ハンドアウト・メサイア 滅亡使命の救済者

三枝七星

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HO5.黄金林檎を投げ込んで(6話)

6.同じ常識

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「あなたが『救済』しようとしているのは『ご自分』なのではないでしょうか」

 テータの言葉は図星を指していたようだ。飛鳥は黙り込む。

「『天啓』は基本的に『他者救済』を指示してくるようですが、『天啓』そのものに抗った例があります。あなたも、『他者』ではなくて『自分』を救いたいと思ったのでは?」
「何を、根拠に」

 飛鳥の声は詰まったようだった。何かを喚き出しそうで、それをこらえているような声だ。

「神林さん、どうぞ」

 テータに呼ばれて、杏は立ち上がった。給湯室から出て行く。訝しげにこちらを見た飛鳥は、真っ赤だった顔をみるみるうちに蒼くしていった。

「こ、この人……」
「彼が、『天啓』に抗った人です」
「初めまして。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。神林杏と申します。先日、カフェではご協力ありがとうございました」
「あ……あ……」

 先ほどまで強気だった飛鳥は、明らかに怯えていた。


「あなたはなんの『使命』を受けてるんですか…………!?」


 この眼差しを受けているときだけ、杏はこの場で一番の強者でいられる。
 この眼差しを受けているときだけ、全能のつもりでいられる。
 この眼差しを受けているときだけ、上位でいられる。

 『使命』の内容を明かすも隠すも自分次第。

 今だけ僕は一番強くいられる!

 しかし、そんな全能感の扱いを、杏は知らない。覚える機会もなかった。必要がなかったからだ。

 だから、危険な感情を脳はすぐに解散させる。


「僕が受けている『天啓』は、満岡さんたちが受けているものとは少しだけ違います」

 杏は穏やかに言った。「滅びの天啓」であることは明かさない。これまでも、これからも。

「神林さんが『天啓』を受けているとわかるのは、同じく『天啓』を受けている人だけですよ、満岡さん」

 テータが話を進める。

「あなたのその態度が、あなたが『天啓』を受けたと言う何よりの証左です」
「いつ受けたのかはわかりませんが。命に関わります。病院で診察を受けて、体内でできている腫瘍の摘出手術を……」

 哲夫が話をまとめようとして、言葉を切った。飛鳥は笑っている。

「ふふ……うふふ……」
「何がおかしいんです」

 異変を感じたのか哲夫が立ち上がる。

「ふふ……あっはは……」

 飛鳥は泣いていた。泣きながら、笑っていた。

「ひどい、こんなのってないよ。せっかく、せっかく自分のために行動できると思ったのに。宇宙人にでも洗脳されなきゃ、私は私のためにすら行動できないんだ………!!!!」
「では、お認めになりますね」
「はい。『天啓』を受けたのは私の方です。成美もだけど、どいつもこいつも私のことないがしろにしやがって」

 飛鳥の目には怒りの炎が燃えているように見える。杏はたじろいだ。

「でも、普通の人は、常識のある人は自分勝手に振る舞っちゃいけない。そう教わってきたから、そうやってきたのに。平然と非常識なことやる奴はいるし、普段真面目にしてる人がちょっとでも常識ないことすると鬼の首取ったように言ってくるし。馬鹿にするなよ、どいつもこいつも。私に常識があるからあんたたちはのうのうと生きていられるんだから」

 飛鳥が罵る「あんたたち」は杏たちのことではない。ここにはいない成美や、今まで飛鳥を苦しめてた「非常識な人間」を見ているのだろう。

「ふざけないでよ! 黙ってるからって、仕返ししてこないからって、何しても良いと思うな!!!!」

 飛鳥は絶叫した。その声が、事務所中に反響する。
 それと同時に、杏の脳裏に、触手を吐き出したあの自称転職エージェント、柳井の姿が蘇った。初めて会った「天啓」を授かった人間。目の前で死の淵に落ち、そして死んでしまった……。

「満岡さん!」

 ソファから立ち上がろうとした飛鳥を、杏は飛びついて押さえた。

「離して! 触らないでよ!」
「駄目ですって! 今冷静じゃないから! 逃げるつもりでしょう! 今ここから飛び出しても交通事故に遭うだけです!」
「それならそれで良いじゃないですか! あなたには関係ない!」
「僕はあなたが『天啓』を受けていると暴いた以上、あなたがちゃんと受診するまで責任があるんです!」
「あんたの都合なんて知らないよ!」
「だったら僕だってあなたの都合なんか知りませんよ!」
「あんたも私をないがしろにする!」
「それは違う」

 割り込んだのは哲夫だった。

「それは違う。あなた言ったよな、『自分には常識があるから、非常識な奴がのうのうと生きていけるんだって』」
「だからなんなんですか」
「同じですよ。『他人の命が危険だと思ったら止める』。神林さんはそういう常識に従っているだけです。『天啓』に従って非常識に振る舞ってしまうあなたが生きていけるように」

 飛鳥は口をつぐんだ。

「忌み嫌っていた連中と同じようになってしまったことに、忸怩たる思いはあるでしょう。でも、あなたのここまでの行いで、あなたに助けられて、あなたを愛している人はいるんです。そういう人に、治療して生き延びることで報いてみませんか?」
「報いたって報われない」
「そんなことはない。俺たちは言いますよ。『生きてて良かった』って」
「本当に?」
「約束します。手術が無事に終わったら、お見舞いに行きますよ」

 哲夫はスマートフォンを取り出した。

「だから、連絡先交換してくれませんか?」



 満岡飛鳥の手術成功の報は、厚生労働省よりも先に、当の本人からもたらされた。哲夫が交換したメッセージアプリの連絡先、そのトーク画面に飛鳥から連絡が入ったのだ。

『まだ傷口は痛いんですけど、なんとか生きてます』
『あの時助けてくれてありがとうございました。浪越さんと神林さんにもよろしくお伝えください』
『病院のホームページです。面会のことも書いてあるので見てください。予約制みたいです』

 見舞いに行くという約束は忘れていなかったらしい。ご丁寧に病院ホームページのリンクまで貼られている。
 彼女は少し、自分の希望をわがままに主張しようと思えるようになったようだった。

『あの時、神林さんが、私を止めてくれた理由が、「逃がしたくないから」じゃなくて「私が交通事故に遭わないように」だったの、本当に嬉しかった。彼にはくれぐれもよろしくお伝えください』

「だ、そうだ」

 トーク画面を杏に見せて、哲夫は微笑んだ。

「ありがとうな、神林さん」
「良かった……」

 杏も嬉しかった。なんだか、初めて役に立てた様な気がしている。

「あ、面会の人数、限られているみたいです。一回二名までですって。神林さんと、約束した国成さんが行くのが良いのではないでしょうか」
「浪越さんも顔見せてあげなよ」
「私の印象は薄いんじゃないでしょうかね」
「でも、やっぱり居合わせた人が全員顔出した方が嬉しいですよ」
「そうでしょうか?」
「まあ、お義理だと思ってさ」

 哲夫がテータの肩をぽんと叩く。叩いてから、哲夫は困惑したような顔になった。

「……」

 テータもそれに気付いて何も言わない。

「……とにかく、今週中には行こうか」

 哲夫は困惑の理由を口にしないことにしたらしい。テータは微笑み、

「ええ、そうですね。忙しくて行けなかった、なんて、きっと彼女がっかりしてしまいます。約束を果たすなら、早いほうが良いでしょう。早速電話しましょうか」

 テータは上機嫌で、病院の電話番号を探して電話を掛けた。

「恐れ入ります。そちらの病院に入院されている満岡飛鳥さんのお見舞いに行きたいのですが……」

 哲夫はその背中を、戸惑った様な目で見るばかり。
 何も言わない哲夫を追求することもできない杏は、黙って二人の姿を見つめるだけだった……。



 北畑成美はランチの為に会社を出ていた。
 国成哲夫に、あんな風にフられてからと言う物の、恋愛に対してあまり積極的になれないでいる。飛鳥も入院してしまったようだし。

(何の病気だったんだろ)

 よくわからないが、摘出手術らしい、と言う事は聞いている。人生何が起こるかわからない。

(まあ良いか……なんか疲れたし、人生の小休止ってことで……)

 などと考えながら歩いていると……。

「よろしくお願いします」

 突然、見知らぬ年配の女性からすっとビラを差し出された。

「えっと」
「私たちは『天啓を果たす会』の者です」

 明らかに怪しい。

「あなたに授かった『天啓』はありませんか?」

 じっと、何かを期待するような顔でこちらを見てくる。

「い、いえ、そういう物はありませんので、失礼します」

 成美はそそくさとその場を離れた。ビルの中に駆け込んでから、胸を押さえて息を整える。

(びっくりしたぁ。いるんだああ言うの……)

 新興宗教か何かだろうか。そういう物に対して少し厳しい眼差しが向く昨今で、勇気のあることだ。

(なんか美味しいもの食べよ)

 彼女はそのまま、ビラを差し出されたことを頭から追い払って、エスカレーターを上がった。自分には、気分転換が必要だ。


 成美にビラを差し出した女性は、しょんぼりと肩を落とした。

「吉益さん、大丈夫ですか?」

 そこに、男性の声が優しげにかかる。彼女は振り返った。

「あ、イオタ様……ビラが受け取ってもらえなくて」
「ああ、それは残念でしたね」

 五百蔵イオタは……「天啓を果たす会」の代表者は残念そうに首を振る。

「ですが、彼女は『天啓』を受けていなかったと言うだけです。我々の同志はどこかに必ずいますから、諦めずに頑張りましょうね」
「はい……!」

 代表者から励まされて、吉益は張り切ったようだった。

「よろしくお願いします!」

 彼女はまたビラを通行人に差し出す。
 その姿を、イオタはどこか冷たい笑みで眺めていた……。
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