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三学期

プリュヴィオーズ②・何も感じられない

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 王宮へやってきたのは闇属性が発覚した際以来か。大丈夫だと信じられたあの時以上に気が重いな。

 行き交う王宮勤めの方々はオルレアン公であり立法府長官であるお父様の来訪に最大級の敬意を払う。荷物持ち代理のわたしはそんなお父様に付き従うのみ。陛下との謁見の際もお父様に取り出した書類を手渡しただけ。一言も喋りはしなかった。

「失礼いたします閣下。王太子殿下よりご令嬢をお呼びするようにとの命を承っております」

 で、一向にシャルルの姿を確認できないまま出口へと向かっていると、使用人の一人が恭しく頭を垂れてきた。お父様とわたしは一瞬だけ顔を見合わせる。その間にお父様はわたしに静かに頷いてみせ、わたしもまた無言で頷いて返した。

「……分かった。すぐに向かわせよう。私は先に帰る。帰路の準備はさせておく」
「畏まり……分かりました、お父様」

 いけない、未だになれないな。従者として振舞うなと何度も注意を受けているのに中々根付いた習慣は取れてくれないわね。わたしはお父様に一礼させて別れ別れになった。オルレアン邸とはまた違った趣のある王宮の廊下を気にする余裕も無く、わたしはシャルルの部屋まで案内された。

「殿下。カトリーヌ様がいらっしゃいました」
「通してくれ」

 木製の扉が開かれてわたしは殿下の私室に通された。
 中はさすがにいずれこの王国を統治する事になる王太子殿下の部屋だけあって調度品や家具、飾られた絵画とか壺皿類は立派の一言だった。けれど決して豪華絢爛ではなく心休まる生活を送れるよう落ち着いた印象を抱かせる。
 わたしが入室するとシャルルが椅子から立ち上がって顔に笑顔を張りつかせて出迎えてくれた。わたしを窓際のテーブルまで案内して、案内してくれた使用人に向けて飲み物と菓子を用意するよう命じて下がらせる。

「すまないね。立法府での仕事を阻んでしまって」
「いえ、問題ありません」

 まずはとお互いの近状について語り合った。やはりシャルルも学園を卒業した後は王太子として本格的に執務に励む事になるから、その為の準備に追われているんだそうだ。なので同じ王宮にいるのにジャンヌに会えないと嘆きを漏らす。
 シャルルは冬休み前に学園でお会いした時と同じようにわたしを気遣い、優しくしてくださった。確かにお父様が感じていた通り何も変わっていないようにも見える。友人として付き合うだけのわたしでは見通せない奥深くに要因があるのか、とも思える。

「今日カトリーヌを呼んだのは頼みごとがあるからなんだ」
「何なりと仰って下さい。わたしでよろしければ力となります」

 けれど分かる。分かってしまった。
 シャルルは明らかに変貌している。

「助けてくれ。私が私でなくなってしまう前に……!」

 シャルルの嘆きは己の抱く絶望から絞り出すものだった。

「落ち着いてくださいシャルル。まずは事実だけを説明していただけますか?」
「そう、だったな。途中疑問が出来たら遠慮なく言って欲しい」

 そして次にはシャルルは普段通りに戻る。あまりの変わりようにわたしは驚くどころか危機感すら抱いた。この短いやりとりだけでシャルルを襲った異変が何なのか察しが付いたけれど、どうしてそうなったかは全く見当もつかなかった。

「ここ最近、世界が色褪せて見えるんだ」
「色褪せて、ですか?」
「食事を取っても美味しいとも不味いとも感じないし、庭園を散歩しても美しいとも飽きたとも思えなくなった。絵や彫刻を眺めても、着飾った貴婦人と会っても、鍛練で剣を交えても、何も心動かされなくなったんだ」

 シャルルの変化。それは明らかに感情の起伏が無くなっているんだ。
 喜怒哀楽が消失してしまった彼はそれを悟られまいと以前までの自分を演じ続ける。お母様や王妃様が感じ取った違和感はソレ。けれどあまりに巧みに取り繕っているせいで中々気付けない。わたしも私の知識が無かったら気付いたか危うかったかもしれない。
 先ほどの嘆きだって僅かに生じた感情を必死に表に出しただけで、本当はその絶望感すら大して起こっていないんだとシャルルは淡々と語った。わたしへの接し方もこれまでの経験を延長させているだけに過ぎず、本当はそうしたいとすら思わないんだとか。

「怖いのは……いや、もうその怖さすら感じなくなったんだけれど、人間らしい思いを失った私の行きつく先が何なのか、かな?」
「殿下は治したいとはお思いですか?」
「全く思えなくなった、が正直な意見かな。以前までの私だったら異常だと判断して治そうと試みただろうけれどね」
「他の方にご相談は?」
「していない。今日カトリーヌに打ち明けたのも以前の私ならそうしたからに過ぎない」
「最近と仰いましたが、具体的にいつぐらいから?」
「あえて区切るとしたらこの間の聖誕祭からかな?」

 シャルルはまるで他人事のようにわたしの問いに答えていく。その口調からは明らかにどうでもいいって正直な思いが見え隠れしている。何も感じなくなったせいで今の変貌した自分にすら恐れを感じないとか、恐怖以外の何物でもない。

 しかし、今一番恐怖すべきなのは無感じゃあない。

「では、ジャンヌをどうお思いですか?」

 ジャンヌへの愛すら失っていたら、だ。

 わたしの言葉にシャルルの顔がわずかに歪んだ。不快感からか焦燥感からか、はたまたは絶望感からか。わたしには判断が付かなかったけれど、それでもシャルルから全てが失われたわけではないと分かったのは幸いだった。

「勿論愛している」
「それはこれまでの惰性からですか? それとも今もそう感じていますか?」
「……訂正しようか。今はまだ愛せている。けれどこれまで抱いていた情熱は……消えてしまった」
「愛を失いつつあるけれど、それすら恐ろしいとか怖いとか感じないんですか?」
「そうだね。以前の私だったら考えられなかったけれど、それでもいいかと割り切れてしまうんだ」

 何と言う事でしょう。シャルルがジャンヌへの愛を失ってしまったら今まで築き上げてきた全てが水の泡だ。これではジャンヌへの罪が捏造されてしまってもシャルルが守ってくれなくなっちゃう。むしろジャンヌに婚約破棄を言い渡した挙句に断罪してしまう未来すら否定出来ない。

 当然こんな異変が自然発生したなんて考えられない。何らかの外的要因でシャルルが人間らしさを失いつつあるのは確定的に明らか。けれどどうしてこうなった? シャルルを生きる人形のようにしてしまって誰が何の得をする?

 ――嗚呼、そんなの考えるまでもないか。

「それで、わたしは殿下に生じた変化の要因を探って殿下をお助けすればよろしいので?」
「いや。別に私はこのままでも不自由は感じない。良くも悪くもね」

 いや明らかに重症でしょうソレ。あらゆる場面で支障をきたすと思うのだけれど。

「? ではわたしにどうして欲しいのですか?」

 少し怒りを抱きつつも冷静に努めて問いかけたわたしに、シャルルは頭を下げた。今後国王としてこの国の頂点に君臨するお方が、だ。その意味の深さは凡人には計り知れない。ましてや感情が消えた彼ならそこまで考えが及んだ筈なのに。

「ジャンヌを助けてくれ。私が彼女を傷つけてしまう前に」

 彼が今もなお愛する女性のために。
 残されたすべての感情を込めてわたしに願うんだ。

 そこまで言われたら女がすたる。勿論シャルルから言われなくたってジャンヌのために立ち回るつもりだったけれど、これでシャルルの為にも動きたくなった。絶対に二人して幸せになってもらいたい、そんな感情がわたしに再び勢いを増して燃え広がる。

「お任せください殿下。わたしが必ずやその願い叶えてみせますから」
「……ありがとう、カトリーヌ」

 シャルルが見せた懇願の眼差しは救いを求めるようで。しかしそれも一瞬の出来事ですぐに彼は普段を装うように戻ってしまう。
 後はちょっとした世間話をわたしに用意されたお茶を注がれたカップや菓子が盛られた皿が空になるまで続いた。先ほどの重苦しい会話が嘘のように。

 王宮から立法府に戻った頃にはもう日が沈んでいた。わたしは真っ先のお父様に報告しようとしたのだけれど、まずはジャンヌに話せと強制帰宅を命ぜられた。立法府での制服から私服に着替えてオルレアン邸に出勤、自分の部屋でメイド服に着替える。

「あの、お嬢様……何か立法府であったんでしょうか?」
「ん? どうして?」
「随分と険しい顔をなさっておいでですので」

 どうもわたしはリュリュにそう心配されるぐらいいつもと様子を違えていたらしい。ジャンヌの部屋に向かうと既に彼女は戻って来ていて、そのジャンヌからも「どうしたの?」と聞かれる程だったから相当だったんでしょうね。
 わたしは私情を交えずにありのままシャルルとの会談の内容を伝えた。初めの方はシャルルの変化を心配していたジャンヌはやがて表情を青ざめさせて手を震わせる。話を終えた頃にはジャンヌは項垂れながら片手で額を押さえていた。

「そう……。どうやら神様は何としてでも私を絶望させたいらしいのね」

 ジャンヌの呟きも先ほどのシャルルと同様に嘆きに思えてならなかった。
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