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紫藤さんについて
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紫藤さんが好きだ。
彼は、とても頭が良くて、冷静で、真面目で、それでいて臆病な人だった。日の当たらない暗く湿った司書室が好きで、ずっとそこにいる。司書さんって、カウンターにいることが仕事じゃないの? 本を借りる人が紫藤さんを呼ばないと、彼はそこから出てこない。最近取り付けられた呼び出しベルは案外良い仕事をしている。何のBGMもない図書室を、一瞬でレストランにしてしまうその音で、紫藤さんを呼び出すのだ。
紫藤さんの外見はとても形容し難い。
ワイシャツと黒いスラックスの姿しか私は知らない。それがまたよく似合っているのだ。シンプルで飾り気のない服装からはなんの個人情報も取り出せない。髪型は短すぎず、長すぎず。駅前に立っていれば5人に1人くらいの割合でいそうな、無難なもの。最近は理髪店の主人か、はたまた美容院のお兄さん、お姉さんの粋な計らいで、勝手にツーブロックにされたようだ。耳の上から見える短い毛に包まれた地肌。それがまたよく似合ってるのだ。
紫藤さんを一見しただけでは何者なのかさっぱりわからない。図書館のカウンターに座っていて、初めて司書であることがわかるくらいだ。
紫藤さんは、おそらく美形だ。太陽に当たったことのないかのような青白い肌。細長い輪郭には毛穴ひとつも見当たらない。生えている毛といえば睫毛と眉毛くらい。鼻はツンと突き出していて、目はぱっちりした二重。日本人の特徴を全然兼ね備えていない日本人、みたいな形容が一番ぴったり当てはまる。もっと笑顔だったら、もしくはもっと悲しそうだったらきっと女子生徒の心を射抜いていただろう。けれど、彼の表情はぴくりとも変わらないのだ。その不気味さで、残念ながら生徒からは幽霊扱いされている。
紫藤さんは多分あんまり人間が好きではない。
彼の真っ白な手が本を手に取るとき、ガラスでも触るかのような緊張と震えがカウンター越しから見える。本やパソコンのディスプレイを眺める目はまっすぐで、視線がキョロキョロ動くたびに長い睫毛も一緒に動く。そんなに仕事に熱心なのに、本を借りにくる人にはその情熱の一欠片すら向けてくれない。むしろ大事な宝物を奪われたような、悲しそうな、怒っているような、そんな難しい態度で手続きを進めるのだ。返された本には一応、か細い声で「ありがとうございました」と言う。宝物が返ってきたから一応の礼をするのだろう。ちょっとだけ利用者の腕あたりを見上げて、ぺこり。紫藤さんは絶対に人の顔を見ない。それはわたしも例外ではない。
「紫藤さん」
「また、ですか」
「また、です」
そんな紫藤さんはわたしのことが特に好きではない。
意味もなく呼び出しベルを押しては、ひょっこりと司書室から現れる紫藤さん。重たい扉を開けて、中が見えないように素早く閉める。わたしが手を振ると、少しだけ紫藤さんの表情が負の方向に歪んだ。あ、嫌がってる。
「そんな事して何が楽しいんですか」
答えは期待されていない。ツーブロックの刈り上げられた側頭部を撫でる。違和感があるらしい。わたしに話かけているはずなのに、その答えは別に知りたくないような言い方にちくりと胸が痛む……なんてことはない。一挙一動一言全てが、まるでわたしの存在を追い払いたいかのような動き。わたしがここにいるのに、強制的に「いなかったこと」にしたいような動きにも見える。
そんな紫藤さんが、好きだ。
「楽しいんです。紫藤さんと話すのが」
「……勉強をなさい。そっちの方がよっぽど有意義ですよ」
紫藤さんは誰にでも礼儀正しい。人間が好きじゃないくせに、丁寧に丁寧に扱うのだ。もちろん、本よりも下だけれど。ないものとして扱うことはあるけれど。誰にでも敬語で、17歳のわたしにも敬語。
教師なんてほとんどタメ口で、なんなら大声で怒鳴ったりもするのに、紫藤さんにはそれがない。小さな子供を諭すような、丁寧な口調でゆっくりと話すのだ。
「紫藤さんと話している方が、勉強になりますよ」
だからわたしも、自然と敬語。
「私と話しても学びはないと思うんですがね」
「わたしはそうは思うはないので」
「強情ですね」
わたしがニヤニヤしていると、紫藤さんはくるりと背中を向けた。こんなに拒絶された会話は新鮮だ。だから、楽しいのだ。
また司書室に篭ろうとしている。わたしとの会話を全部「なかったこと」にしたいみたいだ。
「司書室に、何があるんですか」
そんなに篭っていて、何が楽しいんですか。
わたしに見向きもしないピンと伸びた背中に向かって問いかける。皮肉と、興味が入り混ざったわたしの言葉は彼に届いただろうか?
わたしの声に、紫藤さんはボソリと何かを呟いた。でも、聞き取れなかった。
多分、中身の詰まっていない空っぽの相槌か。それとも中身の詰まった答えが返ってきたのか。
でも、わたしには聞き取れなかった。
じゃあ、何も答えられていないのと同じだ。
彼は、とても頭が良くて、冷静で、真面目で、それでいて臆病な人だった。日の当たらない暗く湿った司書室が好きで、ずっとそこにいる。司書さんって、カウンターにいることが仕事じゃないの? 本を借りる人が紫藤さんを呼ばないと、彼はそこから出てこない。最近取り付けられた呼び出しベルは案外良い仕事をしている。何のBGMもない図書室を、一瞬でレストランにしてしまうその音で、紫藤さんを呼び出すのだ。
紫藤さんの外見はとても形容し難い。
ワイシャツと黒いスラックスの姿しか私は知らない。それがまたよく似合っているのだ。シンプルで飾り気のない服装からはなんの個人情報も取り出せない。髪型は短すぎず、長すぎず。駅前に立っていれば5人に1人くらいの割合でいそうな、無難なもの。最近は理髪店の主人か、はたまた美容院のお兄さん、お姉さんの粋な計らいで、勝手にツーブロックにされたようだ。耳の上から見える短い毛に包まれた地肌。それがまたよく似合ってるのだ。
紫藤さんを一見しただけでは何者なのかさっぱりわからない。図書館のカウンターに座っていて、初めて司書であることがわかるくらいだ。
紫藤さんは、おそらく美形だ。太陽に当たったことのないかのような青白い肌。細長い輪郭には毛穴ひとつも見当たらない。生えている毛といえば睫毛と眉毛くらい。鼻はツンと突き出していて、目はぱっちりした二重。日本人の特徴を全然兼ね備えていない日本人、みたいな形容が一番ぴったり当てはまる。もっと笑顔だったら、もしくはもっと悲しそうだったらきっと女子生徒の心を射抜いていただろう。けれど、彼の表情はぴくりとも変わらないのだ。その不気味さで、残念ながら生徒からは幽霊扱いされている。
紫藤さんは多分あんまり人間が好きではない。
彼の真っ白な手が本を手に取るとき、ガラスでも触るかのような緊張と震えがカウンター越しから見える。本やパソコンのディスプレイを眺める目はまっすぐで、視線がキョロキョロ動くたびに長い睫毛も一緒に動く。そんなに仕事に熱心なのに、本を借りにくる人にはその情熱の一欠片すら向けてくれない。むしろ大事な宝物を奪われたような、悲しそうな、怒っているような、そんな難しい態度で手続きを進めるのだ。返された本には一応、か細い声で「ありがとうございました」と言う。宝物が返ってきたから一応の礼をするのだろう。ちょっとだけ利用者の腕あたりを見上げて、ぺこり。紫藤さんは絶対に人の顔を見ない。それはわたしも例外ではない。
「紫藤さん」
「また、ですか」
「また、です」
そんな紫藤さんはわたしのことが特に好きではない。
意味もなく呼び出しベルを押しては、ひょっこりと司書室から現れる紫藤さん。重たい扉を開けて、中が見えないように素早く閉める。わたしが手を振ると、少しだけ紫藤さんの表情が負の方向に歪んだ。あ、嫌がってる。
「そんな事して何が楽しいんですか」
答えは期待されていない。ツーブロックの刈り上げられた側頭部を撫でる。違和感があるらしい。わたしに話かけているはずなのに、その答えは別に知りたくないような言い方にちくりと胸が痛む……なんてことはない。一挙一動一言全てが、まるでわたしの存在を追い払いたいかのような動き。わたしがここにいるのに、強制的に「いなかったこと」にしたいような動きにも見える。
そんな紫藤さんが、好きだ。
「楽しいんです。紫藤さんと話すのが」
「……勉強をなさい。そっちの方がよっぽど有意義ですよ」
紫藤さんは誰にでも礼儀正しい。人間が好きじゃないくせに、丁寧に丁寧に扱うのだ。もちろん、本よりも下だけれど。ないものとして扱うことはあるけれど。誰にでも敬語で、17歳のわたしにも敬語。
教師なんてほとんどタメ口で、なんなら大声で怒鳴ったりもするのに、紫藤さんにはそれがない。小さな子供を諭すような、丁寧な口調でゆっくりと話すのだ。
「紫藤さんと話している方が、勉強になりますよ」
だからわたしも、自然と敬語。
「私と話しても学びはないと思うんですがね」
「わたしはそうは思うはないので」
「強情ですね」
わたしがニヤニヤしていると、紫藤さんはくるりと背中を向けた。こんなに拒絶された会話は新鮮だ。だから、楽しいのだ。
また司書室に篭ろうとしている。わたしとの会話を全部「なかったこと」にしたいみたいだ。
「司書室に、何があるんですか」
そんなに篭っていて、何が楽しいんですか。
わたしに見向きもしないピンと伸びた背中に向かって問いかける。皮肉と、興味が入り混ざったわたしの言葉は彼に届いただろうか?
わたしの声に、紫藤さんはボソリと何かを呟いた。でも、聞き取れなかった。
多分、中身の詰まっていない空っぽの相槌か。それとも中身の詰まった答えが返ってきたのか。
でも、わたしには聞き取れなかった。
じゃあ、何も答えられていないのと同じだ。
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