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ある公爵家の記憶

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十五年前



ギガール帝都オルブライト公爵邸


「コリン、今日は体調はどうだい?」


「ああ、あなた、今日は大丈夫、調子がいいわ」


公爵家嫡男 レイノルドは妻のコリンを優しい眼差しで見つめた。


皇帝の側妃の娘であったコリン、その美しい黒髪と青い目は皇族として確かな血を受け継いでいる。


だが、この一年は心臓の病(やまい)が悪化、一日の大半をベッドで過ごす事が増えた。

女神神殿の聖女様に癒しの魔法を施してもらったが、稀代の聖女様でも病までは治す力はなかった。


「じつは私の魔術の師匠が君の病を治す術があると、エルフの秘術を受けてみないかとの話しがあってね」


「いいわ、受けるわ」


「!なにも聞かないんだね?」


「あなたはその方を信頼されているのでしょう、なら、私も信じます」


「……ありがとう、愛してるよコリン」


口づけを交わす二人、結婚して二年、二人にはたしかな信頼の絆があった。


「ねえ、あなた」


「なんだい?」


「もし、病が治ったらあなたに知らせたい事があるの」


「今、言ってくれないのかい?」


「まだ、秘密よ。病が治ったらね」


「わかったよ、その時はかならず教えてくれるんだね?」


「ええ、約束するわ」


「本当だよ?私のお姫様」


抱き合った二人、窓の外の庭園は二人を祝福するかのように、沢山の花が風に揺れていた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




数ヶ月後、レイノルドは公爵邸の一室の扉の前で右に左に歩き回っていた。


「落ち着け、レイノルド!お前がそんなことでどうする?!」


「父上!」


そこにはアルド▪フォン▪オルブライト公爵とその妻、アメリアがいた。


「そうですよ、次期公爵がそんなことでは先が思いやられます」


「母上、申し訳ありません。ですが心配で、心配で」


「まったく、男はこんな時はいつもおなじね」


「わ、我はもっとしゃんとだな」


「うちの子は生まれたか、って隣の伯爵邸に怒鳴り込んだのは、どこのどなた?」


「ち、父上が?」


「あ、いや、そんなことは」


公爵はばつが悪そうに縮こまった。


その時、ドア奥から鳴き声がした。


「おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ」


「「「!」」」


ガタンッ、ドアが開き侍女が出てくる。


侍女「お生まれになりました!りっぱな女の子です!」


「おお、つ、妻は、妻は無事か?!」


侍女「はい、母子ともに元気ですよ」


公爵「いってやりなさい」


「はい、父上!」


あわてて部屋に駆け込むレイノルド。


「ああ、あなた、ついに念願の孫を抱けるのですね」


しみじみと話すアメリアにアルドはその肩を抱いた。


「今より、オルブライト公爵家の輝かしい日々が始まるのだ」




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「あなた」


レイノルドがコリンの元にたどり着いた時、ベッドのコリンの横に黒髪の珠のような赤子が眠っていた。


「ああ、私達の宝、なんて可愛いんだ。コリン、よく頑張ってくれた」


「あなた、私ね、この子の名前は私たちの名前を合わせたいの」


「おお、君の病が治り、君が妊娠していたことを教えてくれた時、私も同じことを考えていた」


「まあ、うれしいわ。それでね、この子の名前は私のリンとあなたのレイを合わせたいの」


「リンレイか、まるでベルが鳴っているような綺麗な名前だ」


二人は赤子の額ひたいに優しくキスをおとす。



「「私達のところに生まれて来てくれてありがとう、リンレイ」」




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「な?!今、なんといわれた?」


「ですから、皇帝陛下があなた方のご息女を所望されているとお伝えしたのですよ、オルブライト公爵」


後宮の一室で宰相ゲールは、葉巻の煙を吐き出しながら話した。


「正確には貴方のお孫さんですかな?どちらにしてもこれは勅命ですから」


「ふ、ふざけるな!うちの孫はまだ一歳にもなっておらん。そんな勅命などあるものか!!」


「お断りなさると?後悔することになりますよ」


「知らん!これで失礼する」バタンッ


公爵は立ち上がり、ドアを激しく閉めた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「ゲールの私兵が此方に向かっている。三人はこの抜け道から直ぐに逃げよ!」


公爵は隠し扉を示して、レイノルド達に逃げるように指示する。


「父上!父上は如何なさるのですか?」


「なに、かつて戦場でならした我が槍術、くされゲールの私兵など恐るるに足らん!」


「おかあさま!」


コリンが手に抱いているリンレイをアメリアに抱かせる。

リンレイはすやすやと眠っている。


「ああ、私の大事な宝、どうか健やかに育って」


バタン、ドアが開き執事が駆け込む。


「来ました!ゲールの私兵です!」


アメリアはコリンにリンレイを返す。


「どうか、この子を幸せにしてあげて」


「おかあさま?!ご一緒にこないのですか?!」


コリンの言葉にアメリアは首を振った。


「私は公爵婦人です。皆に責任があります。大丈夫、後で必ず合流しますから」


「……はい、待っております。リンレイと待っておりますから必ず来てください」


「ええ、ええ、いきますとも」


「早くいかんか!」


公爵は躊躇するレイノルド達を叱咤した。


「父上、母上、さよならは言いません。行って参ります」


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


「達者でな」


三人は隠し扉を開けると、中に入っていった。


アルドとアメリアは抱き合って三人を見送る。


「さらばだ」


「どうか、私達の事を覚えていて」




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




ここは公爵邸に隣接する外れの森、そこに宮廷魔術師エギルが待っていた。


「おお、遅かったから心配したぞ」


「師匠!」


「………また、お世話になります」


「……う、む、とりあえずわしの隠れ家に向かう、よいな?」


「?は、はい」


レイノルドはコリンと師匠の微妙な雰囲気に一抹の不安をおぼえた。


ドオオオーンッ


その時、公爵邸から大きな爆発音とともに激しい炎が上がった。


「アアア、父上ーっ、母上ーっ?!」


「お、おかあさま?!」


「なんということじゃ!」


状況を茫然とする三人、その時、コリンが抱いているリンレイが泣き出した。


「おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ」


「いたぞ、こっちだ!」


数名の兵士達が足早に迫ってくる。


「いかん、この森は囲まれておる?!」


「くっ、私が囮になる。師匠!二人を」


レイノルドは二人を振り返って言ったが、コリンがさえぎる。


「いいえ、あなた、この子をお願いします。師匠さま」


コリンは抱いていたリンレイをエギルに渡した。


「コリン殿!」


「は?なにを?」


「ごめんなさいレイノルド。私、もう長くは生きられないの。だから、リンレイをお願い!さようなら」


コリンは兵士達の方へ駆け出した。


あわてて後を追うとするレイノルドの肩を、エギルが掴む。


「コリン!くそ、師匠!放してくれ、コリンが!」


「やめよ!奥方の覚悟を無にするつもりか」


「師匠!コリンの話しはなんだ?病は治ったのではなかったのか!」


レイノルドは師匠を睨んだ。


「エルフの秘術は延命の秘術、奥方は内容を了承した。子どもを産む時間があればよいと」


兵士達の声が聞こえる。


「女がいた!こっちだ。急げ」


兵士が遠ざかっていく。

レイノルドは膝をつき、泣き出した。


「コリン、コリン!」


「レイノルド………」


公爵邸の炎はその日、一日続いたという。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「おとさま、おはなあげる」


「ありがとう、リンレイ」


魔の森の一角に小さな家がある。

二人の親子が仲睦まじくくらしている。

あれから三年、リンレイは四歳になっていた。


「おとさま、あれ、だれかくるよ」


「?!あれは、師匠!」


森から長い白ひげの老人がトボトボと歩いてくる。


「久しぶりじゃの、話しがしたいのじゃが」


エギルはリンレイを見ながらレイノルドに言った。


「わたし、おはなつみしてるね」


察したリンレイがレイノルドに言う。

レイノルドは頷き、エギルを家にて招く。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「秘術の効果がリンレイに残っている?」


「そうじゃ、その効果がリンレイの命を削っておる」


ダンッ、レイノルドは激しく机を叩いた。


「あんた、私から父上、母上、コリンを奪った上、リンレイまで奪うつもりか?!」


「レイノルド」


「私は知っているんだ!あんたが秘術をコリンに施した事を宰相に漏らした事を!」


「すまなかった、わしの弟子の一人が宰相に話すとは」


エギルは深々と頭を下げる。

ギリッ、レイノルドは歯ぎしりをしてエギルを睨む。


「それで娘はどうなるのですか?」


「なにもしなければ秘術に魂を喰われ、廃人になりその後、心臓が止まるのじゃ」


レイノルドは両手で顔を覆い、机に突っ伏した。


「た、助かる方法はあるのですか」


「別の秘術で他の魂を降ろし、それを代わりに秘術に喰わせる方法がある。じゃが喰わせる魂を選べない、賭けになる」


「…………………くっ、くっ、くっ、かーっははは」


「レ、レイノルド?!」


レイノルドは髪をぐしゃぐしゃにかきむしりながら、立ち上がる。


「それじゃあ、娘は赤の他人になるって事ですよね?それって娘が助かる事になりますか?」


「レイノルド……………」


「神は私が憎いらしい!私も神が憎い!なら!」


レイノルドの目から光が消えた。





「こんな醜い世界、私が造り替えて差し上げましょう、カーッ、カーッ、カーッカッ」

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