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③【オタクたちの遠征】【気難しい男】【スマートフォン】

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【オタクたちの遠征】

 それぞれスマートフォンの画面を見つめる四人は、互いの顔を見ることもなくテンポよく会話を進めていく。

「だめだ。やっぱ待つしかなさそう」
「Excusez-moi, je cherche des médicaments」
「もう間に合わないよね? いっそキャンセルする?」
「いやまだ分からない。この後奇跡が起きるかも」
「んなワケなくね。気象情報を見てみろよ」
「待って、あと少しでこの面クリアだから」
「J'ai mal à la tête」
「とにかくもう少し様子見しよう。状況は正直絶望的だけど」
「Oui c'est ça! merci」
「あっ──やばミスった」

 仲間のうちの一人、この中での唯一髪を染めていない黒髪男は悔しそうに唸った後でゲームを止め、スマートフォンから目を離して椅子の背に頭を預ける。

「課題を優先させてギリギリにスケジュール立てたのはやっぱり安易だったか?」

 大きなため息とともに後悔の意を表明する彼はそのまま隣に座る友人に顔を向ける。友人はかけていた眼鏡を外しながらスマートフォンから黒髪の男へと視線を移す。こちらもゲームを終えたようだ。眼鏡をしまい、彼は肩をすくめる。

「いやでもあれを提出できなければ成谷は単位落とすし、俺だってバイトのシフト結局調整できなかったし。しょうがないよ。まさかここまで空が荒れるとは」
哉太かなたは寛大だな。まぁ成谷なりやの留年を賭けるのは確かに違うか」

 友人の穏やかな口調に諭され、黒髪の男は納得したように力なく笑う。

「とはいえ俺も諦めたわけじゃないけど。まだ間に合う可能性はある」
「ほんとかよ。あ、ほら正澄ますみが帰ってきた」

 黒髪の男がこちらに向かって歩いてくる短髪の男を指差すと仲間たちは一斉に同じ方向に目を向けた。

「どうだった正澄」
「一応代わりの便は取れたけど──」

 気まずい表情で頭を掻く正澄は言葉を濁してから申し訳なさそうに眉尻を下げる。

「間に合うかどうかはギリなところ。順調に天候が回復して今の予定時刻通りに飛べば会場直行でライブ中には入れる。でも──」
「再遅延でもしたらアウトってことか」
「うん。これより早い便はもう一杯で……ごめんな、みんな」

 黒髪の男の推測に頷き、正澄は崩れるような動きで椅子に座り込んだ。

圭人けいと、せっかく色々手配してくれたのに悪い。俺たちのせいで」
「いや誰のせいでもない。皆で決めたことだ。せっかくの周年ライブ、皆で行けなきゃ意味がないだろ。それだけは譲れなかった。だから気にすんな。ほら、成谷もそんな顔すんなよ」

 圭人と呼ばれた黒髪の男は背中合わせで椅子に座っていた成谷のしょんぼりした顔に向かってニヤリと笑いかける。小柄な成谷が落ち込んでいると余計に小動物のように見えて可哀想だったのだ。
 成谷は目をうるうるとさせてぐすっと鼻をすする。

「圭人ぉ……! お前、ほんといい奴な」
「C'est un vol. Aide-moi」

 感涙する成谷の隣では巻き毛を二つ結びにした女が無表情のままスマートフォンに声をかけ続けていた。が、成谷もほかの仲間たちも彼女が一方的に喋り続ける外国語を気にも留めていない様子だ。

百華ももか、もう少し声を落とせ」

 そう哉太が一度注意するのみで、あとは我関せずの状態を保っている。彼女が暇つぶしに語学学習アプリを使うことは通常運転のこと。逆に邪魔をすれば怒られることを彼らは肝に銘じているのだ。
 百華も仲間たちの声が一切聞こえていないわけでもなく、哉太の注意を受けて微かに声のボリュームを落とした。

「グッズだけは事前通販しといてよかったよな」

 気だるげな身体をどっこいしょと動かし膝に鞄を乗せた正澄は中からペンライトを取り出してぼうっと見つめる。

「だな。見てから買おうと思ってたけど、圭人の助言に従って助かった。グッズも何も買えなかったらちょっと嫌だし」

 正澄の発言に同意した哉太は隣の圭人を肘でつついてから自分のペンライトを取り出す。

「──にしてもなんでネコの形にしたんだろ。かさばるし普通の形でいいのに」
「二周年だから、にゃー、ってことでネコらしいぞ」
「にゃー? みゃー、じゃなくて?」
「それだと三周年になっちゃうだろ」
「なるほど。来年も使えますってことか。さすがダッパー、エコだぜ」

 成谷の答えに感心する哉太は手にしたネコ型のペンライトを誇らしげに振ってみせる。ネコの顔には彼らが応援するアイドルユニット「dazzling party」のロゴが彫られていた。

「こら哉太、スイッチは切れ。迷惑だろ」
「あそっか」

 何も考えずに癖でペンライトのスイッチをオンにしていた哉太は圭人の忠告に慌ててスイッチを切ろうとする。しかし急ぐ時に限ってうまくスイッチが動かない。ペンライトの突飛な形が相まって、焦った哉太は手を滑らせペンライトを飛ばしてしまった。

「やべっ──すみません‼」

 くるくると宙を回転したネコが近くを通りかかったダークグレーのコートを着た男にぶつかり、哉太は彼の前に飛び出してがばっと頭を下げる。
 ペンライトがぶつかった直後にすかさず謝罪に走ってきた哉太にペンライトを返し、男は何も言わずに去って行った。どうやら少し急いでいるらしく、彼の足取りは早かった。きっと文句を言う暇すらないのだろう。

「危なかった。怖い人じゃなくて良かったー」

 仲間のもとへ戻り脱力する哉太に対し圭人がしょうがないなと笑う。

「気をつけろ。温厚そうに見えてもどんな人間か分かったもんじゃないぞ」



【気難しい男】

 天候不順のアナウンスから、空港内の賑わいの色が変わってしまった。
 売店でガムを買い、男はうんざりする光景に顔を曇らせる。
 騒がしさに変わりはないが、どちらにせよこの類の喧騒を好むことはない。何より厄介なのが、休憩場所がないか探し回る人々とどうにも歩調が合わないことだ。
 荷物を抱え、限られた視界にのみ意識を集中させて自分勝手な動きを繰り返す人間と何度かぶつかりそうになりながら、彼はガムを口に放り投げる。

 上質なコートを腕にかけ、品のいいスーツで身を包む彼の姿は周りを行き交う観光客たちと比べると少し異質なものだった。
 身なりに負けぬよう最低限整えられた髪を手で撫でつけ、彼は若干の不満を孕んだ瞳で状況を観察する。
 何故、自分がこんな面倒な事態に巻き込まれているのか。
 自分が置かれた状況にまったく納得がいっていないことは眉根を寄せたその表情を見れば明らかだった。
 もし訴えることができるならばそうしたいところだが、如何せん空に文句を言っても何の効果も見いだせない。それがまた無力感に襲われ彼の不満を募らせる。だがここで騒いだところでどうにもならない現実は承知のこと。
 納得はできないが、受け入れざるを得ないのだ。無駄な足掻きをする選択など彼の脳内にはじめからない。
 ミントの風味で満たされた息を微かに吐き出し、彼はスマートフォンをチェックする。
 通知を開けば彼のアシスタントからの謝罪メッセージがいくつも届いていた。しかし今更怒ってもこれもまたどうしようもないこと。彼は胸に抱いた感情を放棄して一言だけ返信する。

〔次は間違いのないようにお願いします〕

 彼のメッセージが送信されるや否や、アシスタントから土下座と敬礼のスタンプが返ってきた。この敬礼の意味を彼もよく知っている。
 これでもうこの件はおしまい。起こってしまった事象についてお互い着地点に到達したということだ。

「やれやれ……」

 スマートフォンをジャケットのポケットに入れ、彼は床に置いていた鞄を手に取る。
 ひとまずこの無数の人で溢れた空間から離れなくては。彼の思考は次に自分がやるべきことのみに意識が向かう。

「すみません!」

 しかし人がごった返す空間ではなかなか思い通りにはいかない。
 彼の一歩踏み出した足は背後からのハスキーな声に呼び止められてしまう。
 自分のことか。いやもしかしたら違う人かも。それなら有難い。だがこの半径一メートルの空間にはほかに誰もいない。ということは、やはり自分か。
 微かにため息が出ていく。

「なんでしょうか」

 彼が振り返ると、ベリーショートヘアの若い女が感じの良い笑顔で待ち構えていた。明るい髪色のせいか彼女は目が覚めるような眩しさを放っている。

「この辺りでこれくらいの髪の長さのピンクのコートを着た女性を見ませんでしたか?」

 自らの肩上くらいに手を当てた彼女が首を傾げて訊ねてくる。

「いえ、見てませんね」
「そうですか、すみませんお時間取らせて」
「いえ。どうせ急いでも無駄ですから」

 無愛想な声で淡々と会話を終わらせ、彼は彼女の笑顔から顔を背ける。

「ありがとうございましたっ」

 第三者から見れば冷たすぎる態度を取られてもなお彼女は明るい声でお礼を告げた。
 この人の多い施設で探し人などなんと厄介なことか。
 彼女の健気な態度に少しばかりの同情を抱きつつ、彼はスタスタと歩みを始める。
 飛行機が止まり足止めを食らった大勢の中で、たった一人の目標を探し出すなど自分はご免だ。そもそも皆、身勝手に動きすぎる。
 ダークグレーのコートを着た男がスマートフォンの画面を見ながらこちらに向かって歩いてくる様子を見つめ、彼は呆れたように首を振った。
 真正面から対向者が歩いてくるというのに彼はそんなことにもまったく気がついていない。結局、メッセージを打つことに夢中になっている彼をこちらが避ける必要がある。

「なんと不用心な」

 苛立ちを独り言で発散し、スーツの男は端へ端へと人のいない場所を目指していく。



【スマートフォン】

 すれ違った身なりのいい男が何かを呟いた気がする。
 ダークグレーのコートを着た彼は一瞬だけスマートフォンから目を離して彼の背中を見送った。
 気のせいか。緊張からくる幻聴か。
 彼がきょとんとしていると、手元のスマートフォンがピコン、と鳴る。

〔焦らんくてええ。大事なのは結果やから〕

 送られてきたメッセージに目を落とした彼の表情がほんのりと明るくなる。が、続けて届いたメッセージを読み、その表情はすぐに青白くなった。

〔ところでちゃんと音消しとる? サイレントモードは基本やからな〕

 まるで自分のことをすぐ後ろで見ているかのような指摘だった。
 大慌てでスマートフォンをサイレントモードに変更した彼は、気を取り直して両手でメッセージを打ち直す。

〔思いがけず時間稼ぎができました。予期せず自然が味方してくれたのかもしれません。どうか期待していてください。今回はうまくいく気がします!〕

 打ち込んだメッセージを満足気に眺め、男は気合いを入れて送信ボタンを押した。するとメッセージが送られたと同時に背後から誰かに肩を叩かれる。

「ひゃあっ」

 間抜けな声で飛び上がった彼のことを、肩を叩いたベリーショートヘアの女が怪訝な表情で見やる。

「あの──このくらいの髪の長さのピンクのコートを着た女性を見ませんでしたか?」
「んぐっ……み、みてないです……ハイ」
「──そうですか。お邪魔して失礼しました」
「い、イエいえ」

 明らかに落ち着きのない呂律に女が眉を顰めたので、彼はコホン、と咳払いをしてから軽く頭を下げて彼女から離れる。ベリーショートヘアの女は挙動不審な彼のことをしばらく観察していたが、じきに違う場所へと消えていった。
 彼女がどこかへ行ったことを確認し、ダークグレーのコートは安堵の息を吐く。
 冷静を振舞って紳士的にその場を去ってはみたものの、不意を打たれた衝撃で彼の心臓はまだ激しく音を立てていた。

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