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第25話 利己的な行動と利他的な行動
住民たちを連れて、修道院に戻ってからのアニサの動きは、迅速で有無を言わせぬものだった。
傷だらけになってもどってきたアニサを見て、何ごとかと修道女たちが集まり、修道院は一時騒然となった。
だが、アニサは、彼女たちの問いかけに答える代わりに、毅然とした態度で指示を出した。
当初は、混乱していた修道女たちも、アニサの冷静な態度を見て、徐々に平静を取り戻していった。
修道女たちの様子を見る限り、アニサは修道院の中でそれなりの地位にいるのだろう。
そんな訳で、住民たちの受け入れは比較的スムーズに運んだ。
修道女たちは、アニサの指示を受けて、穀物庫から荷物を運び出させて、あっと言う間に即席のスペースを確保する。
そして、そこに住民たちを移送し、既存の病人たちと隔離する。
修道女たちの心のケアにも余念がなかった。
病人たちの肌を見て、動揺する修道女たちには、仕事をあてがい、とにかく体を動かさせていた。
なるべく考える暇を与えずに、彼女たちの間に恐怖が伝播しないようにするという配慮からだろう。
修道院はたちまちにあたりを忙しく駆け回る修道女たちでてんやわんやの状態になった。
アニサもその間、病人たちの側につきっきりで付き添い、念入りに体をあらためていた。
おそらく、彼らが本当に死病にかかっているのかどうかを確認しているのだろう。
それは彼女にしかできないことだった。
いくら神に仕えている修道女でも自分の命は惜しいらしい。
病人たちの側に近づき、彼らに触れているのは、今もアニサただ一人だけだった。
アニサは、修道院のどこからか使い古された本を取り出してきて、ベッドの脇に置き、しきりにその内容を確認している。
そして、しばらく本を真剣な表情で読むと、また病人たちの方を向き、体を調べるといった動作を繰り返していた。
影人はその様子を数歩離れたところから、黙って見ていた。
さっきまでは、今いる即席の隔離室を設営する際の荷物の出し入れを手伝っていた。
だが、今はそれも一段落し、手持ちぶさたになっていた。
しばらく様子を眺めていると、アニサは、作業を続けながら、こちらを見ずに、「意外だった?」と声を掛けてきた。
自分の今思っている気持ちをズバリ見透かされていたので、思わずシドロモドロになってしまう。
その返答ぶりで、答えを吐露しているようなものだった。
「いや……ただ感心しているだけです。どうしてそこまで他人のためにできるのかと……」
これも本音だった。
何故、他人を……それも見ず知らずの者のために、自身の命——唯一かけがえのないもの——を失うリスクを負ってまで、助けようとするのか、理解できなかった。
「自分のためよ」
「えっ?」
「私だっていつ病にかかるかわからない。どんな強大な王だって、富を持った商人だって、病は等しく人々の元に降り掛かってくる。そして、あっけなく命を失ってしまう。そうなった時に、後悔したくないの。その後、どうなるかは全て神の御心次第ですもの。できる限りの徳を積んでおきたいじゃない?」
冗談なのか本気なのか、アニサの表情からは読み取れなかった。
ただ、たとえ、神、来世、魂のようなものを信じていたとしても、そこでの自分の利益のために、今の現世での自身の命を犠牲にできるだろうか。
そもそも信じていると言ってもおのずから限界があるはずだ。
少なくとも、この世界の住民の多くの人間は本当のところは、来世というものに確信を持っていないのではないだろうか。
それは人々の行動を見れば明らかだ。
先ほどの人々だって、ここの修道女だって、程度の差はあれども、神の存在は信じているだろう。
だが、そうした人々も結局は、自分たちの現世での利益、つまり自身の命を危険にさらしてまで、他人を助けるというようなことはしない。
実際、今ここで病人の看護をしているのは、アニサただ一人なのだ。
だから、彼女の動機は、単純な信仰心では説明がつかない。
彼女の行動を促しているのは、もっと、別なところにあるはずだ。
死が当たり前のように身近なものとして存在していて、常に死について、考えを巡らさざるを得ない環境、そして、その救いとして神という概念が広く受け入れられている世界、そういう社会に長く生きてきた者にしか、アニサの価値観は理解できないのかもしれない。
少なくとも、死は避けられるもので、遠く離れた場所にある自分とは関係のないものと人々が考えていた世界で暮らしていた影人には、とてもわかりそうになかった。
そんなことを頭の中でグルグルと考えていたら、何も返答できなかった。
アニサは、こちらの返答はさして期待していない様子で、別の件を話し出す。
「この人達……おそらく死病にかかっているわ。文献に書かれている特徴と明らかに一致しているもの」
両親と子供は三人とも熟睡している。
ずっと緊張状態を強いられている反動で、気が抜けたのだろう。
「その……彼らはどうなるのですか?」
まだ三歳くらいの子供は、先ほど体験したことが、よほど怖かったのだろうか。
寝ている時も母親にしがみついていた。
「……死病にかかっているとわかった以上、街に置いておけないわ。死にゆく者として、同じ運命を背負った者たちと、しかるべき時まで、静かに暮らしていくしかないわ」
街から追放するということだろうか。
そうした病気で追放された者たちが身を寄せ合って暮らす村がどこかにあるのだろうか。
だとすれば、家族が離ればなれになることはないだろう。
それだけは救いに思える。
だが、それでも、外部から隔離されている以上、街から追放された病人たちが暮らす村の環境はここよりさらに劣悪なように思える。
この家族を待ち受ける運命はあまりにも過酷なものになるはずだ。
「そう……ですか」
安心したように眠る両親と子の寝顔が視界に入る。
一瞬、胸が痛くなるが、すぐにそうした感情を脇へと追いやる。
どうせ——何もできやしないのだ。
この世界の住民より優れた身体能力と知識を持っていたとして、それがどうなる。
せいぜいが自分の生活を成り立たせるのが精一杯なのだ。
人助けなどできるはずもない。
結局一人の力で出来ることなどたかがしれている。
病人たちから逃げるように顔を反らすと、アニサが何かを思い出したように首をかしげている。
「そう言えば……ガラはどうしたの? さっきから全然見かけないけど」
確かにガラを見ていない。
修道院に一緒に戻ってきてからも、ずっと様子がおかしかった。
「ちょっと探してきます」
この場から離れる口実だった。
幸福そうに寝ている家族たちと一緒の空間にいつまでもいたくなかった。
ここにいると、何も行動しない自分のことを責め立てられている気分になってしまう。
傷だらけになってもどってきたアニサを見て、何ごとかと修道女たちが集まり、修道院は一時騒然となった。
だが、アニサは、彼女たちの問いかけに答える代わりに、毅然とした態度で指示を出した。
当初は、混乱していた修道女たちも、アニサの冷静な態度を見て、徐々に平静を取り戻していった。
修道女たちの様子を見る限り、アニサは修道院の中でそれなりの地位にいるのだろう。
そんな訳で、住民たちの受け入れは比較的スムーズに運んだ。
修道女たちは、アニサの指示を受けて、穀物庫から荷物を運び出させて、あっと言う間に即席のスペースを確保する。
そして、そこに住民たちを移送し、既存の病人たちと隔離する。
修道女たちの心のケアにも余念がなかった。
病人たちの肌を見て、動揺する修道女たちには、仕事をあてがい、とにかく体を動かさせていた。
なるべく考える暇を与えずに、彼女たちの間に恐怖が伝播しないようにするという配慮からだろう。
修道院はたちまちにあたりを忙しく駆け回る修道女たちでてんやわんやの状態になった。
アニサもその間、病人たちの側につきっきりで付き添い、念入りに体をあらためていた。
おそらく、彼らが本当に死病にかかっているのかどうかを確認しているのだろう。
それは彼女にしかできないことだった。
いくら神に仕えている修道女でも自分の命は惜しいらしい。
病人たちの側に近づき、彼らに触れているのは、今もアニサただ一人だけだった。
アニサは、修道院のどこからか使い古された本を取り出してきて、ベッドの脇に置き、しきりにその内容を確認している。
そして、しばらく本を真剣な表情で読むと、また病人たちの方を向き、体を調べるといった動作を繰り返していた。
影人はその様子を数歩離れたところから、黙って見ていた。
さっきまでは、今いる即席の隔離室を設営する際の荷物の出し入れを手伝っていた。
だが、今はそれも一段落し、手持ちぶさたになっていた。
しばらく様子を眺めていると、アニサは、作業を続けながら、こちらを見ずに、「意外だった?」と声を掛けてきた。
自分の今思っている気持ちをズバリ見透かされていたので、思わずシドロモドロになってしまう。
その返答ぶりで、答えを吐露しているようなものだった。
「いや……ただ感心しているだけです。どうしてそこまで他人のためにできるのかと……」
これも本音だった。
何故、他人を……それも見ず知らずの者のために、自身の命——唯一かけがえのないもの——を失うリスクを負ってまで、助けようとするのか、理解できなかった。
「自分のためよ」
「えっ?」
「私だっていつ病にかかるかわからない。どんな強大な王だって、富を持った商人だって、病は等しく人々の元に降り掛かってくる。そして、あっけなく命を失ってしまう。そうなった時に、後悔したくないの。その後、どうなるかは全て神の御心次第ですもの。できる限りの徳を積んでおきたいじゃない?」
冗談なのか本気なのか、アニサの表情からは読み取れなかった。
ただ、たとえ、神、来世、魂のようなものを信じていたとしても、そこでの自分の利益のために、今の現世での自身の命を犠牲にできるだろうか。
そもそも信じていると言ってもおのずから限界があるはずだ。
少なくとも、この世界の住民の多くの人間は本当のところは、来世というものに確信を持っていないのではないだろうか。
それは人々の行動を見れば明らかだ。
先ほどの人々だって、ここの修道女だって、程度の差はあれども、神の存在は信じているだろう。
だが、そうした人々も結局は、自分たちの現世での利益、つまり自身の命を危険にさらしてまで、他人を助けるというようなことはしない。
実際、今ここで病人の看護をしているのは、アニサただ一人なのだ。
だから、彼女の動機は、単純な信仰心では説明がつかない。
彼女の行動を促しているのは、もっと、別なところにあるはずだ。
死が当たり前のように身近なものとして存在していて、常に死について、考えを巡らさざるを得ない環境、そして、その救いとして神という概念が広く受け入れられている世界、そういう社会に長く生きてきた者にしか、アニサの価値観は理解できないのかもしれない。
少なくとも、死は避けられるもので、遠く離れた場所にある自分とは関係のないものと人々が考えていた世界で暮らしていた影人には、とてもわかりそうになかった。
そんなことを頭の中でグルグルと考えていたら、何も返答できなかった。
アニサは、こちらの返答はさして期待していない様子で、別の件を話し出す。
「この人達……おそらく死病にかかっているわ。文献に書かれている特徴と明らかに一致しているもの」
両親と子供は三人とも熟睡している。
ずっと緊張状態を強いられている反動で、気が抜けたのだろう。
「その……彼らはどうなるのですか?」
まだ三歳くらいの子供は、先ほど体験したことが、よほど怖かったのだろうか。
寝ている時も母親にしがみついていた。
「……死病にかかっているとわかった以上、街に置いておけないわ。死にゆく者として、同じ運命を背負った者たちと、しかるべき時まで、静かに暮らしていくしかないわ」
街から追放するということだろうか。
そうした病気で追放された者たちが身を寄せ合って暮らす村がどこかにあるのだろうか。
だとすれば、家族が離ればなれになることはないだろう。
それだけは救いに思える。
だが、それでも、外部から隔離されている以上、街から追放された病人たちが暮らす村の環境はここよりさらに劣悪なように思える。
この家族を待ち受ける運命はあまりにも過酷なものになるはずだ。
「そう……ですか」
安心したように眠る両親と子の寝顔が視界に入る。
一瞬、胸が痛くなるが、すぐにそうした感情を脇へと追いやる。
どうせ——何もできやしないのだ。
この世界の住民より優れた身体能力と知識を持っていたとして、それがどうなる。
せいぜいが自分の生活を成り立たせるのが精一杯なのだ。
人助けなどできるはずもない。
結局一人の力で出来ることなどたかがしれている。
病人たちから逃げるように顔を反らすと、アニサが何かを思い出したように首をかしげている。
「そう言えば……ガラはどうしたの? さっきから全然見かけないけど」
確かにガラを見ていない。
修道院に一緒に戻ってきてからも、ずっと様子がおかしかった。
「ちょっと探してきます」
この場から離れる口実だった。
幸福そうに寝ている家族たちと一緒の空間にいつまでもいたくなかった。
ここにいると、何も行動しない自分のことを責め立てられている気分になってしまう。
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