縦縞のパジャマ

北風 嵐

文字の大きさ
4 / 9

4 競馬場

しおりを挟む

  一緒になってから、「道で逢っても話もしなくなって、だのに何で突然尋ねてきて、求婚になったの」と春菜は訊いた。信吾の答えは「春ちゃんは小さい時から好きやった。ライトでポロリ、ポロリしたんは、下手ではなくセカンドの春菜を見てばかりいたからだ」と何時にない冗談を言い、 「春菜が高校の制服を着るようになって、結んだ胸元のリボンに目が行くようになって、異性として完全に意識してしまった。そうしたら口が聞けなくなって、口が聞けなくなると、思いは膨れて、心臓が風船の様にはちきれそうになって、このままでは死んでしまうかと思って、絞ますために出向いた。まさか、首を縦に振るなんて考えもしなかった」と話した。 「春菜は何で首を縦に振った?」と訊いてきたので、春菜は「いっしょ」と答えておいた。  

 春菜の妻ぶりは申し分なかった。両親を気遣たし、従業員には配慮が行き届いたし、てきぱき指示を与え、元気な男の子と女の子を産んで、よき母であった。信吾が苦手とした帳簿類もこなした。福島に何軒か大口の得意先が出来、従業員も増やして5人になったのも、春菜の営業努力の賜物であった。  泰明も卒業して帰って来て、医院を継いでいた。丁寧な治療と、優しい気配りは、若先生の方がいいとなって、泰明の父の診療室は暇になった。「彼奴は、俺の商売敵だ」と老医師は喜んだ。  

 泰明はよく尋ねて来た。春菜は兄、泰明と信吾が「兄さん」「信ちゃん」と呼び合い、兄弟になったことが、ことのほか嬉しかった。一方、信吾は、春菜の〈歯科医〉の道を中断させてしまった、負い目をいつも持っていた。「お兄ちゃんと一緒の学校に行きたかっただけ」と春菜に聞かされていてもだった。  仕事場と住まいの両方は手狭になって、近くの古家を仕事場に借り、その裏に隠居部屋を作って両親を住まわした。信吾の父は好きな海釣りをもっぱらにし、忙しい時だけ手伝った。母は仕事場に出てくる春菜に代わって、家事や孫の世話に明け暮れた。信吾は印刷の機械も思い切って新しいものに切り替えた。  

 蓄えを叩いたのと、機械を担保にした手形で調達した。借入もなく堅実にやっては来たが、それが逆に銀行実績にならず、小さな印刷屋の大きな設備投資を銀行は相手にしなかったのだ。  明日までに80万円の決済金が要った。でないと、手形は不渡りとなってしまい、機械は差し押さえられる。福島の集金は営業を兼ねて春菜の役割であった。帰りには百貨店に寄って、買い物をしてくるのが春菜の月一の楽しみだった。  大抵は家族のための物だったが、たまには自分の洋服を買ってきて、「どうー?」と鏡の前でポーズをとることもあった。生憎その日は、上の男の子が熱を出して学校を休んだので、信吾が福島市内の得意先を回った。  

 その日は思いのほか順調に集金が出来、午前中に予定より20万円も多く集金できていた。魔がさすとはよく言ったものだ。気分がホットし、信吾は何故か直ぐに帰る気がしなかった。  真っ昼間から一杯やるわけにもいかない。気がつけば信吾は競馬場の中にいた。春菜と結婚して早々のころ一度競馬にはまって、家業を省みず春菜に苦労をかけたことがあった。二度と競馬場に近寄るまいと誓った。  

 だから、競馬のある福島市内の得意先の集金は春菜に任せたのだった。春菜は集金だけでなく、わずかあった得意先をつてに、何軒か開拓していたのだった。今回は明日までに必ず必要な金額だったので、春菜が行けないとなると、親方の信吾が出向くしかなかった。    

 久しぶりの競馬場の賑わいの雰囲気に、信吾は圧倒された。単調な日々の生活がどこか遠くに感じられた。午後のレースの一番目は2万張って6万円取れた。 取れたのはそれだけで、最終レースが終わったときには、10万円が残されただけだった。80万円を切ったとき思い切って帰ればよかった。僅かな金額を取り返そうとして深みに嵌ってしまった。博打とはそんなものだと懲りた筈なのに・・・。  途方にくれて競馬場の玄関前に立ち尽くしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

処理中です...