愛した人 (短編小説)

シナ

文字の大きさ
3 / 6

愛した人 3

しおりを挟む
長い抱擁の後、美紀を抱き締めていた手を緩めると隼人は言った。

「本当に久しぶりだね」

「うん、そうだね……」


(だって、あれからもう5年よ……)


2人はひとまず、ソファーに並んで腰かけた。
ベージュ色の革張りのソファーは、程よい柔らかさで心地良い。

(このソファーに座るのも、久しぶりだわ)

ソファーの前には木目調のテーブル。そして、グレーの絨毯。壁にはミュシャの絵画が掛けられている。以前と変わりない。
最低でも、週に1回はここに来ていた。隼人と過ごす時間は、美紀を心身ともに癒やした。


ショパンのピアノソナタは既に、第4楽章へと進んでいる。抑揚のある激しい旋律に、美紀は聞き耳を立てた。ドラマチックに盛り上がり、ラストに向かう第4楽章が一番気に入っている。
今日、ここでこの曲を聴くことになるとは、想像することすらできなかった。


隼人と話したいことは山ほどある。
何から話せばいいのか……。

「ねぇ」

「美紀……」

同時に声を発した。
2人は顔を合わせ、クスッと笑った。

「ねぇ、私、夢を見てるのかしら? 隼人が生きてたなんて」

「美紀、何言ってるの? 僕はこの通り、生きてるし元気だよ」

「でも、隼人、交通事故で死んじゃったのよ……」


5年前、隼人は同僚の送別会に参加した後、信号を無視した車に跳ねられた。即死だった。容疑者は未だに分からず。
共通の知人から連絡が入り、隼人の死を知った。


「僕が死んだ? そんな、すぐばれるような嘘、いったい誰が言ったの?」

隼人は驚きを露わにしている。

「沢井さんよ。彼も送別会に参加していて、隼人が事故に合って亡くなったと、連絡があったの」

沢井は隼人と仲が良い、同性の同僚だ。
以前、隼人が勤務する食品卸会社で、美紀は短期のアルバイトとして働いていた。隼人とは自然に仲良くなり、やがて付き合うようになった。
そのことは沢井も知っていた。

「沢井が? 彼がそんなこと、美紀に伝えたの?
随分と悪い冗談だなぁ。何でまた、そんなことしたんだ」

隼人は苦笑いをした。

「仮に、もし僕が死んでたら、こうやって美紀と話したり、触れたりできないよ」

「うん、そうなんだけど……。でも私、隼人の骨、確かに拾ったのよ。この手で」

「骨? 僕の骨を拾ったって? どこで?」

「斎場に決まってるじゃない」

「美紀、いったいどうしちゃったんだよ。久しぶりに会えたのに、何でそんな趣味の悪い冗談言うの?」

隼人は半ば呆れてはいるが、親しみを込めた笑みを美紀に向ける。

目の前にいる隼人は、まるで生身の人間に見える。

(ちゃんと足もあるし……)

でも、隼人が死んだのは事実だ。
隼人の棺が焼却炉に入れられるのを、ちゃんと見届けた。扉が締められ、着火音がボ~っ、と響き渡ると美紀は耳を塞いだ。後から後から、涙が零れた。
まだ将来の約束をしていたわけではなかったが、心底愛していた。やっと巡り逢えた大切な人だった。

(でも隼人が生きてるということは、隼人が死んだという夢を見ていたってこと? まさか、そんなこと……。それとも、死んだけど生き返ったとか? そんなホラー小説みたいなこと、あるわけないでしょう)


美紀が無言でいると、隼人が問いかけてきた。

「美紀、冗談はいいよ。それより、何で音信不通だったの? メールも電話も応答しないし。何かあったのかな、それとも嫌われたのかな? って思ったよ」

「えっ? あっ、ごめんね。ちょっと、いろいろ忙しくて……」

メールも電話も届いていないが、とりあえず話しを合わせる。


「美紀、寂しかったよ」

隼人は美紀を抱き寄せ、そっと唇を重ねる。
同時に、ピアノソナタの第4楽章が終わった。
華麗な余韻を残しながら……。



       


     


     



       
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

幼馴染の許嫁

山見月 あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

みんながまるくおさまった

しゃーりん
恋愛
カレンは侯爵家の次女でもうすぐ婚約が結ばれるはずだった。 婚約者となるネイドを姉ナタリーに会わせなければ。 姉は侯爵家の跡継ぎで婚約者のアーサーもいる。 それなのに、姉はネイドに一目惚れをしてしまった。そしてネイドも。 もう好きにして。投げやりな気持ちで父が正しい判断をしてくれるのを期待した。 カレン、ナタリー、アーサー、ネイドがみんな満足する結果となったお話です。

もう終わってますわ

こもろう
恋愛
聖女ローラとばかり親しく付き合うの婚約者メルヴィン王子。 爪弾きにされた令嬢エメラインは覚悟を決めて立ち上がる。

真実の愛の祝福

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
皇太子フェルナンドは自らの恋人を苛める婚約者ティアラリーゼに辟易していた。 だが彼と彼女は、女神より『真実の愛の祝福』を賜っていた。 それでも強硬に婚約解消を願った彼は……。 カクヨム、小説家になろうにも掲載。 筆者は体調不良なことも多く、コメントなどを受け取らない設定にしております。 どうぞよろしくお願いいたします。

【完結】狡い人

ジュレヌク
恋愛
双子のライラは、言う。 レイラは、狡い。 レイラの功績を盗み、賞を受賞し、母の愛も全て自分のものにしたくせに、事あるごとに、レイラを責める。 双子のライラに狡いと責められ、レイラは、黙る。 口に出して言いたいことは山ほどあるのに、おし黙る。 そこには、人それぞれの『狡さ』があった。 そんな二人の関係が、ある一つの出来事で大きく変わっていく。 恋を知り、大きく羽ばたくレイラと、地に落ちていくライラ。 2人の違いは、一体なんだったのか?

なくなって気付く愛

戒月冷音
恋愛
生まれて死ぬまで…意味があるのかしら?

処理中です...