土人形は魔弾で死なず

千楽 斐才

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1.邪神が庇護する種族

2 死して尚、死を作る者

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 死んだと思えば見知らぬ洞窟、見知らぬ葛餅。序に獣人。
 混迷とした事態の最中、私は少々考える。
 一先ず……あの質問をしてみようか、と。

 初歩中の初歩の質問だけど、現状では二人に聞くにはピッタリすぎるものだ。
 けど、しかしこの緊迫した空気、上手く行くかは分からない。
 しかし、今聞かずしていつ聞くと言うのだ。勇気を出すのだ。設楽臥菜。

「あの、そろそろお名前を伺っても? 私は設楽臥菜と申します」
「「……」」

 聞いてみたなら、キョトンとした顔が二つ。
 洞窟内の空気が一段と冷えた様な気がしてくる。
 返答はなく、微かに反響する質問だけが空しく響いている。
 残念無念、仕方ない。

「私、所要がありますので。では」
「あ」

 台座から降りて、スライム娘を抱える。何ともヒンヤリした感触だ。手触りは見た目通り、プルプルしている。
 ただ、思ったより硬い葛餅だなぁ、と思いつつ足首辺りまである地底湖を、軽やかな足取りで走っていく。
 何気なくジョギングをする風で獣人の横を通り抜ければ、二人ともキョトンとしたまま私を見続けている。
 そして出口に向かってバッシャバッシャと規則的に走って二百メートル離れた辺りで

「って逃げんじゃねえぇ!」
「あ、バレた」

 さも当然の様な空気を醸しつつ脱走しよう作戦が失敗してしまった。
 しかし元々一か八かの作戦だ。まあまあ距離は稼げただけ良しとしよう。
 にしても、ここまで離せるとは思わなかった。きっとあの獣人バカに違いな

「どりゃぁ!」
「はひっ?」

 そんな事考えている間にすぐ後ろから何か巨大な音が聞こえた。
 何かを確かめる勇気はない。足の回転を速める事だけに集中する。
 だってアイツ、速すぎるもの。頭が軽い分、軽量化に成功してるもの。

「てめえ止まらねえと殺すッ」

 止まろうが止まるまいが殺すつもりなのが見え見えだ。
 それにあの激痛と共に死んだ身としては、そう言う脅しは何だか……怖くない。
 一回死ねば二回も三回も同じだ、と言う心境である。
 だからこそこんな大胆な行動も出来るというものだ。

「あ、あの」
「ゴメン喋れないっ心肺機能強くないっ」

 ただし、逃走は必死だけども。
 スライム娘が何か話しかけているけど、そんな余裕はない。
 逃げないとあの衝撃音が私共々スライム娘に叩き込まれてしまう。

「私を置いて逃げてくださいっ」
「逃げる算段あるの?」
「狙ってるのは私だけですから時間は稼げますっ」
「はぁ?」
「巻き込んだのは私ですし、このままでは共」
「却下」

 自分で引き起こした事態を自分で収集しようとするその行為は殊勝だ、
 けど、スラ娘を囮に逃げるとか、例え人種が違ったとしてもダメだろう。
 明日の飯が不味くなるどころではない。毎晩毎晩、悪夢に飛び起きる自信がある。
 
「私の小心舐めんなよ。スラ娘」
「す、ら?」

 なんて啖呵を切って見たものの、私の脚力ではどうにもならないだろう。
 何せこちらは毎晩晩酌する上に運動もしない会社員。心肺能力なんてものに、頼れる訳が一切ない。
 現に破壊音がどんどん迫り、私達の命運は最早尽きたようなものだ。
 意地張って格好つけて、結局この様なのは情けなさすぎるが、仕方のない事だった。

 こういう時は諦めが肝心だ。現実を見て、運動不足な体がここまで走れたことを褒め称えよう。
 人を助けようとして、死ぬなんて。ドラマティックで感動的な終わりではないか。有終の美を飾る事が出来たではないか。
 ……もう死んでいる事には目を瞑るとして。

「死ねぇ!」

 頭に、二度目のガツンが来た。一回目よりは痛くない辺り、耐性が付いたのだろうか。
 そのお陰で、スラ娘を遠くに放る余裕すらあった。
 そして私の体が倒れて……水の中に沈んでいった。

 私を殺した人狼の、満足げな鼻息が聞こえる。
 水底の体を踏みにじって、スラ娘へ迫る。

「切り札は無駄だったな。王女様?」
「……何故ですか? スライム族は、少なくとも獣人とは争っていない筈です」
「理由か? 理由なぁ。……特にねえ」
「え?」
「ははっ。お前らを殺すのに理由が居るか?」

 洞窟に反響する笑い声。
 それが止まない内に、こう続ける。

「なら一応言うか。俺が獣人の群れから出て行った傭兵だからってのと……お前が弱いからかなぁ」
「弱い……から?」
「そうだよ。お嬢ちゃん。この世は強い奴が生き残り弱い奴は滅ぶんだ。後はそうだな……ブヨブヨしてて気持ち悪ぃ。理由はこんなもんでこれでいいか?」
「そんな……私達だって生きてるんですよ」

 スラ娘が悔しそうに呟く中、爪を削るような音。
 そして獣人は正反対の感情をぶつける。

「そうだな。だが生きてる意味ねえだろ? 資源の無駄だから俺らに回せよ。資源とか領土とか」

 その口振りからは、侮蔑を感じ取れた。
 スライム族とやらは何処に行ってもこんな目に合っているらしい。

 何故だろう。スラ娘は可愛い上に性格も程々に良さげだ。
 だと言うのに、何故そんな目に合わねばならないのか。非常に不服である。
 が、しかし……どうしたものか。

「さて、そろそろお仲間も磨り死んだ頃だろうし、あの世で感動の再開をさせてやる……よ?」

 人狼も気付いて振り返ったけれど、その驚愕と混乱の眼差しに応えられる自信がない。
 本当に、どうした事だろうか。自分でも混乱している。戸惑っている。

 私は何故、頭を潰されて尚、思考をしているのだろうか。
 声を聴き、姿を見て、立ち上がっているのだろうか。

 湖底からの薄明かりの中、頭上を覆い尽くす闇の下、私は呆然と見る二人を見返していた。

 放心半分疑問半分で足元を見れば、水の中、土塊に変わりつつある人の頭があった。
 まるで時が世紀単位で過ぎ去って、風化していくように見えた。
 しかもその土を足先で触ってみれば、グチャリと蕩けて、体に混ざり込んだ。

「てめえ、何者だ」
「~?」

 上顎が消えているらしい。話せない。
 不便だと思っていたら、ミチミチと土を練り上げる音が聞こえて、頭が重くなる。
 再生を……しているのか。視界がグニャッとして、すこし上になる。

「ああ、話せた」
「ッ」

 と思ったら、今度はお腹に爪を突っ込まれた。なんて酷い奴だ。
 死ねば皆仏と言うのだから、私はもっと敬われるべきではないだろうか。

 そう、そうだ。私はもう死んでいるのだ。だからきっともう死ぬ事は無いのだろう。
 頭を飛ばされようと腸を貫かれようと、痛みだけが走るのだろう。
 腕が突き刺さった部分も土塊になって、ボロボロと崩れていく。それだけだ。

「何というか……私どうなってんの? これ」
「くそが……」

 獣人が素早く腕を引いて、二歩ほど下がる。
 彼も引いているが、私もドン引きだ。思考が疑問符で満たされていく。
 
 いや、この体は問題ではない。理解できない事を考えるのは無駄だ。先ずはどうするか、だ。
 でも、それも違う。行動目標というか、行動対象は決まっていた。
 この前時代的な悪癖の持ち主である悪漢……悪獣か。まあどっちでもいい。

 私はこの犬が気に喰わない。だから何とかする。それは決定事項だ。

 きっとこの場ではこの犬かスラ娘か、何方かの味方にしかなれないのだろう。
 だったら私は間違いなくスラ娘を選ぶ。私の為に囮になろうとしてくれた人を助ける。
 言ってみれば、動機はこの犬と似たようなものだ。

 この犬はスライムが気持ち悪いからスラ娘を殺す。
 私はスラ娘が気に入っているからスラ娘を助ける。

 しかし、どうした事か。私はきっと死んだ時に何処かネジが飛んだのに違いない。
 あるいは、死後の世界があると知って、人生観が変わってしまったのかも知れない。

 私はこの獣人は人語を話し、人臭い思考を持っている事を知った。
 彼を心配する親が居るだろうし、妻や子供も居るかも知れない事を推測した。

 でも、ふと思うのだ。死後に会う事もあるだろうとか、死ねばやり直しが出来るだろうと。
 簡単に言えば、スラ娘を助ける為の手段に、男の殺害が平然と選択肢に入ってしまった。
 コンビニに行くような気軽さで、殺そうと思ってしまった。

「グハッ」

 思い立ったが吉日と殴ってみたが、素人の拳でも不意打ちで頬に当たれば痛いらしい。
 獣人が呻いて仰け反る。が、反撃も早い。肩から腹にかけて、ザックリ抉られた。
 しかし、やっぱり生きている。少し痛みはあるけど平気だ。
 ならばもう一度殴って、と思ったのに、飛び退いて距離を取る獣人。

「なんだコイツ、土? 粘土?」
「知らないよ」

 質問に答えるならば、人の形を取った土だろう。靴もスーツも同じ素材に違いない。
 土だからか痛みも鈍く、その上、意識を向ければ治ると言う事実もある。
 だからもっと動ける。もっと自由に動かせる。
 私は彼を殺せる。

「ぶっ殺す! 絶対ぶっ殺す!」

 相手も殺意を漲らせ、飛び掛かって、私の頭を裂く。
 でも、それでも動けるのはもう知っている。
 手を掴んで一歩近づくと、獣人の表情が険しくなって振り払い、一歩引く。
 これは……怖いのか。もっと手を伸ばしてみようか。

「何だ……何だってんだてめえッ」

 獣人の毛皮がザワッと膨らんだ。
 蚊と思えば、私の肘の先がなくなっている。

 一瞬で切り飛ばされたような感触。左から何かが落ちる水音。
 片腕分バランスが悪くなってよろめきつつも、もう一歩近づけた。その首に届く距離だ。
 映画で見たことがある。頸動脈をクッと締めたらキュウッと失神するはずだ。

 等と思ったけど土の腕の耐久性は低いのか、敵の腕力が強いのか。
 伸ばした手は簡単に引き千切られてしまった。

「こ、の野郎……死ねよ。死ねよてめえ!」

 女に野郎とは失礼な奴。ビンタの一発でもかましてやりたい所だけど、御覧の通り両腕が捥がれてしまった。
 手が足りない状況には何度も遭遇したけれど、物理的に足りなくなったのは初めてだ。
 でも現状なら、この体ならどうとでもなるだろう。何せこちらは土の体で悠々自適に動いている死者だ。
 死んでも動き、頭も生やせるのだから、腕の一本や二本生やせるし、何だったらオマケも付けられる。

「な……に?」

 獣人が驚くが、しかし何故だろうか。私はそもそも土塊で出来た死人なのだ。
 それ以上に、驚くことなんてない筈なのに。

 だから腕が二本再生しようが。
 序にもう三本ほど背中に増やそうが。
 それは全く、些末な事だ。

 首のない五本腕の造形であったとしても。
 腕に土を回したせいで異様にくびれた胴体でも。
 死人が歩く以上の衝撃は無いだろう。

 だと言うのに獣人は目を見開き、小さく悲鳴を漏らしていた。
 私が腕を伸ばすと肩を震わせ、慌てたように爪で一本を切り飛ばす。
 あと四本もあるのに、どうして一本だけなのか。

 なんだっていいか。腕が四つあるなら、もう大丈夫だ。
 これなら、相手の両腕を掴み、相手の動きを封じながら……。
 無防備な喉を締められる。

「ぐ、げ……」

 筋骨隆々でも私の腕を振り払うのは大変なのだろう。必死に手を伸ばそうと暴れるけど首に届くほどの力は無い。
 そうやってまごまごしている間に頸動脈は締っていって、白眼を向いて……獣人の全身から力が抜けた。

 手を離せば、水の中に沈む獣人。鼻面からも牙の隙間からも泡は出ない。
 死んだのだろうか。それとも気絶しているのだろうか。
 まあ、何だっていい。獣人も転生したら少しはマシな性格になるだろう。
 さて、問題は……。

「じゃしん……さま」

 透き通った眼で崇敬の念を送って来る、このスラ娘だ。
 はてさて、もう死んだ後なのに、妙な事に巻き込まれしまったか。
 ここからもう一度、労働と納税の日々が始まらなければいいのだけど。
 

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