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第二回 碁を打つ老人と若者

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 王倫の生業は梁山泊を根城にしている山賊だ。都で跋扈(ばっこ)している悪徳官吏と同じ様に名声より悪名の方が広まっている。

 だが王倫自身は腕っ節に自慢できるものもなく、性格にしても自身の保身を第一に考える所謂(いわゆる)小物(こもの)であった。狭量で陰険な所も自覚しており、唯一我儘に振る舞える頭目の立場は維持したいと考えていた王倫だったが科挙に失敗するまではこんなにひねくれていた訳でもない。

「評価されなければ人間は廃れるものだ」

 王倫は誰にともなく呟いた。彼は部屋を出ると山寨の中腹にあるお気に入りの場所に足を向ける。そこは陽当たりの良い場所で二本の樹木が目を引く様に存在していた。ひとつは桃、もうひとつは瓢箪の木でこれは王倫がこの地に流れて来た時に験を担いで自ら植樹し、現在でも一人で世話をしているものだ。

 当初こそこの木に向かい志や大望を語ってはいたものの、その内容はいつの頃からか愚痴や不満が大半を占めるものになっている。だが、彼が誰にも言えない内容を話していた相手がこの桃と瓢箪であるのは事実であり、木々からすれば毎日欠かさず世話をされていた事もまた事実であった。

 さて、いつもの様に向かった王倫だったが、彼を出迎えた光景はいつもと同じという訳ではなかったようだ。

 見た事のない老人と若者とが瓢箪と桃の木の間に座って碁を打っていたのである。

(なぜここにこの様な者達がいるのか)

 王倫は驚いたが、別に来ようと思えば近くの村とかからでも来れない事はない。ただ好きこのんで山賊の根城で碁を打ちたいなどという変わり者はいないだろう。

 瓢箪の木の側に座っている老人も桃の木の側に座っている若者も見た限りでは丸腰で、王倫は腰に刀を差している。それに勝手に名乗っているとはいえここは自分の土地でさらに首領なのだという強みもあり、さほどこの二人に対して警戒心を抱かなかった。

 いや、それは正しくない。そんな事が些細であると言わんが如く王倫の興味を強くひく物がその場にあったのである。

 実は王倫、白衣秀士のあだ名で呼ばれていた事もあり自身も碁を嗜んでいた。しかし梁山泊では碁を指せる者が少なく、指せるという朱貴もてんで勝負にならない有様。要はやりたくとも釣り合う相手が梁山泊にはいないと言える程王倫の碁の腕前は確かだったのだ。

 しかし教えても上達しない梁山泊の面々に期待が持てず、いつしか王倫自身も碁から遠ざかってしまっていた。

 忘れていた情熱を呼び起こされた感じがした王倫は二人に近寄り声をかける。

「やあやあご両人、この様な場所で碁を打たれるとは中々良い趣味をしておられる。宜しければ私にもその対局を見学させていただけませぬかな?」

 今の段階から山賊の様に振る舞う必要も特に感じなかったので、さりげなくここが自分の場所だと自慢しつつ挨拶したものの彼等からは何の反応も返ってこなかった。

(ものすごく集中しているようだな。どれ、ならば私も邪魔にならぬように見させてもらうとしよう)

 これがもし酒宴の席で、王倫が副頭目に無視されたとかならば彼はきっと真っ赤になって激怒していたに違いない。しかし王倫の呼びかけに気付かない程碁に集中している二人に対しては、怒りよりもむしろ夢中になれるその姿に羨ましさと憧れを抱いた。
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