操り人形の外の世界

冠つらら

文字の大きさ
上 下
14 / 56

14.衣替え

しおりを挟む
 私たちは、Tシャツは新しくて楽しい服装だとアピールをするためのパーティーを開催することになった。先方の担当、ウェッジ・ドメイシアさんとともにパーティーの企画を進め、Tシャツにペイントや色染めをして、多様なスタイルを体現する。そうすることで、それぞれにとって、Tシャツは最も汎用で、クールで、ぴったりなものになると主張することにした。

 ニアが男子たちに調査を入れてくれたおかげで、私たちは、より新しくてクールなものを探している彼らの探求心に向かって、Tシャツを提唱してみることにしたのだ。
 ニアのコネのおかげで、最近密かに話題になっている俳優をモデルにしたポスターも作れそうだ。

 私は、予想以上にテキパキと進んでいく準備に追われながら、それでもワクワクとした日々を送る。今日は放課後にパーティーの料理のオーダーを終えたところで、私は一度学院へ戻った。
 せっかくのTシャツなのだから、自分でも着てみよう。そう思って送ってもらった荷物が届いているはずだからだ。
 帰宅する予定だったエレノアに送ってもらい、私は校門の前で降りた。

「ありがとう、エレノア。また週明けにね」
「ええ。気をつけて帰ってね」

 エレノアは家の問題に進展はなく、母親はまだ家を出たままらしい。あまり首を突っ込むのも良くないと思い、私も深くは問わなかった。
 先生から荷物を受け取り、私は箱を抱えて廊下を歩く。
 迎えの車を呼ばなくては。そう思い、電話のある方向へと向かう。けれど私は途中で足を止める。オルメアの姿が見えたからだ。

 今日もオルメアはチェスをしている。対戦相手は知らない生徒だ。私が近づくと、オルメアがチェス盤から顔を上げて私を見る。集中していただろうに、その緊張感がまだ解けきれていない顔をしていた。
 私は会釈をして、近くの椅子に座った。オルメアはまた勝負に戻り、相手の一手を待つ。
 それからすぐに勝負はついた。今度はオルメアが勝ったみたいで、対戦相手は「負けたー」と頭を抱えて笑い出した。
 オルメアはその彼にお礼を言うと、私の方へと歩いてくる。

「ロミィ、その荷物は何?」

 膝に置いた箱を興味深そうに見る。

「Tシャツを送ってもらったの。一度試着したけれど、すぐに脱いでしまったから」
「そうなんだ」
「そうだ、オルメアの方はどう? 課題、順調かしら?」
「僕の方は、野外ライブをするんだ。ハロウィンの日に」
「ええ? ハロウィンに?」
「僕が今聞いてるレコード、どんな音楽か知ってる?」
「ううん。聞いたことないわ」

 私は首を横に振る。どうやら、ロックっていう新しいジャンルみたいだけど、まだ私たちには馴染みがない。

「でも、ライブをするのね。なんだかパーティーに似ているわ」
「そうだね。僕もまさかそうなるとは思わなくて。折角なら、ロミィたちのパーティーにも彼らが来てくれるように誘えばよかった」

 オルメアは担当しているレコード会社のバンドとも上手くやっているみたい。確かに、合同で企画出来たら楽しかっただろうけど、ドメイシアさんがどう思うのかは、また別の話になってしまう。

「残念だけど、しょうがないね」

 眉を下げて、私は悔しさを笑顔で表現する。他の生徒達は、次第にこの談話室を後にしていく。
 するとオルメアは私の隣に座り、また箱のことを見た。

「パーティー、無事に終わるといいね」
「ええ。本当に」

 私は大きく頷く。準備が上手くいったところで、当日成功しなければ意味がない。私は、緊張感を持って箱を握りしめる。
 ふと、箱の中身が見えた。私の頭の中に、ちょっとした興味が浮かぶ。

「……オルメアも、着てみる?」

 私はなんとなくそんな提案をしてみる。オルメアがTシャツを着るなんて、なんだか想像がつかなかったけど、きっとよく似合うはず。そんな自信があった。

「え? 今?」

 当然、オルメアは驚く。それはそうだ。どうしてこの談話室で、わざわざ着替えなくてはいけないのか。私は自分の発言が急に恥ずかしくなってきた。何を言っているのだろう、私は。

「……うーん。でも、折角だから、着てみようかな」
「え!?」

 大きな声が出た。あまりにも大きかったため、自分の声の反響に、私はまた恥ずかしくなる。

「家にはないし、ちょっと試してみたくなった」

 オルメアはニヤリと笑う。いたずらな笑みだ。

「そ、そうしたら、これ、着てみる……?」

 私は慌てて箱の中を漁り、一番大きなサイズを取り出す。ドメイシアさんは気を利かせて、様々なサイズのものを送ってくれていた。本当、有能な人だ。
 差し出したTシャツを、オルメアは「ありがとう」と、受け取る。濃紺のTシャツを広げ、オルメアは動きを止めた。数秒の間、その意味が分からなかった。けれど、私はハッとする。
 ここで着替えろって、私が言っているようなもの。しかもそれを、私はまじまじと見ようとしている。

「ご、ごめんなさい……!!」

 私は顔を真っ赤にして、ばっと後ろを向いた。びっくりするほど俊敏に動けたので、オルメアが今、どこを見ているのかも分からなかった。

「ロミィ……」
「み、見ないから!」

 オルメアの声を遮り、私はそう主張する。必死すぎるその声に、オルメアは少し黙る。オルメアは何とも思っていなくて、ただ女子の前で唐突に着替えることに迷っただけかもしれない。
 だけど、私にとっては大問題。
 上半身を着替えることくらい、確かに何ともない、だって、映画とかでもばっちり見ているし。それに、海に行けばたくさんの水着姿が見れる。出し惜しみするものでもない。だから、何ともないけど……。でも、オルメアが目の前で制服を脱いで着替えるって考えると、ちょっと目の毒かもしれない。

 だってそれは身内とか、はたまた知らない誰かではなくて、オルメアなんだから。
 純粋に、なんだか恥ずかしい。オルメアの身体を見たいとか、そういう欲があったわけではなくて……あ、でも、そういう風に思われていたらどうしよう。目の前で異性が着替えることに何の抵抗もないどころか、勧めるようなやつだと思われてしまったかもしれない。

 私の目が白くなる。

 やだ、そんなの、いたたまれない。どうしてあんなこと言ったんだろう。
 口から魂が出そうになっていると、背後から衣が擦れる音がする。
 着替えてる。
 オルメアが、すぐ後ろで着替えてる。

 ドキドキと、私の意思とは関係なく心臓が音を立てる。顔の赤みが引きそうにない。ちょっと、いい加減、落ち着いてくれないだろうか。私は頬を抑えて瞼を閉じた。ただの音なのに、どうしてこんなに心を乱されるんだろう。

「ロミィ?」

 オルメアが私の顔を後ろから覗き込む。

「あっ!」

 私は目を開け、慌ててオルメアの方を見る。オルメアの印象が、少しくっきりとして見えた。濃紺のTシャツのせいだろう。オルメアは私にTシャツをじゃーんと見せてくれる。

「どうかな? なんだか下着みたいで慣れないけど、着心地はいいね」

 オルメアがはにかむので、私は顔のほてりを誤魔化すためにも大きく首を縦に振る。

「似合ってる! オルメア、とってもいいと思う!」
「……ありがとう、ロミィ」

 ちょっと引いてる?
 そう思いながら、私は優しく笑うオルメアを見て、動きを止める。

「これ、きっと皆気に入るよ」
「そう思う?」
「ああ。ドメイシアさんは、いいところに目を付けたな」
「……ええ」

 オルメアの手元には、脱いだ制服のシャツが置いてある。さっきまでオルメアが着ていた服。そんなものにも、私はときめいてしまう。
 そこで、私は新たなる大問題に気がつく。
 もし、オルメアがこのTシャツをこのまま返してきたら?
 私は自分が思っていたよりも拗らせていることをようやく自覚した。

「オルメア、そのTシャツはあげる」
「え? でも、これサンプルじゃ……?」
「いいの。似合っているから、着ていて欲しい」
「……ロミィがそう言うなら。ありがとう。なんか、強奪したみたいで悪いな」
「ううん」

 強奪なんてとんでもない。私が暴走しただけ。

「パーティー、これ着て行くよ」
「うん。ぜひ、そうして」

 私は力なくそう答えると、遠くに見えるチェス盤を見る。
 チェスなんて競技、私は絶対苦手だろう。駆け引きというものは、向いてなさすぎる。



 「はぁ」

 ため息が出る。
 帰りの車で、ワカモイさんの後頭部を見ながら、私はうなだれる。
 どうして私が憎まれ役なんて担えたのだろうか。
 そんな疑問が渦を巻く。

 だって、そういう役目って、きっとそれなりに頭がキレないと出来ないはず。じゃないとただの馬鹿か、どうしようもないクズになってしまうもの。魅力なんてあるはずがない。
 シナリオ通りとはいえ、よく務まっていたわ、私。
 それとも、自覚がなかっただけで、私って相当な変人とか、どうしようもない馬鹿だったのかもしれない。
 そう思うと、血の気が引いてきた。無自覚って、怖い。

 一人恐怖に震えていると、ミラー越しにワカモイさんが私を見る。優しくて厳格なその眼差しと目が合い、私は姿勢を正した。ワカモイさんは途端に柔らかく笑う。

「お疲れですか?」
「……いいえ。……ううん、ちょっと……」

 私は観念して、泣きそうな顔になる。ワカモイさんに嘘は通じない。そしてワカモイさんに嘘をつきたくもない。

「お嬢様、最近、とても活き活きとされていますが、無理はなさらないでください。倒れてしまっては、元も子もありませんよ」
「……ええ。そうね。ありがとう、ワカモイさん」
「ふふふ。いいえ」

 ワカモイさんの優しい声に、私はうるっときてしまう。幼いころからお世話になっているワカモイさん。その声は、まるで私のお祖父ちゃんのようだから。

「ねぇ、ワカモイさん」
「何でしょうか?」
「私、最近活き活きして見える?」
「ええ。そうですね」
「……それを見て、どう思う?」

 いつも私を見てくれているワカモイさんにも、シナリオの記憶はない。だけど、私よりも、ロミィ・ハロルのことを把握しているかもしれない。本当の私って、どんな人なのか、私はまだ見つけられない。

「とてもかっこいいですよ。私は、ただただ誇らしいです」
「……ワカモイさん」
「お嬢様、もっと自信を持っていいのではないのですか?」

 ワカモイさんのエールは、私の心を縛り付ける縄を緩めてくれる。私は嬉しくて、また泣きそうになる。

「ありがとう、ワカモイさん。……これからも、見ていてくれる?」
「ええ、勿論」

 ワカモイさんは、今日という一日を優しく締める言葉を贈ってくれた。

しおりを挟む

処理中です...