異界業務はより黒く

千楽 斐才

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1.強制リクルート

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 異界だろうとどこだろうと、少しでも快適な生活を欲するならば、先ずは問題点を洗い出す事である。
 それこそ事態を好転するカギであり自身を成長させる切欠でもある。
 故に私は問題を見つける力は、解決能力に比類するほど重要であるとすら信じている。

 尚、怪物と戦わねばならないという大問題は、彼方側の洗いようのない汚点なので無視することとする。

 私が取り組める問題と言えば、住まいの立地だ。私が仮住まいしている修道院は町から少々離れた位置にあり、不便だった。
 食料を買うにも出勤するにも一々歩かねばならず、これは『出勤時間と幸福度が反比例の関係にある』という何処かで見たデータを鑑みても由々しき問題であった。

 更に悪いのが通勤途中の『異世界の町並み』だ。

 修道院は自然あふれる空間に位置しているが、そこから人の気配が増えるごとに漂い出す、この退廃的な空気。
 廃墟と化した家々とその間を行く疎らな人並み。どれもこれも灰色に沈み、町行く人すら何処か沈痛な面持ちで通り過ぎる。

 このグラデーションを目の当たりにして、思い浮かぶのは限界集落。あるいは経営破綻した町。そんな言葉であるが、それは所詮、平和な国に住む人間が用いる単語。
 私が思いつくこれらの言葉で表現するには余りに地獄じみていて、ここで本当に安定した生活を獲得できるのだろうか、と出勤の度に頭が痛くなるのだ。

 しかしマイナス面ばかりではない。沈痛な面持ちというのはプラスだ。
 竜が襲ってくるような場所で、それにもかかわらず笑顔が絶えないのなら、最早それは精神疾患だ。
 現状を皆が憂いているのならば、私と精神構造が大して変わらず、似たような価値観を持っているとそう考えていい。

 ご近所付き合いで困ること無いと考えよう。寧ろ互いに協力し合える可能性すらある。
 故に、より被害の少ない真っ当な家々の並ぶ街を欲して止まない。

「そのためには一番弱い魔物を狩る必要があるが……印がかなり多いな」

 立ち止まり地図を開けば、町を囲うようにグルリと丸が点在している。
 その光景に思い出すのはソフィアの説明だ。

 ソフィア曰く、この丸が示す魔物は本当に弱すぎるので、修道院に血を渡しても大した金にならない。
 しかし新しい武器や魔法を試すのにはピッタリなので、むしろ絶滅して欲しくない。
 故に水徒はこれを積極的に駆除しない。

 納得の理由である。合理的とすら思える。しかしここまで露骨だと嫌われかねないのではないか、とも思ってしまう。
 社会とは人間の関係性によって生まれるものであり、故にそこを軽視して利潤のみを求めるのなら様々な摩擦が生まれる。
 平和ボケした日本人ですらご近所トラブルが絶えないのである。水徒と現地人でそれが起きないと誰が言えようか。
 
 だからもっと上手くやれば良いのに、と思ったがそれはさておき、ここで押さえておくべき情報が二つ。

 修道院からの報酬は災厄の強さに比例する事。
 そして水徒というのは私が思うより数が多いという事。

 特に二番目は厄介だった。当たり前の事だが、商売敵が多いと苦労が多い。
 競合、争奪戦。はたまた妨害。何をされるか分かったものではない。公正取引委員会に類する団体があることを祈るばかりである。

 とはいえ、だ。相場と敵の強さを知り、私が出来る事を完全に把握すればそれもクリアできるはず。
 そう、情報だ。全ては情報なのだ。敵を知り己を知れば百戦危うからずという訳だ。

 鉄で出来た門扉を潜り抜ければ、その試金石が前方で群れていた。

「あれか」

 一見して人影。夢遊病かのように、上半身を左右に揺らしながら動いている。
 しかし人というにはあらゆるものが欠けていた。
 目、口、耳に鼻。知性や動物的欲求の片鱗を窺わせる行動。何もかもだ。

 ただただ黒い霧を押し固めただけのような風貌であり、その体表には刺青のような模様が張り巡らされている。
 さながら人型の籠に収まる霧。

 そんな姿の奴らが、群れを成して何をするわけもなくユラユラと揺れ、ノソノソと動いていた。
 それが、巨人という災厄だった。

「不気味極まりないな」

 事前情報によれば、巨人は接触した対象を毒する他、肺を侵す毒霧をも噴出させるらしい。
 その強さは身長で推し量ることができ、小さければ小さいほど弱く、そして二メートルを切る巨人は滅多にない。

 故にこの、巨人とは名ばかりの存在は、試金石には十分だった。
 そう。十分に、最弱と言えるまでに弱いはず。

「とはいえ……身体能力は人と変わらない、か」

 普通の人間なら、二メートルの成人男性が暴徒と化して襲ってきた場合、剣一本で対処できるだろうか。
 特殊な訓練を受けているなら何とかなるかも知れない。しかし私はそんな教育を受けた覚えはない。

 更に言わせてもらうならば、私は中学生のころ、サッカーボールを蹴ろうとして盛大に転んだことがある。
 しかもそのボールは決して動いていなかった。コーナーキックだったからだ。
 それ以降、私は自分が一般人よりも運動神経が劣っていると自覚したのだ。

「運痴運痴とよく囃し立てられたものだ」

 おかげで私が漏らしたという噂すら立って……いやもう考えるのはよそう。
 愉快な思い出など掘り返せばいくらでも見つけられるのだから、探す必要すらない。
 
「切り替えよう」

 先ずはこの群れに切り込む……なんて真似はしない。そんな水徒も居るだろうか私の趣味ではない。
 危険を冒して金を稼ぐのは気の小さい私には無理な話。狙うなら、群れから外れた個体だ。どんな群れでもそう言う奴はいる。

 狙われないように遠巻きに歩いてみると……やはり居た。
 一人ポツンと木の皮を剥いでいる奴が。
 何をしているのか理解できないが、まあ良いだろう。

 「手早く行こう」

 他の巨人が集まる前に、全力で走る。毎日柔軟体操をしたおかげだろう。肉離れなど起きる気配はない。
 訓練の成果か、武器を出すのもスムーズに行える。後は、知識を反芻する。

 ソフィア曰く、巨人と戦う時の注意事項は三つ。
 殺傷能力のある体表。
 肺を焼く毒霧。
 そして最後は……

「再生力」

 突進の勢いと体の回転を加えた斬撃。それを防ごうとした手の動きは遅く、根元から断ち切れた。
 素人ですら切れるほど脆い。ゼラチンよりも手応えが無い。例えるなら……スカスカのエリンギだろうか。

 が、切った端からジワジワと腕が再生し始める。
 肘の下あたりを切ったのだが、恐らく十秒もしない内に再生し終えるだろう。
 流石は再生力が注意事項に上がるだけの事はある。
 もっと遅ければ楽な仕事になったというのに。

「時間をかけるのは厳禁だな」

 手早く致命傷を与えなければ先日手だ。
 と、一歩踏み込んで、判断ミスに気付かされた。
 その傷口。再生しているだけではない。黒い靄のようなモノが噴き出し始めた。

 恐らく毒霧だ。致死量も有効範囲もまだ知らない、未知の毒だ。

 失敗だ。踏み込むべきではなかった。
 しかしもう踏み込んでしまった。
 ならば息を止めるしかない。

「っ」

 息を止めて斬りかかれば、巨人は腕を叩きつけて来る。
 見るからに鈍重な動き。振り下ろされる手よりも先に剣が当る。
 ただし、切られて怯むような相手なら苦労などしない。

 巨人の一撃は骨にヒビが入る可能性もある。リスクを負ってまで攻撃をすべきか。
 否。そもそも息を止めたまま短期決戦など、出来るはずもない。

 殺すことに執着するよりも、生に執着した方がいい。
 そう判断し、斬撃を適当に振り抜いて、さっさと飛び退く。
 それにより、相手方が空振りした拍子に体勢を崩したことが有難かった。
 お陰で十分に距離が取れ、呼吸を整えられる。

 手に痺れはない。肺も居たくない。他に怪我も……ない。
 何も問題はない。仕切り直しだ。追撃をしよう。
 等と思って不用意に近づいて、思わず舌打ちをした。

「あの程度でも毒霧か」

 斬撃は浅かった。だというのに、霧が噴き出している。
 皮膚や目には沁みないようだから、冷静に息を止めれば良いが……。
 視界が悪くなるほど、噴き出すものなのか。あの傷は。

「ちっ」

 黒い霧の中から拳がヌッと出てきて、咄嗟に仰け反る。
 服に引っ掛かって転んだが、骨は折れていない。まだ行ける。
 落ち着いて距離を取って、呼吸をする為に退避を……。

「ちっ」

 どうやら相手方は私とダンスを所望しているらしい。よりによってまた近付いてきた。
 しかし礼儀やマナーを学んではいないようで、霧を噴き出したままだ。

 体勢を立て直してまた距離を取るか。
 馬鹿言え攻撃しながら追って来る。
 追いかけ回されながら噴き出す霧の範囲外へだと。
 周りに巨人がいるのにか。

 そいつらの近くに行けばヘイトを買う恐れだってある。もし挟み撃ちにあったなら、最悪の事態だ。
 全く。これで最弱というのだから嫌になる。私がどれだけ弱いか、思い知らされる。
 弱い以上、出し惜しみや消極的な行動など出来やしない。

 腹を括ろう。

「明日は、休暇だ」

 息を吐いて、踏み込む。当然だ。退路はないと判断したのだ。進むしかない。
 当たり前のように霧から拳が飛んでくるが、回避は出来ない。これも甘んじて受けよう。
 肺辺りに当たって、息が勝手に吐き出される。だが、予め呼気を吐いていたので破裂はしない。
 骨が不安だが……それでもいい。

 奴の体の脆さは既に確かめていた。ならば躊躇する必要は無い
 この思い切り振り上げた剣を叩きつけさえすれば。

「終わり、だ」

 振り下ろせば軽い手ごたえを感じ、何かが地面に倒れる音。同時に黒い視界がサァッと晴れた。
 そこに現れたのは頭の割れた巨人で、当たり前のように傷口から黒い霧を流しているが、これは毒霧ではない。色が違う。
 間違いなく血液代わりの霧だ。

「てこず、たな」

 しかしこちらも代償を払ってしまった。気管支炎になったような感覚で呼吸がしにくい。
 恐らく毒霧を吸ってしまったのだろうが……まあ、安い代償だろう。
 先ほどの一撃も、肋骨を折れるほどではなかったようだし。

 とかく、私は試金石をやりおおせた。
 自身の力で何とかなったのだ。

 後にあの巨人一体で三日間の食事は確保できる事が判明した。
 そう、三日間は平穏に暮らせるのだ。
 が……






「命がいくらあっても足りません」

 教会の礼拝堂、そこの長椅子に座るソフィアに対し、直談判する程度には不味い結果と言わざるを得ない。
 私の判断が甘かったのもあるだろうが、それでも実力差が酷過ぎる。
 あの後、何度か試したがやはり三回に一回はあのようなピンチに見舞われている。

 あれではいずれ死ぬ。間違いなく死ぬ。

 という心の底からの陳情なのだが、ソフィアの表情は崩れない。
 恐らく他の水徒からも何度も同じ話を受けているのだろう。
 しかし耳にタコが出来ようと言わざるを得ない。

「私には不向きです。別の仕事をしてもよろしいでしょうか?」
「それは現実的ではありません」
「何故?」
「現地人と水徒の関係は余り良くないのです」
「価値観の差ですか?」
「それに加え、横暴な振る舞いをする一部の水徒も居ます。そしてそれを取り締まるだけの力を、我々は有しておりません」
「……最悪ですな」

 価値観の相違と分断。挙句水徒を取り締まる機関もなし。
 水徒というレッテルは社会活動をする上で障害になるほどであると言われても納得だ。
 だとすると、仮に一般社会に潜り込めたとして、水徒とバレたら色々と不味い事になる。
 まさに八方ふさがり、打つ手なしといった所……

「?」
「どうかなさいましたか?」
「水徒と現地人は連携して災厄と対処していないのですか?」
「そんな例はごく稀です」

 そうか。そうか成程。
 水徒と現地人の仲が悪いのは悪いニュースだがそこには一先ず目を瞑ろう。
 今は、良いニュースだけ。見ていればいい。

「ソフィアさん、私は災厄すら倒せればよいのですね」
「はい」
「どんな手を使ってでも?」
「その通りでございます。例え非人道的な事をしても、取り締まるだけの力はここには存在しません」
「非人道? そんな事はしませんよ。ただ、私は水徒であることを捨てさせていただくだけです」

 非常識なことの連続だった故に、私は忘れていたのだ。
 以前の生活を得る為に、どれだけの苦労と妥協を重ねてきたかを。
 故に目の前の諸問題から逃避するのでなく、取り組むという選択肢を思い出す。

 あらゆる策を講じて事態を打開し、現状を立て直すことへ、目を向ける。
 
 当然失敗した時の代償は大きいだろう。野垂れ死にする恐れだってある。
 安定志向な私はこういう時に立ち止まりがちなのだが、ゆえに常々こういう思考を心掛けなければならない。
 出来るかどうか分からないならやってみる価値はあるはずだ、と。

「重ね重ね言います。私は災厄という諸問題に対して、水徒という方向からのアプローチを捨てる事にします」

 断言しよう。私は水徒という存在には不適格な人材だ。
 凡庸で、面白みに欠ける、どこにでもいる一般人だからだ。
 ただし、一般人というのは全てに劣っているのだろうか。否、断じて違う。
 一般人とてやりようというのはある。たった今その糸口を見つけた。

「水徒と現地人が協力していないなら、どうやって町を維持しているか」
「?」
「いえ、失敬。独り言です」

 ここには町がある。寂れているが間違いなく人が住み、高度な文明を保っている。
 その為には交通網が欠かせないはずだ。この大量の災厄の間を縫って、食料や衣類、あるいはその材料を仕入れなければならない筈だ。

 しかしその交通網はどうやって維持しているのだろうか。水徒か。
 違う。彼等は自身の利益のために弱い災厄を町の周囲に配置するほどだ。
 では現地人はどうやっている。水徒が出現する以前から生活しているのなら、どんな知恵を使って、災厄を退けて来た。

 あるはずなのだ。水徒でなくとも、ただの一般人でも災厄を退けるだけの何かが。
 私が目指すべきは水徒ではなかった。死んだ目をしながらも、強かに生き延びている彼らに他ならなかった。

 餅は餅屋、蛇の道は蛇。
 災厄の対処法は、その災厄と長年付き合っている人々から、だ。
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