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プロローグ
しおりを挟む田中空(たなか・そら)は優しい人間ではなかった。極悪人ではないけれど、誰かのために自分を犠牲にできるほどいい人でなかったのは確かだ。だからこそ、もしも死んだ先に天国や地獄のようなものがあると言うのなら、どちらかと言えば地獄に行く可能性はあると思っていた。
「俺は、自分勝手なお前が嫌いだったよ」
空が最後にかけられた言葉だ。子供の頃と比べて接する機会も減っていた兄がどうしてそんなことを言うのか空にはわからなかった。兄の怒りに震えた目が恐ろしかった。空は交通事故にあってその後の生涯を病院のベッドで過ごした。事故の後遺症で植物状態だったのだ。ある願いを聞き入れる代わりに最後に一目だけ家族を見ることを許された。
「それが、まさかあんな怒ってるとはなあ」
家族に迷惑をかけたのは空も理解している。中学三年の夏。推薦入試で気が緩んだ空は友人何名かと遊びにでかけた。その帰りに事故にあった。ほとんど覚えてはいないが、信号が変わった瞬間の大きなブレーキ音と目前に迫ったトラックを見た様に思う。痛みは覚えていないのが救いだ。今更痛い思いなどしたくはなかった。3年も眠っていたから、肉体年齢的には18歳だ。成長したとは思うが、やつれた自分を見るのは怖くてやめた。
「いや、怒るよね。3年も寝たあげく、一度も目を覚まさないで死ぬなんて、親不孝だし。お兄ちゃんは正しい。でも、嫌いはないよ」
心臓が止まるその瞬間に投げかける言葉じゃないと思うよ。なんて、他人事のような死を浮遊感しかない体で見下ろしていた。空の体に覆いかぶさるように泣き崩れた母親から目を反らした。母親の肩に手をそえながらも顔色を悪くした父親からも目を反らした。
嫌いだ。と言い放った兄の怒りだけ、何とか飲み込んで、空は目を閉じた。
「神様―。もう、いいです。連れてってください」
出来たら記憶も消してくれていいですよ。こんな親不孝な人生なんて忘れた方がいい。空はすっと手を空よりもはるか宇宙に向けて伸ばした。
*****
ぶくぶくと泡が零れて
ずっと上の方へと昇っていく。
不思議と苦しさは無かった。
沈んでいく体がもどかしくて
どうして、私は魚じゃないんだろう。
それだけが、悲しかった。
初めて呼吸を意識した時、私は溺れていた。上手く水をかけない体にパニックを起こしながら、必死に体をばたつかせた。地上に手を伸ばしても波にさらわれてしまう。
「マーレ!」
遠くで誰かが私を呼んだ。助けて。そう叫ぶつもりで開いた口に塩辛い水が流れ込む。
――もう、ダメだ。
そう思った瞬間、強い力に体が引っ張られた。痛みを感じるほどの強さに、叫んだと思う。
「落ち着け、もう大丈夫だ……大丈夫だから」
大きくてごつごつした手のひらが、私の背を擦った。冷えきった体にはその手が熱くて仕方がなかった。
「うっ……うぇっ、げほっ……うああんっ…パパあああ」
私は大声で泣いた。6歳になったばかりなのだから許されるはずだと思った。助けてくれたのはマーレの父親だった。もちろん私のことだが、あんなにいらないと願ったのに神様は田中空としての記憶をちゃんとは消してはくれなかったのだ。
「久しぶりにパパと呼んだなあ……」
記憶を取り戻した瞬間、おぼれていた私は助けてくれた父親をパパと呼んだ。家になかなか帰らなかった父親に怒って呼ぶのをやめていたのに。いや、溺れて助けられたのだ、当然だろう。
「それにしても、人魚のお前が溺れるなんてな」
よしよしと慰めるように頭を撫でられる。私は恐る恐る自分の下半身に視線を向けた。
「……人魚」
そこにあったのは二本の足ではなく、鱗に覆われた魚の下半身だった。そう、これに驚いて私は溺れたのだ。マーレの記憶がようやく馴染んでくる。
「パパのせいよ」
私はツンとした態度をとった。
「ははは。パパは人魚じゃなくても、泳げるんだがなあ」
空の記憶が戻った今ならわかる。パパは帰ってこないのではない、私やママの住む家に帰れないのだ。
「私もいつか足が生えるのかしら」
マーレは人魚と人のハーフだ。
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