魔王と魔女と魔竜は悪役令嬢になりたい

福留しゅん

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開幕③・公爵令嬢は魔王と語り合う

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 魔王が輝く白銀の粒子となってアーデルハイドへと溶け込んでいく。やがて光が収まるとアーデルハイドはゆっくりとまぶたを開いた。そして彼女は両手で踏ん張って上体を起こす。たったそれだけで細い腕は震えていた。

「魔王様、お身体は如何でしょうか?」
「……思っていたよりも力が無いな。しばらくは苦労しそうだ」

 アーデルハイドは指を開いたり閉じたりさせる。ナイフやフォークすら持てるか怪しい程にか弱かったがそれでも自分の意志で動かせていた。アーデルハイドは自然と顔をほころばせる。今度は脚を寝具から抜き出して床に付ける。そして自分の脚で立とうと……、
 したまでは良かったが、全く踏ん張りが利かずに膝から崩れ落ちかけた。

「危ない!」

 すんでの所で参謀がアーデルハイドの腕を取って起き上がらせる。彼女が窓辺のテーブル席を指差したので参謀はそのままアーデルハイドを誘導し、席に座らせた。

「魔王様、でよろしいのでしょうな?」

 病弱だったアーデルハイドの髪は魔王と同じで白く、全く外に出なかったために肌も白いまま。そして碧色だった瞳は魔王を受け入れた為か深紅に染まっていた。体格や顔立ちこそ全く違っていたが、今のアーデルハイドは魔王の特徴を兼ね備えていた。

「何を危惧しておるかは知らぬが、余は余のままであるぞ」
「いえ。万が一酔狂にもアーデルハイド嬢の存在を残したままにしておかないかと危惧しておりましたので」
「アーデルハイドの身体と記憶を余のモノとしたのだ。対象は影響を受けておるかもしれんぞ?」
「ご冗談を。魔王様がたかが人間の小娘に引きずられるような矮小な存在とはとても」

 参謀はどこから取り出したのかティーセットをテーブルの上に並べ、カップに紅茶を注ぎ入れていく。アーデルハイドは力ある言葉を呟いてから紅茶がなみなみと入ったカップを持ち上げて優雅に飲んでいく。

「身体強化魔法ですか」
「うむ。筋力と体力が付くしばらくの間は魔法で補助する他あるまい。だが予言の書に記された物語が始まる時期までには一人で行動も出来よう」
「ではしばらくの間はアーデルハイド嬢として生活を?」
「そうだ。今この身はほとんど余が占めているからな。残ったわたしを違和感なく表すにはこちらの日常に溶け込む他ないであろう」

 すなわちしばらく魔王としての自分は不在にする、と暗に述べる。納得がいかないながらも不満を飲み込む様子の参謀をアーデルハイドは愛おしく思った。

「魔王としての責務はそなたに委任する。そなたならつつがなく執り行えよう」
「承りました、と申したい所ですが、それでしたら他の者で十分でしょう」

 魔王にとっては意外な回答だった。優秀な参謀がいるからこそ普段の業務を任せて自分は躊躇なく好き勝手やっていたのに。まさか目の前の参謀は悪役令嬢と化した自分にも深い忠誠を誓うのではないか?

「どうした? 公爵家にも余の身の回りの世話をするものはいるぞ」
「それでも私は貴女様の傍で付き従いたく」
「……では魔王としての業務の割り振りはそなたに任せる。余がつつがなく余興を楽しめるようならそれで良い」
「畏まりました。有難き幸せ」

 アーデルハイドは父である公爵には優秀な執事を見つけたから雇いたいと願えばいいかと思考を巡らせた。しかし下手に自分が動くよりも彼に一任した方が円滑な手法を用いてくるだろうとすぐに考え直す。魔王はそれぐらいには己の参謀を信頼していた。

「今日の所はひとまず下がり、後日出直すが良い。この屋敷の者に見られては面倒だ」
「御意」

 参謀は再び硝子扉を開けると踊り場へと出て、軽く跳躍した。すると彼の身体は瞬く間に上空へと跳んでいった。今頃は飛翔魔法で空の旅と洒落込んでいるな、とアーデルハイドは紅茶をすすりながら漠然と思いにふける。

 魔王に対して敬意を払いながらもその器となった公爵令嬢には目もくれなかった参謀。そんな彼とのやりとりを眺めている者がいた。彼女は徐に口を開こうとして身体が全く言う事を聞かないと気付く。これまでのような筋力の衰えでは説明が付かない白昼夢の現象に焦りを募らせた。

(まあ待てアーデルハイド。そう焦るでない)

 と、彼女、アーデルハイドの頭の中に声が響き渡る。それは彼女が出会った救いの主、魔王と名乗った純白の少女のものだった。固定されたままの視界に彼女の姿は見えず、それにどこから魔王が囁いたわけでもなく、まるで自分が声を出しているかのようにアーデルハイドは感じた。

(その認識で間違ってはおらぬぞ。先ほども申したであろう、余とそなたは二人で悪役令嬢になるのだとな)

 アーデルハイドの身体が勝手に動く。彼女が振り向いた先にあったのは化粧鏡。そこに映し出されていたのは窓辺のテーブルの傍に控える執事と、魔王のように少し変化した自分自身の姿だった。彼女の手が動いてその頬に触れた。かろうじて残る頬の肉の感触と手の温かさを感じた。
 そこでようやくアーデルハイドは現状を認識した。自分の身体は今他の何者か、おそらくは魔王の意のままになっているのだと。

(そなたも意識すれば余と語り合う事も出来よう。まずはやってみせよ)

 語るとはどういう事か。アーデルハイドは疑問に思ったが昔を思い出して言葉をやっとの思いで絞り出す。魔王が手中としている身体には行動として反映されなかったが、心の中でその言葉は自分の意志として表せた。

(あの、魔王さん、でよろしいですか?)

 もうかれこれ何年間も病弱な生活を送っていたアーデルハイドは、ある程度成長した今の自分はこんな声をしているんだなぁと漠然と思った。脳裏に浮かんだ魔王が嬉しそうな笑顔で頷いている、ような気がした。

(うむ! 改めて名乗ろう。余は魔王である)
(えっと、初めまして。わたしはアーデルハイドって言います)
(これからよろしく頼むぞアーデルハイドよ)
(それで、今わたしはどんな風になっているんでしょうか?)
(それはだな。余の魔法によってそなたと余が同化したと申しておこう)
(同化、ですか)

 言われてみたら自分の頭の中には決して送っていない日々の記憶や情景が思い浮かんだ。その情報量はせいぜい公爵家の敷地までしか出歩けなかったアーデルハイドにとっては膨大すぎた。頭が割れそうなほどに痛む。
 苦しむアーデルハイドの額に純白の少女の手が触れた。すると痛みが自然とひいていき、目の前まで近づいた魔王の整った顔を意識してしまった。

(そなたの身体、記憶、想いは全て余のものとなった。だが同時に余の知識、経験、魔力もまたそなたのものである)
(わたし達は一心同体、なんでしょうか?)
(一蓮托生とも言うな!)

 予言の書では魔王の存在があまりに大きすぎてアーデルハイドの意識は完全に掻き消されていた。故に魔王が公爵令嬢を乗っ取った、と表現されていた。しかし今回魔王はアーデルハイドの人生や経験、そして想いをそのまま自分のものとして重ね合わせたのだった。
 今のアーデルハイドは魔王でありアーデルハイドのままでもあった。

(何、今はこうして余の気まぐれで公爵令嬢アーデルハイド単独の自我を残しておるが、次第になじんでくるであろうな)
(えっと、なじむとは?)
(余の思った事とそなたの思った事が段々と同調するのだ。そうして余とそなたは魔王と公爵令嬢を兼ね備えた悪役令嬢アーデルハイドとなろうぞ!)

 悪役令嬢って何だろう? そうアーデルハイドは疑問を浮かべようとして、つい最近読んだ恋愛小説が思い返せた。いや、正確には魔王としての自分が読みふけったのであって自分は経験していない筈だ。成程、これが同化か……そうアーデルハイドは納得した。

(むう、もう少し恐れるかと思ったら以外にあっさりと受け入れたな。そなたは自分という存在が余、即ち魔王に塗り潰されるのが怖くないのか?)
(……今まで生きながらに死んでいましたから。そんなわたしを魔王さんは引き上げてくれたんです。感謝はしても恨むだなんてとても……)
(そうか! そう申してくれるか! よかったぁ、そなたに拒絶されたらどうしようかと迷っていた所であったぞ!)

 魔王は歓喜の声を挙げて大はしゃぎする。いくらアーデルハイドの頭の中の出来事であっても賑やかこの上なかった。しかし身の回りの世話をする侍女以外と疎遠だったアーデルハイドは、この純粋なる少女をとても愛おしく感じた。

(ではよろしく頼むぞアーデルハイドよ。余とそなたはこれよりずっと一緒だ)
(はい、魔王さん。よろしくお願いします)

 二人は笑顔で固く握手を結んだ。
 互いに互いの手が温かいと感じ、思わず二人して笑った。
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