している。
レポートにリンクされていたのは、考え得る中で最も精度の高い診断方法による診断結果だ。
それは自死を申請した大人が、人に操られたり、強要されたり、何かしら正常じゃない精神状態で死のうとしているのではない事を確認する時に使われるもので、AIによるログはもちろん、様々な脳内物質やニューロンに刻まれた記憶まで含めて緻密に検証される。
あの検査でNOという結果が出たのなら、洗脳は100%ありえない。
洗脳でないとすれば――
たとえば、おじさんはどこかの組織にいて、失敗したら命をもって償う事にでもなっていた、とか?
ははっ、どこの悪の組織だよ。
今時、たかだか警察に捕まりそうになったくらいのことで、命を捨てる必要があるってどんな組織だ。
確かに世の中にはAIに対抗する事を謳う団体なんていうものもある。
その思想に染まって、アンドロイドの電脳を破壊して回っていた、なんていうのもシナリオとしてなくはない。
だが、だからと言ってそれがあの突然の――死に繋がるとは思えない。
加えてあの、ナノマシン濃度の極端に薄い体。
通常、人は誰しも体内にナノマシンを持っている。
それは、体の内外で起こる様々な不具合を、本人が気づかないうちに治し、保護する役割を担う。主なものは幼い頃に予防接種のような形で注入が義務づけられているし、仮にそれをしなかったとしても、日頃の食事や飲み物、呼吸を通して自然に摂取される分がある。普通に生活していれば、一定以上の濃度のナノマシンは必ず体内に抱える事になるはずだ。
それがあの濃度まで下るとしたら――それは意図的にナノマシンを除去した場合だけ。
なぜ、そんな事になっていた? ナノマシンを除去したとしたら、なぜそんな事をした?
そして、最期の言葉。
「またお目にかかりましょう」
あの言葉は、一体どういう意味だったのか。
おじさんは、確かに自分の意思で自分の首に巻かれたギロチンを起動した。
これから自分が死ぬ事を、おじさんはわかっていたはずだ。
それなのに、なぜ再会を前提とするような言葉だったのか。
――わからない。
ただひたすらに、わからない。
疑問ばかりが膨れ上がる。
しかしそれに正しく答える事は不可能だ。
ナオの頭脳がたとえどれだけ優秀なものであり、たとえどれほど速く正確な答えを導き出す事ができるとしても、前提となる十分な量の情報がなければ、何をどうやったって、正しい結論を導き出す事はできない。
いくらなんでも情報がなさすぎる。
情報――
ナオは、あの現場で起きた事を思い出す。
おじさんの姿。似合わない黒ずくめの服装。
人を蔑むような口調。言葉。
どこか芝居がかった、どこか自分に酔っているようなその行動。
語った台詞の一言一句。それを言う時のおじさんの表情。
その全てを、思い出していく。
ナオの優秀な脳は、見たものをしっかりと記憶する。時にしっかりと記憶しすぎるほどに。
だから、全て、思い出せる。克明に。細部まで。
思い返してみれば、確かに最初から、おじさんの首には機械が巻かれていた。
あの――死の直前、おじさんは確かにその首輪のスイッチを押していた。
AIがまとめたレポートにあった通りの事実が、しっかりと記憶に刻まれている。
だが――それだけだ。それ以上の情報は無い。
長らく表舞台から姿を消していたおじさんとの、数年ぶりの、数分だけの再会。
その短い接触で、おじさんの行動の理由や意味の全てを知ろうなど、どだい無理な事なのかもしれない。
その上おじさんはもう――死んでいる。
死人に口なし。
これ以上の情報は、望めない。
あとは何かがあるとしたら、おじさんの研究所や、オンライン上に残されたデータだが、それはおじさんのプライベートに属する情報だ。そのプライベートを漁るのは、警察の協力がなければ難しい。
そして警察のAI達は、事件が全て終わった気でいる。
AI達の関心は人の安全であり、人の行動の動機とかいった事には――それが人の安全に関わらない限り――深い関心を示さない。
そんなAI達の判断を覆し、果たしておじさんに関わる情報をどこまで引き出せるだろうか。
ナオは、その方法についてしばし思考を巡らせた。
何か、AIを説得できるような理屈は――
だが、その結論は出せなかった。
ナオの思考に割り込むように、ポーンという微かな音が鳴り、AR視野に小さな通知が表示されたせいだ。
ナオが意識をそちらに向けると、
「お、起きてるな」
という言葉とともに、視界の右隅に、小さな半透明のギンジの姿がフェードインしてきた。
ギンジからの通話の着信とは珍しい。
普段はナオが嫌がるので、ギンジとは非同期のメッセージ経由でのやりとりが殆どだ。
こうしてリアルタイムでの通話をリクエストしてくる時は、何かしら緊急の要件の場合が多いのだが――
「具合どうだ?」
バーチャルなギンジが心配げに言うが、その表情が妙に疲れていて、さらに疲労以外にもどこか焦りのような色も混ざっている。普段落ち着いた飄々としたギンジの姿に見慣れているナオにとって、そちらのほうが逆に心配になる。
「だいじょぶ」
「起き抜けに悪ぃんだが……」
「どしたの?」
「ちょいとこいつを見てもらえるか」
ギンジがそう言うと、ギンジの左にもう一つの映像ストリームが開始された。
AIネットワーク網から供給される監視立体映像、リアルタイムのもののようだ。
そこに映し出されているのは、薄暗い路地裏らしき場所にいる、アンドロイド一体と、黒ずくめの男が一人。
その男の姿に、妙な既視感を感じ、ナオは脳内に疑問符を浮かべる。
ナオはその既視感の正体を確かめようと、映像を拡大し、回転した。
そして、男が今行っている事、そして黒の中折れ帽からちらりと見えた横顔を確認して――言葉を失った。
「……どういうこと?」
「俺にも分からねぇ。とにかく今現場に向かってる。嬢ちゃんも来れるようなら来てくれ」
そこに映っていた男は――
ちらりと見えた横顔は――
数時間前に目の前で自死したはずの、ラクサ博士にしか見えなかった。
(うちのリビング、か)
ソファに寝かされているらしい。
「大丈夫ですか?」
横から声がして、視線を向けると顔色の悪いケイイチの顔が視界に入った。
どこか呆然としたような、心ここにあらずといった様子。
――そりゃそうか。あんな場面を見てしまったら。
あんな――
先ほどの光景を思い出しかけ、胸のあたりになんとも嫌な不快感がせり上がってくる。
その不快感を何とかいなしつつ、ナオはARで現在時刻を確認した。
現場に出かけたのが昼前で、今はもう夕方。
どうやら6時間ほど気を失っていたらしい。
「おじさんは……」
ナオの言葉に、ケイイチが無言で首を横に振る。
「そ」
あの現場、最後の記憶。そのタイミングで博士の死はほぼ確定していた。
だから、ケイイチのその答えにショックはない。
だが、幼少期に世話になった博士が亡くなったというのに、悲しい、という気持ちが全く湧いてきていない事に、ナオは少しばかり戸惑った。
ボクはこんなに非情な人間だったんだろうか。
いや……違うか。
おじさんの姿や態度の変化。そしてあまりにおかしな――死。
状況が異常すぎて、現実味がない。
おじさんが本当に――死んだ、という事を、まだ心のどこかで信じられていないのだ。
加えて、感情を埋め尽くしたあの不快感。
その感触が、今も残り火のようにナオの胸をざわつかせる。
悲しみなんて感じてる場合か、と急き立てる。
ナオがゆっくりと体を起こすと、様子を察したハルミがホットココアを手渡してくれた。
あの時、おじさんの頭を支え、その血で真っ赤に濡れたその手は、すっかり綺麗になっている。だが、マグカップを渡すその手が、僅かに震えているのをナオは見逃さなかった。
人が大怪我をしたり、命に関わるような場面に出くわしたアンドロイドが不調になる事はよくある。ハルミさんも少なからぬショックを受けたんだろう。近いうちにメンテナンスをしてあげないと。
そんな事を考えながらココアをちびちびと飲んでいると、体が温まってきたからだろうか、少し頭が回るようになってきた。
だが、どこか本調子じゃない。
「寝てる間に何かしたでしょ」
「してません」
ケイイチに向けてわざと悪ふざけのような事を言ってみるが、切れ味が今ひとつなのが自分でも分かる。
ナオはふうっと小さく息を吐き出し、頭と心の回転をどうにか戻そうと試みる。
(とりあえず……)
こういう時は、考えずにできる事から。
ナオはARでメッセージアプリを展開すると、気を失っていた間に届いた新着メッセージのリストを確認した。
予想通りギンジからのメッセージが届いていたので、それを開く。
ギンジは現場の後処理を終え、今は警察で色々と後始末や整理に追われているらしい。
警察の内部は滅多にない人死にがからむ事件とあって大騒ぎだそうだ。ただ、警察の超AIにとってはこの結果も予測範囲内だったらしく、ひどい混乱にはなっていない。
そんな状況報告と、ナオを心配するメッセージ。それに続いて、警察の超AIがまとめた、先ほどの出来事についてのレポートが添付されている。
ナオは一瞬の躊躇の後、そのレポートを開いた。
まずは死亡者について。
あらためて綿密なID確認を行い、死亡したのはラクサ・エイジ博士本人で完全に確定。
様々な検査の結果、洗脳の痕跡や、薬物の反応などはなく、精神の異常も認められない。
脅迫などによってねじ曲げられた行動の痕跡はなく、あの場における全ての行動は、本人の意思によるもので間違いない。
次に、首を切り落とした方法。
ナオ達と向き合っていた時、コートの襟に隠れて見えにくかったが、ラクサ博士の首には、すでに首輪のような機械が巻かれていたらしい。
それは何本もの超硬度の糸にによって首を切断する、首輪サイズのギロチンのようなもので、ひとたび起動すれば、太い鋼鉄の柱でも切断できるほどの切断能力がある。
使われている部品のいくつかはAIの設計によるもので、人にはその動作原理がわからない部分もある。だが、各パーツの特性さえ理解できていれば、全体の設計と組み立ては人間にできるレベルのもので、おそらくは博士が自身の手で作ったもの。
起動方法は首輪の上にある物理スイッチを押し込む方法のみ。リモートコントロールできるような仕組みは組み込まれていない。
つまり、誰かが遠隔で操作して博士を殺害した可能性はなく、博士はあの場で自らの手でデバイスを起動させ、自らの意思で死を選んだ、という事になる。
かくして首の切断方法がはっきりした事で、これまでのアンドロイド破壊についても全て決着。
アンドロイドを破壊が全て博士によるものかどうかはまだ完全には確定していないが、破壊方法については今回と同じ首輪型デバイスで確定。
A Iたちがこの種のデバイスを人にとって危険のあるものとして監視対象に加えたので、万が一博士以外の手にこのデバイスが渡っていたとしても、しばらくすればAIたちが危険を排除できるようになるだろう。
連続殺人の可能性はこれで無くなり、この件に関するこれ以上の調査は不要。
ナオに対するアンドロイド破壊事件に関する調査依頼は、これにて完了となる。
――完了?
レポートの最後の一文に、ナオの心がざわめく。
犯人は見つかった。犯人は自死し、凶器も確定した。これで連続殺人という恐ろしい可能性が消えた。
だから、終了。
事件としては、そうなのだろう。
元より依頼されていたのは、アンドロイド破壊に使われた凶器の特定だ。
犯人の犯行動機や、その行動の意味の追究は求められていない。
それは、理屈としては分かる。
でも――これで終わりでいいはずがない。
おじさんが、なぜこんな事をしたのか。
なぜ死んだのか。
何一つとして、謎が解けていない。
おじさんは、なぜアンドロイドを壊して回っていた?
なぜ、アンドロイドの電脳を「醜いもの」だなんて言った?
そしてなぜ、おじさんはあんな危険なものを首に取りつけて現れ――死んだ?
この謎を、どうして放置できる?
『私は捕まるわけにはいかないのですよ』
あの時――おじさんが自死する直前に言った言葉。
なぜ、おじさんは捕まるわけにはいかなかったのだろう。
警察に捕まる事に、何か不都合があった?
自死してまで警察に捕まる事を避けなくてはいけない理由なんて、そんなものまるで想像がつかない。
今はAIの時代だ。
誰もがプライベートを持ち、いくらでも隠し事や嘘がまかり通った古い時代とは何もかもが違う。
墓場まで持って行きたい秘密があったとしても、AIたちが本気を出せば、死んだおじさんの脳をニューロンのレベルで掘り起こし、情報を引き出すことだって不可能じゃない。その事をおじさんが知らないわけがない。
秘密を守るために死ぬ、なんていうのが全くナンセンスな行為である以上、あの自死が何かを隠すためだった、とは考えにくい。
――じゃあ、何だ?
おじさんの様子は、どこかおかしかった。
あれは、明らかにボクの知っているおじさんじゃなかった。
おじさんはあんな喋り方もしないし、そもそもアンドロイドを壊すような人じゃない。
としたら、おじさんは何者かに脅され、操られていた? 洗脳されていた?
しかしそれはAIからのレポートが完全に否定している。
レポートにリンクされていたのは、考え得る中で最も精度の高い診断方法による診断結果だ。
それは自死を申請した大人が、人に操られたり、強要されたり、何かしら正常じゃない精神状態で死のうとしているのではない事を確認する時に使われるもので、AIによるログはもちろん、様々な脳内物質やニューロンに刻まれた記憶まで含めて緻密に検証される。
あの検査でNOという結果が出たのなら、洗脳は100%ありえない。
洗脳でないとすれば――
たとえば、おじさんはどこかの組織にいて、失敗したら命をもって償う事にでもなっていた、とか?
ははっ、どこの悪の組織だよ。
今時、たかだか警察に捕まりそうになったくらいのことで、命を捨てる必要があるってどんな組織だ。
確かに世の中にはAIに対抗する事を謳う団体なんていうものもある。
その思想に染まって、アンドロイドの電脳を破壊して回っていた、なんていうのもシナリオとしてなくはない。
だが、だからと言ってそれがあの突然の――死に繋がるとは思えない。
加えてあの、ナノマシン濃度の極端に薄い体。
通常、人は誰しも体内にナノマシンを持っている。
それは、体の内外で起こる様々な不具合を、本人が気づかないうちに治し、保護する役割を担う。主なものは幼い頃に予防接種のような形で注入が義務づけられているし、仮にそれをしなかったとしても、日頃の食事や飲み物、呼吸を通して自然に摂取される分がある。普通に生活していれば、一定以上の濃度のナノマシンは必ず体内に抱える事になるはずだ。
それがあの濃度まで下るとしたら――それは意図的にナノマシンを除去した場合だけ。
なぜ、そんな事になっていた? ナノマシンを除去したとしたら、なぜそんな事をした?
そして、最期の言葉。
「またお目にかかりましょう」
あの言葉は、一体どういう意味だったのか。
おじさんは、確かに自分の意思で自分の首に巻かれたギロチンを起動した。
これから自分が死ぬ事を、おじさんはわかっていたはずだ。
それなのに、なぜ再会を前提とするような言葉だったのか。
――わからない。
ただひたすらに、わからない。
疑問ばかりが膨れ上がる。
しかしそれに正しく答える事は不可能だ。
ナオの頭脳がたとえどれだけ優秀なものであり、たとえどれほど速く正確な答えを導き出す事ができるとしても、前提となる十分な量の情報がなければ、何をどうやったって、正しい結論を導き出す事はできない。
いくらなんでも情報がなさすぎる。
情報――
ナオは、あの現場で起きた事を思い出す。
おじさんの姿。似合わない黒ずくめの服装。
人を蔑むような口調。言葉。
どこか芝居がかった、どこか自分に酔っているようなその行動。
語った台詞の一言一句。それを言う時のおじさんの表情。
その全てを、思い出していく。
ナオの優秀な脳は、見たものをしっかりと記憶する。時にしっかりと記憶しすぎるほどに。
だから、全て、思い出せる。克明に。細部まで。
思い返してみれば、確かに最初から、おじさんの首には機械が巻かれていた。
あの――死の直前、おじさんは確かにその首輪のスイッチを押していた。
AIがまとめたレポートにあった通りの事実が、しっかりと記憶に刻まれている。
だが――それだけだ。それ以上の情報は無い。
長らく表舞台から姿を消していたおじさんとの、数年ぶりの、数分だけの再会。
その短い接触で、おじさんの行動の理由や意味の全てを知ろうなど、どだい無理な事なのかもしれない。
その上おじさんはもう――死んでいる。
死人に口なし。
これ以上の情報は、望めない。
あとは何かがあるとしたら、おじさんの研究所や、オンライン上に残されたデータだが、それはおじさんのプライベートに属する情報だ。そのプライベートを漁るのは、警察の協力がなければ難しい。
そして警察のAI達は、事件が全て終わった気でいる。
AI達の関心は人の安全であり、人の行動の動機とかいった事には――それが人の安全に関わらない限り――深い関心を示さない。
そんなAI達の判断を覆し、果たしておじさんに関わる情報をどこまで引き出せるだろうか。
ナオは、その方法についてしばし思考を巡らせた。
何か、AIを説得できるような理屈は――
だが、その結論は出せなかった。
ナオの思考に割り込むように、ポーンという微かな音が鳴り、AR視野に小さな通知が表示されたせいだ。
ナオが意識をそちらに向けると、
「お、起きてるな」
という言葉とともに、視界の右隅に、小さな半透明のギンジの姿がフェードインしてきた。
ギンジからの通話の着信とは珍しい。
普段はナオが嫌がるので、ギンジとは非同期のメッセージ経由でのやりとりが殆どだ。
こうしてリアルタイムでの通話をリクエストしてくる時は、何かしら緊急の要件の場合が多いのだが――
「具合どうだ?」
バーチャルなギンジが心配げに言うが、その表情が妙に疲れていて、さらに疲労以外にもどこか焦りのような色も混ざっている。普段落ち着いた飄々としたギンジの姿に見慣れているナオにとって、そちらのほうが逆に心配になる。
「だいじょぶ」
「起き抜けに悪ぃんだが……」
「どしたの?」
「ちょいとこいつを見てもらえるか」
ギンジがそう言うと、ギンジの左にもう一つの映像ストリームが開始された。
AIネットワーク網から供給される監視立体映像、リアルタイムのもののようだ。
そこに映し出されているのは、薄暗い路地裏らしき場所にいる、アンドロイド一体と、黒ずくめの男が一人。
その男の姿に、妙な既視感を感じ、ナオは脳内に疑問符を浮かべる。
ナオはその既視感の正体を確かめようと、映像を拡大し、回転した。
そして、男が今行っている事、そして黒の中折れ帽からちらりと見えた横顔を確認して――言葉を失った。
「……どういうこと?」
「俺にも分からねぇ。とにかく今現場に向かってる。嬢ちゃんも来れるようなら来てくれ」
そこに映っていた男は――
ちらりと見えた横顔は――
数時間前に目の前で自死したはずの、ラクサ博士にしか見えなかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる