クチナシの薫りは醒めない

ありま氷炎

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後日談

安らぎの時間5

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「空いててよかった~」
 座敷の部屋に通されて荷物を降ろし、勇が嬉しそうな声を上げる。
 温泉……。
 話には聞いたことがあった。
 多くの人が裸で入らなければならない大衆浴場が苦手な私に気を利かせ、勇は部屋にお風呂が付いている部屋を取ってくれた。
 この時期、しかも特別仕様なので高かったのではないかと思う。
 でも彼は迷うことなく部屋をとった。

 同棲しているが、お互いの財布は別だ。光熱費と賃貸は折半で払い、食事はお互いが好きなものを買い、外食の時はどちらかが払うという形を取っている。
 今回の温泉旅館の費用は私を押し切って彼が全額負担した。

 いいのだろうか。このままで。
 部屋を見て回る勇を見ながら、私の胸がちりちりと痛みを訴える。

「秀雄(シュウシュン)。来て。これがお風呂だ」
 彼に呼ばれ、側に行くと大きな窓つきのベランダがあり、そこに大きな桶、体を洗う用のシャワーなどお風呂に必要なものが置かれていた。
「意外に大きいですね」
「うん。二人で入っても大丈夫そうだ」
「二人?」
「……えっと、まあ」
 私の問いかけに彼が赤くなる。
「いやいや、やっぱり一人一人だよな」
「……ブラインドもちゃんと閉まるようになってますね。後で一緒に入りましょう」
「…う…ん」
 私がブラインドの様子を確認し、そう言うと彼は茹でたタコのように真っ赤になってしまった。
  
 こういうシャイなところはまだ変わらない。
 私はなんだかほっとする。
 
 勇があまりに大人に、強くなりすぎて私は自分を見失いそうになっていた。


「そういえばこの辺、映画で使われたっけ」
 温泉に入る前に散策しようということになり、私達は旅館を抜け、街に出てきた。勇の実家の隣のこの街は観光客が多いのか、立て看板がやけに多かった。
「さあ、何食べようかな」
 時間は11時、朝食の時間はとっくに過ぎており、私たちはちょっと早目の昼食をとる場所を探す。
 日本で暮らし始めて半年、日本料理も少しづつ食べられるようになっていた。
「うどん屋、喫茶店、お好み焼き屋に……。あ、ラーメン屋がある。ラーメンにしようか?」
「それでいいのですか?他に食べたいものは?」
「いいの。寒いし、今日はラーメンが食べたい」
 勇はぽんぽんと私の肩を歩き、先に歩きはじめる。
「待ってください」


「あ、勇じゃない!」
 店に入ってすぐ、そんな声が掛けられる。
「うわあ、すごい、綺麗な人と一緒にいるのね」
 その人は席を立ち、私達に笑いかける。
「……未佳姉」
 勇は彼女にぎこちない笑みを浮かべた。
「あらら、元気ないわね。勇、ちょっとそっちの人紹介してよ」
「彼は俺の……恋人で、王秀雄(ワン シュウシュン)」
「こ、恋人?!」
 彼女の声が店に木霊して、多くの人が振り返る。
「ちょっと、ちょっとどういうこと?一緒に食べましょ。こっち来て、説明して」
 彼女は戸惑う勇と私の腕を掴むと自分の席に連れ込んだ。
「恵子、私の従兄弟の勇とその恋人ね」
「?!恋人」
 席にいた女性が未佳さんの言葉に驚く。しかし彼女のように大声を出すことはなかった。


「なるほどね。それは伯父さん。怒るわね。いやあ、でも未美に見られたのはまずかったわ」
 未美、私達が一緒に寝ているところを発見した少女はこの未佳さんの妹だった。未佳さんは妹と違い、ゲイに偏見がないらしく勇の話を静かに聞いていた。隣に座っている女性、恵子さんも同様でうんうんとただ頷いていた。
「まあ、田舎だし。しょうがないわね。でも私は応援してるから。伯母さんもそうだと思うわよ」
「か、母さんが?!」
「うん。こういうって案外女性は偏見ないのよ。まあ、うちの未美の場合特別だったみたいだけど」
「そう?そうかな」
「そうよ。だから、待ってて。私が説得してあげるから」
「え?!それは無理だと思うよ。父さん、めっちゃ頑固親父だから」
「そうかなあ」
「そうだよ」
「でもやるだけやってみるわ」
 未佳さんは拳を握りしめ、気合を入れる。

 頼もしい人だな。
 でもゲイに偏見がある、毛嫌いしている人を説得するのは無理だろう。

 でも、もしできたら、それは有難い。

「シュウシュン。間違っても別れるとか変なこと考えないでよね。愛は強しなんだから」
「……はい」
 力のある眼差しで見られ、私の驚きながらも返事をする。
 
 この人ならできるかもしれない。
 そんなことを思わせる人で、私は好印象を抱く。

「じゃ、私は帰るかな。恵子、明日またね!勇、シュウシュン、また連絡するわ」
 未佳さんはそう言うと立ちあがった。
「さてと、私は仕事に戻るかな。えっと何頼む?」
 恵子さんは未佳さんを見送ると腰を上げる。
「え?」
「私の店なんだ。私は三代目。お勧めのラーメンは特選ラーメンよ!」
 腰に前掛けを巻き、彼女は不敵に笑った。
「じゃあ、俺は特選ラーメンで。シュウシュンは?」
「それでは私もそれでお願いします」
「じゃ、特選ラーメン2丁ね!母さん、特選2丁入るわ!」
「はいよ!」
 恵子さんの大声に、テンポよく声が返ってくる。
「じゃ、2分くらいまってね。あとで持ってくるから~」
 未美さん同様元気な彼女は、手を振ると台所へ駆けていった。
「……いやあ。びっくりだな」
「そうですね。でも元気な人達ですね」
「うん。よかった。この店選んで。秀雄、やっと笑顔になった」
「そうですか?」
「うん。そう。秀雄は考えすぎだ。俺が大丈夫って言ってるんだから、あなたは深く考えなくていいんだから。俺は1年半前と違う。怖いのはあなたと離れることだから」
「……勇」
 彼の言葉が私の胸に染みわたり、じんっと心の奥が温かくなる。
「泣かないで」 
 気が付くと私は泣いていた。勇がそれをハンカチで拭う。

 出会った時、涙を拭うのは私の役目だった。でも今は彼が私の涙を拭ってくれていた。
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