トライアルズアンドエラーズ

中谷干

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Vol.01 - 復活

01-026 宣言

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「ボクは別に壊されたっていい」
「え……?」
 ナオの口から出た、「壊されてもいい」という言葉に、ケイイチはただただ戸惑うしかなかった。

「大丈夫。壊れたってバックアップもある」
「いや、バックアップがあるからって……脳が大丈夫でも体のほうとか……」
「大丈夫。きっとAIがどうにかする」
「なるほど……いや……でも……それは……」
 ナオの言葉をケイイチは一瞬信じかける。
 だが、すぐにそれが嘘――とは言わないまでも、怪しい話だという事はわかった。

 たしかに、交換用の新しい電脳はすぐに用意できるかもしれない。
 しかし、電脳移植は未だに成功例をほとんど聞かない、特別な手術だと聞く。
 赤子の頃ならともかく、今のナオの体と電脳で、元通りに繋ぎ直せる保証はどこにもない……ような気がする。

 そんなケイイチの疑念を察したのだろう。ナオは静かに
「ダメだったらアンドロイドにでもしてくれればいい」
 そう言った。
「え……?」
「そのほうが自然」
「アンドロイドになってしまったらそれは先輩じゃないですよね」
「ボクじゃなくなりたい、って言ってる」
「……」
「ボクのこの脳は、アンドロイドの体に入っているほうが正しい」
「そんなこと……」
「人の脳じゃないのに人間でいるのはおかしい。それに――」
 ナオはどこか虚ろな視線を窓の外に向け、
「人に合わせて生きるのにも少し疲れた」
 そう、小さく呟くように言った。

 ナオの口から次々と紡がれるその内容に、ケイイチは驚き、戸惑うしかできない。
 これは絶望、というやつなのだろうか。
 何か冷え切った、底冷えのするような感情が、ナオの言葉の奥底にあるように感じられて、
 ケイイチの背を嫌な汗が流れる。

 やはり、先の出来事はそれほどの経験だった、という事なのだろうか。
 死にたくなるような。
 絶望に叩き落とされるような。
 でも――
 何か、違う気もする。
 もちろん、先の出来事で受けたダメージが、こんな言葉を言わせているのは確かなのだろう。
 でも、それだけじゃない。
 心が弱くなっている時だからこそ、出てきた言葉。
 それはもしかしたら、先輩の本音、というものなのか。

 思えば出会ったばかりの頃、「自殺なんてバカのすること」と諭されたあれは、自身が自死を考えたことがあるからこその言葉だったのかもしれない。
 やはり――電脳なんていう、特別で厄介なものを頭に抱えて人として生きていくのは、面倒で厄介で生半可な事ではない――のか。

 でも――だとしても。
 こんな先輩を見ていたくはない。
 僕にとって、玖珂ナオは――
「……おかしいですよ」
 ケイイチは、言った。
「そ。おかしい」
「いや、そんな先輩の考えが、です」
「?」
「正しいとか間違ってるとかそんな事……鼻で笑って蹴っ飛ばすのが先輩じゃないですか」
 そう。玖珂ナオは、そういう人間だ。
 そういう事を言える存在であってほしい。
「先輩言ってたじゃないですか。間違ったおかしな奴が社会を進歩させるんでしょう?」

 玖珂ナオという存在を知った時、否が応でも憧れた。
 人の身で、幼くしてAIに迫ろうとするその圧倒的な知性。
 AIたちの凄さを知り、夢を見失ったケイイチに、人の可能性はまだまだあると、そう思わせてくれたのが玖珂ナオという存在だ。
「先輩みたいな人が社会を変えるんですよね?」
 その正体が、電脳を移植された人間だと知った今も、その気持ちは変わらない。
 電脳を持つ人間なんて、人類の可能性でしかない。可能性の塊だ。
「試行、なんですよね?」
 そんな彼女が――こんなところで折れてほしくない。

 そんなの、単なるケイイチの欲であり押しつけであり身勝手な想いだ。アイドルやスポーツ選手に勝手に夢を託したり、幻想を抱いたりするのと同じ。夢と希望の圧倒的な暴力だ。そんなもの、思われる側にとっては迷惑以外の何物でもない。それは分かっている。
でも――それでも、言わずにはいられなかった。

「じゃあずっとこんなしんどい思いをしろって言うの?」
 ナオの言葉に、ケイイチは首を横に振る。
「ボクがどんな気持ちで……」
「そんなのわかりませんよ。同じような脳味噌持ってる相手ですらまるでわからなくて人様に迷惑かけまくってる僕が、そんなのわかるわけないじゃないですか!」
 まったくもって情けない事を全力で言い切ると、ケイイチは一息おき、
「でも、先輩の今考えてる事が間違ってるのはわかります」
「間違ってない」
「間違ってます」
「……」
「おかしいですよ。先輩、僕よりずっと頭いいんだし、博士の事……事件を解決すればいいじゃないですか」
「簡単に言ってくれるね」
「だって、どう考えたって博士の行動おかしいですし……博士が洗脳されてるとかなんかそういう可能性だってあるわけでしょう?」
「それはないって診断出てる」
「その診断が間違ってるって可能性だって……」
「それは絶対にない」
「……だ、だとしても、何か変でしたし」
「あのおじさんがこんな事してるの、きっと意味がある。ボクは破壊されるべきってこと」
「んな……」
「きっとこの電脳には何か重大な問題があるんだよ」
 そう言って自身の頭を指すナオのその表情に、微かに感情が宿るのをケイイチは見逃さなかった。
 これは――恐怖?
「じゃなけりゃボクがあんな事……できるわけ……」
 そうか、つまり先輩は――
 先輩が恐れているのは――
「だからボクは壊されるべき」
「もし、本当にそうだったとしたら、博士だってそう説明してくれるはずですよね」
「おじさんはボクには理解できない、って言った」
「そんなわけ……」
「それに」
 ケイイチの言葉を遮って、言う。
「おじさんが洗脳されてるかとかそんな事はどうでもいい」
「え……?」
「ボクは――ボクのこの頭は人に奉仕するようにできてる。その理由がなんであれ、おじさんの願いを叶えることもボクの役目」
「そんなアンドロイドみたいな事……」
「ボクの脳はアンドロイドの脳だ。アンドロイドみたいな事言って何が悪い?」
「先輩は人です。アンドロイドじゃない」
「何が違うの?」
「それは……」

 ケイイチは言葉に詰まる。
「人と全く違う仕組みで動く脳を持ってるボクみたいなのが人間でいいなら、アンドロイドたちだって全部人間でいいはず」
「せ、先輩は成長してるじゃないですか」
「アンドロイド達だって成長してる。人ほど分かりやすくないだけ」
「それ……はそうかもしれないですけど。でも、脳以外は間違いなく人ですし」
「献体タイプのアンドロイドとボクの何が違うの?」
「それは……」

 数は多くないが、人が自死した後、献体として肉体の提供を受け、その体に電脳を埋め込み、必要な箇所をサイバネ化する形で作られるアンドロイドというのがある。
 人とのふれあいが必要な場面で使われる特別なアンドロイドだが、それらとナオの構造上の違いは――確かに、ないのかもしれない。

「でも……でも……」
 ケイイチは必死にナオが人だと言える理由を探す。
 だが、所詮ケイイチはアンドロイドに少々詳しいだけのただのおたくだ。それ以上の反論ができるほどの知恵もなければ、アンドロイドと人との境界について語れるほどの思想も哲学も持っていない。

「ボクは人間じゃない。だからおじさんが壊したいというなら壊れてもいい」
「じゃ、じゃあ、次に博士に会ったら、素直に壊されるって言うんですか?」
「ん」
「んな……」
 もはやケイイチには何を言ったらいいのかわからない。
「それはダメですって」
 わからないので、とにかく闇雲に否定するくらいの事しか、ケイイチにはできなかった。

「キミにそう言われる筋合いはない」
「そうかもしれないですけど……!」
「そんなに嫌なら君がボクに命令でもしたらいい」
「そんな事……」
 確かに、ケイイチが何か――例えば「生きろ」とか「身を守れ」とか命令をしたなら、ナオの電脳はそれに従うのかもしれない。「それもいいんじゃないか」という考えがケイイチの脳裏を一瞬よぎる。
 だが――それこそ彼女をアンドロイドとして扱うことと同義だ。それだけは駄目だ。絶対に。

 ケイイチは他に何か言える事はないかと、持てる知識と経験を総動員して、必死に頭を巡らせる。
 だが、ケイイチの未成熟で不器用な脳で、世界レベルの難問をいくつも解き明かした、圧倒的な速度で回る頭脳が導き出した答えを否定するなんて事、できるわけがない。
 ケイイチは言うべき言葉を見失ったまま、窓の外に視線を向けるナオの横顔をただ見つめる事しかできない。

 そんなケイイチの様子を察し、ナオは窓の外を見たまま、
「じゃなけりゃキミが全部解決したらいい」
 そんな投げやりな言葉を投げて寄越した。
 その口調が、表情が、言外に「どうせできるわけがないだろうけど」と言っている。

 だが――
「……わかりましたよやりますよ。全部解決してみせます」
 ケイイチは、売り言葉に買い言葉とばかりに、そう応じてみせた。
 もはや、ヤケクソだった。
 ああそうだ。
 その通り。
 先輩ができないなら、自分がやればいい。
 自分が何もかもをまるっと解決してしまえば、万事OK。
 人助けをするのが、ヒーローの役目。
 ならばやりましょうやりますともやらいでか。
「先輩のことは僕が守ります」
 そう高らかに宣言するケイイチの言葉に――
「あははははっ」とナオは声を上げて笑った。
 それは、その日ナオがケイイチの前で上げた、唯一の笑い声だった。
 しかし、その目の奥はまるで笑っていない。
 底冷えするような軽蔑と侮蔑が、はっきりと見て取れた。

「キミに何ができる? アンドロイドにちょっと詳しいだけの、馬鹿で非力で図体がでかいだけのキミが?」
 ナオの口から、温度の低い言葉が、淡々と紡がれる。
 強い感情がこもっていないからこそ、ケイイチの心に否が応でも突き刺さる。
「冗談は顔だけにしてくれ」
「そりゃ……今は……無理ですけど……」
 ケイイチは俯き、消え入りそうな声でそう言いながら、膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめる。
「でもいつか絶対に先輩を守れるようになってみせます」
「へぇ」
「なってみせますから!」
 揶揄するような視線を送るナオに、虚勢と共に声を張り上げながら――
 ケイイチはどうしようもなく悔しかった。
 自分自身があまりに情けなくて、いたたまれなくて。

 馬鹿で非力で、図体がでかいだけ。
 その通りじゃないか。
 今の僕には何の力もない。
 この目の前の小さな女性ひとを守れるだけの力を、何一つとして持っていない。
 あんなにもヒーローになりたがっていたくせに。
 それなりに、努力もしてきたつもりだったのに。

 ――悔しい。
 ほんの少しでも気を緩めたら、その両眼から大量の塩水が溢れてしまいそうだった。
 それがもし本当に溢れてしまったら――そんな姿をナオに見せてしまったら、もうここには戻ってこれない。そんな気がして、ケイイチは、必死にそれを堪えた。

 堪えながら――思う。
 これは――彼女が言った事だ。
 生きるっていうのは、トライし続ける事。
 挑み続けたなら、もしかしたら、一つくらい――
 一つくらいは何か、この恐ろしく頭のいい、小さく強く、弱く優しい女の子を、助けられる事が――あるかもしれない。
 今は無理だとしても、いつか。
 いつか、助けられる人に、なりたい。
 ケイイチは、生まれて初めて、そう思った。

 ――そう、これが生まれて初めてだった。
 そうか――
 僕は、あんなにヒーローに憧れていたのに。
 それは、父親に言われたからそう思っていただけで。
 計画生産プロデュースドの子供だからそうならなきゃいけないと思っていただけで。
 本当に本気で、誰かを助けたいと思ったことは、なかったんだな――

 ケイイチはそれ以上何も言えず、ナオに一礼すると、逃げるように病室を飛び出した。

 目元に光るものを滲ませながら、出て行くケイイチの背中を見送りながら、
(ボクの事を助けるとかおかしな事を言いだすバカは、これで二人目か……)
 ナオは、なくしてしまった一人の古い友人を思い出し、少しだけ、悲しげに笑った。

 そして、涙目で病院を出たケイイチは、その直後――
 ラクサ博士の手によって、された。
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