献花

刻野 海

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【双子、ロザリエとデジャヴ】

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 下町の居酒屋、ここには様々な客がいる。
 競馬やパチンコで毎日十万円以上を溶かして破産寸前の者、日中のハードワークで酔わないとやりきれない、と酒をあおる者、無邪気に笑う大学生のグループ、一人で喧騒を肴に酒を楽しむ者、それぞれが思い思いの酒をあおる。仕事中の警察官には用のない場所に見える。
 だがそういった中にこそ情報屋が存在するのだ。
 
 現役時代同様、霧島は普段着に着替えてから所定の居酒屋に立った。なるほどこの外見で彼を元警察の人間だと思う者はいないだろう。霧島はそれほどに弱々しかったし、何よりも不潔だった。薄汚れたTシャツなどはもはや浮浪者の域だ。
 そんな霧島はいつもの席を探していく。目当ての情報屋が必ず座る席だ。この居酒屋にいる情報屋は、その情報量と頭の回転の速さが評価され、インターネットが普及した現在でも、現役の警察官たちに重宝される逸材である。なので当然、現役の警察官と鉢合わせすることも想定内だったのだが、それがこれほど若い警察官だとは想定できていなかった。
 その若い警官はメモにペンを走らせながら情報屋の話に耳を傾けている。後ろから見た限りでは20代後半といったところではないだろうか。だがその背中には彼がくぐって来た修羅場が一目でわかるほどに焼き付いている。この男はいったい何者なのだろう?恐る恐る霧島は二人に近づいていった。

「ああ、霧島のあんちゃんか。あんた、隣町の辺りで一体何を嗅ぎまわってんだい?あすこでのお勤めはもうおわったろう?ええ?」
 七十を過ぎているということもあってか一段と老けているように見えるのに、情報屋はすぐに霧島に気づいた。どころか、今日始めたばかりの調査にすら言及してくるではないか。さすがは警察組織が見込む情報屋、うかつに外も歩けやしない。するとその口調から、霧島が元警察官だということを察したのか、情報屋と絡んでいた若い男が霧島の方を見る。正義感の強いまなざしだった。気圧されて耳に入ってくる喧騒が一瞬だけ遠のく。
「初めまして、僕は成田肇といいます。」この場に似つかわしくないほど快活な口調だった。

「それは興味深いですね。」
 情報屋と二人で話したかったのだが、成田がなかなか立ち去ろうとしないのでビールを2杯飲んだところで霧島は折れた。友人の死に関する一部始終を二人に話す。成田が目を輝かせたまま霧島の話の続きを待っているのに対して、情報屋は何かをじっと考えているように見えた。霧島が話し終わると、難しい表情の情報屋が口を開く。
「なるほどなぁ。霧島のあんちゃん、そいつぁ少しめんどくせぇかもしれねぇぜ。あの公園の配置についてまではどうにか説明がつくが、それ以外、ましてあの像のこととなると情報が全くねぇ。悪いことは言わねぇからこの件から身を引くこったな。」情報屋は新しい焼酎を注文する。この料金は当然、警察側の全面的な奢りだ。
「ちょっと待て、配置について説明がつくというのはどういうことだ?」霧島は何とか食らいつく。すると情報屋の目の奥が光った。
「ありゃあ双子だよ。」情報屋は声をあげて笑う。

「言ってる意味がよく分からん、つまり?」霧島の語調が強くなった。思いのほか彼のプライドは高い。
「あのトーテムポールは太陽と月をかたどったものだったろう?ギリシャ神話において、太陽の神と月の神は双子なんだよ。だから太陽と月のトーテムポールは同じ数ずつあるってわけだ。ちなみに三つずつあるのにも理由があると俺は踏んでいる。トーテムポールの数を全部合わせて六つにしたかったからだろうさ。6ってのは神聖な数字だぜ。数学の用語で完全数ってんだが、お前さんらも知ってるような古代ギリシャの哲学者が崇め奉ってたって話も聞く。」相も変わらずこの男の情報量はすさまじい。一般人による雑学王決定戦があれば間違いなく一位になるだろう。光り輝く成田の眼差しをよそに情報屋は続ける。
「あの像の意味、これはおいらの推測でしかねぇんだがよ、あの像は天使をかたどったように見えたろう?だが古代ギリシャ神話に天使ってのは存在しねぇ。つまりあの像は、俺の今までの説明を考慮すると神様の像ってわけだ。もちろん像にあるような神様は存在しねぇよ、神話にはな。それが双子の神、太陽と月の神様のちょうど中心にあるんだから恐ろしい。それは二人の神様を冒涜することに他ならねぇからだ。何時かははっきりしないが、そういう意味を持つ場所に像が置かれたのさ、人が作りだす物である像がな。ありゃあ神に対する、人間による故意の冒涜なのさ。霧島のあんちゃんなら、この話が意味するところは分かるだろう?」
 にやりと笑った情報屋をよそに、霧島の顔から血の気が引いた。成田は分かったような分からないような顔で一人悶々としている。情報屋はそんな二人を交互に見比べながら、顔から笑みを消して静かに言った。
「あんちゃん、沖縄へ行け。もし俺の予想通りなら沖縄にこそ同じ像があるはずだ。」
 霧島の中にあった疑念は確信へと変わる。
「恐らく、あれは人間が自然を超えるために生み出したもの、つまりは核の神様の像なのさ。」




 Ms. marryの部屋の奥には目を見張るような、大きい彫像があった。
 「ロザリエ」という名をつけられたそれは、とてもこの不思議な世界に相応しい、美しい像だった。

 『薄氷が張ったどこか、湖のような場所だろうか、その上に身長の五倍以上はある羽が生えた、天使のような子供が俯いて立ち止まっている。正確には浮いているのだろう。薄氷が張っているのに変な話だが、水しぶきのようなもので精巧に浮いた天使が表現されている。天使は俯いていたし、うまく隠れるような設計になっていたためそれの顔を拝むことはできない。』

 ん?
 男を奇妙な感覚が襲う。
 この像を一度、どこかで見たことがなかったか。
 そう、一度俺はこの像と出会っている。そんな確信が頭をよぎったのだ。このサイズで見たことはないのだろうが、はっきりとしない記憶の中から仄かにイメージが立ち上がる。しかしそれは瞬く間に消えてなくなってしまった。気味の悪い疑心だけが心に残る。
 像の横にはMs. marryと同じくらいの身長がありそうな女性が膝をついていた。恐らく像はこの世界での信仰の対象なのだろう、ひざまずく彼女の姿からは信仰の対象に対する信心以上のものが感じて取れた。Ms. marryが一声かけるとその女性は振り返り、霧島と目を合わせた。
 茶色とも黒色ともつかない深い色の髪、金色の目、チョーカーについた鈴、ニット帽の上からでも分かる猫の耳のような髪型、この女性も男の記憶をピンポイントに刺激してくる。先程との違いといえば、この女性の場合は一瞬でも具体的な映像としての記憶が浮かび上がらなかったということだ。つまりこの女性に関しての直接的な記憶がなかったということだろう。では何故この女性に対してデジャヴを感じるのだろう?
「この子はリリィ、×××です。」
 疑念に気を取られてMs. marryの声がうまく聞き取れなかった。リリィと紹介された彼女は男に向かって静かに会釈する。首元の鈴が鈍く鳴った。その音にも記憶をかき乱される。
 この音は男の最後の記憶、追いかけていた猫がつけていた鈴の音だった。

『だから僕はあれだけ言わせたのに、君は忠告を聞かなかった。運び屋は全てを知り、全てを為す。君の行動も、意思も、思惑も、全部オミトオシだったわけ。どう?君はこれでも僕らに楯突くっていうの?まだ君は僕らに抗おうっていうの?』

「落ち着きましたか?」アベルの優しい声が心地よく男に沁みこんでいく。
 どうやら男は気づかないうちに倒れていたようだ。周りを見渡すと屋根のある高級そうなベッドの上に寝かされていたのだと分かる。赤色や金色がちかちかしてどうも現実味がない。そのため意識もはっきりとしないのか、目が覚めた今でも様々な単語が頭の上をぐるぐると回っている。ロザリエ、×××、鈴の音、リリィ、×××、彫像、記憶、×××、運び屋。
 運び屋?
 何だそれは?
 突然浮かんできたイメージに困惑する。運送業者、配送業者、言い方は他にいくらでもあるはずだ。それなのに浮かんできたのは「運び屋」という表現だった。この時点になると男もさすがに馬鹿ではない。自分がこの世界に飛ばされたこと、自分がなくした記憶、そしてこの「刹那の世界」自体、全てに理由があるのかもしれない。ここで初めて、男に周りの状況への警戒心が生まれた。もちろん目の前の青年、アベルに対しても。
 人と人とのつながりを断ち切るのは疑心だ。霧島が警察官を志したころ、担当教官が言っていた教訓だが、本当にこの言葉は世の中の、人間関係についてすべてを言い表していると思う。霧島は警戒心を強めた。
 たった今、霧島の心に疑心が芽吹いたのだ。
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