ゆらぎ堀端おもかげ茶房

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セミナーのメンバー

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 前回のセミナーから二週間後、市役所の会議室で二回目の起業に向けての勉強会が開かれた。
 ガレージの車は、昨日みず江ちゃんの旦那さんが下見に来てくださった。なんだか、ソワソワと落ち着かない様子で帰っていったけど、大丈夫かな。
 会議室は、担当者と受け持ちメンバーとでグループになって座っている。会議机二本を向かい合わせにしてくっつけて、窓側に担当職員、反対側にグループの面々が座っている。
 面々と言っても私を入れて三人だ。腕組みして大きなおなかのせいで少し反り気味に座る、定年退職して数年の男性、福井さん。福井さんが真ん中にでんと座り、両側に私とまだ20代の星さんが机の端っこにノートと資料を広げている。
「おはようございます」
 五十嵐職員は挨拶をすると、ずりさがった黒縁メガネを中指でくいっと上げてから私たちの顔を一通り見渡した。
「前回の課題を、こちらに提出してください」
 言われて私たちは、それぞれレポートを五十嵐職員の前へと差し出す。
「前回の課題ですが、どうだったでしょうか。皆さん、ターゲットにする客層等しっかり考えて来てくださった、よう……で」
 三部のレポートをためつすがめつ見ていた五十嵐職員は、眉間にしわをぎゅっと寄せた。
「江間さん」
「はいっ」
 私は背筋をぎゅんと伸ばして返事をした。すでに背中や額に冷や汗がじんわりとにじむ。
「なんですか、この客層。観光客、地元の若年層から高齢者って。ぼやけすぎでしょう」
「えっ、でも皆さんに来て欲しいなあって思って」
 年齢層の別なく、ゆっくりとお茶とお菓子を楽しんでもらえたと思っているんだけど。
 わたしと五十嵐職員は、数秒間見つめ合っていた。というか五十嵐さんににらまれていた。
 ばさりとレポートを机に置いて五十嵐さんはこめかみを親指で、ぐりぐりと押した。
「それはそうでしょうが。メニューはどうするんですか。要望があったら、うどんやそば、ラーメンまで出す気ですか、カフェなのに」
「洋菓子のほかに、和菓子もいくつか準備する予定ですが」
 そうじゃなく、と五十嵐職員は絶句する。
「まあまあ、そう怒らずに。江間さんは、専業主婦だったようだし」
 真ん中の福井さんが、的外れなことを言い出す。まるで、私が世間知らずみたいな口調だ。そりゃ、あまり否定できないけど。
「いいんじゃないですか。誰でも気軽に入れるカフェがあれば、私は大歓迎です。とくにうちみたいに小さな子がいると、行ける場所も限られているから」
 星さんはまだ二十代前半なのに、もうお子さんがいる。カラフルなジャケットにばっちりメイク。今風のお嬢さんにしか見えないけど、お母さんだ。
「福井さんのところの陶芸教室だって、習いたい人は年配者ばかりじゃないでしょ」
 星さんの言葉に、福井さんがむっとした表情になる。
「そうだね、おたくのところみたいに、数少ない赤ん坊や母親とだけ付き合えばいいってもんじゃない」
 星さんは子供服のリサイクルショップを開業しようとしている。こんな小さな町でしかも少子化で、正直どうなんだろうとは思うけど、目の付け所はいいのかも知れない。
「たくさんいるお年寄りと、お付き合い出来て羨ましいですよ」
 ああ言えばこう言う、星さんも鮮やかな返答をする。
「少し黙って」
 思いのほか低い声で五十嵐さんが二人を止めた。
「たしかに、老若男女誰でも来てくださるなら、いいでしょう。でも」
 そこまで言われて、星さんと福井さんも居住まいを正した。私たちはビギナーなのだ。商いについて、素人なのだ。ここは黙って教えていただくしかない。
 それから、私たちはもういちどターゲットにする客層について考え、意見交換をし、次回までの課題を持ち帰る。
「星さん、古物商許可証の申請を警察へ早めに。江間さん、食品衛生責任者の講座の受講日はこちらになりますので、ご自身の都合の良い日を選んで行ってきてください」
 五十嵐さんが私にプリントを一枚よこした。
「申し込みは早目にした方がいいです。食品衛生責任者の講座は人気が高いですから」
「そうなんですか」
 それだけ飲食店を開きたい人が多いということなんだろう。
「飲食店は、誰でもやりやすいと思うのかも知れません。でも、開店しても二年後にはほとんどの店が廃業です」
 ぎょっとして私は五十嵐さんを見た。
「厳しい世界ですよ、覚悟をしてくださいね」
 隣で福井さんが鼻先で笑ったのが分かった。
「皆さんもですよ。個人商店はどこも厳しいです、楽なところなんてありません。では、また二週間後に」
 二時間のセミナーはあっという間に終りの時間を迎え、会議室は椅子を引く音や雑談のざわめきで一気ににぎやかになった。
「まあ、せいぜい頑張りましょう、お嬢さんがた」
 福井さんは私と星さんへ、ふざけた挨拶をして帰っていった。星さんはむっとした表情のまま、資料やボールペンを乱雑にバッグへと突っ込むと、私へわずかに一礼して部屋を出ていった。
 楽な商売はない、頭では理解しているけれど飲食店のほとんどが二年ともたないなんて。
 統計上の話でも、私のカフェだってどうなるか分からない。
 大金をつぎ込んで、失敗するかも知れない。無一文になったら、どうしたらいいんだろう。
 暗澹たる気持ちで会議室を出ると、廊下を戻ってくる五十嵐さんがいた。
「これ下水道工事です。市の指定業者一覧の用紙を江間さんに渡していなかったので。早めに工事してください」
 はい、と受け取ったが私は先日のことを言わずにはいられなかった。
「五十嵐さん、先日仲町商店街の組合長さんがうちにいらしたんですが」
「ええ、それがなにか」
 しれっとした顔で五十嵐は私に返した。
「勝手に言いふらされては困ります。まだ準備段階じゃないですか」
「江間さんは、カフェ開かないんですか」
 真っ向から言われると、ぎりぎりと崖っぷちに押しやられるような気持になる。
「開きたいですよ、でも」
 ほんとに開けるのか、自分がお店なんて大それたことができるか。考えれば考えるほど不安になる。
「ならいいじゃないですか」
 そういうことじゃなく、と言い返そうとしたとき携帯電話が鳴った。ジャケットのポケットから出してみると、みず江ちゃんからだった。
 五十嵐さんの顔と携帯電話とを私の視線が二往復ほどした。私がおたおたしているうちに、五十嵐さんはさっさと踵を返して立ち去った。
 ああ、なにも反論できなかった。
 悔しさに額にしわが寄る。それでもコールが切れる前に電話に出た自分をほめたい。
「ああ、汐里ちゃん? 今からうちの事務所まで来れる?」
 みず江ちゃん声は、いつもより早口でどこか高揚しているように聞こえた。
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