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第10話 真相究明へ

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 実験7日目。
 浅見はいつも通りに警備室へやって来た。Wエレクトロニクスも、先週と同じ時間にロボットと森澤を送り届ける。4階で何かが映る、と言うことは知っているのだろうが、特に言及する様子はない。森澤と同じように、何らかの自然現象だとでも思っているのだろうか。それはそうだろう。今のところ、ロボットが物理的に干渉された事例はないのだ。ただ、「女に見える何かがカメラに映った」「警備員が女に見える何かを見た」くらいのことでしかない。「女に見える物」の正体はわからないのだ。何しろ追い掛けても捕まらないもので。光や見間違え、暗示だとでも思っているらしい。

「浅見さん」
 同僚が去ると、森澤が何やら難しい顔をして声を掛けた。声も真剣だ。浅見は首をかしげて、
「何だよ、えらい厳しい顔してんな」
「ちょっと、話をして良いですか」
「うん?」
 森澤は鞄の中からクリアファイルを取り出して、浅見に差し出した。古い新聞記事のコピーのようだ。受け取って、目を凝らしながら読んでみると、とんでもないことが書いてある。浅見が生まれる前のことだ。四階フロアに設られた、隠し部屋での薬物パーティ。死亡した女性。
 浅見は真顔で森澤を見上げた。
「マジ? 森澤くんはこれを信じるの?」
「まだわかりません。何らかの関連性はあるのではないか……とは思いますが、情報が少ないので推測も立てられません」
「十分だろ」
 浅見の心には奇妙な高揚感が満ちていた。自分が廃屋の幽霊騒ぎの渦中にいる! これがどう活きるかはわからないが、普通に生きていて体験できるようなことではない。身を乗り出し、
「すげぇじゃん。間違いないよ。4階で女が死んでて、明らかに幽霊の女が4階にいる。情報が少ない? 十分すぎるだろ」
 しかし森澤は硬い表情のまま身を引いた。
「まだわかりません。四階でだけ発生しうる現象かもしれません」
「四階でだけ発生しうるって、どうして?」
「わかりません。高度による気象現象かもしれませんし、建材の違いかもしれません」
「気象現象の女かよ」
 浅見は手を叩いて笑う。「自分が何言ってるかわかってるのか?」
「わかっています」
 森澤は肯いた。「自分から言えることはひとつだけ。4階には、他のフロアにはない何かがある」
「そんなのわかりきってる」
「俺が言いたいのはそうじゃない」
 そこでようやく、森澤の敬語が崩れた。浅見は笑みを引っ込めて、苛立った様子の森澤を見る。その異様な気迫は、彼の内面にある焦りを感じさせた。
「そう怒るなよ」
「怒ってない。こんなことは初めてだ。調べようにも、何から調べたら良いのか。とにかく、これは運営会社さんに報告して、調査した方が良い。また別の施設にするって言っても、こんなことが続くのじゃ経済的な損失も大きい。建材、環境、温湿度、そう言うものを全部調べた方が良い」
「それでもわからなかったら?」
「お祓いした方が良いでしょう」
「幽霊は信じてないんじゃなかったのか?」
 意地悪ではなく、心から意外に思って浅見は尋ねた。森澤は一瞬言葉に詰まったが、
「初詣で給料が上がることを祈るくらいはするんですよ」
 そこでようやく笑った。つまらない冗談を聞いたような笑みだった。「困った時の神頼みです」
「そうだな」
 浅見は肯いた。なんだか、これ以上森澤の言うことを茶化したらいけない気がした。この森澤が、幽霊の可能性を示唆したのだから。今の浅見には、それだけで彼が近くに感じた。
「でも、それは今俺たちが考えることじゃない」
「もちろんです。自分たちができるのは」
 浅見の言葉に同意しながら、森澤は眼鏡のブリッジを中指で持ち上げた。
「データ集めだけです」

 前回と同じように、今回も浅見がロボットに同行して4階を回ることになった。懐中電灯の電池を替え、無線もきちんと充電されているかを確認し、念のためスマートフォンの連絡先も交換した。
「何かあったら、自分もすぐに駆けつけます。通報もしますが、くれぐれも気を付けて。深追いはしないでください。何らかの理由でサーモカメラに映らない人間かもしれない。夜中の廃ビルに現れる人間なんて、絶対にろくなもんじゃない」
「まったくだよ」
 森澤の言葉に、浅見も苦笑した。幽霊じゃないなら人間ということになる。一体何が目的だと言うのだ。そういう意味では、ここで非業の死を遂げた人間の幽霊の方が気楽だとも言えた。
「それにしても、なんで今になって出てきたんだろうな。そんな大昔の事件で死んだ人が」
「わかりません」
 2人して首を傾げる。
「何かありました?」
「いや……わからないな。何か特別大きな事件はなかったと思うけど……幽霊騒ぎは1年くらい前かなぁ。その頃何かあったっけ。俺にはわからん」
「自分も疑問に思ったので、一応、記者をしている友人にも調査を頼んでいます」
「顔が広いな」
「そうでも……あ、いや、そうかもしれません」
 誰にでも使える手ではないことを認識したのか、森澤は言い直した。それが面白くて、浅見は笑う。
「んじゃあ、給料が上がるのと同じくらい、俺の無事も祈っていてくれ。よし、ロボットくん行くぞ」
 ロボットに声を掛けて、彼は警備室を出て行った。

 ロボットは案外重たかった。浅見はそれを両腕で抱えながら、停止しているエスカレーターを1段ずつ登って行く。ようやく4階に到着すると、無線を入れて、
「4階に到着した。これより巡回を開始する」
『よろしくお願いします』
 森澤のやや緊張した声が返ってきた。
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