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入学⑧・魔王は皇太子に送り届けられる

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 入学初日、ヒロインは緊張のあまりあまり眠れずに朝を迎えた。彼女は登校中にふらついた所を皇太子達に救われる。体調が宜しくないと看破した生徒会一同はヒロインを医務室まで連れて行こうとするも、ヒロインはさすがに式典で席は外せないと参加を強行するのだった。
 何とか学園初日をこなしたヒロインだったが、貧乏貴族出身故に迎えの馬車など無い。彼女は放課後にどのご令嬢とも言葉を交わさずに重い身体を引きずるように下校していく。
 そんなヒロインの前に現れたのは他でもない皇太子。彼はヒロインを心配して自分の馬車で送り届けると申し出る。畏れながらもお言葉に甘えた彼女は別れ際、皇太子から「明日も会おう」と優しい言葉をかけられて胸をときめかせる。
 そうしてヒロインは皇太子に恋い焦がれるようになっていく……。

(……だった筈なのに全然違うではないか!)
(どうしてわたしが皇太子様とご一緒に帰っているんでしょうね……?)

 ところがいざ当日になると皇太子のルードヴィヒに送り届けられているのは他でもなく婚約者のアーデルハイドだった。予言を覆して勝利者になるべく意気揚々と学園に乗り込んだのは確かだが、まさかここまで至るとは正直考えていなかったのだ。

 今アーデルハイドが揺られている馬車は皇家所有のもの。車体は皇族に相応しく素材から装飾まで一流の職人の手による作品。側面には皇家の家紋と神聖帝国の紋章が描かれている。遠くから眺めてもため息を漏らすほど耽美な仕上がりとなっていた。
 正に国を統べる者が乗り回すに相応しい逸品。アーデルハイドはそれに腰かけている自分、と言うより展開が未だ信じられずにいた。

「どうだ乗り心地は?」
「どうと言われましても、比較対象がベルンシュタイン家の馬車しか無いので何とも」
「そりゃまあそうか。公爵家にもお抱えの職人がいるだろうしなあ」

 その公家の馬車は学園まで迎えに来なかった。アンネローゼの言葉を信じるなら彼女が帰ってから馬車が引き返してくる筈だったのに。原因はルードヴィヒがアーデルハイドを送り届けるとアンネローゼに断りを入れたからだった。余計な真似を、とアーデルハイドは内心で悪態をつく。

「でも少し悪路で激走してもあんま揺れないんだぜコレ」
「衝撃を吸収する仕組みがあるんですね。ばねと減衰装置の併用です?」
「……そう言えば詳しい仕組みは知らねえな。今度整備士に聞いてみる」

 アーデルハイドはあえて語らなかったが、王家の馬車は公爵家のより乗り心地が良かった。座椅子の質感もさることながら、ばねに加えて減衰機器を装備して路面からの衝撃やばねの反発力を和らげている為だろうと推察する。
 アーデルハイドが「勝った」とばかりに鼻を高くするとルードヴィヒは悔しさを露わにさせた。

「ところでよ、なんつったっけ……今朝転びそうになった令嬢」
「ガーブリエル男爵令嬢ですか?」
「彼女に対してと俺にとで喋り方が全然違うのは何でだ?」
「ただでさえ病気で身体が弱いのに気弱なままですと下々の者に舐められますので。少しでも威厳のあるよう振舞いたかったんです」

 これは半分嘘で半分本当。純白の少女の姿をする魔王が魔の者の頂点に君臨するための工夫の一つとして練習して口調を矯正したのだ。いつしかそれが自分のものとなって、アーデルハイドとなった今でも公爵令嬢に相応しくしようと継続しているのだ。
 当然アーデルハイドは自分より上位となる皇太子に尊大に振舞うつもりは無かった。しばらくは悪役令嬢としての役柄を務めたかったから。とは言え多少敬意を払ってはいるものの、日頃の鬱憤がたまってきつい口調になってしまっているのは否定出来なかったが。

 ルードヴィヒはアーデルハイドの回答を聞いて顔を険しくさせる。アーデルハイドは皇太子がそうさせるのも皇族に対してなんて無礼だと不快に感じているんだなとばかり想像していた。
 ところが実際にルードヴィヒの口から出た感想はアーデルハイドの想定とは真逆だった。

「遠慮するな。俺にもあんな口調でいいぜ」

 何を言っているんだこの男は、と彼女は思ってしまった。皇族の系譜である公爵家の令嬢とはいえ所詮は臣下に過ぎない。そんな自分に未来の皇帝に対して偉そうな口を叩けと命ずるルードヴィヒが信じられずにいた。

「それでは他の者に示しがつきません」
「俺が良いって言ってんだよ。アデルはそんな態度が取れる存在って周囲に思わせたいからな」
「……それは、わたしが皇太子の婚約者ですか?」
「違う。俺の女だからだな」

 ルードヴィヒは爽やかにそう言ってのけ、隣に座るアーデルハイドに笑いかけた。思わず面食らってしまったアーデルハイドだったが、内心では大混乱状態だった。

(お、俺の女ぁ!? こやつ、余を自分の女と断言しおったぞ!)
(おお落ち着いてください魔王さん! そんな、皇太子様がわたしをそのように仰って下さるなんて……!)

 アーデルハイドは何とか表に出すまいと努めつつ、冷静になれと自分に言い聞かせる。

(……案外そこが重要なのかもしれぬな)
(? どういう事です?)
(こやつは余を自分の彼女だと明言しておったな。神聖帝国皇太子の婚約者としてではなくな)

 つまり皇太子と公爵令嬢としてではなく、ルードヴィヒ個人としてアーデルハイドに見惚れたと主張している。そう彼女は考える。

(仮に皇帝が病で暗君に成り果てて弑逆されたら? 父が謀略で失脚したら? ルードヴィヒも余も皇太子や公爵令嬢ではなくなるのだ。そうなった際の婚約関係に何の意味がある?)
(……片方が没落したらもう片方には何も旨味がありませんね。別の縁談を進めるのが定石と思います)
(ルードヴィヒは自分と言う人間が公爵の血筋も家柄も関係無く余を女として欲していると申しているのだろう。家が破滅しようとお構いなく、な)
(ルードヴィヒ様……)

 もはや皇太子や婚約者の座など関係無い。予言の書でルードヴィヒの個人的な魅力に好意を抱いていくヒロインとの差はもはや埋められたに等しかった。

「……分かった。そなたが望むのであればそうしよう」

 ただ、アーデルハイドはそんな深い意味など関係無しで純粋に嬉しかった。明確な上下関係のあった関係は終わりを告げた。彼は傅く自分の腕を取って自分の傍まで引き寄せたのだから。これから彼女が眺める景色は、ルードヴィヒと同じだ。
 はにかんだアーデルハイドにルードヴィヒは屈託ない笑顔を見せる。

「ああ。いずれ国母になるアデルにはそれぐらいが相応しいと思うぜ」
「何を申すか。わたしはそなたが下手をして皇位継承権をはく奪されるかもと思っておるのだぞ」
「はぁ? 俺が? まさか。これでもやる事はちゃんとやってるんだぜ」
「ほう?」

 アーデルハイドはわざとらしく嘲笑を浮かべてみせた。

「わたしの見舞いを疎かにしてか。万が一わたしがそなたの子を生んだとしても、子にはそなたをろくでなしと教えるとしよう。どうせそなたは執務に明け暮れて子供に顔を見せぬのだろうからなっ」
「ずりいぞそれ! 単なる洗脳教育じゃねえか!」
「たわけが! だったらそなたが気に掛ける者にぐらい顔を見せて声をかけるぐらいはするがよい! 当然一回だけではないぞ、頻繁にだ! ちっとも懲りていないようだなぁ!」
「うぐ……っ」

 ルードヴィヒがぐうの音も出なくなった所でアーデルハイドは勝ち誇った笑顔を見せる。ルードヴィヒも彼女に乗る形で大袈裟に腕を振るわせて悔しがりを露わにさせた。
 そうして睨み合い、二人の大笑いが車内に響き渡る。驚いた御者が車内を覗きこむぐらいに。

「……あー、もう終わっちまったか」
「えっ?」

 ルードヴィヒがため息を漏らして座席に寄りかかった。彼の発言を受けてアーデルハイドは外を眺める。言われてみれば確かに今朝方通り過ぎた道の始発点に近づいてきているようだった。ルードヴィヒが気落ちするのは名残惜しさからか。
 そんなアーデルハイドもどこか胸のあたりに言い表せぬ寂しさを感じた。

(まさか、余はこやつと離れたくないと思っているのか?)
(嘘。こんな風に思うなんて初めて……)

 屋敷の玄関前で馬車は停止した。ルードヴィヒは御者が手を差し伸べる前に軽やかに下車し、アーデルハイドへと手を差し伸べた。アーデルハイドは彼の手を借りて馬車から降りる。彼女は感謝の意を軽く述べ、彼は「どうってことない」と謙遜した。

「明日」
「えっ?」
「明日もアデルに顔を見せにそっちの教室に行く。んで帰りは俺が送っていく」

 いつの間にかルードヴィヒは顔をアーデルハイドの方へと向けていた。彼の真摯な眼差しは引き込まれるようで、目が離せなかった。

「だが、学園からベルンシュタイン家の屋敷と王宮とでは方向が全く違うぞ」
「俺がそうしたいんだから別にいいんだよ」
「嫌だと申したら?」
「聞く耳は持たないぜ。今日みたいに強引に連れていくまでだな」

 強引なものだと感じたが、アーデルハイドは不思議と悪くないと考える自分に軽く驚いた。

「では、そなたの言葉に甘えようか」

 そして同意の言葉が自然と口に出たのにも。
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