『孤独の蓮 -永遠の果てに- (仮)』

紙田ノミ

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第1話 雨宿り

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いつものように図書館に向かう途中で、空が急に暗くなった。
ぽつ、ぽつ、と頭にあたる冷たい粒が頬に伝い首元に落ちる瞬間、ざあざあと激しく強い粒へと変わった。

肩に落ちる冷たい雨粒を避けるように自然と足が早まり、指先の感覚までひんやりとさせる。

「やっべ」

と小さく呟く。濡れることよりも、体温が下がってしまうことのほうが気になった。服が肌にまとわりつき、髪は束になって額に張り付く。思わず肩をすくめ、目の前を見渡すと、ふと目に入ったのは、小さな喫茶店だった。古い木製の扉、磨りガラス越しに漏れる柔らかな灯り、そして窓際に並ぶ小さなテーブル。雨のせいか、灯りまでもが暖かく感じる。

(ずぶ濡れになるよりマシか)

思わず駆け込むように店の中へと足を踏み入れた。

カラン、とドアベルの乾いた音と扉の重みで軋む鈍い音が、雨をかき消すかのように鳴る。店内に入ると、雨で濡れた服や髪の水滴がすぐに蒸発していくような、温かく懐かしい空気が広がった。コーヒーの香りと、かすかに混じる木の香りが、心を落ち着かせる。外の激しさとは対照に、ここだけは時間が少しゆっくり流れているようだった。


カウンターに近づくと、女性の店員が微笑みながら声をかけてきた。

「いらっしゃいませ。おひとりさまでしょうか?」

「あ、はい」

「どうぞ、空いている席におかけください。ご注文がお決まりになりましたらお声がけくださいませ。」

軽く会釈してから、店内を見渡す。
服の色が部分的に濃くみえる人が数人居る。どうやら、自分と同じように雨宿りついでに入店した客が多いのだろうか。
席を選びながら奥へ歩く。窓際のテーブルには、外の雨を眺めながら本を広げる青年がいた。艶めいた黒髪を無造作にかき上げ、外を眺める横顔は綺麗で整っている。照明の灯りが、陶器のような白い肌を優しく照らし出し、その滑らかさを際立たせている。妙に落ち着いた雰囲気をまとっているせいか、自然と視線がそちらに吸い寄せられた。


葵は、窓際の青年から少し離れた二人席に腰を下ろした。椅子の背もたれに身体を預けると、ようやく雨の冷たさから解放されるような感覚があった。
けれど、初めて訪れた店の空気に少し緊張も混じる。メニューを手に取って眺めるが、文字を目で追っているだけで内容が頭に入ってこない。

(どうやって頼むんだろう?声をかければいいのかな)

そう考えて視線を泳がせたとき、ちょうど窓際の青年が、手を挙げて店員を呼んだ。

「すみません」

低く澄んだ声。すぐに近くにいた店員が足早にやってくる。葵は思わず、ページをめくるふりをしながらそちらに目を向けた。

「ブレンドをひとつ。砂糖とミルクは控えめでお願いします。あと、シフォンケーキは、まだ残ってますか?」

「はい、ございます」

「じゃあ、それもお願いします」

「かしこまりました」

彼が軽く会釈をしてメニューを閉じる仕草は、何気ないのに絵になる。葵は無意識のうちにその一部始終を目で追っていた。

(なるほど、ああやって注文するのか!)

安堵と同時に、自分が彼のことを、ずっと見ていたことに気づき、頬が少し熱くなる。慌てて目を逸らした瞬間、その場を通った店員とばっちり視線が合ってしまった。

「ご注文はお決まりですか?」

「えっと、、コーヒーをください」

とっさに口をついて出た言葉。メニューのどこを見ていたわけでもない。

「かしこまりました。コーヒーはホットでよろしいですか?」

「え、あ、はい。ホットで」

「ミルクや砂糖は、いかがいたしますか?」

「あ、、えっと、ミルクだけで」

「承知いたしました。ミルクの量はいかがいたしますか?」

「普通でお願いします」

「かしこまりました」

慣れないやり取りに、葵は少し声が上ずった。
注文が出来たと、ほっと息をつきながら、辺りを見渡す。
テーブルや椅子は、色が濃く変化し角が丸く傷付いている。特にカウンター席の足元は多くの客が足をかけてきたせいか、床の塗装が少し剥げている。

「結構、年季の入った店だな」

と小さく呟きながらコーヒーを待つ。
やがて、トレイを手にした店員が席に戻ってきた。

「お待たせいたしました。ブレンドコーヒーとシフォンケーキです。ごゆっくりお過ごしくださいませ。」

目の前に置かれた皿とカップに、葵は目を瞬かせた。注文した覚えのないケーキまで並んでいる。

(え、、コーヒーだけしか頼んでないよな)

困惑して顔を上げ

「あ、あの」

と思わず声をかけかけた瞬間、隣のテーブルから「すみません」と別の客の声が重なった。
店員はそちらにすぐ反応し、足早に向かってしまう。伸ばしかけた手を宙で止めたまま、結局呼び止めることはできなかった。

仕方なく視線を移すと、さっきの青年の前には何も置かれていない。すぐに合点がいった。

(あ、これ、きっとあの人の注文だ)

(どうしよう、、? 店員さん、声かけづらいし)

胸の奥で逡巡が渦を巻く。葵は小さく息を吐き、意を決して立ち上がった。カップと皿を両手に持ち、青年のテーブルへと歩み寄る。

「あの、、」

声をかけると、青年が顔を上げる。漆黒の瞳が真っ直ぐにこちらを捉えた。至近距離で見ると、その瞳はどこか深い湖の底を覗くような、夜の海を眺めているような不思議な静けさを湛えていた。葵は一瞬、言葉を失いそうになる。
けれどどうにか笑みを作り、皿を差し出した。

「これ、たのみましたか?」

青年は数秒だけ無言で葵を見つめ、やがて口角をわずかに緩めた。

「ああ、ありがとう。」

低い声が耳に心地よく響く。受け取った青年は軽く会釈をした。その仕草に、葵は胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。

「いいえ、、」

そう答えるのが精一杯だった。自分の席に戻りながら、心臓の鼓動が早くなる。葵は窓越しの雨を眺めた。外はまだ激しく降っている。自分の心拍と同じリズムで雨粒が地面を叩いているように思えた。
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